其の二十三:幸福問答[6/5(火)]

 『悪魔の胎児』の製造拠点の殲滅せんめつから一夜明けた、その夜の事。

 田んぼの真ん中。カエルの大合唱に紛れて、見回り中のたけると散歩中の太樹たいじ相対あいたいしていた。

「唄羽を泣かせたそうだな」

ものすごい殺気を放った武が太樹の背後に立っている。

「お前、何を言ったんだ?」

ドスの効いた声が太樹の背中に突き刺さる。

「ほ、火村ほむらさん……?」

「答えろ。お前が唄羽に何を言ったか、一言一句」

ほとんどおどしのような聞き方だ。

 太樹は青ざめた顔で昼間の顛末てんまつを武に聞かせた。

「……なるほど」

武が腕を組んで考えを巡らせる。

「それで。お前は、唄羽になんて言って欲しかったんだ?」

太樹の視線が泳ぐ。

「『戦いたくない』って、言ってほしかったです。普通の女の子みたいな暮らしをしたいって言ってほしかった……のかな、と思います。俺は」

長考の末、太樹はそう呟いた。

「そうか」

武は何も言わず、山の方に向かう坂道を登り出した。

「何が言いたいんですか。散歩してる時にいきなり絡んできて!」

太樹の言葉に、武が立ち止まって振り返った。

「お前は、唄羽に言霊師ことだましを辞めて欲しいのか?」

「当たり前じゃないですか」

太樹は怪訝けげんな顔をする。

「顔見知りの同級生が危ない事してたら、誰だって止めますよ」

「そうか。じゃあ教えてやる」

武が太樹の顔を覗き込む。

「言霊師ってのはな。辞めようと思って辞められるものじゃない。言霊師に生まれたら最後、死ぬまで言霊師やるしかないんだよ」

唖然あぜんとする太樹に、武は言葉を続ける。

「モノノケを“見ないフリ“することはできても“視えなく“することはできない」

武が太樹を指差す。

「お前みたいに、ある日急に視えるようになるやつは一定数いる。だが視えなくなるやつはいないし、どこの文献にも記録がない」

「要点をまとめてから話し始めてくれませんか?」

太樹はイラついた様子で武を煽った。

「……つまりな。“言霊師やめます“ってのは“モノノケが人間を襲うのを見殺しにしながら一生生きていきます“って宣言するのと大差ないんだよ」

武の脳裏に母――亨子きょうこの顔がよぎる。愛する男と添い遂げるために全てを捨てた母。寿司屋のカウンターで笑いながら口を拭いてくれた母。そして、夜の山道に横たわる、炎に包まれた母。

「お前は、唄羽にそんな人生を送って欲しいのか?唄羽は、そんな生き方で幸せになれると思うのか?」

「そ、それは……」

武が固く拳を握りしめる。言霊師の使命を投げ出した人間がどうなるかは、武が誰よりも知っていた。


 カエルの合唱が闇夜に響く。

「……それでも」

重い沈黙を太樹が破った。

「それでも俺は、手奈土さんに戦ってほしくないです」

「それが唄羽を苦しめるとしてもか」

武の返答は、問い掛けよりも糾弾きゅうだんに近いものだった。

「はい。……これは、俺のエゴなので」

太樹の顔は夜の闇に紛れてよく見えない。ただ、その声はかすかに震えているようにも聞こえた。

「使命とかしきたりとか、そういう事情はよくわかりません」

武がきびすを返そうとした折、太樹が言葉を続ける。

「でも、知らない人が死ぬよりも大事な人が死ぬ方が辛いじゃないですか。大事な人が命を投げ出して知らない人が大勢助かるんだったとしても、大事な人が生きててくれれば世界なんかどうなってもいい。俺は、そう思います」

「それで世界が滅んでもいいのか。自分たちだけが滅びから逃げおおせて生きていけるなんて……」

「思ってません!」

武の問い掛けに太樹が言葉を被せた。

「でも……。やっぱり、死ぬ時は大事な人と一緒が良いに決まってますよ」

太樹の声が涙でうるむ。

「だって、もう、置いていかれるのは……」

すすり泣きが聞こえてくる。

(そういえばコイツ、二ヶ月前に双子のきょうだいを亡くしているんだったな)

