シン視点  1 ナツと出会って 1



 僕は高校を卒業後、名古屋にある自動車関連の会社に就職した。


入社後の一か月は研修期間でコンサルの先生の指導のもと、様々な課題をこなしていった。


 研修期間中は入社同期の男性の中で僕のように地方から出てきた者は、研修棟の大きな部屋で布団を敷いて共同生活を行った。


地元出身の男性や女性は一日の研修が終わると自宅に戻っていく。


 女性は全員地元採用だった。


 その研修中に同じ高校を出た先輩が僕と同級生の松山君を訪ねてきてくれた。


 オサ先輩だ。田舎にいるころはオサさんと呼んでいた。


オサさんは同期のヒガシさんを連れてきていた。


 オサさんが後輩に会いに行くというので付いて来たみたいだ。


「シン、よく来たな、わからんことがあったら何でも聞け」と言ってくれた。


 「ここの会社の人は皆いい人ばかりだから心配するな」とも言ってくれた。 

 

 高校生の時はそんなに親しいわけではなかったが、遠く離れた地で同郷の先輩が声をかけてくれるというのは本当にうれしいことだ。


 研修が終わるとその研修結果をもとに配属先が決定される。


配属先が決まると次は寮に入ることになる。

 

 どのように選ばれるのかはわからなかったが僕が入る部屋には四十代の先輩が入っているという。


 二人で一部屋だった。


部屋が決まった時にその部屋にビールをもって挨拶に行った。


紀南きなみと申します。よろしくお願いします」


今ではあまり見かけないが白の肌着に白のステテコをはいておられた。

 

田舎のおやじを見ているようなそんな姿だった。


その人はあいさつに訪れたことを非常に喜んでくれた。


 「紀南君か。よろしくお願いします。大堀と言います。わざわざビールなんか持ってきてもらって悪いね。でもありがたく頂戴するよ。ありがとう。 紀南君。この部屋は他の部屋にはないものがあるんだ。なんだと思う」 


「すみません、わかりません」


「エアコンなんだ。 この部屋にはエアコンが付いている。これは僕がつけたものだけど君は礼儀正しい人だ。 だから使用を認めよう」


 そう言ってくれた。 


実際そのことにより僕は夏であっても快適に睡眠をとることができた。


他の部屋にはエアコンがなかったのだ。


 もう一つ特典があった。


 その同室の大堀先輩とは同じ課でありながら、班が違ったために出会うことはあまりなかった。僕は三交代の部署に配属になった。

 

