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私の懺悔録への応援コメント
ぼくは逆に、何も知らなかったのに、悪い友達に無理やり10円ガムを握らされ、
「それ、ポケットに隠せっ!」
と言われて、訳が分からないままに、友達の言う事だからとそうしたら、
店の奥から怒声が響き、友達はみんなわーっと逃げ去ったけれど、ぼくだけは訳が分からないから、ぽけーっと突っ立って、
「なに? なんなの?」
と驚いてたら、店主のおっかない小父さんが
「こらっ、こっちへ来いっ!」
と怒って中へ連れられて入り、ひたすら正座して「? ?」状態で泣いてた。
「これが最初じゃないだろっ!」
と怒るけど、
「初めてです」
「嘘つけっ!」
「ほんとうです」
と延々問詰められて、それだけで解放された、それだけの事なんだけど、あの時は酷い目にあったと思った。
P.S. そうでした。ご指摘に感謝します。急ぎ当該箇所を削除しました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。大変な思いをされたのですね。ご自分では本当のことが分かっていても伝わらないのはもどかしいことだったと思います。
修正もありがとうございました。
私の懺悔録への応援コメント
企画主です。
今って、インターネット正義マンが沢山いて、若い頃の悪さを SNS などで告白すると炎上ネタにされかねない時代ですよね。
そら、悪いことは悪いんですけど、潔白な人なんているのかな、とかなりアレな育ちの自分は思ってしまいます。正直、墓に持っていくしかないなというエピソードはいっぱいです。
そんな思いさえも表に出せば『常識人』や『正義マン』の手にかかるととことんボコボコにされます。やれ馬鹿の書いた文章だとか、これだからDQNの生まれはとか。
重ねて疑問に思いますが、本当に皆そんなに潔白なのだろうかと。都会人だから? 現代の子だから? これが生まれの違いか?
そんな経験があるから、こういう話を見るとどこか安心してしまいます。そしてこのような告白ができる、文芸という舞台の懐の広さを感じます。
ありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
本作を発表するにあたってはかなり悩んだのですが、思ったよりも親近感を感じたという感想が多く、ほっとしました。
自分もこういう経験があるからこそ、他人の過ちには寛容にならないと、と思っています。
私の懺悔録への応援コメント
以前より、こちらの活動記録エッセイにお越しいただいていてありがとうございます。
私も昭和生まれの人間ですが、詳細は明かせないものの、類する記憶がひとつあります。
その建物も今は無くなっており、ただ私の内の苦い記憶だけが残っている状態ですが。
ただ、人生の初期に、大きな過ちにならないうちに「罪の意識」を持てたことは、その後の人生においてプラスに働いた部分もあるかもしれません……。
国語の教科書だったかで「ある北方の民族は、子供をわざと熱いものに触らせて火の危険を教える」というような話を読んだ記憶がありますが、それに近いような。
考えさせるお話をありがとうございました。
作者からの返信
感想ありがとうございます。今回このエッセイを発表したことで、私と同じような思い出を持っていらっしゃる方々と知り合えたのが何よりの収穫でした。苦い思い出を忘れずにこれからも生きていきたいと思います。
私の懺悔録への応援コメント
昭和の小学生ですか。テレビ報道とかもほとんどありませんでしたから、万引とか器物損壊とかが「悪いこと」とわからなかったのかもしれませんね。
ただ、やってみたらどうだった、という感じで。
でも小学生のうちにダメなことだった、と知ったのは人格形成のうえでは良かったのかもしれません。
もし中学・高校でも気づかず、大人になってからも行なっていたら前科持ちになってしまいますからね。
子どものうちはなんでも経験するべきですが、過ちも過去にするのではなく教訓にできれば、その後の人生は豊かになると思います。
過去は書き換えられませんが、未来はこれからどのようにでも書くことができる。
反省のあと、未来を潔白に生きるためにも、小学生で気づけたのは貴重だと思いますよ。
作者からの返信
感想ありがとうございます。さすがに小学校高学年ですから、自分が悪いことをしたというのは分かっていたと思います。そこで逃げられると思っていたことが子どもの浅はかさだったんでしょう。
これからの人生で二度とこのような後悔をしないよう、噛みしめて生きたいです。
私の懺悔録への応援コメント
コメント失礼します
嘘をついたときなどの負い目の感覚はドクトクですよね
何かずっと胸が暗闇にとらわれるというか、嫌な気分です
自分もそうゆう感覚にとらわれたことを思い出しました
また、遊びに来ますね
作者からの返信
感想ありがとうございます。
私もずっと忘れられない出来事だったので、この作品を書いたときに皆さんに打ち明けられてほっとした気分でした。