捕食
「Grrrrrrrrrrr!」
狼の咆哮を聞いてもチンピラたちの足が縫い付けられたかのように動かない。火事場に慣れた彼らであってもあまりの事態に動けていなかった。
怪人、そう言われる存在であることだけは彼らにも理解できる。
彼らの理解はそこで止まってしまう。無理もない怪人自体が全く馴染みのない存在なのだ。
第三の怪人はホーリーブレイブと呼ばれる謎の存在によって討伐された。それ以前の第一、第二の怪人は国家によって討伐されているが、どちらも凄まじい被害をともなった。
ホーリーブレイブの出現以降怪人による死傷者は格段に減少しているものの、ただの人間が勝てる相手ではないのだ。
それゆえの硬直。これがナイフや拳銃を持っただけならば彼らも対処できた。彼らの常識の範囲内のことだからだ。
しかし拳銃弾を喰らってもピンピンしている存在に彼らがなす術はない。
当然と言うべきか先に動いたのは人狼の方だった。
靴底を削りながら地面を蹴った人狼は拳を大きく振りかぶる。
本能のままに放たれたのは見え見えのテレフォンパンチ。防ぐことも回避することも容易な一撃。
それが人間のものならば。
常人を遥かに超越した筋肉から放たれた拳は咄嗟に掲げられた腕を弾き飛ばし佐々木の顔面に炸裂した。
衝撃が伝わり前歯が飛び散る。確実に顔の骨にまでダメージが伝わった。
「う、ぅ、うぁぁぁぁぁ!」
佐々木の口腔から溢れた血を浴びたスキンヘッドがようやく悲鳴を上げる。
佐々木に覆い被さろうとしていた人狼が声に反応して視線を上げた。
「ひっ」
掠れた息が漏れる。視線を必死に飛ばし助けを求めるも目があった小柄なチンピラはすぐに目を逸らし、駆け出した。
それは意図していなかっただろうがそれは最高の手助けだった。
怪人の本能に呑まれた意識でも逃してはならないと考えたのか、それとも野生動物のように単に逃げる目標を優先したのか、標的をかけた人狼は前傾姿勢で走り出した。
「な、なんで!」
甲高い声を迸らせたチンピラ。瞬く間に距離は縮まった。
振り返ったチンピラの瞳に浮かぶ水滴に、鋭い爪の輝きが映る。
「やめ」
抗議の声は爪によってかき消された。喉を深く抉られたチンピラは血のほとばしる喉を押さえながらゆっくりと倒れ込む。
振り返った人狼は最後に残ったスキンヘッドに視線を合わせた。
一歩、一歩、もったいぶった歩調で近づいてくる人狼はスキンヘッドにとってまさしく処刑人だ。
抵抗も、逃走も意味をなさないと知った彼は精一杯引き攣った笑みを浮かべる。
「わ、悪かった。俺が悪かったよ」
それでも人狼の足は止まらない。
「金か?金が欲しいのか?俺は持ってないけど、店には沢山ある」
人狼はまだ足を止めなかった。言葉がわからないのか、とスキンヘッドは考えたが、人狼の読みにくい顔には確かに笑顔があった。
スキンヘッドの笑みとは同じ表情なはずなのにはっきりと違うものが。
「すいませんでした。謝る、謝ります」
スキンヘッドは膝をつき不潔な地面にひたいを押しつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もう二度としないから許してください!」
すぐそばまで近寄ってきた人狼はスキンヘッドの頭に足を乗せた。
「踏み潰してやろうか?」
「お願いします!許して!許して!」
人狼の言葉は先ほどまでの少年の言葉だとは思えなかった。確かに少年の顔にもどことなく険があったが、ここまで邪悪な気配はなかった。
「わかった。そこまで言うなら仕方ない」
「許していただけるんですか⁈」
十億円の宝くじに当たってもここまでの声は出ないだろう。
ばっと顔を上げた男に人狼は猫撫で声で聞いた。
「足、腕、頭どれか一つで許してやるよ」
「え……」
「選べ」
「そんな!」
「時間切れ」
そう言った人狼は情け容赦なく大きな口を開けて肩に噛み付いた。
歯を突き立てた部分から溢れ出す温かい血の味。わずかに目元を緩め噛み切った肉を咀嚼する。
「あぁあああああ!」
「うるさい」
悲鳴を上げたスキンヘッドを殴りつけた。軽い動作で放たれた拳はハゲた頭に命中し、地面にぶち当たって脳漿を飛散させる。
「うわ、もったいな」
呟いた人狼は軽くため息をついて腹に噛みつく。バラ肉は脂肪が少なく筋肉質だった。
「悪くないな」
次に食べる部位を探すように三つの死体を見比べ初めたとき、人狼の三角の耳がピクリと動く。
顔を上げた人狼はわずかに震えた。
サイレンだ。人狼の本能が遠吠えの衝動へと変換される。
「パトカー、か?」
わずかな隙をついて意識が本能から支配権を奪還した。
「逃げ、ないと。早く」
自分の足に拳を叩きつけた人狼はようやくと言った様子で立ち上がり、路地裏のさらに奥へと消えていった。
純愛厨の人狼 飛坂航 @WataruHizaka
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