第3話


 海も練習も、全く身が入らなかった。その内夕食の時間が過ぎて、すっかり夜。もう皆部屋に引き返して、テーブルには僕しかいない。何を食べたかも思い出せない。さっき同期が、花火と肝試しはいつやるんですかって顧問にいてたけれど、今日は移動で疲れてるから明日って……。つまりもう今日は、花城はなしろ先輩と話すきっかけが無い。風呂は夕食前に済ませたし、後は寝るだけ……。花城先輩にカッコいいって言って貰う為に猛練習して来たベースも、披露するタイミングは最終日のライブしか無いし……。


 お、おかしい……。花城先輩、僕が好きじゃなかったのか……? 春はステージから声かけてくれたし、笑いかけてくれたし、あの流れなら海行きましょうって言われたら、デートだって思わない?


 通知が来てスマホを取り出す。部で使っているメッセージアプリに一件。発信者は副部長から。なんだけれど、わざわざ顧問以外……。規模から多分全員だろう部員を入れたグループを新しく作って、そこへ発信している。何だろう? 


 “今から王様ゲームするからやりたい人は私の部屋に集合!”


 お、王様ゲームだって!?


 飛び出そうな目ん玉でメッセージを凝視した。


 全部員に発せられているという事はつまり、花城先輩も来る!?


「行きまぁす!」


 椅子をひっくり返して立ち上がり、副部長に割り振られている部屋へ走った。ドアを開けるとやっぱり大勢の部員が、広くも無い五人部屋にひしめいている。座るスペースも満足に無くて、立っている人が沢山いた。花城先輩は……?


「いっ、いない!?」


 口走ったがすぐ納得する。花城先輩はプレイヤーとしての実力通り、真面目かつストイックなのだ。部で一番上手いし一番練習する。そんな人が睡眠時間を削ってまで、王様ゲームになんて来るだろうか? 部屋でベースの練習をしている姿の方が、よっぽど想像出来る。


「ぐあああしまったあ!」


「副部長。相談って何?」


 頭を抱えた途端、背後から声がした。石鹸みたいな匂いを感じながら振り返ると、スマホを片手にタオルを被った花城先輩がいて、髪も濡れたまま見上げて来るので目が合う。服装がデニムにTシャツじゃなくなってる……。上下共にゆったりした半袖で、ルームウェアかな? いつも真っ白な肌も火照ってちょっと赤いし、お風呂上がりか。お風呂上がりか!? OFURO AGARI!?


 ぶん殴られたような衝撃に後退る。


「お、おああオオ……!」


 取り敢えず上目遣いカワイッ! めちゃいい匂い!


「部長ー! こっちですこっち!」


 部屋の奥で、副部長がぶんぶん腕を振った。花城先輩とは対照的な、元気いっぱいで色黒なロングヘアの女の子。可愛い。


 花城先輩はそれに気付くが、僕が邪魔で部屋の賑やかさには今気付いたらしい。驚いたように少し目を丸めると、副部長へ尋ねる。


「最終日のライブについて話があるって、私に個人メッセージを送ったよね?」


 へ? 花城先輩は別件で来たの?


 副部長は即答する。


「それ嘘です! 今から王様ゲームするんで、部長も参加して下さい!」


 ええっ!?


 これには花城先輩も目をまん丸にした。


「え?」


「だって部長、こういう誘い方しないと絶対来てくれないじゃないですか! 私今日船酔いで何も出来なかったから、お願いします!」


 花城先輩は微かにだが、確かに苦い顔になる。やっぱりやりたくなさそう。や、やばい、断られたらどうしよ……。


 僕は咄嗟に花城先輩に向き直ると、頭を下げた。


「僕からもお願いします! 先輩と思い出作りたいです! 僕にとっちゃ先輩といられる、最初で最後の合宿なんです!」


 何秒経っただろう。他の部員も固唾を飲んで見守る中、体感では一分ぐらい返事を待った。浅い溜息が降って来る。だ、駄目か……?


 恐る恐る顔を上げると、僅かに苦笑している花城先輩が見下ろしている。


「……君にそう言われると弱いな。いいよ」


 アドバンテージ最強! アドバンテージ最強! 僕が頼んだらオッケーって事はやっぱり、僕の事が好きなんだっ!


 後はゲームに参加して、花城先輩といい感じの命令を引き当てるだけ! この流れならいけるだろ! 来い! 僕のアオハル!


 全員揃ったという事でゲーム開始。早速一番手の王様を引いて嬉しそうな副部長が告げる。


「それじゃあ三番と十九番の人は、私が持って来た練りワサビ丸々一本食べて下さーい!」


 三番って僕なんだけれど!?


 何そのお笑い芸人みたいな命令!? 青春感皆無なんだけれど!? 十九番は誰だ!?


 突然花城先輩が手を挙げる。


「私十九番」


 こんなアオハルらねえよ!


 僕の胸中など知らない部員達は盛り上がり、副部長は僕と花城先輩にチューブ入り練りワサビを手渡す! 何でこんな準備はしてるのに酔い止めは持って来てないんだよこの人!


 ど、どうしよう……。でも、花城先輩の前でカッコ悪い所は見せられねえ……! いやでも僕甘党なんだよ! 死ぬ! 部員達の好奇の視線が全身に突き刺さる!


 それを全く感じていないのか花城先輩は、至って普段通りのテンションで言った。


「分かった」


 そのままワサビのキャップを捻ると、チューペットでも食べるみたいチューブをくわえてワサビを押し出す。ってええええええ!?


 花城先輩では無く、僕を含め様子を見ていた部員達から悲鳴が上がった。当たり前だろ躊躇ためらいが無さ過ぎる! そのまま十秒後には完食して、ぺちゃんこになったチューブをくわえたまま花城先輩は口を開く!


「歯磨いて来ていい?」


 歯磨き粉で更に辛味を増す事になるけれど!?


 副部長だけが慣れた調子で笑った。


「部長辛党ですもんねえ」


 一般的な程度を超えてるだろ!


 それを了承と受け取った花城先輩は、悠々と部屋を後にした。視線は一気に僕に集まる。


 冷や汗が噴き出した。カッコ付けるべき相手は颯爽と退席。しかし引き下がればその人が戻って来た時に、ガッカリされるかもしれない。そして幾らアドバンテージ最強でも、自分よりダサい男をカッコいいとは思う女はいない!


「い、いただきまァす……」


 意気込みに反し、本音を晒すような弱々しい声でチューブをくわえると、思い切って指でワサビを押し出した。舌が焼き切れるような衝撃に襲われ、意識が吹っ飛ぶ。

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