テイマーちゃんのその日暮らし

笹原はるき

第1話


 21XX年。

 人類が脳内にチップを埋め込んでから、技術革新が飛躍的に進み、ついに仮想空間の中で五感をほぼ完全に再現出来る新たなゲーム専用デバイスが一般化した時代。

 

 世界のデジタル化により衰退した有店舗型の小売業者の1部は、その店舗を利用して、据え置き型専用機器を設置したへと姿を変えていた。

 都会の学生の行動範囲に合わせて作られたゲーム街には、今日も多くの客が吸い込まれていく。


「……いや、いつもより多いかも」

 

 ゲーム街常連のひとりであるわたしは、そう独りごちる。

 ただ人が多いと感じるだけでなく、最新設備やサービスが整ったチェーン店には、目に見えて列が出来ていた。ゲートが勝手に脳内チップを読み込んでくれるゲーム街の店舗に、そうそう順番待ちの列ができたりはしない。


「ま、致し方ない」

 

 今日はなんと言っても、夕方のゲーム街における主な客層である中高生にとって、週の終わりにあたる金曜日。

 さらに、据え置き型専用機器を使用してプレイできる、超人気VRMMO『始まりの街から』の大型アップデートが行われる日だ。

 当然わたしの目的も『はじまち』である。

 

 しかしそんな日であっても、わたしが気に入っているゲーム街外れの店は、相変わらずガラガラだった。

 ゲートを通り抜けて、機械から吐き出された部屋番号の紙を取り、ドリンクバーのカップを取り出す。最新型の店舗では、こんな手順さえ限りなく省略されていると言うから驚きだ。

 この間、人通りはゼロ。他所にはあれだけの行列が出来ていたのに。

 

 ひとつため息をついて、コーヒーでも飲もうかとカップを置いた。ドリンクバーは今も昔も変わらない、と父が言っていたことを思い出す。


「おぉ、雛乃ひなのちゃんじゃん。こんにちは」

「……和真かずまさん。お疲れ様です」


 自分を呼ぶ声に振り向くと、人の良さそうな笑みを浮かべて見知った男性が立っていた。

 表情と黒髪こそ好青年風だが、隠す気のないタトゥーとか、喋る度に覗く舌ピアスとか、ふとした時の真顔とか、そういう所が若い子に怖がられている、この店の店長である。

 どうやら仕事中に通りかかったらしく、手にはモップが握られている。


「今日は制服なんだ、珍しいね。学校帰り?」

「はい。試験で、出なきゃいけなかったんで」

「そっか。雛乃ちゃんとこ、普段オンラインだもんな」


 納得した、というふうに頷かれる。

 この店には頻繁に通っていて、和真さんとはもう5年の付き合いになるが、確かに制服姿を見られたのは数える程だった。

 

 学校教育は対面でやってこそ、という風潮が未だ残る現代でも、オンライン授業を行う学校は増えていて、わたしの通う高校もそのひとつだ。

 特に仮想空間で五感を完全に再現出来るようになってからは、世論もだいぶ変わってきたのだという。

 

「ところで何飲むの? 女の子だし、やっぱココア?」


 和真さんの視界をたどっていけば、コーヒーを注ごうとカップを置いた列に、確かにココアは存在した。

 しかし、わたしがそれを選ぶかと言われれば否。なぜならココアは甘いから。そして、そんなことを知らない仲でもないわけで――つまり、からかわれている。


「女の子らしくなくて、悪かったですね」

「なに、拗ねてんの?」


 何を言っているんだと返そうとして、和真さんの顔を見た途端、言葉が詰まった。善良ぶった雰囲気はどこへやら、何が楽しいのか、によによと口を歪めている。

 嫌な予感がする。

 わたしが黙りこくったことで自分の表情に気がついたのか、口元を隠して表情を整える和真さん。

 ……それから大袈裟に甘い笑みを浮かべて、少しだけ低い声で。

 

