勇者の栄光、魔王の祝福

戸松秋茄子

本編

 やあやあ、おめでとう、勇者サマ。


 とうとう魔王討伐に成功したみたいだね。さすが僕が見込んだだけのことはある。冥府なのか虚無なのか、どことも知れない場所から祝福するよ。


 僕の最期はどうだった? 立派に戦えたかな。魔力の使い方もあれからずいぶんと練習したんだぜ。それが無駄になってないといいな。あんたにかすり傷の一つくらいは負わせたものと願いたいね。


 いま、あんたはどんな状況でこの手紙を読んでいるんだろう。玉座の裏で見つけたであろうこの手紙に、いつ目を通すんだろう。王都に凱旋した後か、帰りの船の中か、はたまた手紙を見つけてすぐだろうか。


 僕だった肉体はきっと頭と胴を切り離されて王の間に横たわっているんだろうな。首から上はもう布にくるんだ後かい? 魔王討伐の証だものね。丁重に扱うんだよ。帰りの船で落っことしでもしたら大惨事だ。あんたの偉業にもミソがつきかねない。


 魔族の追撃にはくれぐれも気をつけるように。あんたも知ってる通り、魔族にだって血も涙もある。主君を喪いおセンチになった臣下たちが弔い戦に望まないとも限らないんだ。いいかい。王都に戻るまでが魔王討伐だからね。


 何はともあれ、これであんたは英雄だ。いや、それは元からだね。あんたは二〇年前にも同じ偉業を成し遂げたんだから。


 魔王討伐。それも二度目ともなれば、これはもう精霊国の歴史上類を見ない偉業に違いない。そうだったよね? 歴代最高の勇者。そう名乗っても許されるんじゃないかな。いや、放っておいたってきっとそう呼ばれるようになるだろうね。うん、僕が保証する。魔王の保証なんてもらったところで何の箔にもなりゃしないだろうけど。


 正直な話、一度はダメだと思ったんだぜ? 何せ、最後に相対したときのあんたときたらとんだ腑抜けだったんだから。


 目の前でかつての仲間を殺されたってのに、剣を構えることすら叶わず、僕に吹っ飛ばされちゃったろ? せっかくこっちが待ってやったって言うのにさ。血の海で立ち尽くし、ぽかんと口を開けたあんたの顔。あれは傑作だった。ものの一瞬で家と仲間、そして一緒に暮らしていた犬と子を失った男ってのはみんなあんな顔をするもんなのかな。


 三ヶ月くらい前のことだったかな。うん、あそこからよく立ち直ったもんだよ。あんただってもう四〇過ぎだろ? 魔族ならまだガキンチョみたいな年でも人間にとっちゃ余生みたいなもんだ。それが心身ともに傷を負い、魔王討伐なんて大役が勤まるもんかと、僕も少しは心配したのさ。人間ってのは僕らが思う以上に繊細で脆弱な生き物みたいだからね。


 部下から島に勇者一行が上陸したって報を聞いたときは興奮を隠すのが大変だったよ。そうか、下がれ、なんて厳かに言いつけてさ、書斎で一人になってからその報告を噛み締めたもんさ。あんたが来る。その事実に胸が震えたね。それに手も。この手紙も読みづらかったらごめんよ。何せ興奮醒めやらぬままに筆を執ったんだ。部下に見られたら、おいおいこの魔王様ビビってんじゃないのって懸念を抱かせたに違いないね。


 ビビってなんていない。だけどさ、一抹の不安があるのもたしかなんだ。


 僕が受けた報告は、あくまで「勇者一行が上陸した痕跡を発見した」というものにすぎない。勇者、というのは肩書きであって個人の名前ではない。魔王、というのが僕の肩書きにすぎないようにね。


 島に上陸した勇者サマがどういう顔や背格好をしているのかまでは情報が上がってないんだ。つまり、この場合の勇者というのが僕の知る勇者でない可能性もある。ひょっとしたら、この手紙を読んでいるのはあんたより一回り以上も若い新たな勇者サマかもしれないね。


 あんたもいい年だ。それに、魔王の襲撃を受けて心身ともにずたぼろ。そもそも、あんたは先の魔王討伐を果たして以来、得るべき栄誉を拒み行方をくらませた変わり者だ。王からしたら何を考えてるのかわかったもんじゃない。そんな奴に国の命運を賭けた大役を任せられるかと言ったら、答えはノーだね。同じ王の立場としてそう思うよ。


