第2話


 『はじまち』の舞台は創造神ヴェルトが生み出した世界、ヴェルティア。そこにはいくつかの大陸と、数え切れないほどの島々がある。

 プレイヤーは旅をして、出会いと別れを繰り返しながら世界の真実へ近づいていく。

 

 と、いうのがゲームのメインコンテンツ、『ワールド・ストーリー』の概要である。

 聞く話によれば、今回の大型アップデートにもその進展が関わっているらしい。



 そしてそれとは別に、プレイヤーの行動ログによって展開の変わる、『パーソナル・ストーリー』というものが存在する。

 これこそ所以。

 誰かが進めてくれる『ワールド・ストーリー』は捨ておき、『パーソナル・ストーリー』を楽しむためだけに『はじまち』にログインするプレイヤーも少なくないほど。

 

 わたしもそのひとりで、最近、NPCに弟子入りするイベントを終え、職業ジョブを決めたところだ。

 従魔士テイマー。かわいい従魔を得られる可能性から一定の人気がある、魔法使いならぬ技能スキル使い系の職業である。



「ゲーム、するか……」

 

 宿の天井をぼんやり見つめながら温もりに浸っていたわたしは、やっとベッドから這い出した。

 それから外の空気を入れようと部屋の窓を押し開く。

 

 少し身を乗り出して空を見上げた。太陽はまだ昇る前らしい。星がちらついている。

 現実の時間と照らし合わせて考えれば、は4時頃のはずだ。


「晴れ、か。今日は草原地帯かな……」

 

 天候と、それに伴うフィールドの変化も『はじまち』の醍醐味のひとつだ。


 独り言を呟きながら軽くストレッチをして、装備を整えた。

 の高い服に着替えて、状態異常耐性のついたローブを羽織る。あとは技能スキル職用の杖を持てば、ギリギリ初心者を抜け出した中堅プレイヤーの完成である。

 職業の有無が初心者と中堅の大雑把な分かれ目になる。


「アプデ完了のお知らせ……体調は万全……」


 ベッドに腰掛けてゲーム内メッセージやステータスを確認していると、外の方から物音がする。

 メニューウィンドウを閉じて視線をやれば、ちょうどが窓枠に飛び乗った所だった。


「おはよ、ミルク」

 

 よく手入れされた純白の毛並みを見せつけるように佇むその姿は、思わず頬が緩むほど可愛い。

 彼女こそ、今はまだひとりだけの、わたしの自慢の従魔である。


『えぇ。ご機嫌よう、ヒナ』


 頭の中に声が響く。彼女からの【念話テレパス】だ。


 これはちょっとだけ珍しい【技能スキル】で、従魔士テイマーの持つ【職業ジョブ技能スキル】の【以心伝心】によって、従魔に自動で付与される。

 公式説明によると、従魔士テイマーは魔物と心を通わせる者、らしいので。

 

 窓枠から部屋の中へ軽やかに降り立ったミルクは、わたしの足元へ歩み寄る。それからぱっちりしたサファイアの瞳でこちらを見つめて、愛らしい声で言葉を続けた。


『今日もシケたツラね』

「……ミルクに比べたらね」


 見た目は天使。ただし毒舌が玉に瑕だ。何処で育て方を間違えたのだろう……。

 

 さて、駆け出し従魔士テイマーのわたしが『はじまち』にログインして最初にやることは、だいたい決まっている。

 ひとつは、ステータスを上げること。もうひとつは、新しい従魔を得ることだ。


「ミルク、、行くよ」


 ミルクとふたり、宿を出た。


 

 ゲームの最初期、プレイヤーとNPCが協力し『ワールド・ストーリー』の導きのもと作られたという組織。旅人に短期の仕事を紹介したり、案内人になったり、時には欲しいものを取り寄せてくれたりする。

 それが旅人ギルドである。

 

 わたしたちが今滞在しているのは小さな町だが、そこにもきちんとギルドは存在した。

 4時も過ぎればこの町の人達は起き始める。日の出前に起きて、日の出と共に仕事を始めるのだ。

 わたしもそれに倣うとしよう。


「おはようございまーす」


 からからとベルの音を鳴らす扉を押し開く。

 広さの割に人気ひとけはなく、クエストシートの貼られるボードがほとんど見えていることから、その理由が伺えた。

 この町には旅人向けの仕事が少ない。

 わたしも『パーソナル・ストーリー』に導かれなければ、ここを訪れようとは思わなかっただろう。


「他のプレイヤーも、たぶんいないし……」

『呑気な町だわ』

「……うん。平和でいいとこ」

 

 歩く度に床が軋み、壁にはいくつか修復の追いついていない隙間が見受けられる。ネズミくらいなら簡単に通り抜けられるだろう。

 受付カウンターの前で少し待ってみても、誰かが出てくる気配はない。


居眠りでもしているんでしょう。ヒナ、やっちゃいなさいな』

「やっちゃうかぁ……」


 ミルクの許しも出たことだし、とわたしは大きく息を吸い込み、ミルクは耳をペタリと伏せた。

 

