§4
「嫌です! もう門限が!」
頬を朱くした主馬が
しかし紗綾って娘も何の弱みを握られているのかサッパリ見えねえ。それまで好いていたヤツから離れて、あんなクズと一緒にいるなんて相当な弱みなハズだ。
まぁ和紙問屋の三男坊も穀潰しのクズだったか。そういう男が好みか?
廃寺の本堂の扉が開かれ、主馬は紗綾をズルズルと暗闇へ引き込んでいく。
「来いよ紗綾! カマトトぶりやがって!」
「いやっ! やめて!」
紗綾は主馬の腕を殴って踏ん張るが、その強情さが気にくわない主馬は手をあげた。
平手が頬を打って紗綾が短く叫びくずおれたのを見て、流石にオレは飛び出しそうになる。
ここで出て行っちゃならねえ。
我慢ならねえが、もっと決定的なところで詰めねえと言い逃れされちまう。
「お前はオレのモノなんだぞ紗綾。大人しく可愛がられてりゃ良いんだよ」
そして紗綾はそれ以上抵抗せず、暗く虚しい本堂へ呑まれていった。
持て余した若えヤツが人気の無いところでおっぱじめるコトなんてわかりきってる。だからこの後聞こえてくるであろう音はある程度予想がついていたハズだった。
だが腰帯をほどく音も聞こえなければ、主馬が上げる下卑た声も聞こえてこない。そしてそのうち、絞り出す声のようなものが漏れてくる。
怪訝に思ったオレは本堂へと近づいていき、障子の穴から中をのぞき見た。
そして暗がりで蠢く二人の様子がおかしいことに気づく。
二つの人影のうち片方は床に組み伏せられている。そして紗綾のか細い悲鳴のような、あえぐ呼吸音が聞こえてきた。
「やめっ、や、め。……げぇ……っ」
空気を飲み込もうとする喉の音が響く。だが主馬の大きな手が紗綾の細い喉を潰す。
息を吸えない紗綾は、自分の首を絞める男の眼を見つめながら空気を求めてもがく。そして力が抜けていく瀬戸際の姿を見て、主馬は興奮していた。
その様子を見た刹那、オレの頭の中から手順が吹き飛んだ。
朽ちた扉を蹴破って突入し、刀を引き抜く。そして斬りつけるつもりで飛び出す。
扉を破壊した瞬間、主馬と紗綾は驚いた。そして意外なことに、主馬は紗綾を自分の後ろに庇ってオレに相対してきた。
「な、なんだお前は!」
主馬は商人。当然武装はしていない。なのに刀をチラつかせているオレに対して、下手な士分よりも堂々としてやがる。そして主馬に虐待されていた紗綾はそのやり取りを静かに眺めていた。
なんだコイツらは。
「女を手籠めにしやがる現場見て踏み込んだ。ふてえ野郎め」
「手籠め? そりゃ誤解だ! いや、誤解じゃない、か?」
「何つべこべ言ってやがる。そこの娘! こっち来い。もうソイツに付き合わなくて良い」
オレのその言葉に、成り行きを見守っていた紗綾の眼がかすかに驚いた。
「なぜです?」
「なぜ? アンタ、嫌々ソイツと付き合ってたんだろ?」
「いえ? 誰がそんなコトを?」
オレは紗綾の言葉に耳を疑った。
嫌じゃない?
無理矢理だった関係がさらに進んで、そう歪まされた?
そうやってオレが混乱している数瞬に、主馬の眼が期待に満ちたものに変わった。
「紗綾! 嫌じゃないってことか!? やっと認めてくれたのか!?」
背後に庇う紗綾を振り返って確かめる主馬だったが、紗綾の眼が据わるのを見て狼狽える。
紗綾はいつの間にかその右手に握った銀細工の鎖を思いっきり引くと、鎖のつながれた先にある主馬の首輪が絞まった。
首に強い衝撃を受けた主馬は声が詰まり、咳き込んだ。
「ゲホッ! ご、ごめん、紗綾。調子にのった」
「敬語、忘れてる。もう遊びは終わり。興が削がれた」
「ごめんなさい、紗綾、さん」
先ほどまでとは打って変わった光景を見させられるオレは唖然とするしかなかった。
「興が削がれたってなんだよ」
オレは間抜けに、このひ弱そうだが鬼のような眼を向けてくる娘に尋ねた。
「今日はこの哀れな
「は?」
「いつも厳しいしつけをしているのですが、しつけばかりでは心が離れるばかり。それに私もたまには
「だけど良かったわ、主馬。次の機会にはさらにケダモノっぽく振る舞いなさい」
腕っ節でどうにでもできそうな女にそう評されて、主馬は恭しく頭を垂れ喜んでいる。服従を見せる主馬の様子を眺めつつ紗綾は、紅い唇を満足そうに歪めていた。
***
翌日。
オレは和紙問屋に報告するため品川の岡場所までやってきた。問屋で聞いても「出かけた」の一点張りで埒が明かないからだ。
朝から夜まで丸一日、岡場所の出入り口を張ってようやく見たことのある背格好の男を見つけることができた。ほろ酔いでフラフラしてやがる。女を寝取られた男にゃ見えねえ。
「オイ」
「あれ、お侍さま。これはこれは、無体な姿をお見せして大変失礼しました」
和紙問屋の三男坊はご機嫌な様子だった。そりゃそうだ。テメェで稼いでないカネで丸一日、白昼から今の時分まで獣じみたコトに耽っていたんだろう。
「テメェ、オレに嘘ついたな?」
オレが据わった目のままで問い詰めだした瞬間、三男坊の火照った顔が青くなった。
「なんのことです、か」
「シラ切るつもりかよ。紗綾に聞いたぜ。テメェとはなんの関わりもないってな!」
「そ、そんな。紗綾は混乱しているんです! あるいは唐物屋の報復に怯えてるんです!」
「むしろ唐物屋のガキは紗綾の尻に敷かれてるみてえだったがな。ヤツらの火遊びをとっくりと拝ませて貰ったあと、オメーこそが紗綾に
「動揺している女の妄言を信じるのですか!」
「紗綾の眼は動揺してるって風じゃなかったぜ。よほど今のテメェのほうが眼が泳いでんぞ」
三男坊は「ぐぅう」とか唸り始める。酒で頭が回らない上に、もともと浅慮なんだろう。オレの報告に被せて、嘘を上塗りすることもできねぇらしい。
「う、嘘だ! 紗綾はそんな不貞な女じゃない! さ、紗綾がいい女だから、アンタが奪いたくて作り話をしているんだろう!」
刀の
三男坊は引きつった顔に変わり、息を呑む。
「オイ。オレは嘘も
怒気に当てられぶるぶると震える三男坊の足元で、何かがチョロチョロと滴りだした。
腰抜けめ。
「もう紗綾に近づくんじゃねえ。紗綾にはオレの連絡先を教えてある。あのガタイだけの御曹司と違って、オレはすぐキレるぞ。生き霊のクセに他力本願で、その上卑怯な害をばらまくヤツは許さねえからな!」
三男坊は鼻水とべそまでかきだした。もう付き合ってられねえよ。
オレは懐から手付金を引き出し、三男坊に叩きつけ返してやった。
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