 とはいえ、の王には時間がない。それもまた事実だ。何せ、足元では相次ぐ飢饉と疫病の流行によって市民の不満が噴出し、隣国では神話の時代から続いた王政が市民革命によって打破された。神話の神々の血を引くとかいう王族連中は揃って断頭台送りだ。この国で同じことが起こらないとも限らない。自称「精霊王の子孫」にしたところで安泰ではない。そう心配するのも無理はないね。勇者サマの人気にすがりたくなるのもわからない話じゃない。二〇年前に魔王の首を持ち帰った勇者。王都を熱狂させ、英雄譚の主人公としてこの国の隅々にまでその名を轟かせた勇者の。


 だから――きっと、この手紙を読んでるのはあんただ。そう思う。いや、せめていまはそう思っていたいんだ。違うとわかり次第、この手紙は破棄すると思う。


 それにしても、あんたも災難だね。王サマの人気取りのために過去例がない二度目の魔王討伐を依頼されるだなんてさ。


 あんたとしては、ただ穏やかに暮らしたかっただけだろうに。誰も自分を知らない土地で、ひっそりと。犬と子供の面倒だけ見て、ある日ぽっくりとあの世に旅立つこと。それだけが望みだったはずだ。違うかな?


 そもそも魔王討伐はそういうものだって? たしかにね。過去には人間と魔族が互いに侵攻し合ってバチバチやってた時代もあったみたいだけど、それも二〇〇年以上も前の話だろ? いまの魔族に領土的野心はないし、人間側にしたって、こんな寒冷で痩せ地ばかりの島を手に入れたってちっともうま味がないはずさ。その証拠に、勇者は魔王の暗殺を果たしてそのままとんぼ返りするのが常だ。そうだよね?


 勇者という存在がいつからそうだったのかはわからないけど、いまや王の人気取り政策の担い手でしかない。魔王復活宣言だって、王が自分に都合のいいタイミングで布告するだけ。実際に魔王が転生を果たしているかどうか、力を取り戻しているかどうかなんて関係ない。重要なのはあくまで魔王や魔族に国民の不満を向け、自分たちの失政や悪政から目をそらさせること。市民を熱狂させ、束の間の娯楽を提供すること。それだけなんだから。何の大義もありゃしない。


 魔王の力はそれだけで脅威だっていう意見もあるだろう。でも、精霊術の研究が進んだいまじゃ魔族の優位性なんてあってないようなものさ。最近じゃ人間サマが魔術と同等かそれ以上の精霊術をぽんぽんと使う。火も水も雷も、なんだって使役して見せるのが最近の精霊術師だろ?


 生まれもっての資質にあぐらをかいてきた魔族はなす術なしの後手後手。あんたらにとっても同じ人間の方が遥かに脅威なんじゃないかな。実際、精霊国だって南の国境じゃお隣さんとしょっちゅう小競り合いしてるじゃないか。


 あの日だってそうさ。僕にしたところで不意討ちという形じゃなければ精霊術師たちになす術なく討たれていたかもしれない。


 あの日――あんたの元に王都から遣いが来た日。かつて魔王討伐でともに戦った仲間が使者として寄越された日のことさ。あんたがすべてを失った日。


 正直なところ、他にもっとやりようがったんじゃないかっていまでも悩むんだ。情けないね。自分で決めたことだっていうのにさ。


 あの日、僕はあんたのかつてのお仲間を殺した。ついでにおつきの精霊術師たちも。それに犬だ。あの子には悪いことをした。だけど、あのとき僕にできたのは魔力を力一杯暴走させ、あんただけには危害が及ばないようにほんの少しだけ制御をかけること。それだけだったんだ。あんたと犬の両方は守れなかった。そう思う。


 とはいえ、そもそも殺す以外の方法もあったんじゃないかと思うんだ。たしかにあいつ――あんたのお仲間はあんたの弱みを握ってた。そして、あんたにふたたび魔王討伐を果たすよう詰め寄った。


 あいつは王の命を受けて一五年前に行方をくらましたあんたを追い、あの家を見つけ、そしてすぐには接触せず監視を敷いた。そして見つけた。見つけてしまったんだ。あんたとともに暮らす小さな子供を。いつも外套のフードを被った子供を。その下にツノを隠す子供、魔族の子供、つまりを。


 あのとき幸いだったのは、僕が転生して間もない――と言っても一五年は経っていたけれど――とにかく子供の見た目だったことだ。


 魔王は身体的特徴をそのままに転生するからね。二〇年前の魔王討伐に同行したあいつなら、当然、魔王の顔も知っている。当時、すでに成熟した魔族の個体だった魔王といまの僕とではだいぶ印象も違ったことだろう。そうじゃなければ、顔を見られたときにすべて終わっている。魔王とともに暮らす勇者に魔王討伐を頼むだなんてナンセンスはない。


