天狗さん
配達を終えるごとに雪は降る強さを増してゆく。そして、ソフィーの両手にも頂きものが増えていた。飴玉から始まり、みかん、干し柿、お菓子、ジュースなどなどが入ったビニール袋が助手席の周りに置かれ、ソフィー自身も最後の配達先で頂いた白菜を膝の上に乗せて抱えているありさまであった。
「日本人の特性よ…あまり気にしなくていいと思うわ」
運転席と助手席の間に置かれた、山盛りのみかんの入った袋の上に腰掛けたスーネがそう言って、健太に剥いてもらったみかんの一房を両手で持ちながら幸せそうに頬張っている。これは配達先の一軒の老夫婦のお宅から戴いたものだ。丸みのある黄色い果物を不思議に眺めていたソフィーだったが、スーネと同じようにその一房を頬張ると、その甘みに思わず驚く、りんごや洋梨とは違うとても不思議な果物だ。
「みかんと言うのよ」
ちょっと偏った発音をしながらスーネはそういって満足そうな顔をして小さく千切っては汁を垂らさないようにしながら頬張る。
「あ、ソフィーとスーネ、帰りに天狗さんに寄るからね」
健太がそう言うとスーネが首を傾げた。
「こんな雪の中を?」
「うん、そろそろ菜種油が切れそうだってRainが来ていてね、今日持ってきますって返事しちゃったんだよ」
「返事をしてしまったのなら仕方ないわね。お約束ごとは守らないといけないわ」
スーネは当たり前だと言わんばかりにそう言うとちらりとソフィーを見た。
銀色の髪の毛に金色の瞳をして白磁のように艶のある肌、その目の下にいつの間にかクマがしっかりと見てとれる。疲れも滲んでいるであろうにそれを気にかけることもなく、白いロングコートを纏って膝の上に白菜を抱くようにして助手席に座り前方の景色を時折ぼんやりと眺めている。
「スリフのソフィー、貴女、眠くはないの?」
スーネがそう言うと、ソフィーは不思議そうな顔をした。
「眠くはないです。そんなに眠気もないんです…」
「そう…。そうだわ、健太、天狗さんのところで、囲炉裏で温まる時間を作れるかしら?」
「囲炉裏で?」
「ええ、できれば1時間くらい、良いわよね」
「天候がどうなるかわからないけれど…」
「大丈夫よ、雪の精霊には私が話をつけておくから気にしないでいいわ」
「分かった。じゃぁ、そうしようか」
ローリー車は国道沿いの道を逸れて林道へと入っていく、道の両側には手入れされた杉林が立ち、その根本に生えている笹の葉に白い雪が積もり、時折、その頭を垂れては雪を落としていた。空からの雪は降り方を変え、まるで落ちてくるようにふわふわとした灰雪がフロントガラスを優しく撫でては消えていった。
やがて、日本アニメで見たことのある赤い鳥居が前方に見えてくると、スーネが両手を合わせて、2回ほど、パチン、パチンと打ち鳴らした。
空気が凛と澄んだのがわかった。
スウェーデンの森で体験したことのある精霊の住まう綺麗な空気へと車内が変化したことにソフィーが驚くと、先ほどまでフロントガラスに当たっていた雪は消えていた。
「ああ、だいぶ待ち焦がれていたみたいだね」
赤い鳥居の右端にある電柱の街路灯の下で人影が1人立っているのが目に入る。赤ら顔に絵本のピノキオのように長い鼻、そして、サンタクロースのような長い髭をして、着物を着て変なサンダルを履いた男性が季節外れのメイプル葉のような団扇を持っていた。
「あれが、天狗さんだよ、日本ではよく語り継がれている存在なんだ、スーネやスリフと同じと考えていいよ」
「えっと…」
そう言うものなのだと言うことはソフィーにも理解できていた。
スリフと知り合ってからというもの不思議なものには慣れている。異国の神とも触れ合ったこともあるのだから、必然的にそう言われてしまえば、そうであるのだ、と考えるようになっていた。ローリー車は天狗さんの少し手前で止まると、健太から降りるように促されたソフィーも一緒に車から降り、柔らかな雪の積もる上を歩いて健太のそばに駆け寄る。両手に包んで連れてきたスリフはこの不思議な環境下にあってもすやすやと寝息を立てて眠っていた。
「こんばんは、天狗さん」
