"真実の愛"を唱えた王太子が、"婚約破棄"をした結果。

みこと。

第1話

 きらびやかな明かりが揺らめく船上パーティーで、それは起こった。


「カトリーヌ嬢、貴女との婚約は破棄させてもらう。私は"真実の愛"の相手として、ここにいるダユーと添い遂げたい」


 王太子アルフォンスの突然の言葉に、水をうったように甲板デッキが静まり返る。

 名指しされたカトリーヌさえも沈黙のままに、アルフォンスを見ていた。


 彼の横には、波打つ髪の女性が寄り添うように立っている。

 貴族の子女ではないという話。


 ダユー・レヴィアーテ。


 数か月前、ふいの事故で海に落ちた王太子を助けたダユーは、王城に暮らすことになり、そのまま彼女と王太子の仲は深まった。


 けれどアルフォンスにはれっきとした婚約者、公爵家のカトリーヌ・ルフォールがいたため、若い王子の一時的な遊びだろうと、軽く看過されていたのだ。


 側女そばめに取り立てるなら問題ない。

 だが、まさか、王家と公爵家の婚約にさわるほど、王太子が入れ込んでいたとは。


 アルフォンスは英邁で知られた王子。軽挙妄動とは縁遠い性質であったはずなのに。


 貴族たちが戸惑い顔を見合わせる中、怒りに満ちた王の叱責がとどろいた。


れ者め! ルフォール公爵家との婚姻は、王家にとって大切な結びつき。十年も前に取り決めた約束だ。それを身勝手に破棄しようとは何事か!」


「父上! 私が何度申し上げても、父上はカトリーヌ嬢との婚約解消をご承諾くださらなかった。もうこの場を借りてみなの前で宣言するしか、道がなかったのです」


「認められるわけがなかろう! 国益を優先するのは王族の大切な仕事だ。どこで拾ったやも知れぬ、そこな娘を選ぶというのなら、そなたに王子の資格はない! この場にて、その名を王家から除名してくれる!!」


 国王の言葉に、周りの貴族が一様に息を飲む。


 しかし同時に察してもいた。

 厳しい内容は、公爵令嬢や自分たちに対するポーズ。

 王太子がすぐに謝罪してダユーと別れさえすれば、若さゆえの気の迷いとして、修復を効かせるだろうと。


 一同は、王太子の反省からなる即時解決を待った。


 ところが。当のアルフォンスの反応は、そんな予想から外れたものだった。


「よろしいのですか?」


 端正な顔を輝かせて、彼は弾むようにダユーに告げる。


「ダユー。陛下のお許しが出た。これで心置きなく、お前と一緒に行ける」


 微笑む彼に、ダユーがニッコリと頷き返した。


「なによりです。"背のきみ"のうれいがなくなって」


 呆気にとられる人々をよそに、アルフォンスが王に向き直る。


「父上、有難うございます。カトリーヌ嬢、突然に婚約を反故にしてしまい申し訳なかった。貴女あなたは私には過ぎた、素晴らしい女性です。勝手なお願いですが、この先は我が弟との未来を考えていただければ嬉しい」


 カトリーヌと第二王子セドリックが密かに慕いあっていることは、見る者が見れば気づくことだった。

 アルフォンスが婚約者の座から退き、ふたりを推そうとしていたことも、実は知られている。

 ただ、公爵家と結んだ者が次代の王と定められていたため、国王がそれを良しとしなかったことも。


 イーステル国王にはふたりの優れた息子がいたが、父王はやはり長男に期待を掛けていたのだ。


「ま、待て、アルフォンス! そなた何を言っているのか、自分でわかっているのか?! 王子の身分を捨てれば、城にそなたの席はなくなる。この先平民として、苦労する未来が待っているのだぞ?」


 口にした勘当は本気ではなく、考えを改めさせるための脅しだった。

 まさか喜ぶとは。


 このままでは周りの目に対し、取り返しがつかなくなってしまう。


 愛しい息子の暴走を、王は慌てて止め始めた。


 賢明な我が子ならば、悟ってくれるはずだと。


 しかし、王の願いはむなしく散じることになる。

 アルフォンスが受け入れたのだ。


「承知しております、父上。今まで育てていただいた御恩は、決して忘れません。私の命ある限り、祖国イーステルは海からの災いを受けないことをお約束します。海に面する我が国としては、これ以上なく良い国益かと」


「な……に……?」


 何を言ってる?


 言葉の意味を、問い返そうとした時だった。


 王太子のかたわらにいたダユーが身をひるがえし、突然海に飛び込んだ。


「なっ──!!」


 直後に、人間では有り得ないほどの高い水柱があがる。


 それは天にも届くほどの勢いで、飛沫の後ろには、巨大な影がすっくと立った。


「リヴァイア……サン?!」


 伝説の水竜、海の神獣。


 その竜はどこまでも深い眼差しで、大きく揺れた船を見下ろしていた。

 ダユーと呼ばれた娘と、まったく同じ藍色の瞳で。


 ◇


 遠き昔、リヴァイアサンの力を恐れた神が、種族を栄えさせるわけにはいかないと雄竜を殺した。

 つがいの片割れを失い、雌竜は悲しみに暮れ、深く海の底に眠ったと伝えられる。


 目の前の竜は、まさにその神話の竜だと思われた。


 あおく優美な痩身から、おそらくはリヴァイアサンの雌。


「まさか……、まさかダユーという娘の正体は……」


 王の呟きを引き取って、王太子アルフォンスが答えた。


「ご推察の通りです、父上。数か月前、私が海に落ちた際。水に消えかけた私の魂が、彼女にしらせたのです。彼女が失った伴侶は、いま人間として、この世にあると」


 はっとしたように、王は息子を見た。


「神の意図で竜の肉体からだを失った私ですが、彼女は私の唯一のつがい。十年来の婚約など比べものにならないほど、いにしえからの」


 強い意志を声に乗せて、アルフォンスが言う。


 記憶が戻ったのは、海で死を意識した時。

 次の転生に備えて、魂が離れかける刹那、思わずダユーの名を呼んだ。


 その"叫び"は海にけてダユーに届き、リヴァイアサンの雌雄は驚きの中で、数千年ぶりに再会した。


 これからは共にりたい。


 しかし現世のアルフォンスは、多くのしがらみを持つ立場だった。

 無責任に投げ出す前に最善を探して、この数ヶ月を努めた。あらゆることを引き継ぎ、整理した。

 そして今日、最後の強硬に出ることは、婚約相手だったカトリーヌも承諾済みのこと。


 アルフォンスはダユーと。

 カトリーヌはセドリックと。

 互いがそれぞれの"真実の愛"を貫くため。


 全ての責は、アルフォンスが引き受けた。己の放逐をってして。


「親不孝をお詫び申し上げます、父上。離れていても、誓ってイーステルはお守りします」


 船におろされたダユーの首に身を預け、アルフォンスは彼女と海に出た。



 父王やカトリーヌ、貴族たちを残し、彼がいずこかへ去った話は、不思議な逸話として、やがて伝説に加わる。



 このイーステルの一幕は伝えられるうちに形を変え、"イース"という国のテイル物語として世に広まり、"イース"が水底に沈んだ都だと語られたり、ダユーが悪女とされたりもしたが……。


 真相は歴史と海の底にあり、夜の波はただ月明かりを弾いて、波音を伝えるだけであった。

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"真実の愛"を唱えた王太子が、"婚約破棄"をした結果。 みこと。 @miraca

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