精霊たちの挽歌


 雪の粒が風に吹かれてフロントガラスを撫でては水滴となって張り付いてゆく、暫くするとワイパーが雪の成れの果てをかき集めては窓から拭き払っていくのをソフィーは眺めていた。両手に包んで胸元に抱いている宝石の上で眠る妖精のスリフは起きる気配はないものの、穏やかな寝顔を見せていることにソフィーは安堵した。

 隣で運転しながら缶コーヒーを一口飲んだ健太がソフィーへと声をかけた。


「君の妖精は4枚羽根の綺麗な緑のドレスを着ているんだね」


 その言葉にソフィーは戸惑ってしまった。

 スリフは健太の言う通り翠の妖精であった。4枚の蜻蛉のように透き通る羽根を持ち、玉虫色に煌びやかに光るドレスを身に纏う、その姿は誰もが思い描くことのできる有名なアニメーションから浮き出たような姿でとても美しい。同時にその容姿からはスリフが格式の高い高貴な者であることも物語っていた。


「見えるの?」


 ソフィーは恐る恐る尋ねる。

 妖精の話をしても実際に見えているのものなど誰1人として見つけることも出会うこともできなかった。両親でさえ言葉では信じてくれているような言い回しであっても、実際には信じてくれていないと思えることも多々あった。妖精達の存在を感じる感性の豊かな友人もいたけれど、実際にその姿を見えるものは皆無に等しい。そして高貴になればなるほど彼、彼女ら妖精はスリフも含めてその姿を容易に人へと見せることはしない。

 しかし、この不思議な日本人、もとい健太にはしっかりと見えているようで、その姿を的確に言い当ている。

 ソフィーにはそれが驚きで、さらに先程の行為にも驚愕もしていた。

 地脈も神気も環境も何もかもが違う異国の土地まで、霊主として、親愛なる友として、自らの存在を散らすほどの妖精にとって過酷そのものの状況でここまで導いてくれたスリフの命の燈があと少しで消え入りそうになっていたと言うのに、何気なしに健太のかざした手から流れでた妖精や精霊の力の源と言うべき地脈の気は、スリフが違和感を感じることなく体へと溶け込むように吸い込まれていった。

 スウェーデンと日本の地脈は全く違うと言っていいほどで、それでスリフがどれほど苦しんだかを忘れてしまうほど、健太の手からは例えるなら一種の無毒な気が注がれたのだ。

 

「美しい妖精の姿ならしっかりと見えているよ。あ、そうだ、ソフィーと呼んでいいかな?」


 健太の声がとても心地よい響きを伴っていることにソフィーは気がつく、それは澄んだ空気の森を歩いているような、心地よい小川の流れを感じているような、当たり前のように身近にあると錯覚するほどの、聞き優しい声色であった。


「はい・・・」


 少し恥ずかしくなってソフィーは健太に向けていた視線を逸らすと外へと向ける。雪は降る速度を早めているようだ。


「ソフィーは精霊に愛されているんだね、異国の地まで必死になって案内してくれるなんて、そこまで尽くしてくれる霊主を見たことはないよ」


「スリフは優しい妖精なんです・・・」

  

 父が亡くなったあの日、ベッド脇で泣きじゃくるソフィーの側でスリフも一緒に涙を流し、美しい泣声を上げてともに涙してくれた。その泣声はイスタンブールに住んでいる地元の精霊達にも聞こえ届き、やがて悲しみの声は伝播を始めると、ソフィーの最愛の家族を失って希望も何もかもを塗り潰す絶望が溢れ出る深い悲しみを、精霊らは肩代わりをするかように、その絶望を少しずつ、心が壊れぬようにソフィーから取り除いては、古来から語り継がれる「精霊達の挽歌」と謳われる精霊歌に織り込み、それぞれ口ずさみながら、父親が託した手紙の想いに寄り添うべく手助けをしてくれた。スリフは精霊達に語りかけて助力を乞い、その身を堕としても良いと言わんばかりに、懇願してまわってくれた。

