第3話


 草原地帯はその名の通り、見渡す限りの草原が広がっているフィールドだ。どこにでもあるノーマルフィールドの一種で、近くにある街によって難易度が変わる。

 例えば繋がった草原地帯でもわたしの居るリントルの町周辺は初心者向け。そこからグラデーションのように難易度が上がっていき、学園都市ディミアという都市の周辺は中堅向けになる。

 わたしは初心者に限りなく近い中堅なので、その中間でレベル上げをするのが丁度いい、という訳だ。


「それじゃミルク、素材集め、お願い」

『えぇ。任せなさい』


 わたしが魔物を倒し、ミルクにドロップする素材の回収だけを任せる。経験値がわたしにしか入らない、従魔士テイマーだから出来る役割分担である。

 

 従魔と従魔士プレイヤーの経験値は別扱い――を組めば山分けは出来る――なので、効率よくわたしのレベルを上げるにはわたしが戦う必要がある。


 わたしはとにかく向かってくる魔物を探し、杖を握って――ぶん殴る、殴る、殴る。

 もちろん経験値が貰えるだけの強さがあるので、一撃では倒せない。横スイングでは吹き飛ばして逃がしてしまう。つまりモグラ叩きのように、杖をひたすら振り下ろす。


 増える経験値、上がるレベル、伸びるステータスが気持ちいい。レベル上げはやはり、ゲームの醍醐味である。


「……あれ?」

『どうしたの、ヒナ?』

「魔物、いなくなっちゃった」


 唐突に、魔物の気配が消えた。

 倒し尽くした? いいや、そんなはずは無い。

 そういう状態も『はじまち』には存在するけれど、棒を振り回すだけのプレイヤーひとりで狩りつくせるほど、草原地帯の魔物は少なくない。

 

 こんな不思議な事が起こるのは――きっとイベントの前触れだ。NPCが現れる直前にプレイヤーの周辺を都合よく整えてくれる、ゲーム的システム。

 それを証明するように、ミルクが動き出す。


『ヒナ、魔物よ。弱ってるわ』


 促されて見ると、傷だらけの小さな黒狼ブラックウルフが草の影に隠れるように歩いていた。

 黒狼ブラックウルフは子供でも普通に戦うなら格上だ。学園都市に限りなく近い辺りで遭遇する魔物である。倒せば、得られる経験値は大きいだろう。

 

 わたしたちに気づいておらず、ふらふらとこちらへ寄ってくる。

 群れで暮らす狼系の魔物の、しかも子供が1匹、傷だらけ。明らかに訳ありだ。


『あら、倒さないの?』

「うーん……どうしようかな」


 悩んでいるわたしを尻目に、毛繕いを始めるミルク。明らかに傍観の姿勢である。


 弱った魔物――しかも少し格上――に遭遇するイベントは、実はそう珍しくない。

 わたしのような駆け出しの従魔士テイマーには強い従魔を得られるイベント、他のプレイヤーにも格上の経験値を得られてイベントであることから、攻略サイトでは『遭遇イベント発生度マップ』なるものが作られているほど。


 ただしその後『パーソナル・ストーリー』に与える影響は未知数で、助けた、あるいは倒した魔物のお陰でいい事があったりトラブルに巻き込まれたり、なんにも起こらなかったりしたらしい。

 未知数すぎる。

 

 そうこうしているうちに、おぼつかない足取りで近づいてきた小さな黒狼ブラックウルフはぱたりと倒れて――透明なスライムに姿


「えっ……いや、えっ?」

 

 すわ攻撃か、と身構えてみても何も起こらない。

 黒狼ブラックウルフの子供は、スライムだった……?

