乙女ゲームのヒロインをいじめ殺そうとした罪で処刑?とりあえず国は滅びるだろうけど、覚悟はできているのかな?

小津柚紀

「マリーベル・ポンズ・ブロッコリー公爵令嬢! 

貴様は闇の神の依り代であるということに慢心し、アンヌを執拗にいじめた。挙句の果てに、閉鎖されている学園の地下室で禁忌魔法を使い、アンヌを生贄にしようとした。

処刑は免れないと思え!」


 王太子ハロルドが宣言する後ろでは、ピンクブロンドのボブヘアを編み込んだ男爵令嬢、リリアンヌが寄り添うように立っている。

 ここは貴族の子弟達が通うセキハン国第一学園、3年生の卒業パーティである。


 マリーベルは徐々に顔色を失っていく。

 当然である。彼女はたった今処刑を宣告されたのだから。


 恐る恐る、伊達男達に囲まれているリリアンヌに目をやる。


 リリアンヌはもとは平民だったが、ある日突然魔力を開花させて、男爵家のご落胤であったことが判明し、この学園に入学した。

 彼女の天真爛漫な言動は数多の権力ある青年たちを引き付け、今では校内で取り合いすら繰り広げられる始末だ。

 

 彼女が目に涙をためて王太子を見ると、彼は何もかも分かっているというように微笑んで見せる。

リリアンヌは男たちの輪から出ると、テーブルの上の丸い林檎を一つ手に取る。


 真っ赤な林檎を白い手に持つ少女は、宗教画のような美しさだった。


 そして彼女は顔を上げ、マリーベルの前に立ちはだかると、その場で180度回転して皇子に向き直り、鬼神のごとき顔でにらみつけた。


「いじめも暗殺もされてないって何度も何度も何度も言っているでしょうが! これ以上マリーベル様をいじめたら、あなた達の命はないものと考えやがれ」


 一息に叫び終えると、彼女は林檎を掴む手に力をこめる。

とたんに手からは閃光があふれ出し、一瞬にして林檎は蒸発した。


 リリアンヌの光魔法である。

マリーベルが闇の神の加護を受け闇魔法を行使するのに対し、リリアンヌは光の神の加護を受け光魔法を行使する。

 

 この国には、巫女と呼ばれる女性が存在する。国の平和のために祈り続ける役目を持つ、この国で最も強い権力を持つ女性であり、光か闇の神の加護を持った少女が就任するのだ。


 加護を受けた少女が二人いるということは、当然リリアンヌとマリーベルはライバル関係とみるのが普通であった。


普通であるのだが。


「お、落ち着けアンヌ。そんなにやけにならなくても」

「いや、様子がおかしい。まさか、マリーベルの暗示にかかって」

 

リリアンヌの取り巻きの男たちが騒ぎ出す。

爽やかに漂う林檎の香り。


リリアンヌは顔を上げてきっとにらみつける。


「やけになっているわけでも、ましてや暗示でもありません! だってマリーベル様は……」

 

リリアンヌは高らかに叫んだ。


「私の前世からの、生涯の最最最推しなんだから!」


 *


 私、リリアンヌは生まれた時からひたすら呆然としていた。

 愛する家族や友人、ついでに片思いしていた男子を置いて、別の世界に転生してしまったら、そりゃあ呆然とするってもんだろう。


七歳の春の昼間、私は蟻の行列を見ていた。


ちょこちょこと小さいのが荷物を運びながら行列を作っているのを見ていたら、ことのほか郷愁が胸を焦がす。気を抜いたら涙がこぼれてきそうだった。


 転生する前にいた世界に帰りたかった。

残してきた人々に会いたくて会いたくて仕方がなかった。


でも何故か、それは死んだ人にもう一度会いたいというくらい、かなわない願いだってことを確信していた。

私にできることは、呆然とすることだけだったのだ。


 そんな中、彼女が現れた。


 規則正しく回る車輪の音が聞こえてきたので、私は急いで道のわきに寄った。


窓から小さな女の子の横顔が見えた。

初めて見たこの少女の名前を、それでも私は知っていた。


マリーベル様。

前世で流行っていた乙女ゲームの悪役である。

その時私はようやく気が付いた。私は乙女ゲームの世界に転生したようだった。


 マリーベルは前世の私の生涯の最最最推しだった。


私は金髪が好きだ。

長髪が望ましい。


高飛車で強気な女の子が大好きだ。

でも、少し短慮だともっと魅力的だ。


男勝りだといい。

男言葉の美少女なんて最高だ。

 

