第3話オーダルブ家の場合2

 オーダルブ領はシャノアン領の、というよりは聖王国の北端に位置しており、そびえるビアン山脈を越えようと性懲りも無く繰り返す蛮族から領地を守り続ける、いわゆる辺境伯と呼ばれる家柄であった。

 より正確には、守り続けた辺境伯の地位にまで上がったのだけれど、その辺りの都合は私にはまるで関係が無い――関係があるとすれば功績に応じた領土の拡大における、歴代オーダルブ侯爵の慧眼だろうか。彼等はビアン山脈を睨みながら背後に安全な領土を増やすのでは無く、領地を拡大していったのだ。最前線であるビアン山脈に沿うように、横に、横に、毎年雪解けから降雪までの間に襲い来る鎧を着た波を防ぐ防壁のように。


 実際それは妙手だった――そもそもビアン山脈近くは蛮族の影響で長らく手付かずになっていた土地で、周りの貴族たちにとっては開拓も進まずかといって放置するわけにもいかない、まさしく不毛以下の土地でしか無かった。そこを好き好んで管理する者が現れて、しかもそいつは、国防に心血を注ぐと態度で示したのだ。横やりなどあるわけがなかった。

 オーダルブ領が先ず防ぐのはオーダルブ領への侵攻に過ぎず、蛮族の全ての侵攻ルートを一つの家だけが防ぐことの正しい意味を、誰も理解しなかったというわけだった。理解したときにはもう手遅れで、聖王は成り上がりの偉丈夫に侯爵の位を与えざるを得なかったわけだけれど、さて。


 さてさて。


 次代のオーダルブ侯爵にはその、強かな戦略眼は受け継がれてはいないようだった――この若者が私の思うより遙かに強かであるという可能性も、まだまだ捨てる局面では無いけれど。

 この、十代後半の若者は見た目通り裏表の無い、純朴な性質だと私の勘は告げている。そしてこういう仕事をする間は、勘の囁き声と上手く付き合っていく必要があることくらい、解っている。


「父上と話が付いた、ミズ・グレイ!」

 領内に入るなり届いた手紙を読み終えて、ガーダイン卿は晴れやかに笑った。「早馬で事情を送っておいて良かった。ケイブ・クライネへの立ち入り、および君の同行を許可してもらったぞ!」

「左様でございますか」

「何しろ危険な場所だからな、俺はともかく君の入場がどうなるか不安だったが……流石は公爵夫人だ。あの方がお望みであると伝えたら、父上も二つ返事だったようだ!」


 ちなみに当たり前だけれど、既に奥様とオーダルブ侯爵との間では話が済んでいる。でなければいかに公爵家といえども、辺境伯の領土で好き勝手は出来ない。

 それでも、ケイブ・クライネを持ち出したときの辺境伯の顔を思い出せば、すんなりと案内して貰えてホッとするべきかもしれなかった――あの洞窟に言い伝え通りのものが残されているとしたら、誰であれ、侯爵は近寄らせたくないだろうから。


「洞窟はここから半日ほどで着く! 手前の村で休憩がてら準備をして、そして……ドラゴン退治だ! いよいよな」

「随分と乗り気でいらっしゃいますね?」

「当然だろう、ドラゴン退治に心躍らない戦士がいるか?」

「心躍らない多いと思いますが」

「ふん、貴族か」

 鼻を鳴らし、ガーダイン卿は露骨に不機嫌を示した。「連中は先祖から勇猛さを受け継がなかったんだろう! ヘラヘラ笑って酒を飲むばかり! 弓の扱いも満足に出来なかった。狩りの誘いだったのにだぞ、信じられるか、君! ご立派な椅子に座ってばかりで、馬の乗り方を知らん!」

「……閣下は、ドラゴン退治の心得がお有りですか?」


 閣下も同じ貴族ではないのですか、と聞く代わりに私は尋ねた。これでも貴族に仕えて長い身だ、彼等の同族嫌悪にも慣れた。

 それに、本当に気になることでもあるし――伝説に語り継がれるドラゴンを相手にするというのに、これほど気楽に構えられるものなのだろうか? 辺境伯という役職はそれほどまでに死に近いのだろうか?


