第1話 妖怪の日常

 妖怪。それは日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在。


 のっぺらぼうやろくろ首、雪女など、色々な妖怪が日本より古来から人々によって伝えられてきた。あるときは恐ろしく、あるときは面白おかしく。


 だが、時代は変わった。科学というものが発展し、妖怪のせいであるとされてきた現象が科学的に証明されていった。


 証明されないものは「妄想」だと決めつけられ、いつしか妖怪は……語られなくなった。


 妖怪は、語られなければ朽ちていく。中には抗おうとした者もいたが、時代の流れには逆らえなかった。人々の記憶から薄れ、消えて、その名前すらも、もう思い出すことが出来ない。


 朽ちていくとは、そういうことだ。泣きながら、叫びながら、消えたくないと懇願しながら、消えていった妖怪を何人も見た。……もう、顔も思い出せないが。


 大切な人も、仲の良かった人も、隣に住んでいた人も……みんな、消えていく。記憶記録と共に。


 妖怪たちは、いつか消えるかも知れない……そのいつかに怯えて、日々を生きていくしかなかった。


「わたしね!いつか、なみくんのお嫁さんになる!」

「僕も、大きくなったら――――ちゃんと結婚する!」


 小さい頃に、大きな木の下で約束した微かな記憶。顔も名前も思い出せない子とした約束だけが俺の中に残っている。あれは……誰だっただろうか?


「お前も大きくなれば分かる。時代の流れや、運命というものを……」

さざなみが大きくなった姿、おばあちゃん達も見たかったねぇ……」


 涙でぼやけたおぼろげな記憶。屋敷の縁側で、今にも消えそうな身体を寄せ合って微笑んでいた記憶の中の祖父母の顔は黒く塗りつぶされており、覚えているのは弱々しく握られた手の温かさだけ。


 どんな顔で、どんな妖怪だったか……もう思い出すことも、出来ない。


さざなみは大きくなったら、サッカー選手になるんだよな!?」

「もう、あなたったら……さざなみは普通に生きて、普通に会社に就職するのが良いですよ」

「何!?男に生まれたからにゃぁビッグな男に……!」

「アホなこと言ってないで食器出して下さいな、ご飯よ」


 セピア色に染まった古めかしい記憶。家の中で、仲良く食卓を囲んで楽しく会話している両親の記憶……今にも消えてしまいそうなその笑顔を、俺はいつまで覚えていられるだろうか?


 俺の記憶は穴だらけだ。誰かに優しくされた思い出も、誰かと一緒に遊んだ思い出も、誰かと恋をした思い出も。消える、消えていく、消えている……


 俺、童子どうじさざなみは誰からも残らないであろう自分の人生の意味を……探していた。


「お父さん、お母さん。俺、16歳になったで」


 俺は仏壇の前で手を合わせる。仏壇の前に置かれている写真立てには『何も映っていない風景に、赤ちゃんの俺が浮いている写真』が入っていた。


 正確には、『父親と俺を抱きかかえている母親の写真』だったのだが……時間が経つと共に薄くなり消えていったのだ。


 俺はその写真を見ながら、必死に両親の顔を思い出し誕生日を迎えたことを報告する。


「年々、身体から何かが抜けていってる気がするわ。俺もそろそろ、そっちに行くかも……なんて、まだまだ先の話かな」


 俺は自嘲しながらそう言う。妖怪が遠い昔に異常な現象を引き起こせる不可思議な力を持っていたのは、この抜け落ちていく『何か』を多く体内に保有していたからだと小さい頃に教わった。


 その『何か』は妖怪の間では霊力と呼ばれ、妖怪が異常現象を引き起こす為の力であるのと同時に、妖怪が生きていくのに必須な生命力として考えられている。


 しかし、その霊力という力を妖怪が得るためには……語られ、恐れられ、敬われなければならない。そのために妖怪はその力を存分に使い、自身の存在を誇示し続けなければならなかった。


「そうそう、そろそろリニアモーターカーが走るんやってさ。東京と大阪間が1時間やぜ?科学の力ってすげーよなぁ……妖怪最速の鞍馬くらま天狗も形無しだって、鞍馬のおっちゃんが言ってたわ」


 そんな時、科学の進歩というのが妖怪に対して最大の障壁となってしまった。


 元々妖怪という存在が生まれたこと自体が、人々の思い込みによるもの。分からない、不思議だ……そういった現象を「妖怪のせいである」と結論づけた昔の人達の思い込みによって、俺たち妖怪は生まれたのだ。


 しかし人間達にとって、科学が発展した今……妖怪はもう要らない。何でも科学が不思議を証明していってしまう。

 霊力とは、人々の思い込みの力。人々が「妖怪はいる!」と思い、恐れ、語ることでその思い込みの力は強まる。


 そして逆に、人々が妖怪を必要としなくなった今。俺たち妖怪は霊力を失いその力を行使するどころか、ながい時を生きることすら……出来なくなっていた。


「今はもう、マンガやアニメでおもしろおかしく描かれている有名な妖怪しか生き残っておらへんよ。鬼とか、天狗とか……そうそう。最近、日本で鬼を殺すマンガが流行ってさ、ちょっと俺の『霊力』が増えてんよ。鬼を殺す内容で、鬼が力を得るだなんて皮肉な話やねぇ……」


 俺も面白いから買っちゃったんだけどね、と俺は仏壇に笑いかける。こんな死者を弔おうとする時間が、俺にはあとどれぐらい残されているんだろうな……?


「じゃあ学校行ってくるわ。今夜はお父さんが好きだった肉じゃがにするよ……お母さんほど、美味くは無いけどな」


 俺はそういって立ち上がる。ふと家の窓から景色を見れば、ビルや電線が立ち並んでいる普通の光景……科学が発展し、俺たち妖怪が要らなくなった『普通の光景』が広がっていた。

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