そしてそのすべてがマリーベルだった。

マリーベルは私のすべての性癖を網羅し、そのうえで凌駕した。


まさに性癖の塊。

性癖のオンパレード。

むしろ彼女こそが性癖。

 

最後の断罪シーン、すべての悪事がばれて捕縛される瞬間、今までの優雅な物腰をかなぐり捨て、乱暴な男言葉で叫ぶ彼女を見た時、私は不謹慎にも黄色い悲鳴を上げながら突っ伏した。


大好き。愛してます。



 そんな最高の美少女を生み出したゲームは神棚に祀り上げても足りないが、最大かつ唯一の問題点が彼女はどのルートでも死んでしまうことだった。

 ヒロインが誰を選ぼうが、もれなく彼女はヒロインを誘拐して生贄にしようとし、断罪されてしまう。


――最悪だ。


製作陣に会ったらまず握手を求めて全財産を貢ぎ、その金を差し出した手で顔面をぶん殴るに違いない。


――しかしだ。

こうして私はストーリーに介入できる存在として生まれ変わった。


生きる目標ができた輝かしき七才。

 ゲームでは十五歳になるまで発動しなかった魔法を、こっそり開花させた八歳。

 カンストさせた十二歳。これで最悪の場合でもマリーベルを守れるはずだ。


 そして十五歳になった今、私はセキハン国第一学園の制服を着て校門前に立っている。


 校門をくぐって校舎に向かう道を歩く。


気を付けるべきことは沢山あるが、目下注意すべきことはマリーベルに会った時、感激のあまりとちくるって妙なことを口走らないようにすることだ。

変態だと勘違いされてしまうではないか。


 などと考えていたら女子生徒たちに突き飛ばされた。

その場にしりもちをつく。


見覚えのある顔ぶれは、ゲームに出てきたマリーベルの取り巻きだ。

少し離れた場所に立っている若い男性は、おそらくマリーベルの従者。

 

と、いうことは。

無意識のうちに目が彼女を探す。


 水色の瞳とかち合う。

緩やかに波打つ蜂蜜色の髪。

きめ細かい陶磁の肌。




――天使?




 クスクスと嘲るような取り巻き達の笑い声で、はっと我に帰る。


落ち着け、考えろ。

当たり障りのない返答をするのだ。


間違っても彼女を困らせたり、彼女に蔑まれるような返答は――おいしいけど――してはいけない。


「何か言ったらどうなの」


 マリーベルが問う。

大丈夫。落ち着いた。

返答ばっちり。仲良しびっくり。


「好きです!」


 しかし予定していた言葉は彼女の瞳を見た瞬間フェードアウト。理性スタートクライ。胸中ロックンロール。


 マリーベルはぽかんとして、やがて顔を真っ赤に染める。

当然だ、見知らぬ女子生徒から唐突に告白されたのだから。

私の心は反省の嵐と照れ顔げっちゅの竜巻に粉砕される。


「お前たち、何をしている」

 

しかし心の暴走雨は鋭い声によって阻まれた。

皇子ハロルドである。


「何をって……お話ししていたんです。先輩が案内をしてくださるって」

 

私の完璧な嘘八百に対し、皇子は鼻を鳴らしてマリーベルを睨みつける。


「どうかな……新しく現れた巫女候補を虐めていたのではないか」


 皇子は懐が狭い。

マリーベルに「違いますよね!」と再度呼びかけるも、彼女は眉をひそめて無言のままに去ってしまった。

取り巻きが慌てたように後を追う。


「……お前が噂の光の巫女候補か。」

 