 ほとんど一人部屋の状態だった。 


だからマスターベーションは特に気にすることなくできた。


部屋の鍵はなかったが、かなり年上の先輩の住む部屋にはあまり人は訪れない。


 他の部屋の人たちは誰かに見られたり見つかったりしたようだ。 


皆するとわかっていても実際に見つかると恥ずかしい。


 田舎にいた頃は夏の暑さも眠れないほどではなくひと夏に二日か三日ほど寝苦しい夜があるくらいで扇風機で事足りていた。


エアコンが付いている家なんてほとんどなかったと思う。


 しかしここは田舎とは暑さ涼しさの割合が逆の気温だった。 


エアコン無しでも眠れる日なんて記憶にないくらい蒸し暑かった。


 エアコン様様だった。


 初めて配属先に行くときにはヒガシさんという一つ上の先輩が玄関で僕を待っていてくれた。


研修期間中に訪ねてきてくれた人だ。


「シン!待ってたぞ」「はい」


「俺と同じ職場やから一緒に行くぞ」「はい。よろしくお願いします」


 僕の田舎出身の先輩オサさんからシンが行くからあんじょうしてあげてと聞いていたらしい。


「シン、オサから話は聞いてるぞ。よろしくな」 


「はい。よろしくお願いします」 


「しかしお前かわいいな」


「ヒガシさんやめてください。もう働いてるんですからかわいいとは言われたくないですよ」 


「そうか。わかった。とりあえず今日仕事終わったらオサも一緒に三人で飯食いに行くからな」 


「はい。ありがとうございます」


 ヒガシさんにもオサさんにも公私ともにすごくお世話になった。


配属先で課長があいさつしてくれた。


「紀南君、今日からここの一員になる。とにかく怪我はしないように気を付けてください」「はい」


「また仕事はここにいる内山田さんが教えてくれるからね」


「はい。紀南です。よろしくお願いします」 「よろしく」


割と寡黙な感じの人だったが慣れてくるといろんな話をしてくれた。


そして気にかけてくれた。


この会社というかこの地方の人は新しく来た人に対してはかなりよそよそしい。


僕に対して話しかけるという事もあまりなくそれが三か月くらい続いた。


 それがある日突然、垣根がなくなったようなすごく親しみを持って接してくれるようになった。


 内山田さんが僕に昨日までとは打って変わって親しく話始めると、同じ班のおじさん達が俺も俺もと話しかけてくるのだ。


昨日までのこの職場の人たちはいったい何だったのだろうと思っていた。


この職場にいる間にいろんな現象を見てきたが新しくやってきた人への親しさが昨日と今日ではっきりと変わったのを目の当たりにした事は何度もある。


他には前日に九州から出てきた人が三日後には名古屋弁を話していたりだとか、何年経っても方言が抜けなかった人などがいた。


何が違うのだろう。よくわからないけれど面白いなと思っていた。


その工場だけで三百人以上の人が働いていた。


食堂で出会う人には片っ端からあいさつをした。


結構戸惑いながらもあいさつは返してもらえた。


 あいさつを続けることで話したこともない人や記憶にない人から声を掛けられることもある。


なじんでくると本当に居心地の良い職場だった。


 周りの人の話では内山田君も難しい人やからなという話だったが打ち解けてみると全然そんなことは無くてすごく気を使ってくれる優しい人だった。


 仕事が終わりお風呂に行くとヒガシさんがいて「シン、ちんちん見せてみろ」と言われたので「ハイ」っと見せると、「まあまあやな」と言われた。


「なんかあるんですか」って聞いたら、「見せろと言われてみせる奴とそうでないやつがいる。俺は見せるやつは信用するけど隠すのはあまり信用しないんや」


「そうなんですか。よくわからないですね」


「まあお前はちゃんとむけてるし合格や」 


「ありがとうございます。ヒガシさんそっちの人やないですよね?」 


「あほっ。そんな訳ないやろ。シン。お前けっこう言い返してくるな。 面白いな」


「ありがとうございます」


 またある時は体を洗って湯船に入るまでの数メートルの距離を僕のチンチン

をジーッと見つめていることがあった。


「ヒガシさん。あきませんわ。顔が恥ずかしそうな顔になってる。これがもっとにらみつけるような感じやったら僕も警戒しちゃいますけどね」


 「シン。お前は鋭いな。俺もほんまは恥ずかしいのや。でも今度他の人にもしてみよう」


「ヒガシさんそれはやめといた方が良いですよ。冗談に思ってくれたらいいですけどそうでなかったらえらいことになりますよ」


「そうかなぁ。さあそろそろ部屋に帰って着替えていくぞ。三十分後に玄関に集合や」 


「はい。お願いします」


 着替えて玄関に行くとヒガシさんとオサさんが待っていた。 


「よし行くぞ」ヒガシさんのプレリュードに乗せてもらってココイチに向かった。


 外でカレーを食べるのは初めてだったし専門のカレー屋さんがあること自体初めて知った。


「シン。何食べてもええぞ」とオサさんが言った。


 「そうや、今日はオサのおごりやから」 


 僕はエビフライカレーを注文した。一辛で。それでもなかなか辛かった。でもおいしい。


「オサさんごちそうさまでした」「おう。また連れて行ったるからな」 


「ありがとうございます」


 「シンはな。俺がこの会社に来いって言ってあったんや。ほんまに来るとは思わんかったけどな」


「はい。声をかけてもらいましたね」


「覚えてたんや」


「はい。でもこうやってオサさんだけやなくてヒガシさんとも仲良くなれてうれしいですよ。」


「そうか。今度どっか遊びに行こうや」


 「はい」 簡単な歓迎会だったがその気遣いがうれしかった。


オサさんは僕の一つ年上なだけなのに髪の毛が結構減ってきていた。


 その事をヒガシさんにいじられたりしていたが気にしているようではあったけれど無いなら無いで仕方がないと口癖のように言っていた。


仕事自体は順調になれてきていた。


ただ夏の気配がする頃になると名古屋の暑さには本当に体が参ってしまった。


 暑いだけならまだましだが湿気が非常にひどかった。


職場では夏場は汗にまみれて仕事をする。 


 その職場にはドライヤーと呼ばれる大きな倉庫のような乾燥炉があり時々その中で品物が詰まってしまう。


でもその乾燥炉の中は非常に暑いが湿気は全くなかったので意外と過ごしやすかった。


 体を濡らす汗が逆に乾燥していた。


もう一つは鼻毛だ。


粉状のほこりが多く舞う現場なので鼻毛の延びるスピードが格段に上がった。


 気が付くとはみ出すほどになっているときもある。


人は環境に適応できるようになっているのだと思った。


 こんな適応はしたくなかったけれど。


この職場にいることで初めて鼻毛を切るはさみがあると知った。


三か月もすると仕事にも慣れてそれなりの意見も言えるようになってくる。

 

 会社としては従業員のどんな小さなアイデアも吸い上げてコスト削減につなげられるような対策や改善案を常に求めている状況だった。


提案書を一通書くごとに五百円の図書券がもらえた。


 僕も張り切って何度か提案書を書いた。 


 その提案書は課長が計算して紀南君の提案を実行すると年間一千万円以上の金額を節約できる。


そんな風にコメントしてくれていた。 


 会社にはQCサークルという品質改善のサークルが班ごとにあり半年に一度皆の前でそれを発表することになっていた。

 

その発表のテーマに僕の提案が選ばれた。 


 そのトラブルが発生すると製品として積み上げたパレットの中からそのNG品を抜き出す必要がある。


それは早出か残業で作業をする。 それを誰もやりたがらないのだ。 


 僕の提案はトラブルを防止するための作業もネジを数本緩めて違う場所に付け替えるだけという非常に単純で簡単な事だった。 


このラインが出来てから数十年間誰も思いつかなかった事だが効果は絶大だった。


NG品の混入が0になった。


僕は図書券500円分を一枚もらっただけだったが皆から褒められてうれしかった。


 またこの会社に入って受けた研修でこのような想像することで先の事を予測すると言うことが意外と僕の考え方に大きく影響を与えていたのだと思うと、なんだかすごい先生だったのだと思った。


その提案で課内の僕の評価が上がったようだ。


 難しい人と言われていた内山田さんもその事で何度か僕を褒めてくれた。


僕の仕事に対するモチベーションが明らかに上がった。


 なんだか本当の仲間になれた気がしていた。


図書券がらみだがくだらない提案をするものも出てきた。 


 トイレの小便器に水を流しましょうと言うステッカーを貼ります。


このことにより水を流すようになりますなど。 


 提案は掲示板に貼りだされるので皆、なんやこれは。


恥ずかしくないのかなどいろいろ言っていた。


 でも提案は提案だ。内容は残念だがそういう仕組みなのだ。


同じ課の中でその図書券を買い取るものが出てきた。


 それがくだらない提案書を書く人だった。


同僚から買い取った図書券を金券ショップに売ってその差額で儲けるのだ。


 実際に買い取ってもらうことも多かった。 


皆、自分で換金しに行くのが面倒だったからだ。


 数年後にその会社に遊びに行くとその人の車が外車に代わっていた。


図書券を売ったお金で買ったのだろうか?


 ある時同室の大堀先輩が「紀南君。僕くらいの年齢になったら給料どれくらいも

らえるか知っているか?」 と聞いてきたので知りませんと答えた。


 大堀先輩は「他の人には内緒だよ」と、給料明細を見せてくれた。ちょうどボーナスが出た月でもあったので賞与の明細も見せてくれた。


 日給月給だが総額四十万円、ボーナスも夏冬合わせて百五十万円くらいもらっていた。年収で六百万円を超えている計算になる。


 すごいのかどうか。その頃の僕はサラリーマンがどれくらいの収入を得ているのか、どれくらいもらえれば満足するのかなど全く興味がなかった。


 しかし今になって思えば高給だとわかる。


小さな会社だと五十代でその金額になるかどうか。


 しかも役職が付いていない社員の給料がそれくらいなのだ。


当時十八歳の僕にはそのお給料の金額を実感として受け止めることができなかった。

 

 寮費はかからなかったしお金を貯めようと思えば(今の僕なら)いくらでも貯められる環境だった。 


紀南きなみくんちょっといいかな」


「ハイなんでしょう」


ある日、大堀先輩に声を掛けられた。


「先日お風呂に入って行ったらヒガシ君が湯船につかっててね」


「はい」


「僕が体を洗った後、お湯につかろうと歩いてたらヒガシ君が僕のチンチンをジーッと見てるんだよ」


「ええっ!?」


「僕びっくりしてね。ヒガシ君何を見てるんだ? って聞いたら目をそらされてね」


僕は驚いた。ヒガシさんなんだかやばい人に思われてるみたいや。笑


「大堀先輩。それは間違いなくヒガシさんの冗談ですよ」


「そうなのか?」


「そうです。僕もされましたし、その時聞いたら結構みんなの反応が面白いんやと言ってましたよ」


「そうか。よかった。僕も独身でこの歳まで来たけどさすがに男とどうにかなりたいとは思わんからね」笑


「そりゃそうですよね」笑


ヒガシ先輩のチンチン凝視のいたずらはその後も続いた。


 ちょうどバブルの頃だった。 


 毎年、地方から採用される新入社員の数が増えたことで四十歳を超えた者は退寮するという決まりができてしまった。


 当時何人もいた四十過ぎの先輩たちは充分お金を貯めた上で、自分の部屋を借りて移り住んでいった。

 