「おはよう、ご、ざ、い、まーす!」

「……ぅえ!?」


 お腹の底から声を張って呼びかけると、いかにも関係者以外立ち入り禁止な扉から、人の声と何かが崩れるような音がする。

 しばらく物音が続き、蹴破るような勢いでその扉が開いた。


「た、大変お待たせ致しました本日のご要件はっ!?」

「おはようございます、カーティスさん。……寝癖着いてますよ」

「……な、なぁんだ。ヒナさんとミルクちゃんでしたか」

『相変わらず馴れ馴れしい男ね……』


 現れた若い男性は、ズレたメガネを直し手櫛で寝癖を整え、それから焦って損をしたと言わんばかりに、安堵のため息をついた。

 カーティス・バレット。この小さな町、リントルにある旅人ギルドの、たったふたりの職員の片割れだ。

 

 ちなみに旅人ギルドは24時間営業で、休業にするときは12時間以上前に告知が――これはゲームシステム上の話だが――必要になる。

 つまり、今は疑いようもなく営業時間だ。


「わたし、怒った方がいいですか?」

『ついでに、わたくしの呼び方も直させなさい』


 きちんと仕事をしていないのも、人の顔を見て態度を変えるのも、常識的に考えると良くないことである。

 ただし全く腹が立たないのは、彼の憎めない性格故か。


 ちなみにミルクは大陸共通語――このゲームにおける共通言語――を話るわけではない。したがって、【念話テレパス】を使っただけの彼女の言葉は、今わたしにしか聞こえない。

 猫が好きでミルクを気に入っているのに、とうの本猫に原因もわからぬまま避けられているのも、憎めないポイントである。

 

「どうしてですっ? ついにヒナさんにも、呆れられちゃいました……?」

「別に、そんなことは……というか、ついにもなにも出会って1週間ですし……」


 わたしがこの町に来てから、1週間とちょっと。

 到着して真っ先にギルドを訪れ、カーティスさんとはそこからの付き合いだ。とっても浅い。

 ちなみに、訪れるたび大声で叩き起している。


 あの言い様では、カーティスさんのだらしなさに付き合えなくなった人間が一定数いるのだろう。

 さもありなん。


「とっ、ところで! 本日はどうなさいました? お仕事をお探しですか?」

『……話を逸らしたわね。この男はほんっとーに――』

「ミルク、いい子だから」

 

 だんだんヒートアップしていくミルクをうりうり撫でてやって、機嫌を取る。お姫様は撫でられるのが好きらしく、こうするとイライラが収まっていくのが目に見えてわかる。

 ふわふわであったかくて、とても可愛い。


 気を取り直して、要件を告げた。

 

「今日は草原地帯に出ようと思ってるんです。それで、従魔に向いた魔物について知りたくて」

「なるほど、かしこまりました! 少々お待ちくださいねっ」


 ぱっと表情を明るくしたカーティスさんは奥の部屋へ駆け込み、扉を建物が揺れる勢いで閉じる。

 わたしはあの古ぼけた蝶番が、いつ壊れるのか気が気じゃない。

 紙のような何かが崩れる音、固いものを落とした音、明らかなカーティスさんの悲鳴まで聞こえてきて、扉の向こうの荒れた様子が簡単に推測できた。


 再び蹴破る勢いで扉が開いて、カーティスさんが飛び出てくる。

 ……たぶん、ちょっとだけバキッて音がした。


「お待たせ致しました! こちらがリントル周辺の草原地帯に生息する魔物のリスト、それから気性の穏やかな魔物、知性の高い魔物についてまとめた図鑑になります。この辺りは雨が降ると強くなる魔物が多いので、天候には十分気を付けてくださいね」


 そう一気に言い切ってにこりと笑い、手に持った全てをわたしに押し付ける。

 それから仕事は終わったと言わんばかりにミルクに構いだした。……嫌がられている。


 これがカーティスさんクオリティ。

 他所のギルドなら、生息する魔物のうち該当するものをリストアップするところまでやってくれるのだが、それは期待のし過ぎと言うものだろう。


「……ありがとうございます。これって、持ち出してもいいやつですか?」

「後で返却してもらえるなら、たぶんだいじょぶです! 原本は資料室にありますし、他に誰も使いませんし、ね!」

「たぶん……それは、図鑑の方も?」

「あっ、そっちはですね、誰かの忘れ物、なんですよ。一年以上経っても、誰も、取りに来なかったので、貰っちゃっても、だいじょぶです!」


 ミルクに触ろうと手を伸ばし逃げられ、今度は観察しようとして隠れられ、ついに鬼ごっこに発展したふたりのやり取りを眺めつつ、全部まとめてアイテムバッグに仕舞い込んだ。

 ちゃんとしたギルドなら情報料と言うシステムがあるし、そうでなくともツッコミどころが多すぎるけれど、職員カーティスさんが大丈夫だと言うなら気にしても無駄だろう。


『ヒナ、この男しつこいわ。なんとかして!』

「あぁ、カーティスさん。ミルクも疲れちゃったみたいなので、その辺で……」

「うっ、そうですね。嫌われちゃ、元も子もありませんもんねっ」


 血涙を流しそうな勢いで悲しむカーティスさんに、既に嫌われている可能性を口にできるほど、残酷にはなれなかった。

 

 日が暮れる前に借りたものを返しに来る約束をして、早朝から働く町の門番さんに挨拶をして、わたしとミルクは草原地帯へ足を踏み入れた。

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