立ち去るマリーベルの背中を見ていた皇子が振り返る。

怖いくらいにゲーム通りだ。


 私はマリーベルのスチルを拝みたいがためにゲームを百を超える数クリアしてきた猛者である。

どの返答をすればどのルートに進むかなんて手に取るようにわかるし、何なら目の端に存在しない選択画面が見えてくる気がする。


 私は皇子に向き直りにっこりとほほ笑む。

目指すルートはただ一つ。


逆ハーレムである。



 逆ハーレムを達成した。

怖いほどに簡単だった。


なんと言えばどんな反応が返ってくるのかゲームで知っているからだ。

答えが最初から分かっているコミュニケーションほど楽なものはない。


 そこまでは簡単だったのだ。


「ハロルド様、こんなに素敵なネックレスをいただいてしまってよいのですか? この宝石の飾りなんて大好きなマリーベル様の瞳のよう!」


 攻略対象達に囲まれながら、会話の中にマリーベルへの弁護を織り込んでいく。

 落とした私が満面の笑みで「マリーベル様大好き」といえばさすがに処刑なんてするまい。


当初はそう思っていた。


「……かばわなくていい。分かっているから」


 しかし奴らは私がそう言うたびに痛ましげな顔をして、マリーベルへの怒りを募らせていく。


 落とすまではイージーモードだった。しかし手玉に転がすことがこんなにも難しかったとは。



 私は一人になると、もらったネックレスの宝石を眺めながらとぼとぼと廊下を歩く。


マリーベルからの嫌がらせが唯一の憩いである。

嫌味を言われるなんてご褒美でしかないし、足を引っかけられるのはおみ足に触れさせていただいた分お金を支払いたいぐらいだ。


「あら、ご機嫌のようね。平民にはそんなに宝飾品が珍しいのかしら。」

 

ゲーム通りである。


いつものように喜色満面でマリーベルに向き合うと、マリーベルは鼻白んだように後ずさった。

最初は好意的な態度を向けるたびに真っ赤になっていたマリーベルも、最近では私の暑苦しすぎる愛に引いている。


「はい。マリーベル様の瞳の色のネックレスですもの」

「……あなた、ハロルド様たちに会うたびに、私のことをわざとらしく褒めちぎっているようね。そんなに自分を健気に見せたいのかしら」


 健気も何もむしろこちらが本心だ。

いや、マリーベル様と仲良しは私の願望だが。


私はふと首をかしげる。

このようにマリーベルを弁護することが健気な子アピールになる。


……つまり、それに対応してマリーベルへの憎悪が高まる?


 どんどん顔から血の気が引いていく。

手が震える。口の中が乾く。

あまりのことに涙も出てこない。

私はなんてことを。


「ど、どうしたのよ、リリアンヌ。今更こんなことで動揺するわけ?」

「あう、ど、どうしよう、私なんてお詫びしたらいいのか……」

「え、いや、あなたが本気で弁護しているのは、はたから見たらすぐわかる……」

「どうしようマリーベル様が死んじゃったら!」

「論理の飛躍!」

「こ、こうなったら私、腹を切ってお詫びいたします!」

「腹を切る!? どういう発想よそれ……やめなさい! 刃物をしまえ!」

「だって、マリーベル様が死んでしまったら、私も生きていられない……」

「死なないっての! ああもう、一度お前とは話をつけておく必要があるようだな……」

 

マリーベルは私の胸ぐらをつかんで引き上げた。

上背のあるマリーベルがそうすると、私はちょうどつま先立ちのような形になる。


「……今日の昼休み、体育館裏に来なさい。誰にも言わずに一人でね」


 *


 昼休み、体育館裏。


私は体育館の壁に背にぴったりとつけいる。

顔の横には美しい手が置かれ、美しい手は目の前で微笑む美しい顔に続いている。

そしてその顔が近い。すっごく近い。


 お分かりだろうか。壁ドンである。


「リリアンヌさん、あなた何かと私にかまってくるわね。私のこと素敵だとか、大好きだとか。何を企んでいるの?」


 艶やかな唇が放つその吐息すらかぐわしいような気がして、つまりは内容が全く耳に入ってこない。


 落ち着け。

落ち着くのだ私。


私は賢いので同じ轍は踏まない。

すっごく興奮しているからと言って、決してこの人に気持ち悪がられるようなことは言ってはいけないのだ。


もうすでに手遅れのような気もするが。


「……あなた、何を知っているの?」


 知っているどころか、ゲームのスチルはもちろんプロフィール欄の余白の模様まですべて暗記しております、なんて言ってはいけないのだ。


 決意を固めて顔を上げ、彼女と目を合わせた。



 駄目だった。

 水色のビーズが編みこまれた、ゆるくウェーブする金髪が風に乗って揺れる。

空の色の瞳は金色の長いまつ毛に縁どられて美しい弧を描く。

 

芸術品なんて言葉では生ぬるい。

奇跡だ。

私は生命の奇跡を目の当たりにしている。


 祝福の雨が私の頬を伝う――と思ったら涙だった。

唐突に泣き出した私におののいたのか、マリーベルは慌てて壁から手を外し、気まずげに俯く。

そのしぐさすら完璧だ。

 

