第2話オーダルブ家の場合

「……こうして悪いドラゴンを退治した若者は、王女様と結婚して、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」

「とても良かったわ、ミズ・グレイ! 貴女は絵本を読む才能があるわ!」

「ありがとうございます、レディ・エステラ」

「まだ十六歳よね、ミズ・グレイ。私と五つしか違わないのに文字を、これほど流暢に読めるのは凄いわ!」

「御嬢様もきちんと勉強をしてらっしゃいますよ」

「ミセス・ターナーはそう思ってないみたい。今日もいっぱい宿題を出されたわ。それにどんなに勉強したって、貴女みたいにその……引き込まれるような読み方は、きっと私、出来ないわ。まるで舞台役者みたいだった!」

「……そうですか、ありがとうございます」

「本当よ? 特に意地悪な女王様の物真似は完璧だったわ! 本当に、悪い女王様がいるみたいだった!」

「日頃の経験が活きました」

「え?」

「いいえ、何でも。ところで御嬢様、絵本の中身はいかがでしたか? 作者は私の知り合いでして、この本に人生を賭けるかどうかひどく悩んでいるのです」

「あらそうなの? では是非出版をお勧めして差し上げて! 費用が足りなければその……私、お小遣いを出しても良いわ」

「ありがとうございます、そのお気持ちだけでも彼は死にたいくらい喜ぶでしょう」

「それって喜んでいるの?」

「どの辺りがお気に召しましたか?」

「やっぱり王子様とお姫様の恋かしら! ドラゴンと戦ってでもお姫様への愛を貫く王子様も素敵だし、女王様に邪魔されても王子様を助けようとするお姫様、二人ともとても素敵だったわ!」

「……なるほど」

「あら、ミズ・グレイはそうは思わなかったの?」

「そうですね……この話を読む限り私には、王子の良いところがヒトの好さと腕っ節だけに見えますので」

「……? それが大切じゃあないかしら? 優しくて、でもドラゴンを倒せるくらい強いなんて凄いわ」

「御嬢様は強い男性が好みですか?」

「強いヒトは好きだわ、私は弱いもの。ねぇ、ミズ・グレイ。ドラゴンって本当にいるのかしら?」

「勿論、いますよ。【神秘塔マレフィセント】の魔術師が定めた基準によれば、皇帝級バアルが一匹、公爵級ビッグフォーが四匹、侯爵級テンペストクラスが十六匹、子爵級モンスタークラスなら数え切れない程」

「そんなにいるのね」

「侯爵級以上のドラゴンは縄張り意識が強くて、普通に過ごしていれば出会う機会はありませんから。子爵級なら少し遠出すれば出会えるでしょうけれど、強さも見た目もバラバラで、大きなミミズだと思ったらドラゴンだったという話もあるくらいです。気付かない事の方が多いでしょうね」

「じゃあ、ドラゴンを退治した英雄もいっぱいいるのかしら?」

「そうでもありません。勿論子爵級を退治した者を含めるのなら話は別ですが、大手を振って竜殺しを名乗るには最低でも、侯爵級を退治する必要があります。けれども奴等は生きた城塞です、騎士が数人程度では鱗を削れれば良い方でしょう」

「そうなの……それじゃあドラゴン退治の英雄なんて、きっといないのね……絵本のお姫様、ちょっと憧れてたのだけれど……」

「…………」









「オーダルブ侯爵の子、ガーダイン卿」

 シャノアン公爵夫人はひざまずく若者を尊大に見下ろした。「我が娘、エステラ・シャノアンへの求婚先ずは感謝します」


 公爵夫人が一言喋る度に、『玉座の間』の温度が少しずつ下がっていくように、私は感じていた。

 美女の不機嫌さは魔法だと、私は思い知った。齢二十八、雪原を思わせる白い肌は瑞々しく、神が与えた美は未だ衰えを知らない公爵夫人だからこそ、彼女の内心が周囲に如何に影響を与えるかは言うまでも無い。赤く紅を引いた唇から零れる言葉に冷酷さが宿れば、その冷たさは部屋全体に波及するのだ――そして逆の効能を、客人が被ることは滅多に無い。