 あいつが交渉を持ちかけることができたのは、僕のことをあくまで人間の里で育ったはぐれ魔族のようなものだと思っていたからだろう。それをあんたが拾い、実の子供のように面倒を見ているのだろうと。というか、実際そうなんだけどね。ただ、僕が転生した魔王だってことだけがあいつの誤算だった。


 その魔族の子供のことは見過ごしてやろう。その代わり魔王を討て。それがあいつの持ちかけた取引だった。


 あんたはずいぶんと悩んだろうね。屋根裏に隠れてても、そのくらいのことはわかった。想像つくだろうけど、床に耳をぴたりとつけて階下の様子を窺っていたのさ。


 あんたが魔王を討って以来、二本足の生き物を斬ったのは魔族の母子を人間たちの私刑から助けたときだけだって話だ。つまり、僕と産みの親を助けたときの一回きり。


 あんたはいろんな話をしてくれたけど、魔王討伐の旅についてはほとんどなにも話してはくれなかった。僕が魔王だっていうせいもあるんだろうけど、それだけじゃないよね。あんたはあの旅で深く傷つき、悔やんでたんだ。じゃなきゃ夜にあんな風に魘されたりはしないだろう。


 僕も魔王とはいえ前世の記憶までは引き継げない。だから、二〇年前、この島で何があったのかは知らない。先代の魔王がどんな奴だったのかも。あのときの偉いさんは軒並みあんたたちに討たれちゃったからね。証人がいないんだ。


 とにかく、あんたは戦いに倦んでいた。そうだろ? 特に魔族との戦いはもう懲り懲りだったはずだ。だから悩んだ。あいつの持ちかけた取引をすぐには飲めなかった。


 あの段階では魔王が転生してるかどうかもわからないんだ。適当な魔族を殺してその首を持ち帰ればいいだけだったのに、あんたはその役割を受けかねた。


 あいつは考える時間をやると言った。だけど、時間があったところでどんな答えが出せただろうね。


 提案を飲めば、あんたはふたたび魔族との戦いに駆り出され、罪なき魔族を斬り伏せることになる。


 提案を拒めば、共に暮らす魔族の子供ともども王都に連行されるか、その場で殺される。あるいは僕を人質に取られ、けっきょくは同じ提案を突きつけられる。誰も、僕が魔王と気づかなかった場合の話だけどね。


 だから僕はあのときやるしかないと思ったんだ。自分の魔力を使ってあの場にいた連中を残らず肉片にする。そして真相を知る者を闇に葬る。


 とはいえ、王から遣わされたのがあの場にいた連中だけとは限らなかった。実際、あいつもそうほのめかしていただろう。きっと、家の近く――おそらく近くの林の中からあいつのお仲間が監視してたに違いない。


 あいつらを殺しても、それじゃ何も変わらない。多少、逃げる時間ができるだけだった。そうなると今度は王都が総力をあげて追ってくるだろうね。僕一人なら、この島に逃げればよかった。だけど、あんたを連れては行けない。先代魔王を討ったあんただけは。


 どん詰まりさ。だけどね、ひとつだけ妙案がった。それしかないと、あのときの僕は思った。


 それはあんたとお別れする決断だった。魔族としてあんたたちを襲い、そして逃げ去る。そんな決断だ。


 あいつらを殺すだけじゃダメだった。あんたも被害者じゃなきゃダメだったんだ。そしてあんたと共に暮らす魔族の子供も魔族の襲撃に巻き込まれ死亡した。そういう筋書きが必要だった。だから、みんな原形を留めないほど破壊する必要があった。そこにいた者たちを血と肉の塊に変える必要があったんだ。そして、仕上げにあんたを魔力でぶっ飛ばす。それで工作は完了さ。


 こんなこと書かなくてもわかるよね。だけど、いちおう、念のために伝えておきたかったんだ。あのときはそんな暇も余裕もなかったから。


 あのとき、僕らが暮らした小屋はまばゆい光に包まれ、そして弾け飛んだ。監視してる者がいても、何が起こったかを正確に把握するのはむずかしかったろうね。だからきっとうまくいったと思う。そう願う。あんたに多少の疑いが向くことはあっても、身の危険につながるようなことにならなかったと。


