§3

 御殿山はちょっと登れば目の前がひらけて、品川のみなとを一望できる。そして登り疲れた体を毛せんの上に転がせば、満開の桜が顔を覗き込んでくるってワケだ。

 なるほど桜がよく咲いてる。若い娘がきゃあきゃあはしゃぎ、非番の士分が仲間と一緒に重箱を持ち込んで花見酒としゃれ込んでる。景気が良いな。

 盛況なのは結構だが、人捜しには困る。相手の人相風体は聞いちゃいるが人混みに紛れるとそんなものは意味を成さないモンだ。

「ひとが たくさん ひとが たくさん わあわあ きゃあきゃあ」

 頭の悪そうな口上が聞こえてきた。

 どこだと思ってあたりを見渡すと、目の前の桜に木霊が座っていた。手も足も無い木工細工の卵みてえな姿に、知恵を感じない一ツ目がぎょろぎょろしている。

「おいお前」

 人目を気にしつつ木霊に声をかける。

 木の上からニンゲンを観察しているんだから、何か見ているかもしれない。

「ぼく? ぼく?」

「そうだ。ちょいと聞きてえことがある」

「ちょいと? ちょいと? ききてえこと? ききてえこと?」

 しまった。

 コイツ、若い木霊だから語彙が少ない。だからオレのくだけた言葉が分からない。

「あー、教えて欲しいことがある」

「おしえる おしえる なに?」

「ニンゲンのつがいを見なかったか?」

「たくさん いるよ みんな ほほ あかくして もじもじ」

「そのもじもじしてるヤツらの中に背が高くてキラキラしてる男と、大人しそうな若い女いなかったか」

「いた こえが おおきい おばな はずかしそうな めばな いっしょ」

「そいつらどこにいった」

「あっち うみの みえるほう」

「そうか、ありがとよ」

「ありがとう うれしい ぼく ひとと はなした はなせた」

 モミいわく、知性が初等の妖魅は会話が嬉しいらしい。そうして知性を鍛えていくんだとか。そして言葉で気を惹き、悪さやニンゲンへの助言をするようになる。

「あれか?」

 品川湊を見下ろせるところをゆっくりと、若い男女の連れ合いが横切っている。男の方は袖口から見える浅黒い肌の腕に、引き締まった筋肉が見える。あの様子だと日頃から鍛えてるか、純粋に働き者かのどちらかだな。

 着物のあちこちから銀細工の飾りをチラチラとさせているが、首に付けてるあの鎖はなんだ? 唐物屋の御曹司らしいが、ずいぶんかぶいてやがる。

 そいつの手は右隣を歩く女の細い腰を掴み、自分のほうへ引き寄せている。女は海苔問屋の一人娘だ。間違いない。

 伏し目がちで、赤い紅を引いた唇を固く結ぶ様子は過剰な接触に耐えているように見えた。

紗綾さやよぉ。見ろよ。桜もいいが、湊をいく船を眺めるのもオツだぞ」

「は、はい。主馬かずまさま」

 主馬の手つきは眺めているオレはもちろん、周りを行き来する他の客から見ても酷かった。人目もはばからず女の体をベタベタ触りやがって。

 ひがんでるわけじゃない。そういうただれたことは人目のつかないところでやれ。高台から眺める品川湊をオツと感じられる感性があるんなら分別つくだろ。

「紗綾どうした? 顔が赤いじゃん」

「あの、お願いです。お手を、その」

「ハッキリ言えよ。言わないと俺は分からねーよ」

「で、ですから、その、腰から、離してはいただけませんか」

 紗綾の抗議は意味が無かった。主馬はそれからも紗綾のことを見世物のように扱い、下劣で無体な様子をこれ見よがしに繰り返す。

 あの様子を見るに紗綾は抵抗するのが怖いのかもしれん。主馬は身長が高い上に筋肉もある。ああいう手合いは二人っきりでいると豹変しやがるもんだ。もしかすると体の見えないところを痛めつけられているかもしれねえ。

 クズを目の前で拝まされたオレは反吐が出そうだったが、お天道様が見ているうちに荒事はしたくねえ。

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