 同室の大堀先輩が部屋を出て行ったあと僕の同期が同じ部屋の住人になった。


名は小次郎と言った。


「小次郎、お前地元やのに寮に入れたんやな」


「そうだよ。独身だからね」


「そうなんや。家は遠いんか?」 


「通うとなったら一時間くらいかかるからここの方が楽なんだ」


 同期の中でも気の合うものと普通のものに分かれる。


よく話すもの、そうでないもの。よく話すものとは割と早く打ち解ける。


 そうでないものもそのうち話すようになり変な奴と思っていたが、割とまともだった、いい人だったということが多々あった。


 話をしないうちに評価をするべきではない。


小次郎とはよく話した。仕事の事や女の子の話。


 時々飲みに行くこともある。 


 課も違えばお互いに交代勤務なのだが、なぜか夕方から飲みに行けるような時間が重なっていた。


 僕の同期は他の年の同期と比べて非常に仲が良かったという評価が総務部の人たちの間であったようだ。

 

 未成年であったが会社の先輩たちに飲みに連れて行かれる。 


それに慣れてくると同期同士でも飲みに行ったりしていた。


不思議なことにお金を出した記憶があまりない。


いつの間にか誰かが払っている。そんな感じだった。


同期の中でも大卒の人たちは将来の幹部候補だ。


 僕の同期はまともな人ばかりだったが、翌年、さらに翌年と年が進むにつれて、

新入社員の中でまともに挨拶すらできない大卒の人が増えたような気がする。


 今その会社のホームページを見ると僕の同期だった人たちが軒並み役員に名を連ねているが大卒の後輩の名前は全くない。


懐かしい気持ちと同時にすごい人たちだったのだなと思った。


 翌年以降に入ってきた大卒の人よりも高卒の子達のほうが上下関係がきっちりしており挨拶もきちんとできる子ばかりだった。


 入社したばかりの頃は知らない先輩が寮を出たところで車を洗っていたりするとこんにちはとあいさつした。

 

 すると、「よう新人君、もう仕事に慣れたかい」などと声をかけてくれる。


挨拶だけはきちんとするように親父から言われていた。


 顔を覚えてもらうと次に名前を覚えてもらえる。


そこからいろんな話が広がっていった。


 足を引っ張り合うこともなく同じ釜の飯を食べる者同士という感覚だろうか。


意地の悪い人もいなかった。皆、他人を尊重していたように思う。


 居心地はすごくよかった。


会社の食堂でも声をかけてくれる人はたくさんいた。


 僕は体が小さくて中学生の時からかわいいと女子に言われていたがこの会社でもかわいいと言われるとは思ってもいなかった。


 食堂のおばちゃんや先輩の女性社員などいろんな人から声をかけられた。


もちろん食堂のおじさんにもいつも挨拶していた。 


 だから「今日は早いな」とか「はよ帰ってデートに行ってこい」とか軽口を言われていた。


そういうのもうれしかった。


 女性からの声掛けは、やましい声掛けではなく田舎から出てきた年端も行かない子供に対する労わりの声掛けであったと思う。


 ただ僕が同期の女の子と付き合い始めると途端に声掛けは無くなった。


声をかけてくるのは食堂のおばちゃんだけになった。


 そのことを僕がどう感じたかといえば何も感じなかった。


初めて女の子と付き合ったことで舞い上がっていたからだ。


 しかし何事も経験のないことはつらい事だ。


どう付き合っていいのかわからない。 デートもどうすればいいのかわからない。


 二人で出かけて二人で買い物して、二人でいろんな話をしてなど出来ることはいくらでもあったのにほとんど何もしなかった。何も思い浮かばなかった。


 高校生の頃、片思いしている女の子がいた。


家が貧しかったしそのことを知られるのが恥ずかしいという気持ちがあった。

 

でも僕が思っていることで何かしら繋がっていると思っていた。


でも時々じっと見つめてしまうことがある。


 目を合わせるつもりは無くても時々目が合っていた。


彼女も僕を想ってくれていたのだろうか。


 もし付き合っていたら。そんなことを何度も考えたことがある。


でも本当は勇気がなかった。


 今になって思えばくだらないことで立ち止まっていたのだなと思う。


でもその時の僕にはとても大きな足かせだった。


 アルバイトもできない。


ほぼ三百六十五日授業と部活で時間がなかったからだ。


 時間のある時にその女の子のことを考えていた。


好きな気持ちがあっても居ても立っても居られないというほどではない。


 多分僕が距離を置いているからだと思う。


 これがもし付き合って、キスしてという風になってくると多分気持ちが走り出すのだろうと思った。


付き合っても別れることがあると聞いた。

 

 何故だろう。この人がいいと思ってお互いに付き合うのだからそれが一生続くと思っていた。


でも途中で間違っていたということに気が付くのだろうか。


 今付き合ってはいるものの、この人ではないとお互いに思うのだろうか。


それともどちらか片方の気持ちが離れてもう片方は別れるのは嫌だとなるのか。


 いろんなパターンがあるのだろう。


でも気持ちが残っているのに別れなければならないのは悲劇だと思う。


 お互いに違うと思えればいいのだろうけれど。


あれこれ考えてはいたものの所詮田舎の高校生の考えることだ。


 この時の僕の考える男女関係は簡単なものだった。


もっと複雑な、好きなのに好きと言えない、好きなのに別れないといけない。


 別れたいけど離れられない。自分たちの意思に反するようなそんな付き合いもあるのだとは知らなかった。


複雑にしているのは当人同士なのだけれど。


 片方のどちらかが浮気したとか。


いったんは許したけれど思い出して許せなくなったとか。


 色んな感情が渦巻いているみたいだ。


好き、嫉妬、愛情、憎しみ、表現しきれないこともあるだろう。

 

そんな風にお互いを信頼できない状態になるのは嫌だなと思っていた。


 出来れば初めて付き合った人と穏やかに、ゆっくりと添い遂げられればいいなと思っていた。

 

 だから半年後に「私と別れてほしい。私、自由になりたいんだよね」って言わ

れたときは正直ガーンと頭を殴られたような気持になった。


 今から思えばデートも数えるくらいしかしていないし電話もほとんどしていなかった。


それは僕自身が彼女をほったらかしにしていた。


おそらく別れを告げるとき彼女なりに苦しんだのだろうと思う。


何故誘ってくれないのだろうとかなぜ電話をくれないのだろうと思っていただろう。


申し訳ないけど僕は何も知らなかった。


 一緒に居る時間を作ったりいろんな話をすることで二人の関係を育むというそういったことは全く頭になかったのだ。


子供だった。


 でも僕なりに何が悪かったのだろうと考えてはいたものの何一つ答えは出なかった。


 そして激ヤセしてしまった。


体重が四十kgを切った時、ヒガシさんから「お前死ぬなよ」と言われた。


 多分好きという気持ちだけが残ってしまったのだろう。


 それから僕は少し変わろうと思った。


女性に対する引っ込み思案を何とかしようと思ったのだ。


でも不器用さはどうしようもなかった。

 

 あるとき会社の健康診断で訪れた小さな医院の看護婦さんに「今度遊びませんか」と声をかけた。


よく目が合ったからだ。


 なんとOKだった。


先輩のヒガシさんがお前すごいなとほめてくれた。


いそいそと遊びに出かけた。 


しかし経験がないというのは本当に悲しい事だ。

 