「無論、無い!」

「はあ、では何か秘策でも?」

「討伐のか? いや、特別なものは何も無い」

「……ドラゴンに関して御存知のことは?」

「どでかい蜥蜴だ、たまに火を噴くのだろう?」


 私は今すぐ引き返したくなった。

 馬車なんてお行儀の良い乗り物でなくてもいい。何なら走ってでも、公爵夫人の元へ帰りたかった。それから、蒸留酒に浸したケーキを食べている彼女に駆け寄って、この若者は不釣り合いだと告げたかった。


 ドラゴンは単なる大きな蜥蜴、


 あらゆる攻撃を防ぐ鱗、あらゆる防御を貫く爪。強大な魂が肉体を包んでいるため、生半可な魔術では傷一つ付かない。口から吐き出す吐息には神秘が宿っていて、燃えるものは燃え尽き、生きるものは枯れる。

 一定以上のドラゴンは知能も高く、罠に掛けることも出来ない。

 不意を打とうにも彼等は天敵がいない分大きく育ち、大きいが故に殺しきれない。そして反撃は必殺で、地形が変わるほどの規模。


 王国の騎士団が総掛かりでも、侯爵級のドラゴンは危険な相手だ。

 それ以上が相手であるのなら何カ国かの連合軍が必要になるだろう。そしてそれでも、勝算が充分とは言えない。

 基本的にドラゴンとは生きた災厄であって、避けるのが前提の存在だ――住処ははっきりしているし、彼等は旅行好きなタイプでは無いのだから。


 翻って、【ケイブ・クライネの黒蛆】はどうだろうか。


 名前の通り住処は歴然だ。

 性能は、恐らく子爵級――伝説のドラゴンといえども四肢をもがれ眼を潰されていては、流石にそのくらいには落ちる。長く生きているという強みはあるけれど、洞窟という空間ではそれほど巨大に成長は出来ないだろう。


 それだけ聞けばまあ、準備さえきちんとしておけば何とか、という所だろう。ただ、詳しい情報は事前に調べてもわからなかった。辺境伯が管理していてドラゴンが住む洞窟にわざわざ近付く者などいないから、噂以上の話は広がらないしそもそも、辺境伯の領土は諜報活動がやりやすい土地ではない。


「…………」


 オーダルブ侯爵からの返事を持ってきた兵士に、私は視線を向ける。侯爵から他にも伝言があるのでは、と期待したからだ。

 もしドラゴンに関して知識があるのなら、息子の侵入を無策で許可することはしないだろう。それに洞窟を管理してきた以上は、いざという時の備えも万全である筈。ドラゴンが逃げ出した時には、討伐か、少なくとも撃退するくらいの武器は用意してあるのが当然だ。


 しかし、兵士は何も言い添えることもなく、敬礼すると立ち去ってしまった。情報も、符丁めいた仕草も無し。

 部外者の私には何も伝えたくないということなのか、それとも……?

 私の頭で、あらゆる可能性が浮かんでは消えていく。公爵夫人の狙い、辺境伯の思惑、ガーダイン卿の考え、私の常識、貴族の常識、ドラゴン。それぞれの要素が複雑に絡み合って、影響し合い、重なり合って消し合う。混ぜられた絵の具は一つの絵画を描こうとしているが、それが何なのかを判断する材料が私には無い。


 思索にふける私の肩を、筋張った手が叩く。


「心配するな、ミズ・グレイ! 我が領内の害獣だ、俺に任せてくれれば良い!」


 力強く胸を張るガーダイン卿の脳天気さが、とても羨ましかった。









「…………ん?」


 彼の名誉のためにもはっきりと明言しておくけれど、ガーダイン卿がその音を聞いたのは、偶然のことだった。

 楽観してはいたけれど何しろ相手はドラゴン、心に一掴みの恐怖があったのだろう。準備を終えて宿に引き上げて、明日に備えて早めに床についたというのに卿は、全く眠れなかったのだ。勿論本人は恐怖の影に気付くことは無く、ドラゴン退治という英雄的行いへの興奮が、自分の眠りを妨げていると信じていたけれど。