 そのおかげで、日本へ、健太の元へと向かう道を切り開けたのだ。


「スリフがいてくれたからここまでこれたんです・・・」


 悲しい表情を浮かべながらソフィーはぼそりとそう言った。自分自身では何一つできていない、大切な友が命懸けの手助けをしてくれたのに何もできなかったことを悔いていた。


「悔いているんでしょ?」


 沈んだ表情をちらりと見た健太はそう言った。


「はい・・・。あれだけ助けてくれたのに・・・私はスリフを助けることさえできなかったんです・・・」


 抱いた宝石を胸元で優しく抱き留めながらソフィーは悔いる涙をぽたりと落とした。


「でも、スリフが笑みを絶やしたことはなかったでしょ?」


「笑み…ですか?」


「うん、最後のあたりは相当辛いから苦しみの表情を浮かべて意識を失っていたけれど、それまでの彼女はどんな顔をしていたの?苦しんでいる表情を浮かべていた?」


 そんなことはない、道中の中でもスリフは友として、話を聞いてくれたし、互いに相談しながら、一歩一歩、ここまで歩みを進めてきたのをソフィーは思い浮かべた。


「彼女の成果だけじゃないよ、それは、ソフィーの力も合わさってできたことなんだよ」


「私が・・・ですか?」


「うん。妖精や精霊というものはね、努力しないものには振り向かないし、尽くさないんだよ。ソフィーがお父さんからの想いを受け取って、頑張ると決めた時に、スリフは尽くそうと考えたんだよ。だから、ここまで頑張れたんだ。精霊や妖精はとっても気まぐれだから、いい加減なことでは愛想を尽かされるよ。ソフィーはスリフが幼い頃から頑張っている姿を見てきてるから、どんなことにも挫けない、そして、頑張り抜くことができるということを肌身で知っているからこその行為だろうね。教授のソフィーに対しての想いも本物で真心が籠っていたから、精霊達も協力してくれたんだよ。ソフィーは両親にも、妖精にも、精霊にも愛されているんだ。だから、大丈夫、この後のことは心配しなくていい。まずは家でゆっくり過ごして、そこからソフィーとスリフと僕達と考えていこう」


 ハンドルを握っていた健太の片方の手がソフィーの方へと伸びてきて優しく頭を撫でた。父親に撫でられているようにも、母親に撫でられているようにも思えるほどに、その手は温かで優しくてその心地よさに思わず視線を健太に向けると、健太の頭の上、鴉の濡羽のような髪の上に1人の妖精がいた。


「あ・・・頭に・・・」


「ああ、この子かい?」


 髪も素肌も雪のように白い、そして唇に紅ルージュを引いた妖精、純白で美しい光沢を魅せる日本のキモノという伝統衣装を着こなして、唇と同じ色の切れ長のレッドアイの両目からは力に満ち溢れたとても情熱的な優しい視線をソフィーは感じた。


「この子はスーネ、君と同じ北欧からこの地へ来た変わり者だよ。僕もね、妖精を連れているんだ」


 健太がそう言うと、スーネと呼ばれた妖精が微笑みから頬を膨らませて怒ったように健太の髪の毛を引っ張り、さらに力を込めるように純白の羽根が4枚羽を羽ばたかせて健太の髪の毛をさらに引っ張り上げた。

 

「痛いよ、スーネ」


「私を変わり者というからよ」


 硝子の音色とでもいうのだろうか、まるで雪の積もった音のない朝に響く鐘のような、凛と澄んだスーネの声が車内に響いた。


「私はスーネ、よろしくね。ああ、そうそう、出会ったついでに予言を言いましょう。スリフのソフィー、貴女のお父様の願いは必ず叶えられるわ、だから、安心しなさい。少なくともこの健太という男は信用なる者よ、レディーの扱いができない男ではあるけれど・・・」


 髪の毛から小さな手を離したスーネはそう言うと、健太の頭の上でふわりと浮かびながら羽根を揺らしてソフィーに微笑みを見せた。

 それを聞いたソフィーはスーネがスリフと同じ妖精であって、しかも、かなりの高等精霊であることに気づいた。スーネの「スリフのソフィー」と言ったのが一番の驚きだった。

 精霊にも宿り方がある。契約として宿るものと、精霊が自ら選んだものだ。ソフィーは後者だ。幼い頃に街中で偶然にすれ違ったスリフから「貴女に宿る」と唐突に言われ今に至っている。幼い頃に魅入られたと言うのが正しいのかもしれない。そして宿り方は霊主と同等の力か、それ以上でなければ、どちらの宿り方かを分別することなどできないはずなのに、スーネは間違いないとでも言うかのように、はっきりと断言してみせた。

 そして「予言」も下したのだ。

 精霊の中でも余程の力ある者でない限り、予言はできないとスリフが言っていた。スリフ自身も予言まではできない、予言は因果に干渉して人それぞれにある定められた人生詩を覗き見る行為で、それを見るためには精霊達でもかなりの力を必要とする。それができる以上、スーネはスリフ以上に力の強い精霊であることは疑いようがなかった。


「私も貴女のお父様には借りがあるの。だから、お手伝いをしてあげるわ」


 健太の肩に腰を下ろしたスーネがそう言って微笑んだ。


「父に?」


「ええ、貴女のお父様は立派な方だったわ、私が今ここに居れることも、健太の妖精として宿り続けられることも、貴女のお父様のおかげなのよ。貴方のお父様は貸しだと健太に常々言っていたから、それは周り回ると私も借りがあるということになるわ」