「オーダルブ侯爵は代々、北のビアン山脈を睨み続けておられる。かの雪山に住む蛮族が我がシャノアン家の領土を侵さないのは、単に侯爵家が示し続ける武勇を恐れてのこと。その功績は中々見え難いものですが……陛下も私も、感謝と尊敬を忘れたことはありません」

「恐れ入ります、シャノアン公爵夫人!」

 ガーダイン卿は対称的に、情熱を固めたような声で応じた。「そも、オーダルブ家の始祖たるオレン・オーダルブに彼の地をお与え下さったのは、他ならぬシャノアン家。我らはその恩義にただ、報いるばかりであります」

「……結構」


 声量が大きすぎる以外は、受け答えの試験を青年は通過パスしたようだった。

 試験は順調のようだった――実際彼の素行は調査の限り実直で、身分の低い者に対しても気さくに振る舞うなど、領民からかなり愛されている。乗馬と剣術もかなりの腕前で、何度か襲い来る盗賊を返り討ちにしているようだ。その際の戦利品も民衆に分け与えるため、弱冠十八の彼は既に将来有望な英雄として持て囃されている。

 もっとも今後ガーダイン卿が身を置くのは切った張ったの戦場では無く、陰謀渦巻く貴族社会である。その際この初心な実直さがどう転ぶかといえば、少なくとも私は、楽観視する気にはなれなかった。


 公爵夫人もそこは私と同意見だった。彼女が放つ気配は冬の夜の風のように、向き合う生命を凍り付かせようとしていた。


「重ねて言いますが、私個人としてはオーダルブ家の功績は偉大であると思います。ですが目には見えにくい功績です。貴族の中には、シャノアン家の分家内でも、ロード・オーダルブに侯爵の銀印は重すぎると口さがなく申す者が多く居ます」

「勿論解っております、公爵夫人」

 快活に笑いながら、青年はドン、と自らの胸を叩いた。「ですが我がオーダルブ家に言わせれば、『吠える犬は噛まない』というだけのことです」


 自信家だな、と私は心の帳面を開き、ガーダイン卿の項目ページに書き加えた。

 自分を傷付けられるのは形ある刃に限ると、青年は若者らしい直情的な頭で考えているようだ。口先ばかりの貴族連中など、決闘でもすれば黙らせられると信じているのだろう。剣は言よりも強し、小利口な反論など振り上げた剣の前では斬り伏せられる運命だ。

 私は彼の評価を終えた。確かに言葉で刃は止められないけれど、言葉は刃の十倍のヒトを殺せる。その脅威に気付けぬ者に貴族社会はそぐわないし、御嬢様のパートナーにもそぐわない。


「良い自信です、ですがその考えは、我が娘の夫には甘過ぎる」

 とっくの昔に不合格を決めている公爵夫人は、厳格さを崩さずに言った。「シャノアン家の人間ならば、犬に吠えられる事すら恥と思わなくては」

「なるほど! 勉強になります!」

「必要なのは絶対の功績です――貴方の言うところの噛まない犬が、吠える気さえ無くすような、誰が見ても明らかな武勇の証明を、私は求めています」

「……なるほど?」


 首を傾げる若者の、無邪気な笑顔を前に私と我が主人は同じ結論に達した。この裏表の無い純粋な若者相手には、回りくどい表現は回るばかりで結論にたどり着けないのだと。

 公爵夫人は軽く溜息を吐いて、それから、恐らくは今朝から決めていた試験を言い渡した。


「オーダルブ侯爵の子、ガーダイン卿。貴方には、退









「我がオーダルブ家の領地、その東端にケイブ・クライネという洞窟がある。知っているかな、ミズ・グレイ?」


 シャノアン邸からオーダルブ領までは、馬を飛ばしても三日はかかる。

 この武勇に自信を持つ若者ならば早馬で来たかと思っていたけれど、幸い彼にも貴族としての常識はあったようで、帰路は馬車に揺られるのんびりとした旅となった。馬車そのものは公爵家のそれより遙かに質が劣っていたけれど、三日間馬上で過ごすよりはどんな辻馬車だってマシに思えるものだ。