 とにかく、今ひとつ寝付けなかったガーダイン卿はベッドの中でつらつらと、ここ最近の事柄を思い出しながら過ごしていたのだけれど、そんなとき不意にコツン、と窓に小石が当たったような音を聞いたのだ。

 いったいなんだろうか? 今夜は風も強くない、何かが勝手に飛んでくることなんかあり得ない。偶然ということもない。そもそも魔石灯も整備されていない田舎の村では何のようも無く夜に出歩く者が先ず、居ない。

 詰まりこの音は人為的なもので、しかもこの部屋の窓に石を当てる目的の誰かがいたということだ。


「…………」


 ガーダイン卿は愛用の剣を握ると一歩一歩、慎重に窓へと近付く。自分が育ってきた土地だ、夜盗の縄張りくらいは把握しているが、同時に彼等にとって自分が煙たい存在だということも理解している。普段と違い護衛の騎士を連れていない今を、彼等が好機と捉え遠征してくる可能性はけして、低くは無いだろう。


「……な、何者だ」

 誰何の声に混じった震えを打ち消すように、ガーダイン卿は剣を強く握る。「俺をオーダルブ侯爵が長男、ガーダイン・オーダルブ子爵と知ってのことか?」

「……勿論です、閣下」

「っ?!」

「どうかお静かに」

「お前は……ガルムか」


 近付いた窓辺に立っていたのは今朝父からの手紙を届けてくれた、良く見知った騎士だった。鎧を脱ぎ、外套で顔以外の殆どを隠してはいるが、ガーダイン卿は自分の部下を全員覚えている。


「どうしたのだ、ガルム! まだ父から何か?」

「お静かにお願いします、閣下」

 警戒を解きつつ笑顔で近付いたガーダイン卿を、騎士ガルムは深刻な表情で押しとどめた。「お連れの方が起きてしまいます」

「む……確かに、別室とはいえミズ・グレイもひとかどの手練れだしな」

 立ち居振る舞いから推し量った少女の実力を思い起こしながら、ガーダイン卿は声を落とした。「女性が寝ているのを起こすのも忍びない、伝言は明日にでも、共有するとしよう」


 ガルムは首を振った。


「いいえ閣下。それはいけません……誰にも、特に公爵夫人の間諜たるあの少女には、けして伝えてはいけません」

「……どういうことだ、ガルム。俺とミズ・グレイは、共にケイブ・クライネを攻略する仲間だぞ」

「何?」

 寧ろ、と騎士は冷ややかな笑みを浮かべつつ続けた。「攻略には失敗して頂く必要があります……特に、ミズ・グレイには」

「それは、父の命令かガルム? 父は俺に……俺を、竜殺しの英雄となるに相応しい男ではないと、そう言っているのか?」

「閣下……これは、国益の話なのです」

「わかっている、だから俺はシャノアンの【顔無し姫】との婚姻を……」

「それは別の手段を講じます」

「俺は成功する……!」

 いつの間にかガーダイン卿は、ガルムの目の前にまで近付いていた。「……力は十人力、剣では領内に並ぶもの無く、偉大なる先祖の武具を使いこなしている。時代遅れの芋虫竜など、切り裂いてみせる。だから……」

「……閣下。御父上は貴方のことを疑っている訳ではないのです。信じてさえいる。ですからこれは、そういった話とは全く次元の違う話なのです」


 騎士ガルムは一層声を潜めると、ガーダイン卿を見詰める。

 それだけで、昏い輝きを宿した瞳に見詰められただけで、血気盛んな卿の炎は一息に沈静化していった。部下の瞳にはそれだけの力が込められていたのだ。

 真剣さが伝わったことを確認して、騎士は若き主人にそっと、その秘密を打ち明けた。騎士が、いやオーダルブ辺境伯が代々守ってきた、ある秘密を。



 そして、言外に語る。

 


 去って行くガルムの背中を見詰めながら、ガーダイン卿は暫く、その意味について考え続けていた。

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シャノアン家の求婚試験 レライエ @relajie-grimoire

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