§5

 岡場所のある北品川から南へ。鈴ヶ森刑場へと戻ることにした。

 すっかり道も暗いし辻斬りも出そうだったが、苛つくオレには犬も寄ってこねえ。

 あの場違いな茶店に着くと店じまい中だった。なんだか醤油と砂糖を煮詰めた良い匂いが立ちこめていて、苛立った空きっ腹にしみる。

「あれ、ノベさんおかえり。なんや、怒ってはる?」

「モミ! 情報売る相手はもっとまともな客にしやがれ!」

「ちょ、ちょっとまちいな。覚えのないことで怒るのん、やめてんか」

 オレのガキみてえなムシャクシャを当てられたモミは珍しく慌てた。そしてオレが順を追って顛末を説明してやると、調子を取り戻したのかニヤニヤといつも通り笑いだす。

「へえ。つまり好きモンの連れ合いに妬いた外野が、身の程も知らんと手え出そうとしらはったってこと? しかも潔癖のノベさんをけしかけて」

 ムカつきが止まらないオレは黙って肯定するしかない。口を開けば怒鳴りそうだったから。

「あははぁ! おもろ!」

「オレは面白くえ!」

「まあまあ! な? ノベさん。ちょいお店あがろ? 伏見から、いーいお酒届いてはるの。ハゼをお醤油しょゆで煮たんもあるの。初仕事お疲れさんってコトでごちそうするから、な?」

「オレは義理で報告に来ただけだ。じゃあな!」

 正直、ハゼの煮物も酒も心が惹かれる。だけど今は「はいそうですか」と素直になれねえ。

 この三日間タダ働きでアガリは無し。手付金まで返しちまった。

 ああ情けねえ。仕事をあてがわれた上に借金までチャラにされた。今度はタダ飯まで食わされようとしてる。

 オレはヒモじゃねえんだ!

「ちょおノベさん! せっかく用意して待ってたんよ! 待ちいな!」

「気分じゃねえ」

「なー! 今回はウチの引っ張ってきた仕事が悪かっただけやん。このとーり、赦してぇな」

「別にオメーに怒っちゃいねえ」

「だったら、次のお仕事が上手くいくよう一杯やろうやん。な?」

「静かにしろ、モミ」

「黙れってこと? そこまでヘソ曲げんでもええやん!」

「違え。辻の向こうから何かくる」

 鈴ヶ森の木々がザワザワと騒ぎ、宵闇に塗りつぶされた辻から冷気が押し寄せてくる。そして青白くぼやけた三男坊がこちらへ空中を滑るようにやってきていた。

「殺す! 殺す殺す! わたしに恥を掻かせたな! 卑怯者だと罵ったな! 無宿者の素浪人が! このわたしを愚弄したなァ!!」

 あの野郎、また生き霊になったらしい。

 だけど今度は殺意と怨嗟が明瞭だ。オレのことを心底怨んでる。やれば出来るじゃねえか。

「うわめっさ怒らはってる! なにしたのノベさん!」

「モミ。オメエは下がってろ」

 オレはため息をついて刀に手をかけた。 

「殊勝だなぁ田舎侍ぃ! お前に取り憑いたら、お前の手でその女を嬲り殺してやる!」

 生き霊は正面から突っ込んでくる。オレには霊魂を斬れねえとふんでそうするのだろう。

 何でもかんでも浅慮なヤツだ。

 取り憑かれる寸前に体を左へずらし、最短距離で抜刀する。

 そして白刃を生き霊の右肩口に叩きつけた。

 絶叫が轟き、生き霊は地面に転がって悶絶を始める。そして切り落とされた腕は青白いチリとなって鈴ヶ森の木々へ吸い込まれていった。

「いだぁぁぁい! 痛い痛い痛い! うで、うでが、ぁ」

「人を呪わば、ってな」

「な、なんで。なんで斬れる! お前ニンゲンだろう! わたしは霊なんだぞ!」

「色々見えると面倒なバケモンに絡まれるコトが多くてな」

 刀を翻し、刃の根元——家紋の代わりに梵字が刻まれたはばきを見せてやる。

「真言で強化エンチャントしてんだよ。じゃねえと不用心だろ」

 そう伝えた瞬間、三男坊の顔がようやく賢くなった。理解したって感じだ。

 だけどもう遅え。

「畜生道からやり直しな」

 頭頂から唐竹割りに一撃。もはや断末魔もあげることなく三男坊の生き霊は霧散した。

 血も付いてねえのに刀を振り、懐紙を取りだして拭う。

 そういやこの懐紙は三男坊にもらったヤツだったな。

 懐紙を風のせて放り捨てたところで、オレはようやく清々した気持ちになった。

「あー、終わらはった? の?」

 モミが路地裏から伺うようにして出てくる。

「ああ」

「あらあら。あの子の霊魂、ぜーんぶ鈴ヶ森に喰われはったねえ」

「別に。清々するだろ」

「ま、ああいう手合いは残しておくとまたやるかぁ」

「カネ、毟れなくなったけどな」

「うん?」

「仕事だったろ。忘れたのか」

「ああ、怒ってはるのはそういうこと? ウチは笑かしてもろたし、気にせえへんけどねえ」

「結局オレだけタダ働きかよ!」

 モミがコロコロと笑いだす。

 その様子を見てオレは落ち着いてしまった。

 よく考えればオレが紗綾たちを見極めたおかげで、胸くそ悪いことにならず済んだ。

 それでいいじゃねえか。

「やっぱりノベさんは信用できるわあ! 現場の対応力ダンチやもん! この仕事ビジネス絶対うまくいく! 今回は思いつきやったけど、次からウチも情報収集しっかりするやん!」

 モミはがぜんやる気だ。こうなったらコイツは抜け目がない。

 ハゼの煮付けの香りも鮮明に感じられるようになった。つまりオレはもうモミの雰囲気に呑まれちまって、気が抜けたというコトだ。

 久しぶりに美味い肴にありつけそうだ。

                                         了

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