「遅かったの…。おお、珍しい子を連れてきたのだな」
天狗さんの視線はしっかりとソフィーを見つめると怖そうな表情から一転して和かに微笑んだ。
「こんばんは、お嬢さん、お名前を教えてくれるかな?」
天狗さんが優しくスウェーデン語でそう挨拶をしたので、ソフィーは思わず驚いてしまう。
「ソフィー、挨拶はできるかな?」
「こんばんは、えっと…天狗さん、スリフのソフィーと言います。よろしくお願いします」
「おお、良い返事じゃ、良い返事じゃ、良い子じゃなぁ」
天狗さんはスウェーデン語でそう言ってから大きく笑い声を上げた。
精霊の前では決して真名は明かしてはならない、もし、名前を聞かれたのなら、私の名の後に貴女の名を言いなさいとスリフから言いつけられていた。それをすることでソフィー自身が精霊の家族であることを示すのだそうでスウェーデンでは助けられたことも多々あった。
「お久しぶりね、天狗さん」
「おお、スーネさん、久しぶりですなぁ」
スーネが天狗さんの前で羽搏きながらそう言って空中に静止すると、頭をぺこりと下げて挨拶をする。天狗さんもそう言ってから頭を軽く下げて互いに挨拶を交わし合う。異国にくれば異国のルールにある程度従う、それがどこの文化圏でも最低限のマナーなのだ。
「スリフのソフィー、いきなり母国語で話しかけられるんだもの驚いたでしょう」
「はい、びっくりしました」
「あははは、そうかそうか、私の言葉は通じたか」
「とっても聞きやすいです」
「それなら結構、結構」
大笑いした天狗さんは気分が良いと言ったようにソフィーの頭へ手を伸ばすとゴツゴツとした手で彼女を優しく撫でた。その手からは想像できぬほどに優しい温もりが伝わってくる。
「天狗さん、ついでに囲炉裏をお借りしたいのだけど、できますかしら?」
スーネがそうお願いをすると、何かを悟ったように天狗さんは頷いた。
「ああ、その子に使うんじゃな、いいぞ、存分に温まっていくがよい」
「ありがとう。ああ、スリフのソフィー、こちらへ来てくれるかしら」
健太が微笑みを浮かべながら行っておいでと背中を押してくれたので、天狗の目の前にいるスーネの隣へ恐る恐る近寄った。
「私が言ったことを復唱してね。こうよ、[天狗さん、囲炉裏の火をお借りできますか?]」
「天狗さん、囲炉裏の火をおかりできますか?」
ソフィーは天狗さんの目を見てからしっかりとスーネの言葉を辿々しいながらも日本語を真似て話した。
「あい分かった。スリフのソフィー、しっかりと温まるがよかろう」
天狗さんはそう満足そうに答えると、大木の幹のように太い腕を伸ばして、ゴツゴツとした掌で再びスーネの頭を撫でた。
「おお、これは早めに温まった方がよさそうじゃなぁ、健太、缶を下ろしてこっちへ来なさい」
「はい、はい、ちょっと待ってくださいね」
そう返事をした健太はローリー車のエンジンを切ると、荷台に乗せていた一斗缶を二つ下ろし、両手に一つずつ持ちながら駆け寄ってきた。
「石段の先にわしの家がある、そこの囲炉裏があるからの」
天狗は木でできた一本足のサンダルで姿勢を崩すこともなく、一段、一段をゆっくりと登ってゆく。その後ろをスーネとソフィー、そして機関車のように白い息を吐きながら健太が続く。
「健太、やっぱり太ったんじゃないの?」
ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべてスーネがそう言った。
「ふとって…なんか…いない」
息も切れ切れに石段を昇る健太がスーネをギロッと睨みつける。
「お前だって…みかん太り…してるじゃないか、羽の羽ばたきが最近鈍いんじゃないか?」
「言っていいことと悪いことがあるわ。妖精は太らないのよ」
勝ち誇ったようにスーネがそう言うと、諦めの混じったため息が聞こえてきた。
澤田石油店のソフィー 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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