 ご飯を食べて、少しドライブしてその日は帰りましょうと部屋に送って行った。 


その子は何かサインを出していたのかもしれないが気が付かなかった。


 部屋には入れてもらえなかったがその日帰ってから電話すると「あなたご飯だけ食べて帰ってしまったけれどホテルに行ってもよかったのよ」って言われた。

 

 僕はもちろん経験がなかったので思いもしなかったのだけれど。


そのあと言われたのは「もっとガツガツしていないとだめだよ」って言われた。


「少なくとも私をものにしようと思ったらね」って。


男だったらこう、男ならああしないとだめとかそんなことを言っていた。


 でもそれはあなたの希望なだけで僕ではない。


そんな風には出来ないそう思った。


 そのあと一度電話をしたけれど誘いには乗ってくれなかった。 


だからすっぱりとあきらめた。 


 あきらめて連絡するのは一切やめた。


しかしそのあと何度か電話があったみたいだけれど。 


 追いかけてほしいタイプの人だったのだろうか。よくわからなかった。


ヒガシさんに話すと「なんやよくわからん女やな。あの看護婦さんやろ」


「はい」


「俺やったら一発やってさよならやな。 足がむちゃくちゃ太かったからな」


「ヒガシさん知ってたんですか」


「おうよ。シンはあの太さはオッケーなんか?」


「イヤ。ちょっときついなと思いましたけど」


「そうやろ、ちゃんと見とかんとあかんで」


「ハイ」


 次は同期と飲みに行ったときスナックのお姉ちゃんがほぼ同級生くらいの年齢だった。


そこで働く何人かのお姉ちゃんと遊びに行くこともあった。


 僕が気に入った女の子を同じ部屋の小次郎も気に入った。


 僕は自分の気持ちを言っていなかったので彼からその話を聞いたとき頑張れって言った。

 

彼はその女の子と付き合いを始めた。 


僕はその女の子の同僚から付き合おうって声を掛けられていた。


 僕の気に入った子にあとから聞いたら「同僚の子が先に紀南君の事気になるって言ったから私はあきらめたの」「なんやて、そうなんや」

 

 人間いろいろあるのだなと思った。


結局僕は声をかけられたもののお断りした。


だからそのお店に飲みに行くことも無くなった。


 小次郎があるとき深刻な顔をして「シン、飲みに行こう」と誘ってきた。


「俺、月末でお金ないで」と断ったが「俺が払うから来てくれ」と言われて飲みに行った。


 今から思えば恐ろしい話だがそのころは飲みに行くのに車で行っていたのだ。


しかも路駐で。 


 その当時NTTのビルの前は駐禁を切られないというまことしやかな噂があって、実際に切られたことはなかった。


 幸い僕は名古屋で駐禁を切られたことはないし飲酒でも捕まったことは無いが、これは恥ずかしい話である。


 小次郎とお酒を飲み始めたとき、「俺どうしていいのかわからん」と言い出した。


「何が?」と聞くとホテルに行った話をし始めた。


 僕はそんな赤裸々な話とは思わなくて「ええっ!」と驚いた。


まだ経験のない僕には刺激的な話だった。


 小次郎曰く、前戯も終わってさあ入れようかというときに彼女に言われたらしい。


どこに入れるんだろう? 心の中で思った。

 

「私ね赤ちゃんおろしたことがあるの。あなたのことが好きだからそのことで引っかかると嫌だから今のうちに言っておきます」と言われたらしい。


 結局彼は入れるのをやめたとのこと。


童貞喪失直前でストップした。


そしてそこから考え込んでしまった。


 「お前ならどうする」と聞かれたので、「何の問題もない」と答えた。


 彼は僕のその答えに驚いたが僕は話した。


「過去につらい事があって、それをお前に打ち明けてくれたのだろう。 

少なくとも俺には彼女がお前のことを大切に思っていることがわかるけどな」と。 


「そのことに何を思い悩むのだ?」と聞いた。


 すると、「子どもをおろしたことが嫌なのだ」と。 


彼は女性に対して割と潔癖だったのだろうか。


おろした理由は十六歳だったから。


親が無理だと判断したらしい。


「私も彼も高校生だったの」


彼女は高校を中退したとのことだった。


後日、小次郎と女の子は別れてしまったと聞いた。


そしてその事を僕に話した後、僕の前で泣いた。


「自分から決めた別れだけれど辛い」と泣いた。


僕はもらい泣きしてしまった。


しかしなんともったいないと思ったが口にはしなかった。


小次郎、お前はええ男やと思う。


もっと懐がでかくてもいいと思う。頑張れや。そう思った。


女の子がらみでは他にもあった。 


 同期の誘いで女の子たちを交えて遊びに行った。


その同期の高校の先輩とのことだ。

 

 その中で来年結婚するというお姉さんにすごく気に入られてしまい、ドギマギしたことがある。


彼女はマリッジブルーだったのだろうか。わからない。 


 遊園地で遊んだ帰り道、友人の運転する車の後部座席にその女性と一緒に座っていた。

 

女性の手が僕の腕に絡められた。 


「えっ」もうそれだけでもドキドキしていた。 


 実は遊園地で遊んでいる間中、あほかというくらい目が合っていた。


お互いに意識しあっているというのはわかっていた。


 でも僕は超奥手だった。


「ねえ、シンさん。今度二人で遊びに行こうよ」


 ささやくような声で言われ、「ええっ僕と! 本当に?」 


うれしかったのだがしかし友人にも聞こえていたらしい。 


「シン。お前あかんぞ。その人は来年結婚するのだから、あかんぞ」 


 僕からすれば大人の女性だった。

 

清潔な雰囲気が漂っている。


 きっとトイレとか行かないんだろうなって思っていた。


そんなことないけれどそれくらい白くて輝いてみえた。


 色が白くスタイルが良くてきれいな人だった。


きれいさの中にもかわいらしさが溶け込んでいた。


 付き合えば楽しいだろうと思っていた。


しかし来年結婚するという話は初耳だった。 


 彼女はどう思っていたのかわからないけれど僕は恋したと思う。 


小石さんと言った。 


 その後寮に電話が何度かあり、いろんな話をした。


その中でもデートをしようという誘いにはさすがに気後れしてしまった。


「ごめん。僕も小石さんに気持ちが引き寄せられたのは事実だけれど、来年結婚するのですよね。だからここまででとどめておくべきです」と言った。


 彼女が結婚のために関西に旅立つ日、友人と二人で見送りに行った。


そこには彼女の旦那さんになる人もいた。


 他にも見送りに来ている人がいたが不意に小石さんと二人だけになってしまった。

 

 他の知り合いとの間に人垣ができた瞬間、彼女にキスされた。ほんの一瞬の出来事だった。


 そのあとは何事もなく一言二言、言葉を交わした。


「どうかお幸せに」「ありがとう」これだけだった。


 かなうはずもない僕の淡い恋は一瞬で始まり一瞬で終わってしまった。 


しかし友人はなんとその瞬間を見ていたらしい。


「お前、小石さんにキスされたよな」「いいや、気のせいやろ」とごまかした。

 

