折り畳み傘
山本ひすい
折り畳み傘
私は、野菜が嫌いだった。あの人は、いつもサラダを夕飯に並べてくれたけれど、いつも残してしまい怒られてばかりだった。
私があの人と出会ったのは、大学1年生の春。新たな門出には少し厳しい、大雨が降っていた。新入生で溢れかえる駅の中、傘を忘れて途方に暮れている私に、乱暴に折り畳み傘を差し出した。
「私、もう一本あるから。それ、使って。」
驚いて顔を上げると、そこにはもう誰もいなかった。
次にあの人と出会ったのは、大学の授業だった。
「傘、返して。」
また驚いて顔を上げると、今度はまっすぐにこちらを見つめる目があった。異性と関わることが得意でなかった私はその時、顔からやかんのように湯気が出ていたことだろう。
私がおどおどしていると、
「家。」
と、声が降ってきた。
「え?」
「今日、家行っていい?」
私が傘を持って来ていないことを察してくれたのだと思い、慌てながらも頷いた。今思うと、危機感がうまく機能していなかったと思う。でも、それでよかったのだとも、今、思う。
それから、あの人は時々家に来るようになった。傘は返していなかった。私とあの人の、唯一の繋がりだったから。
あの頃は、楽しかった。
今日も、夕飯にはサラダが並んでいる。私は、残さずに食べるようになった。
「トマト、残していい?」
「駄目よ。」
私の野菜嫌いは、子供が受け継いでしまったようだ。妻は毎日、子供に野菜を食べさせようと躍起になっている。
妻とは、社内で出会った。突発、衝動といった出会いではなかった。
妻は、丁寧な人だ。私は、彼女のそんなところに、あえて惹かれたのかもしれない。
ある日を境に、あの人は家に来なくなった。出会った日みたいな、大雨の日だった。その頃私は、雨の日には、あの折り畳み傘を使っていた。あの日、いつものように傘をさしていると、突然、強い風が吹いて、傘が折れてしまった。
次の日、あの人が家に来た時に、傘のことを話した。
「ふうん。」
興味無さそうにそう言って、その日はすぐに帰っていった。それで、最後だった。
あの人と同じ授業をうけていた人に聞いても、大学に来ていない、としか言われなかった。
今日は大雨だ。
今でも子供部屋の押入れの奥に、折れて役に立たなくなった折り畳み傘がある。
そのことを今、思い出した。
折り畳み傘 山本ひすい @YamamotoHisui
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