偽ってはならない。

罪人が神の子に首を垂れるが如く、私の邪まな心は隅々まで浄化され、この性癖の塊に一切の隠し事をしてはならないという神の啓示が心の雨と一緒に降ってきた。


「……その……」

「……」

「……悪かった」

「前世からお慕いしております」

「は!?」


 心は定まった。

気持ち悪がられたり嫌われたりするのが怖いとか、私の心はそういう次元の外にいた。


こんな私を前世の友が見たらこう呼ぶだろう。

狂信者と。


「前世では生ぬるい、前々世、いや前前前世からあなたを探し始めたのに違いないのでございます!」

「何言ってんだ!?」

「私、金髪で高飛車な女の子が大好きなんです。あと、男勝りで男言葉を使う女の子も。

 あなたは、それの混ざり具合が絶妙なんです。

人知を超えた宇宙の力を感じさせるほどに。

 あなたと私が出会えたことは運命で、それでいて奇跡なんです。ああ、なんて言ったらいいんでしょう……、言葉で表現することは難しいけれど、とにかくあなたは私を救ってくれたんです。前世でも、今世でも。

あなたがいてくれさえすれば、私には一つも怖いものなんてない」


 言葉を終えないうちからマリーベルの顔はだんだん虚無、みたいな感じになってきて、瞳からはハイライトが失われていった。


分かってはいた。

だが感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。


気分は踏み絵ができなかったキリシタンだ。


「えっとつまり……きみは同性愛者なのか。」

「同性愛とか異性愛とか、そういう領域を超えたものです。ジャンルを愛しているというか。あえて名を付けるなら性癖愛です」

「性癖愛……」


 マリーベルは遠くを見るような眼をして言った。


「俺は君のことを、誰からも愛されて、思い通りにならないことなんて一つも無いような人間だって思っていた。何というか、意外な一面を見たなぁ」

「あら、私はマリーベル様の新たな面を見ない日はありませんよ。毎日毎日、マリーベル様は私の新たな性癖を開拓していく。そして、私はもっともっとマリーベル様のことを好きになるの」

「……あ、そう」


マリーベルの耳が、少し赤い気がした。


 *


 ある日、暗がりの中で目を覚ました。

あちこちが痛む体に顔をしかめながら起き上がる。

地下室の中はいつものようにやたら寒い。


 自己流の呪文を唱えると、手元に小さな光の玉が浮かび上がる。

私は辺りを見回した。


 足元には血文字のような巨大な魔法陣。

ところどころ、水色の石が埋め込まれている。


魔法陣の周囲にはビロードのような黒い布があちこちに垂れ下がっている。

布の向こうではわずかに人の気配。

生贄の儀式をする人たちだろう。

 

見入っている場合ではない。

 

私はいつものように自らの体を透過させる光魔法を使う。

 騒ぎ出す人々の間を潜り抜けて、私は部屋の隅へ向かう。


 ほら、あった。

部屋の角の隠し扉は、いつものように容易に開いた。



 私はこの地下室に何度も忍び込んだことがある。

ゲームから私が地下室に連れ去られることは承知していた。

 

ならば普段から地下室に忍び込んでおいて、造りを把握するまでだ。


 隠し扉をくぐって狭くて暗い通路を渡る。

このような暗い場所にいると、前世でトイレに閉じ込められていた時を思い出す。

 

廊下を歩いていると汚水をぶっかけられたこと。

蹴られ、チョークの粉をぶっかけられたこと。

学校を休みがちになった私に向けられる酷く怒った母の顔。


中学の時の記憶は特に鮮明だ。


 密かに好きだった男子が心配して家に来て、母と話をするよう励ましてくれたこと。

母が私を抱きしめてくれたこと。

友達が勉強会を開いてくれたこと。

念願の高校に合格して、みんなでお祝いしたこと。


そして乙女ゲーム。


 幸せは恐怖に比べれば、今辺りをほのかに照らす手の中の光のようにちっぽけなものだけれど。


私はその光を、光をくれた私の世界を愛していた。


 私に前世があることを、証明するものは何もない。

私は頭がおかしいのかもしれない。


 おかしくてもいい。

おかしくても、私は残された光のかけらを守って生きていく。

 

マリーベル。

最後に残された私の前世の痕跡。

私の最後の光。




 通路の突き当りの扉を開けると、春の日の光が差し込んできた。

腕時計を見ると、卒業パーティーが始まる時間だった。



 そして今、卒業パーティー大騒動に至る。


私のマリーベル最最最推し宣言に対し、王子たちは「さ、さいさい? 何のことだ?」と戸惑っている。

話が分からん男どもめ。

私は鼻息荒く主張する。


「大体、もしもマリーベル様が私を誘拐して暗殺しようとしているのなら、私がここに無事で立っているわけ無いでしょう、はい論破!」

「い、いや、地下室には確かに闇の生贄の儀式の痕跡があった。君は聡明だから一人で逃げのびて、マリーベルをかばおうとしているのだろう。しかし、禁忌魔法を行使することは重罪。マリーベルは処刑を免れることはできない」

