最後の旅行

篠崎 時博

最後の旅行

 ここに来てよかった。


 

 バスツアーの宿泊施設となっているこの老舗旅館は、ここ最近若者も泊まるようになったらしく、そう簡単に予約は取れなかった。


 SNS――というのか、旅館の外観が人気アニメに出てくるものとひどく似ているとかで、たいそう立派なカメラをぶら下げてくる若者をロビーで数人は見かけた。


 ずっと来たいと思っていた旅館が、観光バスツアーの日程表に載っているのを見つけた時は思わず声を上げてしまった。



「本当に良かったの?」

 自分の右隣の布団にいる洋子ようこが言った。

「何が?」

「無理していないかちょっと心配で」


 無理?無理などはしていない。いつも自分に正直に生きているつもりだ。


「ううん、楽しいよ」

りくは本当におばあちゃんっ子だね」


 高校生の孫とその祖母という組み合わせは陸と洋子の一組だけだった。

 周りがほぼ高齢の夫婦であったり、あるいはある程度年のいった親子であったりするなか、自分達は少し浮いていた。


「温泉旅行をプレゼントするなんていきだね」

 洋子がクスクス笑いながら言う。

 いいのだ。それくらい。以前は出来なかったのだから。


「そういえば、ここ昔、小一郎しょういちろうさんと行ってみたいねって言ってた旅館だったの」

「じいちゃんと?」

「そう」


 でもね、とぼんやりと天井を見つめながら洋子は続ける。

智子ともこが一人立ちして、あぁ、ちょっとゆっくりできるかな〜って時にポックリ!」

 洋子はあははと笑う。

「笑いごとではないんじゃない……?」

「小一郎さんはほんっと心配症だったから。智子が無事社会人になって安心しちゃったのかな〜って今では思うの」


「……じいちゃん死んで悲しかった?」

「そりゃそうよ!それに今度はあたしが死ぬんじゃないかって智子が心配し始めちゃって……」

「心配症なのは絶対母さんにうつったよね」


 智子は自分に何かあるとやれ病院だ、学校だと騒ぎ立てる。

「前に学校で怪我した時は、仕事放り出して走って来たよ」

「いいじゃない。愛なのよ、それは」

「そうかな」

「そうよ」


「でも、まぁ、智子にはまなぶさんがいるでしょう?」

「そうだね」

「学さんには長生きしてほしいなぁ…」


「じいちゃんがさ」

「うん?」

「じいちゃんが生きていたら、きっとばあちゃんとたくさん旅行して、思い出作りたかっただろうなって」

「……うん。そういや生きてた頃はそんな話したかもねぇ」


「それよりも陸」

 洋子が真剣な眼差しでこっちを見た。

「陸がばあちゃんっ子で、優しいのは知ってる」

「うん」

「クラスの可愛い子とどこかに出かけたりしたいなぁ、なんて思ったりはしないの?」

「今のところはないな」

 きっぱりとそう言うと

「あら、ま」

 少々呆れた声で洋子は言った。



 輪廻転生りんねてんせいという言葉がある。

 人の魂は生まれ変わりを繰り返す、という意味だ。


 自分は小一郎として生まれて死んで、今は陸として生きている。小一郎の記憶を受け継いで。


 横にいる洋子はもちろんそんなことは知らない。孫である陸の行く末を気にしている。


「……でもね、なんだか陸といると小一郎さんと一緒にいる気がするの。なんでだろうね?」

「なんでだろうね……」

「ふふ、まぁいいか」


「さ、明日もまだいろんなところを行くんだから寝ないとね!電気消しちゃいますよ」

 はーい、と孫らしく返事をする。


「おやすみ、陸」

「おやすみなさい」


 そのまま洋子は寝てしまった。久しぶりに出歩いたせいで疲れが出たのだろう。


 智子が一人立ちしたとはいえ、早くに先にってしまったこと、ひどく後悔している。


 結婚してから仕事ばかりで、家事はいつも洋子に任せっきりだった。

 子供の世話。荒れた手。ご近所付き合い。

 出会った頃、ひどく大人しかった彼女にとってみれば、知らない土地で知らない人たちと一から生活を始めるのは苦労したことだろう。


 せめて、と考えていた旅行も結局行けないままになってしまった。



 ここに来てよかった。

 君と行きたかったここで、この旅行を、君との最後の旅行にしようと思う。


 祖母と孫という関係では、ずっと一緒にはいられない。

 そう遠くない未来で、きっと君との別れがきてしまうだろう。


 君に気づかれる前に、陸としてこの先を生きていくためにケジメが必要だと思う。


 洋子、と聞こえるか聞こえないかの声で呼んでみる。

 洋子は声に気づかない。スヤスヤと寝ている。


「おやすみ」

 

 愛おしい横顔を見て、私はそっと目を閉じた。

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最後の旅行 篠崎 時博 @shinozaki21

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