テイマーちゃんのその日暮らし

笹原はるき

第1話


 21XX年。

 人類が脳内にチップを埋め込んでから、技術革新が飛躍的に進み、ついに仮想空間の中で五感をほぼ完全に再現出来る新たなゲーム専用デバイスが一般化した時代。

 美しすぎるもう1つの現実バーチャルは、薄汚れた現実リアルに疲れ切った人々の心を虜にする。

 

 世界のデジタル化により衰退した有店舗型の小売業者の1部は、その店舗を利用して、据え置き型専用機器を設置したへと姿を変えていた。

 都会の学生の行動範囲に合わせて作られたゲーム街には、今日も多くの客が吸い込まれていく。金曜の夕方ということもあってか、その大半が制服姿の若者だ。



 友人と放課後の時間を過ごす楽し気な学生たちを横目に、わたしは制服の上から羽織ったパーカーのフードを、深く被りなおした。

 途端、すれ違いざまに男子学生の集団がゲラゲラと大声で笑いだす。

 ビクリと体を震わせ、何かおかしなことをしただろうかと視線を向けるも、彼らは私のことなど一切眼中にない様子。

 何がそんなに面白いのか。彼らはひとしきり笑い、そのまま吸い込まれるようにゲーム喫茶の1つへと入っていった。


「陽キャ、こわー……」


 思わずこぼれた独り言。誰かに聞かれてやしないかと周囲を見回すが、誰も他人の独り言に興味なんてないらしい。

 わたしはそのまま人目を避け、大通りを早足で抜けた。


 道を一本外れただけで、そこは同じ街とは思えないほどの静けさに包まれていた。

 歩きなれた裏道を辿る。

 目的地はゲーム街外れの、古びたビルの2階。令和の香り漂う、個人経営のゲーム喫茶だ。



 入口の扉ゲートを通り抜けると体内に埋め込んだチップが反応し、自動でチェックインの手続きが行われる。

 機械から吐き出された部屋番号の紙を取り、ドリンクバーのカップを取り出した。

 そのまま特に悩むことも無く、ホットコーヒーを注ぎ入れる。チープで嗅ぎなれた豆の香りが鼻腔をくすぐる。


「あれ、雛乃ひなのちゃんだ。いらっしゃい」


 背後から男性の声で名前を呼ばれて振り返る。

 黒髪、ピアス、袖口から覗く刺青、それに不釣り合いな安っぽいエプロンと、人好きのする笑顔。

 閑古鳥が鳴くこの店の店長、和真かずまさんだ。

 

「今日、早いね。バイトは休み?」

「はい。テストだったので、学校行ってて」

「それで制服か。お疲れ様。雛乃ちゃんとこ、いつもはオンラインだもんね」


 会釈とも頷きとも言えないような角度の相槌を返す。


 学校教育は対面でやってこそ、という風潮が未だ残る現代でも、オンライン授業を採用する学校は増えている。

 特に仮想空間で五感を完全に再現出来るようになってからは増加率が顕著だ。

 わたしの通う高校もそのひとつで、年に数回の試験日だけ制服に袖を通し、学校に登校している。

 

「雛乃ちゃんは、今日も『はじまち』?」

「そのつもりです。大型アプデ入ったみたいなので、確認しておきたくて」

「あぁ、道理で今日はお客さんが多いわけだ」

「……いつもが少なすぎるだけじゃないですか。こんな分かりにくいとこにあるから」


 『はじまち』――正式名称『はじまりの街から』は、ここ最近ユーザー数を伸ばし始めたVRMMORPGのひとつだ。

 昨日から大型アップデートが入っており、今朝それが無事完了したことを伝える通知が来た。

 おそらく大通りの混雑も、これが一因だろう。

 

