第4話


 その後の進行は、床にぶっ倒れていたのでよく覚えていない。それなりに盛り上がっている様子は何となく耳に入っていたが、口内をワサビに破壊されたダメージでそれ所では無かった。元凶であり主催者である副部長が、そろそろいい時間だから次の一回で最後にしようと切り出す。花城はなしろ先輩はすぐ戻って来てくれたけれど、結局あれ以降ペアで罰ゲームを受けた事は無し……。終わりだってのか、僕の夏……。


 何とか起き上がってクジ代わりの割り箸を引くと、番号を確かめた。六番。正直副部長が王様にさえならなければ、もうどうでもいい。二度目のワサビは御免だ……。


 最後の王様を引いた誰かが、命令を告げる。


「じゃあ最後に王様ゲームらしく、四番の人は六番の人のほっぺにチューで!」


 僕!?


 期待に全身が覚醒する。いや待て、うちの軽音部の男女比は男六割女子四割。野郎からのほっぺチューを食らう危険性が高い! もうやめてくれェ!


 と思っていると、また花城先輩が急に手を挙げる。


「私四番」


 部屋が水を打ったように静まり返った。時間が止まったように誰も動かなくなる中、いつも通りなのは無表情の花城先輩。


 何だって?


 部屋に犇めく僕と花城先輩以外の全部員が、悲鳴のような歓声を上げた。


 興奮を更に盛り上げるように、副部長が部屋を見渡し問う。


「王様の言う事は~!?」


 耳をつんざくような「ぜった~い!」が応じて、視線が二方向に注いだ。一方は僕。そしてもう一方は、憧れの人。


 ……つまり花城先輩が僕に、ほっぺチューしてくれる?


 心臓が跳ねる。


 花城先輩は動じない。


 加速が始まったばかりの鼓動が、違う意味で身体へ緊張を撒き散らす。


 ……今から好きな人にほっぺチューしろって言われて、そんなに冷静でいられるもんなの?


「分かった」


 まばたきすらいつもより少なくなった花城先輩は応じると、被りっ放しのタオルを揺らして歩いて来る。


 背中が冷たくなった。


 きっとワサビで呆れられたんだ。ぶっ倒れたりなんかしたから、カッコ悪いって。いやでも、最初にステージで声かけてくれたのは、花城先輩だし……。


 花城先輩はあっと言う間に正面に来ると、動けない僕を見上げる。


 心の見えないいつもの無表情と、跳ね回る心臓に急かされるように、尋ねた。


「は、花城先輩って、好きな人いるんですか……?」


「いない」


「……じゃあ、新入生歓迎会で僕に声かけたのって、何でだったんですか?」


「目が合ったから」


「……ならさっき、王様ゲームに乗ってくれたのは……?」


「一年しか一緒に活動出来ない一年生にああ頼まれたら、部長として断る訳にはいかなかったから」


 絶対的だった自信が、勘違いという正体を晒して崩れ去る。


 花城先輩とは最初から、僕の事が好きじゃなかった。僕がそう、思い込んでいただけ。


 もう目の前の景色さえ、ただ映っているだけで認識出来ない。


「そんな事より、君恋人は?」


 急激に機能の低下した脳が僕を置き去りに、言葉の意味だけなぞって反応する。


「いません……」


 返事が無い。やっと自分の意思で何かを見ようと、目を動かす。確か花城先輩が立っている方へ。左方向へ傾くように俯いていて、被ったままのタオルで顔が見えなくなっていた。おもむろにタオルの一端を掴むと、口元を覆いながら僕を見上げる。


「……そこはいるって言って欲しかったなあ……」


 その口からは聞いた事の無い細くて不安定な声に、心臓が撃ち抜かれた。


 タオルで顔を隠しているが動揺しているのだ。新雪のような肌を真っ赤にして。


「えっ……? 別に僕の事、好きじゃないんですよね……?」


「あのねえ何人の前だと思ってるの」


 花城先輩は赤面したままむっとしたように僕を睨み、ライブでしか聞かないような強い声を放つ。


 お、怒ってる? 花城先輩が?


「い、いやだって、いつもクールじゃないですか、ライブ中も全然緊張しないし……」


 もう花城先輩は捨てるように、タオルの一端を離して踏み出した。


「してるよ! いつも不安だから沢山練習してるの! 部長が下手な訳にもいかないし! あんまり喋らないようにしてるのも、部で一番ってぐらい練習するわベースボーカルなんて変態技もこなす部長なんて、皆が委縮すると思って静かにしてるだけ! 話し辛いでしょ普通に! それに私、本来は寡黙でも無いし上がり症! でないとたかがゲームでこんな顔にもならないでしょ高校生にもなって!?」


 確かに入部してから知ったけれど、世間にギターボーカルは幾らでもいるのにベースボーカルやドラムボーカルを探した途端数が激減するのは、それだけ高難易度って事だから! つまり花城先輩とはガチで演奏も歌も上手い訳だけれど、変態と思った事なんて一度も無い!


 いやそれより、花城先輩ってこんなに大声かつ早口で喋れる人だったの!? クールに見えてたのも、見せてただけ!? 部長らしく、振る舞う為に……。でも大抵の事は即受け入れてくれる寛大な人だし、静かにしなくても皆懐いてくれたと思うけれど……。寧ろ口数を最小限に抑えた所為で、イメージが独り歩きしてるっていうか……。


 クールでミステリアスな人から、気遣い屋さんで上がり症の女の子に。


 そう、全てがたった一瞬で、別人のようにひっくり返った。


 口をパクパクさせる事しか出来ない僕を、真っ赤なままの花城先輩は拗ねたように睥睨へいげいする。


「……みっともないって思ってるでしょ。ギャーギャーうるさいって」


「い、いえ……」


「はあ」


 目を伏せると、肩を落として嘆息された。嘆息とかするんだこの人。目を開けると再びタオルの一端を掴み、照れ隠しの為だろう口元を覆って目を逸らす。


「お互い恋人いないんだから躱す方法も無しか……」


 そう弱り切った声で呟くと、タオルを離して僕を見据えた。


 息を呑む。その顔は新雪のような白さを取り戻した、いつもの無表情を纏っていて。


「Tシャツの右袖にゴミ付いてるよ」


「え?」


 目をやった。何も付いていない右袖が飛び込んで来て、左頬に何かが触れる。今度はそれに気を取られ、振り回されるように前を向いた。石鹸みたいな匂いで鼻をくすぐりながら、靡くタオルが視界を覆う。


 それらの時間はほんのまたたきで、気付けば何かを隠すようにタオルの両端をピンと伸ばして握り締める、花城先輩が立っている。さっきより更に一歩分近い、ほんの目の前に。


 そしていつもの無表情を、これ以上無く照れ臭そうに綻ばせた。


「こんな事やって本当に好きになっちゃったらどうしよ」


 花城先輩は逃げるように、くるりと背を向ける。


「はい、終わりー。ちゃんとやったからね。もう寝るから。おやすみ」


 そう皆に告げながら、足早に出て行った。


 ここでやっと僕の頭は、何が起きたか理解する。


 確かに花城先輩とは、僕の事が好きじゃない。でも猶更なおさら、カッコよく告白するしか無い。


 僕は今、勘違いじゃなく今度こそ、彼女が好きになったんだから。

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クールな先輩が僕とのほっぺチュー(罰ゲーム)で突然デレた 木元宗 @go-rudennbatto

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