「先輩も大胆なことするなぁ」と言われたものの、「まあがんばれ」って肩をたたかれた。


お前があの時あかんって言わんかったら今頃どうなっていたのだろうか。


そんなことを思った。


僕は働きだしてからパーマをあててみようと思っていた。 

 

 ある散髪屋さんで初めてパーマを当てたのだけれど思う以上にクルクルになってしまいそれがどうしても気に入らなかった。


 寮でパンチパーマを当てている先輩に相談すると


「そのままでもいいと思うけどなぁ。 でも気に入らんのやったら美容院に行って取ってくれって言ったら取ってくれるよ」と教えてくれた。


 散々さまよったあげく寮の近所にある美容室に飛び込みで入った。


そこは若いお姉さんとおばちゃんが二人でやっているお店だった。


 飛び込みで行ったにもかかわらず、すぐにパーマを取ってくれた。


その頃はまだ予約を入れてとかではなかったと思う。


 それ以降も予約を入れて行ったことがないからだ。


それからもう一度パーマを当ててもらい今度は納得のいく髪型になった。


お姉さんの名前はユキさんと言った。


 ユキさんと初対面ながらいろんな話をした。話が弾んだのだ。


どこから来たのとか、いくつなのとか。


どこの会社に勤めてるのかなど僕の事を知りたいようなそんな質問ばかりだった。


それからはずっとそこで髪の面倒を見てもらった。


 先輩のオサさんに、その美容室の話をしたら一度連れて行けと言われたので一緒に行ったこともある。


「シンさん、この間一緒に来た先輩って髪の毛やばいね」


「そうでしょう! プロのユキさんが言うのなら間違いないわ。先輩には悪いけどハゲちゃうんやろね」


「どうしようもないのよ。育毛剤とか発毛剤で頑張っても多少延命できるかどうか」


「そうなんやね。ユキさんはハゲた人はどうなん?」


「まあそんなに抵抗は無いけど、無いよりはあったほうがいいわね」


「そうらそうやんね」


ある時ユキさんではなくおばちゃんが僕の髪をセットしてくれた。 


「今日は居てないんですね」


「そうなのよ。あの子あなたが来るのを楽しみしてたのにね」「そうなんですか」


「今度誘ってみたら。あの子も喜ぶと思うよ」と言われた。

 

 次に行ったときによほど誘おうかと思ったが遊びに行こうと声をかけられなかった。その日はなぜか混んでいたから。


 その次に行ったときには


「紀南君ごめんね。あの子辞めちゃったのよ。 紀南君の事やっぱり好きだったみたいだけど家族の面倒を見ないといけないからって実家に帰っちゃったの」 


「そうなんですか」「あなたの連絡先もわからなかったしね」「そうですね」


 なにか歯車がかみ合ってないのだな。 美容室には僕が転職するまで通った。


 会社の食堂の入り口には生命保険のおばちゃんが何人か立っている。やはり目を付けられたようだ。


 「ねえねえ。保険入っといたほうがいいわよ。病気とか怪我とか怖いしね」


本当に何も知らなかった。


 しかしヒガシさんに話は聞いていた。 


「シン、もし生命保険のおばちゃんがお前に保険に入れと言ってきたらまず、女を紹介してもらえ」と。

 

「ええっ。なんでですか」と聞いたら、「お前女いらんのか」と言われた。


「いるかいらんかで言えばいたほうがいいですけど」と答えると、「結構きれいな人が多いからな。入る入らへんは別にして一回くらいは紹介してくれって言ってみたら」と言われていた。 


ヒガシさんがそういうときは報告が必要だ。ネタがいる。


 「僕は女の子紹介してくれたら考えるわ」と返事した。 


次の週にまた食堂の入り口に立っていたおばちゃんは僕を見つけると


「紀南さん紀南さん。いてたわよ。いい女の子が」


「ええっ。ほんまですか?」


「ほんまよほんま。だから紹介するから考えてね」って言われた。

 

「これが電話番号やから夜、電話してあげて」と。 


ヒガシさんの言っていた事ってほんまなんや。 


僕はヒガシさんをすごい人だと思った。


ただやはり悲しい事かな経験がない。


どうしていいのかわからない。


とりあえず夜電話した。 


 すると「お話は聞いています。一度お会いしないと先に進めないですよね」と言われた。


「その通りですね」 


「一度飲みに行きましょうか」と言われたので「行きましょう」と返事した。 


 そしていついつの何時に栄の駅で待ち合わせしましょうということになり僕はその女の子に会いに出かけた。 


 ちなみにまだ同期の女の子に失恋した痛手は引きずっていた。


なかなか解放されなかった。


 駅に着いたがそれらしき女の子はいなかった。 


約束の時間から三十分も過ぎた。 僕はルーズなのが嫌いなので帰ろうとした。


 すると声をかけられた。「紀南さんでしょうか」と。 


電話で服装は伝えてあった。


「そうです。好美さんですか?」


きれいな女性ひとだった。


「そうです。遅くなってすみません」「いえいえ大丈夫ですよ」


「じゃあ今からですが飲みに行きましょう。この先に私の知っているお店があるのでそこで飲みましょう」と言われた。


 そのお店は繁華街から少し離れたところにある小さなお店でおかみさんが一人で切り盛りしているお店だった。


 好美さんと僕が入っていくと「あらー、スーちゃん久しぶり」と声を掛けられていた。 


「今日は彼氏と一緒なの?」とママが聞いた。 


「ママ、この子は彼氏候補ですけどまだ彼氏じゃないの」 


「そうなの。これからなのね。じゃあスーちゃんこの子がいいのか悪いのか私に見てほしいということね」「まあね」と答えていた。


 ビールを注文した。瓶ビールをコップにお酌してくれる。 


「初めまして今日は遅れてすみませんでした」「いえいえ大丈夫ですよ」


「自己紹介しますね。私は佐伯好美と言います。みんなからはスーちゃんって呼ばれます。年齢は三十三歳です」


「えっ!」


「何!今のえっ!は?」笑 


「ああすみません。僕は紀南シンと申します。十八歳です」


「ええっ! 十八歳なの!?」


「そうです」


「すごく若いと思ってたけどまさかの未成年なんて。あの人信じられないわ。

 私があなたの話を聞いたのは私にぴったりの男がいたわよって電話があったのよ。一回り以上年下の男の子を紹介するなんて信じられないわ。ごめんねこんなおばさんで」


「いえいえおきれいですよ」


「君、紀南君、会った時よりも明らかにテンション下がってるじゃないの。

 ママ!なにその顔!? まるで私が若い童貞の男の子をおもちゃにしようとしているみたいなそんな顔になってるやん!」


「すみません童貞です」 


「ほんとなの? 私食べちゃってもいいのかしら」


何やら雲行きが怪しい。


「すみません、せめてお互いをよく知ってからでも遅くないのでは」


「君、そんなこと言ってるから童貞なのよ。今日はね、残念なことに私は生理なの!