 無理難題を言われたにしては、ガーダイン卿は上機嫌だった。

 用意されていた葡萄酒を開けると、使用人たる私にもグラスを差し出して来た程だ――勿論礼儀として断った――そもそも、メイドを同じ馬車の席に乗せること自体、未婚の貴族としては信じられない暴挙と言えた。


 とはいえ、他にオーダルブ領へ向かう手段の当てがあるわけでもない。私は恐縮と一応の警戒を胸の内にしまいつつ、若きオーダルブ侯爵と共に彼の実家へと向かっている。道中不埒な真似をしてきたら……馬車は不幸な事故の末行き方知れずとなってもらうしか無い。


 五日目、間もなくオーダルブ領という辺りまで来て漸く、私はこの心配が杞憂であったと認めることが出来た。道中のガーダイン卿は礼節をわきまえた態度を崩さず、彼の御者に対しても、自分より格上の客人として扱うべしとさえ命じていた。

 目的地に近付いたことで情報を確認しようとしたのか、それとも、長い旅路のせいで彼の武勇自慢も底を突いたのかは解らなかったけれど、とにかく不意に、青年は私たちの目指す場所の名前を口にした。


 私は頷いた。

 勿論知っている。というより、ケイブ・クライネがあるからこそ公爵夫人はオーダルブ家からの申し込みを受けたのだ。


「神々の時代、一人の強欲な魔法使いが洞窟に宝を隠した。完璧な隠し方だと彼は思ったが、それでも、自分が近くに居られないときは不安で不安で仕方が無くなった――だから、彼は宝の番人を置くことにしたんだ」

「【ケイブ・クライネの黒蛆】、ですね」


 魔法使いは侵入者が不安だったから、一頭の黒竜を洞窟に配した。

 すると魔法使いは、ドラゴンが逃げ出すのではないかと不安になり、その翼をもぎ取った。

 すると魔法使いは、宝を持ち逃げするのではないかと不安になり、その手足をもぎ取った。

 すると魔法使いは、呪いを掛けられるのではないかと不安になり、その両眼をえぐり取った。

 すると魔法使いは、すっかりと安心してドラゴンの鼻を撫でて、そのまま丸呑みにされてしまった。

 後には山ほどの宝と、翼も手足も両眼も無く、蠢くばかりのドラゴンが一頭洞窟に残された。


「主人に恵まれないとどれだけ優秀な者でも、従者は不幸になるという典型的な例だな。逆に言えば、主人は従者を活かす術を学ぶべきという戒めでもあるが……君の場合はどうだろうか、ミズ・グレイ?」

「心得ていらっしゃるでしょう」

 私は当然とばかりに頷いた。「誰より優れた主人であらせられますし、私どもに復讐される可能性についても、常に意識していらっしゃるでしょう」

「君は裏切るつもりなのか、ミズ・グレイ?!」

「どんな相手でも完全な信頼を向けるべきではありません、閣下」

 意外そうに驚くガーダイン卿に、私は冷たい視線を向ける。「誰だって、誰かを殺すことが出来るのですから」

「シャノアン公爵夫人は君のことを信頼しているのだと思っていた、そして君は信頼に報いるのだと思っていた」

「そのつもりではありますとも、私も奥様も。ですがそれとは全く別の話で、貴族とは常に、あらゆる物事に目を光らせておかなくてはならないのです」

「そうか…………それでも公爵夫人は君をお目付役にした。これは、全く信頼の証だと思うぞ、ミズ・グレイ。君は間違いなく信頼されている、公平な審判として振る舞うだろうとね」


 私は苦笑した。それをお目付側の人間が言うことはあまり無いだろうし、そもそも先程の話は半分以上、ガーダイン卿への警告のようなものだったのに全く通じていないのだから。

 ……わざわざ私がオーダルブ領まで同行したのは、その通り主人の命令によるものだ。『ミズ・グレイを私の目として扱いなさい。彼女に貴方の活躍を見させ、活躍を語らせるのです』、それが彼に課された求婚試験である。


 けれどもけして、そうけして、


 彼は良いヒトだ、まるで絵本の英雄のように。

 だからこそ学ぶべきだろう。

 誰だって、いきなり背中から刺されることがあるのだと。

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