 わたしは和真さんの紹介で始め、かれこれ半年以上プレイしている。

 和真さんとは知り合って5年以上経つが、こんな店の店長をしているだけあって、勧めてくれるゲームに外れがない。


「分かりにくい場所にあっても、常連さんは来てくれるからね」


 和真さんはそう言うと、疑いようもなく常連の1人であるわたしに向かってぱちんとウィンクして見せる。

 整った顔をしているぶん、気障な仕草も様にはなる。ただ……。


「ちょっとおじさんくさいです」

「えぇっ」

「和真さんてなんていうか、令和……ううん、平成っぽいですよね」

「ぴちぴちの高校生に言われちゃうと、ちょっと傷つくなぁ」

 

 ぴちぴち、なんていう言葉選びがまさに――なんて思ったけれど、口には出さなかった。

 そのまま世間話を続けていると、スタッフゾーンから電話の呼出音が鳴る。やはり今日は、わたしのほかにもお客さんがいるらしい。


「おっと、呼ばれてるみたい。引き止めてごめんね」

「いえ、わたしこそ忙しいところを……」

「じゃ、今日も困ったことがあったら呼んで。あと、脳の休憩時間クールタイムなったらコールするから、起きといてね」


 わたしが頷いたのを確認して、和真さんは仕事に戻って行った。

 それを見送り、わたしはコーヒー片手に個室のゲートをくぐる。


 

 内装はシンプルで、カプセル型の据え置き機とテーブル、注文用パネル、1人がけのソファが置かれているくらい。

 オプションでいろいろ付けられるとは聞くものの、ゲームだけが目的のわたしに必要だとは思わなかった。

 

 片手に持ったコーヒーを一口だけ飲んでテーブルに置き、カプセルの中に寝そべる。あとはぼんやりしているだけで、脳内チップが働いて個人を識別、遊ぶゲームを選べばログイン完了だ。

 仮想空間で幾らかの動作確認をすれば、直にゲームの世界で目が覚めるだろう。

 

 わたしがこれからプレイする『始まりの街から』は、若者をメインターゲットとして作られたVRMMORPGだ。プレイヤーを旅人として世界に組み込み、剣と魔法の世界をめぐる壮大な物語を展開している。

 『はじまち』の特徴は、そのタイトルの通り、全プレイヤーの旅がからスタートするところにある。

 

 大抵の人気VRMMOは多人数同時参加型という形式上、過密状態を避けるために複数のスタート地点が存在する。当然といえば当然だ。

 しかしそのとき、不平等は避けられない。同じ場所がふたつとして存在しないような作り込まれた世界であるほど、プレイヤーに都合のいい立地とそうでない立地が存在する。

 

 拠点固定系のゲームシステムだった場合はなおのことで――勿論それはそれで楽しみ方があるのだけれど――、が生まれてしまうのだ。


 しかし『はじまち』におけるプレイヤーは旅人だ。行きたいところに行ける根無草。

 人の集まる街がする仕様も相まって、全プレイヤーが始まりの街から始まる物語を楽しめる。

 

 加えて運営元がマイナー企業だったため、初期の知名度が低く、サービス開始時点では、全プレイヤーが同時スタートを切れるような人数だった。

 初期はなにかとトラブルもあったが、軌道に乗ってしまえば面白いほどハマり、VRMMOとして、学生を中心に多くのユーザーを抱えている。


 

 一瞬五感が完全に閉ざされ、それから『はじまち』のオープニングムービーが始まった。


 視界一面に広がる草原。

 体はもう自由だ。足を踏み出せば、柔らかな大地と潰れた草の感触が伝わってくる。

 空は青く空気は澄んでいて、吹き抜ける風が心地いい。息を大きく吸い込めば、優しい自然の匂いがする。

 

 五感に違和感がないことだけ確認して、目を閉じた。


「【ゲーム・スタート】」

 

 そう【コマンド】を口に出すと、世界が崩れた。


 

 ふわりと暖かいものに包まれて、重力が少しずつ背中の方にかかっていく。

 頭の中でピコンと機械音がして、ゲーム世界に接続が完了したことを通知した。

 

 身動ぎすれば布の感触と衣擦れの音、それから木の軋む音がする。

 リアルな感覚に促されるようにして、わたしは前回ログアウトしたのと同じ、宿のベッドで目を覚ました。

 


 

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