4章8節 通学路

 新学期早々に寝坊をした。準備を慌てて終わらせて、喜佐美きさみくんにいつもより遅れることをまっさきに連絡をして家を出る。


 まだ寒いけれど、日が昇っていれば外は十分に明るくて。通り過ぎた花壇から赤青黄色の、さまざまな色彩が流れていくのを感じる。


 なんとか電車に飛び乗って、やっと一息ついた。車内を見回すと、スーツの大人や学生服を着た生徒や児童の姿が目に入るのは変わらない。でも、この中に新しく学生になった子も幾人かいるのだろう。朝野あさの先輩も、今年からもう大学生なのだから。


 学校の最寄り駅のホームに出ると何人かの男子学生に追い抜かれる。すれ違うときに確認した襟章は一年生のものだった。ピカピカの新入生たちだ。初めての高校が楽しみで仕方ないんだろう。


 私だって、いちいち目くじらを立てて道に迷ってしまえなんて怒ったりはしない。時間に余裕もあるし、喜佐美くんも待ってくれている。多少のやらかしがあったとはいえ、今日の私は機嫌がいいのだ。


 ごみごみとした改札口を抜ける時、小さくなにかが落ちるような音が聞こえて。足元を見ると生徒手帳が落ちていた。再発行は手続きがめんどくさい。後で届けに行こうと思って顔を上げると。証明写真に写っている女の子が慌てながら物を拾っていた。


「あれ。やっぱりない。ないよね。うわあああ」


 こめかみに掌をあてながら頭を抱えて困っている。だいぶ慌てているらしいので。いま届けてあげた方がいいだろう。


「ちょっといいかな。これ、あなたのだよね」


「え。お、おお。良かったぁ。みつかったぁ」


 生徒手帳は失くしたら紛失届を出さないといけないし、再発行に手数料もかかる。写真も新しく撮って貼り付けなくちゃいけない。だからって半べそかきながら安心しなくても。


「ありがとう、ございま。ック」


「敬語なんていいよ。学校についたら同級生になってるかもしれないし」


「そうなんだ。アリガト」


 小柄で。見るからに気が弱そうで。最初は来たばかりの後輩ちゃんだと思ったけど、同級生だったらしい。待たせてる人がいるって行っても付いてくるあたり、けっこう図々しい性格かもしれない。


「おまたせー」


「ひさしぶり。久留巳さん」


「うっすー。ん、誰だそいつ」


「ひょ。くれうちじゃん」


 階段を降りて、しばらく歩いたところにあるベンチが待ち合わせの場所だ。ベンチに座っているかわいい方が喜佐美くん。背もたれに尻を乗せているだらしない方が呉内くれうち


 いつも通りの景色だけど、新学期だからか新しい顔がいる。


「あー。おまえC組の狭山さやまだよな。久留巳くるみと付き合いなんかあったっけ」


「せ、生徒手帳。さっき。拾ってもらったから」


「呉内くん。ダメだよ、女の子驚かしちゃ」


「誰がどーみたって普通に喋ってるだけだろ。なぁ喜佐美」


「これから二人が仲良くなってくれるのが嬉しいかな。そろそろ急がないとだし、出発しようよ」


 近くには桜の花が咲いている公園もあって、みんなで綺麗だと言いながら通り過ぎた。明日はもう少し早く着いて、しばらく眺めながら過ごすのもいいだろう。


 八時を過ぎれば気温もだいぶ暖かくなって、太陽も少し眩しいくらいに明るく輝いている。

「改めてだけど。今年もよろしくね、久留巳さん」


「うん。二年生になっても、頑張ってこう」


 こうして二年生になって振り返ると、去年は色々なことがあった。悲しいこと。わからないこと。迷ったこと。全部解決したわけじゃないし、後悔していることも少なくない。


 けれど。今こうして喜佐美くんと今日という日が迎えられたことがなにより嬉しい。


「ちょっと内緒話なんだけど」


「なになに」


 喜佐美くんに合わせて、歩きながら少し屈む。呉内は狭山さんをからかうのが楽しいようで、これ以上聞こえないような工夫はしなくていい。


「今年も、久留巳さんとは同じクラスなんだよ」


「本当に」


 学年は上がったけれど、変わったことの方が少なくて。一年間ずっと喜佐美くんを支えてきた私が同じクラスになったのは不思議ではない。ないけれど、とても嬉しかった。


「後輩もできるし。文理選択もしないといけないし。やることがいっぱいだから。久留巳さんに助けてもらえることがあるだろうな」


「論文もあるしね。私も喜佐美くんや、新しいクラスメイトに助けてもらうことがたくさんあるかも」


 喜佐美くんは階段の昇り降りに気をつけないといけないし、体調によってはエレベーターを使わないといけない。体育の授業も内容によっては見学しないといけない。


 気をつけなくちゃいけないことはたくさんある。差し伸べてくれる手もたくさん必要だ。だから、彼を助けてくれる人は一人じゃなくていいし。一人しかいないんじゃ駄目だ。


 そんな中で、手を取ってくれるのが私の手であって欲しい。頼られて、信頼してもらう関係。喜佐美くんのことが好きだという下心ありきの行動だけれど、私は生きているのだ。


 過ごせば過ごすほど、私たちはいい関係になっていく。してみせる。


「お互い、いい時間を過ごせるように。頑張ろうね」


「もちろんだよ」


 一緒にいたいのは君だからと、言わせたいから。

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痛みを分かつ君といたい 柏望 @motimotikasiwa

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