 まさかそんなはずはと思いつつ何度見しても、目の前にいるのは弱ったスライムだ。ぐったりして地面にべちゃり。ちょっと可愛い。

 

 助けを求めるようにミルクを見ても、興味が無いのか我関せずといったふうに毛繕いをするばかり。

 小声で呼びかけるとやっとこちらを見て、それから目を瞬いた。

 

『あら、コピースライム。珍しいわね』

「それってメタ……め、珍しいんだ」


 一瞬、脳裏に浮かぶのは、つぶらな瞳がキュートな薄紫色のモンスター。


『そう、珍しいのよ。無知なヒナに、わたくしが知恵を授けてあげましょう』


 他のゲームの残像を振り払うと、ミルク先生の魔物講座が始まった。

 

 ミルク先生が言うには、スライムというのは環境適応能力にステータスを極振りすることで生き残ってきた種族らしい。

 確かにスライムという種族で考えるなら――火山で赤スライム、大河で青スライムといった違いはあるが――、生息域が定まっていない。

 

 しかしコピースライムはそんな適応能力をほぼ捨てて、他の魔物に変身することで生き残っているのだという。

 ただし変身したからと言って完全に種族が変わる訳でもないから、生存競争には勝ちにくい。さらに人間の前で変身を解くほど馬鹿でも無い。

 つまり、見つけるのが少々難しい魔物なのだ。

 

「勉強になります、ミルク先生」


 そんな前提を加味すると、変身していた黒狼ブラックウルフよりも得られる経験値は高いかもしれない。

 

『よろしくってよ。この程度、子供向けの魔物図鑑にさえ載っているけれど』

「うっ。まことに、不勉強で……」

 

 子供向けの魔物図鑑。出現する魔物によって地域ごとに少しずつ内容の異なる、少し厚い絵本程度の内容で、わたしも1度は目を通した。

 ただし、覚えているかは別問題だ。


 ちょっぴり不憫で可愛くて愛着が湧いてしまったので、おいしい経験値は諦めて助けることに決めた。

 ローブの異次元ポケット――アイテムボックスに繋がっている――から回復効果のある果実を取り出し、小さく切って差し出す。


「……美味しいよ。食べな」


 スライムはこちらに気がついて居なかったのかびくりと身体を震わせ、しかし力尽きて逃げることも出来ず震えている。


「怖くないよ、大丈夫」


 差し出していた欠片を食べて見せて、もう1切れ切って近くに置いてやる。同じようにミルクにも食べさせると、スライムは悩んでいるのか、伸び縮みしてうにうにと形を変えて、それから意を決したように欠片を取り込んだ。

 スライムに取り込まれた果実は、シュワシュワ泡を立てながら消化されていく。


「もっと食べな」


 嬉しくなったわたしは次から次へと切ってあげた。

 スライムの方も果実の効果が分かったのか、それとも危害を加えないと信じてくれたのか、直接わたしの手から食べるようになった。

 

 なんだか、ミルクを仲間にした時を思い出すやり取りだった。ミルクにも最初は警戒されていて、食べ物で絆て仲良くなったのだ。


「美味しいかぁ、そっかそっかぁ」

『懐かれたわね』


 ついに撫でさせてくれるようになって、緩みきった顔でスライムを可愛がっていると、見守っていたミルクがそろりそろりと寄ってきた。

 スライムが怖がらないか気にしているのだろう。ミルクはとっても優しい子なので。わたし以外には。


「スライムくん。こちらミルク。わたしの相棒」

『ご機嫌よう、身体の調子はいかが?』


 きっと言葉は伝わっていないけれど、ニュアンスは理解してくれたのか、言葉に反応して踊るようにプルプルと身体を震わせる。

 それからミルクとふたり、ぷにぷにもふもふ、じゃれ合い始める。


「か、かわ……かわいいぃ」

『……ヒナ、頬が崩れているわ。淑女にあるまじき顔よ』


 だらしない顔の自覚はあったので、頬をもんで整える。

 

 せっかくだからとスライムにスキルで契約を誘いかけてみれば、やはり好感触。

 名前をつけて気に入られれば、コピースライムもわたしたちの仲間入りである。

 