 あの後のことだけどね、僕はあんたを吹っ飛ばすと、未熟な翼を広げ、島の方角に飛び去った。実際にはすぐに近くの林に落ちて、身を隠しながら北へ北へと逃げ延び、そして海峡を渡ってなんとかこの島までたどり着いたんだけどね。


 あんたがどうなったのか、この島に着いてからもずっと気にかけていた。傷は癒えただろうか。ふたたび勇者になる決心はつくだろうかって。


 傷の深さによってはあんたは再起不能になってたろう。そうなれば、勇者は別の奴に任されるに違いない。その方が、あんたにとってはいくらか気が楽だろう。もう戦わなくてすむんだから。


 だけど――そうだね。僕はどのみち勇者に討たれる。そのことをあんたは気にするかもしれない。そう思った。自分が一〇年以上面倒を見た子供が殺されるんだ。あんまりいい気はしないだろうってね。それに――あんたのことだ。責任を取るために自分から乗り込んでくるってこともあり得るんじゃないかってそう思った。


 いや、そう期待していたのかな。どうせ討たれるならあんたがいいって。あるいは、単にもう一度あんたと会ってみたかったのかもしれない。


 それでまた妙案を思い付いたんだ。あんたの迷いを取り払う妙案を。僕への未練を絶つ妙案を。


 そうだ、僕が本当に悪の大魔王になればいいじゃないかって。


 勇者に大義なんてない。だから僕がそれを作ることにしたってわけ。


 手始めに思いついたのが虐殺だった。もう知ってるだろうけど、部下たちに命令して王都の近くの町を何度か襲撃させたんだ。女子供でも容赦なく殺せと命令したよ。あれには拍子抜けしたな。精霊術で対抗されるかと思ったのに、王都からちょっと離れれば精霊術の心得がある人間なんてほとんどいなかったっていうんだから。魔王への脅威を煽る一方で、ろくに防備の備えもしてないんだから笑っちゃうよね。


 方法は部下に任せたんだけど、要は追い込み漁さ。上空から魔力を撃ち込んで一か所に追い込み魔力の圧をかけて一斉にすり潰す。その繰り返しだったそうでね。何度もやっていると眠気さえ覚えるほど退屈な虐殺だったそうだよ。


 手始めにとは言ったけど、僕の発想じゃそれが精一杯でね。他に悪事のアイディアが浮かばなかった。力任せの虐殺。その一辺倒さ。


 わかってるだろうけど、王都で流行ってる疫病は僕らとは無関係だからね。別に、そういう風に思われたってかまわないけどさ。むしろ都合がいいくらいだ。それだけ僕の悪名を高めてくれるんだから。


 ともかく、僕は多くの人間の命を奪った。もはや生かしてはおけない悪だ。その動機がなんであれ許されるものじゃない。そうだろ? それに――そうだな。少しだけ楽しかった。物語の魔王みたいに邪悪そのものの振る舞いをする自分に少し酔っていたんだ。人間を恐怖のどん底に陥れ、そして勇者に討たれる、その様式美まで含めてね。


 自分勝手だろ? だから、どうか僕のことで悔やまないでほしいな。あんたは討つべき悪を討った紛うことなき英雄さ。それこそ過去に例がない偉業かもしれない。あんたは自分を誇るべきだよ。そして堂々とその栄誉を受け取ってほしい。胸を張って、王に僕の首を差し出すといい。国民の歓声とともに中央通りを行進するといい。


 長くなったけど、最後にひとつだけ詫びさせてほしい。犬のことだよ。あの子のことは本当にすまなかったと思ってる。飼いたいと言い出したのは僕とはいえ、あんたもあいつを可愛がってたろ? 僕もあいつが好きだった。あいつの毛深い身体を撫でてると、どういうわけか心がぽかぽかした。一緒に駆け回ってると、どれだけ泥んこになっても清々しい気持ちになった。一片の汚れもない時間が流れているように思えた。


 可能なら、あんたにあの子を残してやりたかった。墓は建てたのかな。もしあるなら、僕の代わりに骨でも手向けてやってほしい。あの子はあれが好きだったろ?


 あんたはまた新しい犬でも迎えるといい。そして平穏に暮らすんだ。そのくらいの権利はあるだろう? あんたは国民を救い、王政権を救ったんだ。その功績に対しては、どれだけの感謝と祝福を集めたって足りないだろう。こんな手紙じゃ足しにもならない。


 やれやれ、部下が呼びに来た。もう本当にこのくらいにするよ。


 じゃあ、どうか息災で。


 墓のことはくれぐれも頼むよ。それだけが僕の望みで、最後のわがままだ。



 稀代の大魔王から真の勇者へ

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