「はぁ? 何ですか、マリーベル様がやった証拠でもあるんですか?」


 私は勝ち誇った顔で問い詰めるが、王子は厳しい顔をして首を振る。


「証拠ならある。君がさらわれたのは寮の部屋だ」

「な、なぜそれを……?」

「パーティーのために君を迎えに行ったら部屋が異常に荒らされていた。そして、部屋にマリーベルの万年筆が落ちていた。この通り、家紋までついている」


 皇子が取り出した万年筆は、確かにマリーベルの物だった。

目の端でマリーベルの顔色がさらに悪くなるのが見えた。


 私は呆然として呟いた。


「な、なぜそれをハロルド様が持っているの……?」

「だから言っただろう、君の部屋で拾ったと」

「いいえ、そんなはずはないわ! だって、万年筆は……


 回収されてるはずだもの!」



 *


 それは卒業パーティーの二日前のことだった。


「このようなものを渡して、今度は一体何を企んでいるんですか」


 私の部屋の合い鍵を渡されたマリーベルの従者は不審げな顔をしている。


「一つお願いがあるんです。卒業パーティーの直前、私はかどわかされます」

「は?」

「自室でかどわかされる予定なんです。下手に動くより、予定通りさらわれた方が逃げやすいと思うんです」

「はい?」

「現場にはマリーベル様の万年筆が落ちている予定なんです。ハロルド皇子が迎えに来る前にこっそり回収してください」

「ま、万年筆が……?」


 従者は眉間をもみだす。


「主人は性格が良いわけではないが、誘拐なんて馬鹿なことをするたちでもない。誰かが主人に罪を擦り付けようとしているということでしょうか……そういえば、何故か最近筆箱がなくなりましたね……」


 先日のマリーベルとの会話で私は確信した。

マリーベルは私情で誘拐、ましてや暗殺をするような人じゃない。


 誰かがマリーベルを陥れようとしている。


私の必死の説明に、従者は疑心暗鬼ながらもうなずいた。


 *


「な、なぜ君が証拠品を隠す必要があるというのだ! いや、それ以前に君はさらわれることを予知していたというのか?」

「そんなことよりなぜハロルド様がマリーベル様の万年筆を持っているの。私の暗殺未遂をマリーベル様に擦り付けるような真似、では……」


「おい、つまりどういうことだ」

「あんなに浅い証拠すら、やらせだってことだよ」

「それで処刑? いくら王太子だって許されません」


 会場は混乱し始める。


「何故、何故マリーベル様にこんなことをするの? こんな美少女を処刑しようとするなんて国家の、いえ世界の損失だわ!」


 叫ぶ私に、青ざめた王太子がやがてくつくつと笑いだす。


「なぜ君はそんなにも彼女にこだわるんだい?」

「こんな最高の美少女にこだわらない人類なんていないわ!」

「何をたわけたことを。マリーベルは嘘つきだ」

「はぁ?」

「こんなにも愛してくれる君に、彼女は嘘をついていた。いや、彼女ですらないな。だってマリーベルは―――」


「おい、それ以上言うな!」


 焦ったマリーベルの制止も聞かず、王太子は笑いながらまっすぐ彼女を指さす。


「男なのだから。」


 *


 マリーベルは体育館裏での騒動以来、意地悪な顔はあまりしなくなり、代わりに虚無の顔を多く見せるようになった。

今もまさにそんな顔をしている。


 でもそんな顔もとてつもなくかわいいのだ。

まさに天使。

至高の存在。

性癖の塊。


 なのにこの男は何を言っているのだろう。

マリーベルが男? 

馬鹿らしい話だ。


 しかし私の脳の一部が意志とは無関係に推測を続けていく。


 男なら、なぜ女性の格好をしている。

いくら依り代とて、男の体なら聖女になるのは難しいだろう。


 では王族の男性の依り代は何になる? 