太樹から『片割れ』を永遠に奪い去ったのは他でもない武たち自身だった。

「そうか。ごめんな、長々と引き止めちゃって」

武は他所行きの明るい口調で太樹をあしらう。

「じゃ、おやすみ。帰り道、足元気をつけてね。今日は暗いから。ネッ!」

これ以上深追いして太樹の傷を抉るのは悪手だ。武は手を振りながら爆速のバックステップで帰路についた。


 火村ほむら屋敷に戻ると、玄関の上がりかまち唄羽うたはが座り込んでいた。

「たけさん、お帰りなさい……」

唄羽が眠い目をこすりながら武に一礼する。

「唄羽。なんでここに」

「見回り、たけさんに付いてこ思たんやけど、起きたらたけさんおらんくて」

「うん、うん」

武が唄羽の隣に座り、小さく身を屈める。

「せやから、うち、お出迎えだけでもしとうて」

「うん。ありがとう、唄羽」

「えへへ」

唄羽が屈託くったくのない笑みを浮かべる。

(こんな純粋な笑顔、いつまで見られるんだろうか)

 武だって幼い頃はこんなふうに笑えた。言霊師として数多あまたの命を奪っていく中で、笑顔はとうの昔に社交用の仮面になった。

「……なあ、唄羽」

「んー?どないしはりました?」

「幸せって、何なんだろうな」

唄羽がパチクリと音がしそうな瞬きをした。

「しあわせ……?」

「あ、いや、えっと……」

失言を訂正しようとする武にはお構いなしで、唄羽は遠い目をしている。

「えっとね。ご飯がおいしゅうて、朝日がきれいで……」

唄羽が指折り数える幸せは、どれも笑ってしまうくらいにささやかなものだった。

「それから……」

そこまで言うと、唄羽は武の腕に体重を預けた。

「ヴァっ⁉︎」

武が恐る恐る重さのかかる方向を見る。

「あ……」

唄羽はすやすやと寝息を立てていた。

 武は唄羽を、起こさないようにそっと抱き上げて部屋に運ぶ。

(言霊師の使命、恋をする事、おいしいごはん……)

幸福の定義が武の頭で舞踏会ぶとうかいを開いている。

「どう生きれば、唄羽は幸せになれるんだろうな」

武はそんな事を溢しながら、優しく唄羽の頭を撫でた。


 翌朝。

 唄羽は線香と花を持って、朝もやに煙るハイキングコースを歩いていた。

「確か、この辺やったような……」

 目的はもちろんハイキングなどではない。『悪魔の胎児』の公式に確認された第一犠牲者――『リョウメンスクナ』を宿し、命を落とした李下りのした 泰樹しんじ供養くようだ。

 10分ほど歩き、李下泰樹の遺体発見現場に到着する。花と線香を供えて手を合わせる。

「ようやっと、終わりました」

唄羽が呟く。

「うちは誰も助けられへんかった。モノノケを調伏ちょうふくするのも、たけさんやら守ノ神もりのしんはんやら強い人におんぶに抱っこで……言霊師やない人らも、ようけ巻き込んでしもうた」

泰樹の二の舞になりかけた恋天使れんじぇる。『コインロッカーベイビー』に取り込まれた、ラカム芽亜里めありを始めとする女性たち。そして何より、家族を喪い心に大きな傷を負った太樹。

「せやから、うちはもっと強うなります。……もうこれ以上、誰も悲しまなくてええように」

モノノケを人間に寄生させる呪具じゅぐ。言霊師打倒を目論む霊者れいじゃ――『外道げどう』の組織化。旧来的な対応では進化する外道の手口に対して後手に回り続けるという事が、一連の騒動で明らかになった。

 進化しなければいけない。その進化を担うのは、唄羽たちをはじめとする若い世代の言霊師だ。

「……また、来ます」

唄羽の長い言霊師人生に於いて、この初陣は彼女の人生を大きく変えた。初めて命を取りこぼしたこの場所が、きっと彼女の基準点になるだろう。

 唄羽が立ち上がる。木々の隙間から朝日が差し込み、唄羽の行先を照らした。

〈了〉

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かみよもきかず〜言霊師の怪異調伏活動及びそれに関する事柄の記録〜 鳳 繰納(おおとり くろな) @O-torikurona

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