腹が立つ。 こんな若くてぴちぴちの男の子なら日にちをずらせばよかった。

朝まで可愛がってあげるのに」 


 僕はもうどう答えていいのかわからなかった。


ママが言った。 


「私は大丈夫よ」と。 


佐伯さんは「ママ!なに言ってるの!」と笑いながら怒り出した。


「ママ幾つと思ってるの。こんな未成年の初めての経験がママみたいな女の人だと可哀そうよ」


 「そうかしらね。まだまだ行けると思ってるけど」 


「どう考えても無理よね。紀南君?」


 大丈夫というのはそういう意味だったのか。


「そ、そうですね。それはちょっと勘弁してほしいですね」


「まあなんて正直にお話しするのでしょうね。 まあいいわ。目の前の獲物を女二人が狙っているものの一人は生理で出来なくて一人はババアで断られて。さみしい夜になっちゃうわね」 


「でもまあとりあえず飲みませんか」


そう声をかけると三人で飲み始めた。


 「君、童貞って、そんなチャンスはなかったの?」


「はい。無かったですね」「かなりの奥手なのかしら」 


 「そんなことはないと思いますけど」


「なんだか本当にかわいいわ。今食べちゃいたいくらい」


「あの。逃げてもいいですか?」


「なんで逃げるのよ」 


「怖いです」


「怖いってあなた処女じゃあるまいし」


「そうなんですけどね」


「いいじゃない。今日は顔合わせ。あなたの童貞を次の機会にいただきますからね。楽しみにしてね。お姉さんがたっぷりと可愛がってあげるから。ねえ君、紀南君!」 


「はい」 「女の人のあそこって見たことあるの?」


 ドキドキ。 「見たことないっす」


 「そうなの。うふっ。もう本当に楽しみだわ。お姉さんが一から十まで教えてあげるわよ。来週は空いてるの?」 


 「今はちょっとわかりません」


「そうなの。じゃあ帰ってから電話頂戴ね。約束よ」


 なんだかゾクッとした。


ビールを何杯か飲んだ後、佐伯さんは眠りについた。 


「この子はね、お酒が無茶苦茶弱いのよ。あなたがもしこの子に童貞を奪われてもいいのならこのまま目が覚めるまで待ってたらいいし、そうじゃないのなら帰っても大丈夫よ。それはあなたが決めなさい」と言われた。 


 なんだか僕のことがかわいそうになったのだろうか。


「すみません。そしたら帰ります」 「そう。私が叱られるわね」


 「すみません。 お勘定をお願いします」 


「今日は良いわ。その代わり今度は一人で来てね」


 「いえいえ。払わしてください」


「いいのよ。もう帰りなさい」


「そうですか。すみません。ありがとうございます。ごちそうさまでした」


 「マッチだけ持って帰ってね。次来るとき名前忘れてるとダメだからね」


「はい。ありがとうございます」


僕はお店を出ると駅に向かって歩いた。 


 なんなんやろか。童貞童貞って童貞やけど。


奪われてもよかったかな。でもな。


 タバコ吸ってたしちょっとおばちゃんが入ってたな。


少なくとも僕のタイプでは全然ない。理想からかなり離れている。


 美人ではあるけれどそういう対象ではなかった。


 セックスだけならいいのかもしれないがやはり初めては好きな人としたいと思っていた。


 だから保険のおばちゃんから「紀南さん電話してあげてー。スーちゃん待ってるって」 と言われても電話しなかったしそのお店にもいかなかった。


 保険のおばちゃんには年齢差が大きすぎて無理でしたと結局保険には入らなかった。


 先輩にその話をする「とシン、喰われたらよかったのに。ええ経験になったと思うけどなぁ」と言われて、ほんの少しだけもったいなかったと思っている自分がいた。


「でも先輩、下手したら一生一緒に過ごさんとあかんのですよ」  


「そういう風に考えるからあかんのや。 もうちょっと軽く軽く。 成り行きやしな。嫌やったらイヤやとはっきり言うたらええんやで」 


「ヒガシさん、僕はなかなか言われへんと思いますわ」


「お前なに言うてんのや。俺にあれこれ言うてるくせに」笑


「すんません」笑 「まあええ。これも経験やでシン。次頑張れや」 「ハイ」


 あるとき田舎の中学の同窓会の案内が届いた。


僕が就職してから一年後くらいだ。


 その時女友達に軽い気持ちで誰かいい人いたら紹介してほしいと頼んだ。


この女友達がキューピットとなる。


 全く期待していなかったけど手紙が来た。


通信手段は手紙か公衆電話。後は寮の電話くらいか。


 その手紙に書かれていたのは、あの時私に言ったことは本気ですか?