 ただしわたしにネーミングセンスは無い。小声でミルクにアドバイスを求めた。


「水饅頭はあり?」

『センスがあまりにも……不憫だわ』

「そこまで言う?」


 語感は可愛いと思ったのだけれど、ネーミングセンスは比較するまでもなくミルクに軍配が上がるので、大人しく取り下げた。

 

 ミルクの名前を決めた時、見た目から決めるのが無難だということを学んだので、じっとスライムを見つめてみる。

 いつまでも決められずにいると、スライムの期待の籠った視線に段々不安が滲んできたような……。

 しかしどう見ても水饅頭、水饅頭である。一度口に出したのも良くなかった。完全に頭にこびりついて困る。


『どうしてそう、食べ物の事しか頭にないのかしら』


 呆れた様子のミルクと悲しげなスライムに崖から突き落とされそうな気持ちで悩む。

 

「うぅん……もう、決めたっ。今日から君はスイだ」

『……貴方たちが気に入っているのなら、十分ね』


 水饅頭の水からスイ。ムだし丁度いいだろうとドヤ顔で決めてみたものの、ミルクの評価はイマイチらしい。

 

 スイはというと、ぷるぷる、うにうに、喜びを表しているのか、全身を使って気持ちをアピールしてくる。機嫌がいいことははっきり伝わった。

 可愛いが過ぎる。これはもう念話を覚えなくてもいいくらいだ。

 

 衝動的に両手で掬いとって、ぎゅうっと抱きしめた。ひんやりとした身体は、触れば触るほどもちもちで気持ちいい。


「かわいい、かわいいねぇ……」

『顔が崩れて醜いわ、ヒナ』


 今ばかりはミルクの毒舌も気にならない。……もうちょっとだけオブラートに包んでほしかったけれど。

 

 スイをそっと地面に下ろしてステータスを開く。わたしの従魔の欄にはスイの名前が、スイの主の欄には私の名前があることを確認した。


「よろしくね、スイ」

『うん。よろしく頼むっ、ご主人』


 スイのステータスに念話テレパスが追加されたところを見て話しかけると、中性的な弾んだ声で返事が返ってくる。可愛い。

 ちなみにスライムに性別はないらしい。


『センパイも、よろしくなっ』

『あら、挨拶の出来る子は嫌いじゃないわ。こちらこそ、仲良くしましょう、スイ』


 どうやら従魔同士も問題なく会話できるみたいだ。ミルクが優しい。感激である。

 

 早くレベルを上げてミルクとスイと一緒に戦えるようにしなくちゃな、と思ったところで、ピコンという機械音とともに、脳の休息時間クールタイムが近いことが通知される。

 

 どうやら、ゲームを始めてからもうすぐ6時間経つらしい。移動に時間がかかったし、レベル上げは集中するとあっという間に時間が過ぎる。


 ヴェルティア時間は現実の4倍で進んでいるから、実際に経ったのは1時間半ほどになる。

 ゲーム内の時間で6時間ごとにとられるのが脳の休息時間クールタイムで、高校生には30分以上の休息が義務付けられていて、ゲーム喫茶にもきちんとこれが守られているか確認する義務がある。

 つまり一旦、ログアウトの時間だ。


「ミルク、スイ、宿に戻るよ」

『ふむ、ヒトのナワバリに行くんだな?』


 人の縄張り、言われてみるとその通りだ。人が嫌なのかと思って見ると、スイはぷるぷると揺れたあと、くるりと回って子供の黒狼ブラックウルフに変身した。

 どうして、と思っているとミルク先生が説明してくれる。

 

『いい判断ね、スイ。……ヒナ、コピースライムは珍しいから、下手に見せびらかすのは危険よ』

「子供向けの図鑑にも載ってるのに?」

『あら、あれにはドラゴンだって載っているわ』


 スイはドラゴン級だった……?

 

 わたしは門番さんと宿屋の女将さんに黒狼ブラックウルフとしてスイを紹介して、ミルクとスイに一時の別れを告げてログアウトした。

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テイマーちゃんのその日暮らし 笹原はるき @iris_azami_

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