答えは簡単だ。次代国王となる。


 王太子が真実を知ったら、ただじゃ置くまい。

だから公爵夫妻は息子の命を守るために、女として生かすことを選んだ。


しかし万が一性別の偽装に気が付かれたら、王太子はマリーベルの処刑の理由を無理やりでっち上げてでも、殺そうととするだろう。


 すべての符号があってしまった。


 彼らを手玉に取るなんてとんでもない。

ずっと掌の上で踊らされていたのは、私だったのだ。


 ゆるゆると振り返り、マリーベルを見る。


ハイライトを失った水色の瞳も、いつものビーズで丁寧に編み込まれた髪も、最高に性癖なのに。


 男勝りで男言葉の美少女が男だったら、それはただの男じゃないの。


 今まで信じてきた光は、幻想だった。


 では。では。では。私は何のためにここにいる。


 一番大切な世界を消し去って。

中途半端に記憶だけ与えられて。

最高の性癖は幻想で。


「こんな世界」


 目の前にピカリピカリと火花が散る。

 会場のどよめきがどこか遠くから聞こえる。


 でも、今は、そのすべてが、どうでもいい。


「いらない」



 *


 リリアンヌを中心に稲妻が空間に亀裂を入れるように輝く。

感情と一緒に魔力までが暴走しているのだ。


「ま、マリーベル様、何とかしてください!」


 従者が半泣きでマリーベルにすがる。


「リリアンヌさまの魔力量は歴代最高。こんなのが暴走したら、世界は確実に消滅します」

「お、俺にどうしろと」

「自分で考えてくださいよ理想の美少女なんだから!」

「やりたくてやってるんじゃないんだよ、こんな格好!」


 マリーベルは頭を抱える。


 会場はもはやパニック状態だ。

あちこちで男女の悲鳴が上がり、避難しようとしていた群衆がドミノ倒しに倒れる。


このままでは魔力がすべてを破壊する前に普通に人死にが出るだろう。


「頑張れマリーベル様! 世界の平和はあなたのお色気にかかっている!」

「あってたまるかそんなもの!」


 ちょっと泣きそうになりながら叫ぶも、確かにこの状況を放置しておくわけにはいかない。

彼女を落ち着かせるための人材に、自分以外の適任がいるとも思えなかった。


 半ばやけくそでリリアンヌに駆け寄る。

 頬につうっと涙を流しながら振り向くリリアンヌを、意を決して抱きしめる。


「お、落ち着け、落ち着かないと世界が滅ぶぞ! 国民に多大な迷惑がかかる。頼むからその物騒な火花を引っ込めろ!」


 ぼんやりとしたまなざしで顔を上げたリリアンヌは、マリーベルと目が合うと少しだけ生気を取り戻す。


 これを止めてはならない。

直感したマリーベルは、幼子を相手にするようにやさしく声をかける。


「大丈夫。ゆっくり息を吐いて吸え。いい子だから。」


 稲妻が少しずつ弱まっていく。

リリアンヌの瞳に光が戻る。


「そうよ、こんな……、――こんな美少女が男なはずないわ!」


 膝から崩れ落ちそうになったマリーベルを支えて、リリアンヌは生き生きと叫ぶ。


「そうよ、これは絶対何かの誤解よ! だってこんな美少女が男なはずないもの! 男な、はず、ないのよ!」


 リリアンヌの叫びに呼応するように、稲妻は弱まり、ついにはすっかり消えてしまった。


 世界。世界を守るためだから仕方がない。

自分に言い聞かせながら、マリーベルはリリアンヌを胸に抱きよせる。


「ああうん、そうだな、女だな。もう女でいいからちょっと黙ってくれ」

「そう、女の子よ。だってこんなにも性癖……え?」


 マリーベルの胸に顔をうずめていたリリアンヌが声を上げる。


「この胸……本物じゃないわ。」


 状況はわからないまでも、なんとなく安心を取り戻しつつあった群衆に一気に緊張が走る。


 青ざめるマリーベル。

そうだ、ほかの令嬢に馬鹿にされないように、マリーベルは多少大げさな偽乳を使っていたのだ。


「マリーベル様……あなた……」


 ばっと顔を上げたリリアンヌは目に一杯のお星さまをためていた。


「貧乳を気にしている系女子だったのね!」

「は?」

「もうっ、どれだけ私の新しい性癖を開拓すれば気がすむの? いいぞもっとやれ!」


 マリーベルの当惑など気付かぬ様子で、リリアンヌは歓喜に叫ぶ。


「最高! むしろあなたが性癖! 生涯推し続けます!」






「で、……なんだっけ。彼女をいじめたから処刑だっけ?」


 呆然としている王子達攻略対象に向かって、マリーベルは力なく笑った。


「とりあえず国は滅びるだろうけど、覚悟はできているのかな?」


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