私はあなたが冗談で言ったのではないと思って一生懸命探しました。


 すると同じ会社の同期が兵庫の方に同い年のいい子がいるよって教えてくれた。


名前は但馬ナツさんといいます。


 その子に連絡すると紹介してほしいと言っていたので、シンにその子の住所と電話番号を知らせます。


PS:遊び人ではないとのことです。


 もしいきなりは難しいと思うならまず私に手紙を送りなさい。


大丈夫だと思うなら自分でやり取りしてください。


 あとは自分で何とかしなさい。がんばんなさいっていう手紙だった。


 僕は手紙を書いた。自己紹介とか仕事のこととかを書いて送った。


ナツからも手紙が届き、仕事内容とか趣味とかが書かれていた。


 何度目か忘れたが手紙でお互いに写真を送ろうということになった。


届いた写真はそんなに鮮明ではなかったがきれいな印象の女の子が写っていた。


 僕の写真を見た感想は小さすぎてわからないだった。


一応かっこよく写った写真だったんだけどな。


 そんなこんなで電話をするようになったものの、どこかで冷めている自分がいた。


電話で話すこと自体は楽しいけれど今はただそれだけの事だ。


 もし連絡しなくなったらどうなるのだろうって思ってこちらから電話するのをやめた。


何日かすると電話の伝言があって連絡が欲しいとの事だった。


 その時の僕はまだ失恋の痛手を負っていたので恋愛に臆病になっていた。


 だからこれで終わるならなんの傷も残らないと思っていたけれど電話をくださいという伝言を受け取った時すごくうれしく思ったことを覚えている。


 失恋の痛手なんてそんなこと忘れるくらいの恋が始まろうとしていた。


そしてそれから時間のある時に電話するようになった。


 ナツとの電話を楽しみにしている自分がいた。


 ある時会おうという話しが出てどこで会おうかという相談をしたら彼女がこっちに来てくれることになった。


 今度は失敗したくない。その一心で彼女のいる同期にデートの場所などを聞いて回った。


そして下見をしてその日を待った。


 初めて会ったのは駅のホーム。冬の朝の寒い日だった。


僕はジーンズに白いセーターを着て待っていた。


 彼女は黒い色のコートを着ていた。


コートを脱ぐとベージュ系のツーピースのスーツ。


 エレガント&エクセレントだった。


彼女は「初めまして、但馬ナツです」と言った。


 びっくりした。きれいな女性だった。


今まで誰にも誘われなかったのか。 聞いたことは無いけれど。


 ホームから駐車場に行くのに階段がある。


やはり手をつないだ方がいいだろうな。 ヒール履いてるし。


 ちょっと恥ずかしかったけど手を差し伸べてみた。


自然に僕の手を握ってくれた。 少しドキッとした。


 階段を降りると手を離したけれどもっと繋いでいたかった。


僕が大事にしている車の助手席のドアを開けた。 さあどうぞ、お乗りください。


 ナツは少し戸惑いながら「ありがとう」と言い乗り込んだ。


 「さあ出発しますよ。 行きたいところはあるって聞いてもまだわからんやんなぁ。 取りあえずドライブしよか」 「はい」 


「ごめん。俺タバコ吸うけどいいかな?」「はい。大丈夫ですよ」「ありがとう」


 街中を抜けて海に向かった。 「あの送ってもらった写真と違ってすごく穏やかな感じがしますね」


「えーっ。そんなにきつい感じでしたか?」 


「うん。 雰囲気が写真と全然違うなと今思ってる」


「そうなんですか」


「うん。だってメンチ切ってるんやから」 


「もう違いますよ!」


ナツは笑いながら否定した。 


僕も笑いながら「冗談ですよ。でもこんなにきれいな人だとは思わなかったです」


「えー。そんなこと言われたらどう答えていいのかわからないです」 


「そうか。じゃあ褒めるのはやめるね」


ナツは僕のふとももを軽くポンと叩いた。


 海に着いた時、「この車はスピンターンと言ってくるくる回せるんやけどやってみる?」


ナツは頷いた。 しかしうまくいかなかった。 


 うまくいかなかったし回るときにサイドブレーキを引くとその時の車の挙動でナツがグッっていう何かこらえているような声を発したのでやめた。


「ごめんな。うまくいかなかった。どこか痛かった?」 


「ううん、大丈夫です」


 「そうか。ごめんね。そろそろお昼だし、ご飯を食べに行きましょうか」


 「はい」


 同期に教えてもらった大きなハンバーグのお店に行くことにした。


「大きくてとてもおいしいハンバーグのお店があるんやけど行く?」


「はい。もうすぐお昼ですもんね」


「うん、おいしいと思うよ」


「楽しみです」


 気になったのは車に乗っていて左手を動かすと彼女が驚いてビクッとなることだった。


そのビクってなったことで僕もビクってなっていた。


 僕が頭をかく時もビクっとなっていたし煙草の灰を灰皿に落とすときもビクってなっていた。


その日はずっとビクッっとなっていた。


 怖い思い出?それとも単なる恐怖心?


「ナツさん。ビクッてなるけどなんでやろうね?」


「うん。それがわからないの。怖いわけでもないと思うけれど」


 「そうなんか。 でもあれやね、それがそのうち無くなったらいいね。

これからいろいろ一緒に遊んだら消えてしまうかもしれないね」


「そうだといいけど」 


夕方になり電車の時間が来たので駅に送って行った。そしてホームで見送った。


手を振りバイバイって。


寮に帰ってからナツのことを考えていた。 


車に乗せたあとのナツは意外と子供っぽかった。


表情やしぐさなどまだ幼い感じがしていた。


でも遠く離れた僕の住む街まで出てくるという行動力に僕は驚いていたのだ。


 楽しんでもらおうと思ってたけどビクッの印象が強すぎて楽しかったのかどうかよくわからなかった。


話の中で握力が四十kgと言われて驚いた。


確かに手の大きさは僕とそんなに変わらなかったが。


 もう一つ覚えているのは、私はお尻が安産型だから子供たくさん産めるよって言われたこと。 


いきなり子作りを連想するようなことを言われてドキッとした。


この時はまだ好きとかそんなことは何も思っていなかった。


あとから手紙が来た。 


ありがとうというお礼とまた会いたいですと書かれていた。


この僕にまた会いたいって書いている。思わず顔がほころんだ。


二度目に来た時泊りがけで遊ぶことになった。


飲みに行こうということになって。


車に乗っているときが一番ビクってなっている。それ以外は少ないみたいだ。


昼過ぎに来てドライブだ。


 今日は岐阜のライン下りを楽しんでもらおうと思った。

 

車を駐車場に止めてカギを係の人に渡す。 


 係の人が船が到着する場所まで車を運んでくれるのだ。


チケットを購入しナツと手を繋いで乗船した。


 船が走り出すとナツも嬉しそうな顔になった。


しかし途中の河原でたくさんの人だかりがあった。


 遺体が上がったらしい。 


ナツは不安げな顔で「私が招いてしまったのだろうか」と言い出した。


 「ナツさん。こんなのはたまたまで気にしたらあかんよ。毎日交通事故や自殺で何人も亡くなってるんやから。 仮にそんなのを招く力があったらすごいんと違うやろか。気にしたらあかんで」と繰り返した。


 この時僕はナツのことをせめて気持ちだけでも守ろうと心の中で彼女を包み込んだ。


僕の気持ちの中のイメージだ。彼女を守れればと思った。


 その後は岩だらけの場所を通り抜けて船着場に到着した。


車もちゃんと届いていた。


 ナツに声をかけた。「さあホテルに行こう」 


そこだけ聞くともう関係があるのかと思ってしまう。


「はい」 ナツは僕の問いかけに割とハイと言ってくれる。


 途中おしゃれな喫茶店を見つけたので休憩を兼ねて立ち寄った。


注文する時コーヒーじゃなくてパフェにすることにした。ナツは目を丸くした。


 「パフェなのって?」 そんなの聞かれたら恥ずかしいけれど食べてみたか

ったんだって言ったら、じゃあ私もそれにするって言ってくれた。


 パフェがやってきてナツの目がキラキラしていた。


おいしそうに食べる姿はなにかほほえましい感じがする。


 そしてニコっと笑うその顔がかわいらしいと思った。


送ってもらった写真とは全く違うことに気が付いた。


 写真写りが悪いのか? それともすっぴんだったからだろうか。


 今お化粧をして目の前にいる女の子とあの写真の女の子が同じ人だとは思えなくなった。


 もちろんそれは口には出していない。


以前同期で遊びに行った恵那峡の話をした。


 そこは遊園地もあって、テレビで見るような渓谷の底に緑色の湖があって

とてもきれいだったという話をした。


 ナツは目を輝かせて「そこに行ってみたい」と言った。


「うん。今度一緒に行ってみよう」そう答えた。 


 ナツと居ると何かしら話題が出てくる。


そしてだんだんナツに興味が出てきていた。


 これって気になり始めているってことなのだろうか。


チェックインの時間が近づいていたのでホテルに向かった。


 彼女は非常におとなしく行儀よく座っている。姿勢が乱れないのは大したものだ。


彼女にはホテルに入ってから打ち明けた。「ごめん。ダブルしか空いてなくて」


 ナツは少し驚いていた。 


「同じベッドに寝ることになるけど、おそったりしないから安心してな」


付き合ってもいないしキスもしていなかった。


僕は紳士のつもりだしまだ経験がない。


飲みに行くにはまだ時間が早かったのでホテルの近くを二人で散歩した。


百貨店の前にあるライオンの像やお店の中の洋服とかを見ながら歩いた。


僕は田舎で生まれ育ったのでこんなに人が多い所を歩いたことがあまりない。


あまりないが名古屋駅の周辺とかを平日の昼間に歩いたことがある。


そこで初めて出会ったのがキャッチセールスだった。


いくら田舎から出て来たとはいえ言っていることがおかしいと思っていた。


 このカードを東京ディズニーランドでチケットを買うときに提示すると半額になるんですよ。


その男はそう言っていた。


確かめようがない。


 ここは名古屋でなんで駅前を歩いているだけの若者に東京ディズニーランドの割引券を売ろうとしているのか?