「お話中悪いけど、そろそろ、配達先に着くよ」


  そう言って健太がウインカーを出してハンドルを右へと切った。揺れが襲ってきて肩に腰を下ろしていたスーネがずり落ちそうになりながら慌てて羽を羽ばたかせた。もちろん、再び膨れっ面をして健太を再び睨みつけている。揺れるなら言いなさいよと暗に言っているのだろう。

 ローリー車は舗装の良かった道から少し凸凹のある私道へと入り、左右にうっすらと雪の積もる狭い道をヘッドライトの光で照らしながらゆっくりと進んでいく。道の両脇にはフェンスに囲まれた畑があるようにソフィーには見えた。


「スリフのソフィー、この話はまたにしましょうね。お仕事の邪魔をすると健太は怒るもの」


  スーネがそう言い終わり、彼の頭へと戻るとローリー車は平屋建ての一軒家の前でブレーキ音を鳴らしその身を軋ませながら停車した。

 その家はソフィーにとって初めて見る古い日本家屋で、玄関と思われる引き戸が窓ガラス越しにも聞こえてくるほどガラガラという大きな音を立てて開くと、腰を曲げて白いタオルのようなものを頭から被り顎で縛った老婆が懐中電灯を持って出てきた。


「三ツ矢のおばあちゃんだわ、お節介が始まるわよ」


 やれやれとスーネは言い残すとその姿を霞のごとく消し去ってしまった。精霊隠れという行為でスリフも喧嘩したりするとよく姿を消して隠れたものだ。


「車内に居ていいからね」


 健太がそう言い残してエンジンをかけたまま、ドアを開けて外へと出て老婆の元へと走っていった。

 扉の開閉の合間に冷えた風が室内へと入り込んできてソフィー思わず身震いしてから、窓ガラス越しに健太と老婆の方へと視線を向けた。

 

「遅くにありがとうねぇ、けんちゃん」


「こちらこそ、遅くなってすみません。三ツ矢さん」


 お客さんと挨拶を交わし、ちょと長い立ち話をして別れた健太が、ローリー車の後ろへと回ると、ガチャガチャと操作をする音が車体越しに響いてくる。やがて操作が終わったのか給油ノズルのついたホースを伸ばしていくのがサイドミラー越しに一瞬写って消えていくと、数メートル先にある建物横の白い箱の蓋を外しそこに給油ノズルを差し込むのが見えた。後ろのタンクが音を立てて動き始めるとホースを伝って何かが流れて出していく音と、かちん、かちん、と何かが刻まれているかのような音が聞こえてきた。

 暫くして給油が終わり、健太がホースを片付けていると助手席の近くに人影が立った。


「可愛い子が乗ってるねぇ」

 

「海外から来た子で、日本語わからないんですよ」

 

 三ツ矢のおばあちゃんが興味が湧いたようにそう言うと、聞いていた健太が聞こえるようにそう返事を返した。

 

「そうなのねぇ、長く引き止めちゃって悪かったわねぇ・・・」


 三ツ矢さんはそうい言いながら窓ガラスその傍まで近寄ってきて、深い皺の刻まれた顔でにこにこと微笑んだ。その笑みに流されるようにソフィーも微笑みをかえすと三ツ矢さんは嬉しそうにさらに笑みを深めた、そして何かを思い出したかのように自宅へと戻ってゆくと、やがて黒く小さな袋を持って再び玄関から姿を現した。その元へ伝票を持った健太が向かい、少し言葉を交わすとその袋を貰って車内へと戻ってきた。


「三ツ矢さんがソフィーにってくれたよ。飴玉だね」


 日本語は読めないけれど、パッケージに写っている飴玉の写真でソフィーにも分かった。


「あら、いいもの貰ったわね」


 再び姿を現したスーネは嬉しそうにそのパッケージを見つめている、向けられた視線からは暗に食べたいと言っていることもソフィーには理解できた。


「さ、次の配達先に行くよ、あ、ソフィー、頭を少し下げて手を振ってあげてくれる?、それがこの国でのお礼なんだ」


「はい」


 健太が行ったのを見よう見まねで行うと、三ツ矢さんの顔が綻ぶのが遠くからでもソフィーには分かった。次の配達先へ向かいがてら健太が食べたらと言ってくれたのでソフィーは袋を開けて飴玉を取り出すと、スーネへと一つ渡し、そして、自身の口へも一つ運んだ。ほろ苦く、そして優しい甘さが口の中に溢れていく。

 健太は苦手だからと断ると、スーネが可愛く攻めたら食べてくれるかもよと揶揄い3人で笑いあった。

 この日本での最初の出会いの飴玉は、ソフィーの好物となりよく持ち歩くお気に入りの1つになった。

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