掌編小説・『仏』

夢美瑠瑠

掌編小説・『仏』


掌編小説・『仏』


 「はじめまして。『宗教学概論』担当教授の朝原紹子です。(学生たち、拍手)

えー今期の『宗教学概論』の講義のテーマは、『神と仏の違い』ということなのですが、事前にレポートとして皆さんに『神と仏はどう違うか』の、意見というか印象や知識における相違を書いてもらいました。それをもとにして、叩き台というか、そうして私が自分の識見、意見、個人的な思想や立場を述べて、この違いについて皆で掘り下げて、討論をしたりしつつ、もって宗教とは一体何か?そういう人類的な大テーマに迫っていきたいと思います。…質問ございますか?え?何?期末の試験の形式ですか?そうね、やっぱり授業の感想とか自分なりのこの設問に対する回答。そういうものを自由にレポートにまとめてもらって、創意工夫とか思考、思索、思慮、理解の多寡をテストしたいと思います。小手先ではなくて本当のアタマの中身を問うわけです。大学生なんだから教師とも対等に渡り合えなくてはね(学生たち、笑う)。では…45人のクラスで15回授業があるから一回に3人ずつ取り上げます。

  「…まず相田くん。『僕は実家がお寺で、父が住職なので、非常に仏教には関心が高い。般若心経も一応は唱えられる。般若心経の教えは結局は世界の実相というか本質は空無である、ということらしい。いわば、一神教のカミは「1」で、仏は「ゼロ」なのではないか。ゼロはインドで発見された概念。仏教の起源もインド。符合しているではないか。信仰というとキリストが磔になった十字架を崇めているイメージがわかりやすくて、つまり伝統的な、人工的な宗教というのが「カミ」を中心とする中央集権制度で、自然発生的な「仏」はアニミズムの後継のような日本の風土や心性にむしろかなっている田園都市国家のごとくに、私たちにより説得力のある存在、概念、贔屓目もあるだろうが僕にはそう思える』 うーん…相田君は仏教についてはかなり造詣が深いようですね。素晴らしい着想ですね。「空」をディオニュソス的、「唯一神」信仰はアポロ的、ニーチェならそういうかもね。東洋と西洋は相互が相互を包括していて、相補的な構造をなしている、ユングならそういう説明をしそうな発想ね。…


…これは延々と半年間続いた講義のホンのさわりであるが、ずっと居眠りをしていた遠藤君は、期末のレポートにこう書いた。

 「僕は、講義を聴いていないので何も書けません。ごめんなさい。ですが、この科目は必修なので何としても単位が欲しい。それで、水垢離をして仏さまに願掛けをしました。教会に行って神にも祈りました。「神仏習合とは何か」という本も読みました。これは右翼のデマゴーグの嘘だらけの扇動本でした。「深い河」という、もう仏さまになっている伯父さんの本は高尚すぎてわかりませんでした。バイトで稼いだお金を損して、単位ももらえないのでは踏んだり蹴ったりです。どうか単位をください。…」

 しかし、返ってきたレポートには赤字で「0点!」と大書されていて、おまけに腹立たしくたばこをねじつけたような焼け焦げ跡まであった。


 嗚呼、これで落第決定だ。

 遠藤君は「神も仏もあるものか」と天を仰ぐしかなかった。


 (つまらない、救いのないエンド(ウ)だな)





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