ディズニーに行くとは限らんだろう。 


 ふむふむと話を聞いていると「じゃあいいですか。五千円いただきます」と言った。


訳がわからなかった。


「ちょっと良いですか」と声を掛けられ話を聞いただけなのにディズニーランドの割引券を五千円で買わそうとするそのこと自体不思議な商売やなと思った。


「いらんけどな」


「えっ!」


「そんなんいらんわ」


「入園料が半額になるんですよ?」


「行く予定もないしいらんわ」


ひどい奴ならここで説明した時間どないしてくれるんやとなるのかもしれんけど

そいつの目を見ながら「いらんわ」と言ったらあっさりと引き下がってくれた。


帰ってから先輩に話すると「若い男の子が一人で歩いてると間違いなくキャッチセールスが声を掛けてくるんや。もう相手にしたらあかんで」


「そうなんですか?」


「昔実際にディズニーランドに行くからって買いに行った奴が居ってな。半額になれへんかったって言うてたわ。だから詐欺やねん。相手にしたらアカン」


「はい。わかりました」


その時僕の頭には街角で声を掛けてくる人は詐欺師というのが刷り込まれた。


そしてたいてい二人で歩いていると声を掛けられたことはない。


しかし都会は人が多い。和歌山の南の小さな市では人の数というか量が全く違う。


だから人に酔ってしまうことがある。


今でもそういうところにはあまり近づきたくない。


でも今はナツが隣にいる。


ナツと歩いているだけでそんな自分の苦手意識なんかどこかに飛んで行っている。


そして何かあったら守らなきゃってそんな気持ちにもなっていた。


しかし色々と考えるものだ。だんだん気になってきているのがわかった。


 日が暮れてそろそろ飲みに行こうと居酒屋に向かった。


 今は飲みに行くにも予約を入れてから行くことが多くなったが


その頃はいきなり入っても待つことなどそんなになかった記憶がある。


 突き出しが出てきてなんだろうね、これはと言いながら何を飲むか考えてい

た。


ナツは「まずはビールでしょう」と言い生中を頼んだ。


 僕はライムハイを頼んだ。ビールはそんなに好きではないんだと言った。


 今でこそ高いお酒を飲みに行く前は庶民らしくビールで腹を膨らませていくが今日は飲み終わったらホテルに帰るだけだ。


 そして我々は実はまだ未成年だ。 


大人の雰囲気のあるバーなんてもちろん知らない。


 そういう雰囲気を作る必要もなかった。


お酒が来た時点で二人が出会えたことに乾杯した。


 見つめ合いながらお酒を飲むのもいいものだなと思った。


目が合うとニコっとしてくれる。何ともかわいらしいと思った。


 いろいろな話をする中でお酒は何が好きとかそんな話をしていた。


ナツはビールもいけるしチューハイもいける。


 わりと何でもいけるようだ。


 僕はそんなにお酒の種類は知らないし、スナックで飲む時もブランデーの水割

りとかをそんなにおいしく飲んでいたわけではない。


 居酒屋のチューハイライムが主に飲んでたお酒だったがどちらかというと甘い方が好みだった。


ナツは量は飲めないがお酒は好きだと言っていた。


 その時、はやっていたCMで田中裕子さんが言っていた女房酔わせてどうするつもりだったが、そういえばナツも私を酔わせてどうするつもりといたずらっぽく言ってたな。 


 もちろんいただきますなんだけれど、その時はそんなこと言われてもドキドキするだけの純情な若者だった。


 それなりに酔ったところでお開きにしてゆっくりと歩いていた。


相変わらず人通りが多い。 みんなどこから来てどこへ行くのだろう。


 不思議な感じだ。 人混みのせいでナツと少し離れてしまうことがある。


そんな時ナツが追い付くまで待っていた。


 僕に追いついた時、彼女が手を繋いできた。びっくりしたけれどうれしかった。


はぐれるかもしれないと不安に思ったのかもしれない。


 守ってあげたいと思った。


しばらく歩いてホテルのドアをくぐった。


 フロントでカギを受け取り二人でエレベーターに乗った時、目が合った。


視線を逸らすことが出来なかった。 ナツの目は僕を惹き付ける。


キスを仕掛ける勇気が僕にはなかった。


まだそんな段階ではない。


部屋に入りベッドに腰かけて楽しかったなぁって話した。


「ナツちゃん、まだまだ飲み足りんのとちがう?」 とか言いながら笑いあってた。


 「そんなことないですよー」とか言いながら。 まだ時々敬語が出る。


「先にシャワー浴びる?」って聞いたらお先にどうぞと譲ってくれた。


 じゃあお言葉に甘えて。


 シャワーを交代で浴びてから同じベッドに一緒に寝たけど酔っていたから意外とすぐに眠れた。


 ベッドが狭くてちょっと動くとすぐに触れてしまうような距離で、実際に彼女が僕に触れるとさっと手を引いていた。 


 朝早く目が覚めた僕は、ナツの寝顔を見ていた。


なかなかかわいい顔をしている。僕はそうっとナツの手をつついてみた。


 ナツは少し離れた。


眠りが浅いのだろうか。またつついてみた。また少し離れた。


 次につつこうとしたら割と勢いのある声で「もうっ!」って言われてびっくりした。


ビクッとしてしまった。


 ばれたちゃったなと笑うと彼女もうふふと笑ったので良かった。


「シンさんは割といたずら好きなのね」 「そうやな。わかる?」「わかるよー」


 会社の同期から聞いたいろんな話をしたと思う。


その話をするとき彼女は静かに聞いてくれた。


 そして最後にびっくりしてもらうっていうパターンで。


クロネコヤマトの話をした。もちろん受け売りだけど。


 ある時車を走らせていたらクロネコが車の前を横切り子猫をひいてしまった。


 怖くなってそのまま車を走らせていたがいつのまにか車の後ろを子猫を咥えたお母さん猫が付いてくる。


どこまでもどこまでも付いてくる。 怖くなってわき道に入っても付いてくる。


 やがて車を停めるとお母さん猫もとまった。 クロネコヤマトの配送車だったとかそんな話だ。


そんな話にも怖がってくれた。 話下手の僕でも落ち着いて話せる女性だった。


その話をした後、びっくりした彼女が僕を軽く叩いた。


 「もう、もう」って軽く叩かれた。心地よかった。


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