「大丈夫、制服姿も可愛いよ」

「はぁ……」


 ため息しか出ない。また始まった、いつもの悪ふざけである。

 少々ナルシストの気がある和真さんは、度々こういうを遊び出す。

 ツッコミさえも放棄してジト目で見つめても、躊躇いなくひとりでに話し出した。メンタルが鋼で出来ているに違いない。


「雛乃ちゃんスタイルいいから、なんでも似合うよ」

「セクハラですか? というか、そうじゃなくて……」

「あぁ、飲み物の話?」


 モップの柄に顎を乗せて、こちらをのぞき込むようにくいっと首を傾げる。それからキメ顔。

 

「ちゃんとわかってるよ。いつもの、入れてあげる」

「うざすぎっ」

「ふは、ごめんて」


 悪態をつけば、満足したのかケラケラ笑い出す。

 張り倒してやろうかと思わないこともないが、言えばまた上手くあしらわれるのが目に見えていたので、口を噤んだ。

 本当にコーヒーを注ぎ出す手を止める気も起きずに――まさに飲もうと思っていたもので、多少イラッとしたが――さっさとこの場を離れることを選択する。


「ありがとうございます。じゃ、わたしゲームするんで」

「うん。いつも通り、脳の休息時間クールタイムなったらひと声かけるから、起きといてな」

「はーい」


 あっさり解放されたことに拍子抜けしつつ、個室のゲートをくぐった。

 内装はシンプルで、カプセル型の据え置き機とテーブル、注文用パネル、1人がけのソファが置かれているくらい。オプションでいろいろ付けられるとは聞くものの、ゲームだけが目的のわたしに必要だとは思わなかった。

 

 コーヒーを一口だけ飲んでテーブルに置き、カプセルの中に寝そべる。あとはぼんやりしているだけで、脳内チップが働いて個人を識別、遊ぶゲームを選べばログイン完了だ。

 仮想空間で幾らかの動作確認をすれば、直にゲームの世界で目が覚めるだろう。

 

 わたしがこれからプレイする『始まりの街から』は、若者をメインターゲットとして作られたVRMMORPGだ。プレイヤーを旅人として世界に組み込み、剣と魔法の世界をめぐる壮大な物語が展開される。

 『はじまち』の特徴は、そのタイトルの通り、全プレイヤーの旅がからスタートするところにある。

 

 大抵の人気VRMMOは多人数同時参加型という形式上、過密状態を避けるために複数のスタート地点が存在するか、一度にスタートできる人数が限られている。当然といえば当然だ。

 しかしそのとき、不平等は避けられない。同じ場所がふたつと存在しないような、作り込まれた世界であるほどプレイヤーに都合のいい立地とそうでない立地が存在するし、月単位のスタートダッシュの遅れは致命的だ。

 

 拠点固定系のゲームシステムだった場合はなおのことで――勿論それはそれで楽しみ方があるのだけれど――、が生まれてしまうのだ。

 

 しかし『はじまち』では「プレイヤー=旅人」という設定に従い、ゲームの仕様から世界を旅することがある程度決められている。そして人の集まる街はする。

 それによって、全てのプレイヤーが同じ場所からゲームを始められるようになった。あとは運営の弛まぬ努力で、確率や定員によるハズレリス地の問題を解消したのだ。


 初期はなにかとトラブルもあったが、軌道に乗ってしまえば面白いほどハマり、VRMMOとしてプレイ時間を定期的に確保出来る学生を中心に、多くのユーザーを抱えている。


 

 一瞬五感が完全に閉ざされ、それから『はじまち』のオープニングムービーが始まった。


 視界一面に広がる草原。足を踏み出せば、柔らかな大地と潰れた草の感触が伝わってくる。

 空は青く空気は澄んでいて、吹き抜ける風が心地いい。息を大きく吸い込めば、優しい自然の匂いがする。

 

 五感に違和感がないことだけ確認して、目を閉じた。


「【ゲーム・スタート】」

 

 そう【コマンド】を口に出すと、世界が崩れた。


 

 ふわりと暖かいものに包まれて、重力が少しずつ背中の方にかかっていく。

 頭の中でピコンと機械音がして、ゲーム世界に接続が完了したことを通知した。

 

 身動ぎすれば布の感触と衣擦れの音、それから木の軋む音がする。

 リアルな感覚に促されるようにして、わたしは前回ログアウトしたのと同じ、宿のベッドで目を覚ました。


 

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