わたくしの婚約は破棄される予定だそうです。計画を知ったので、婚約相手の弟ぎみと手を結ぶことにしました。

みこと。

第1話

 王太子殿下の婚約者であるわたくしに、弟ぎみである第二王子殿下から、"内密に会いたい"とご連絡が届いたのは、卒業パーティーを控えた一か月前のことでした。


 "内密"という言葉の不穏さに眉をひそめ、お受けしたものかどうか悩んだものの。

 今こうしてゲオルク殿下の前に座し、勧められるままにティーカップを手にしているのは、そのお話の内容が、王太子殿下やわたくし、アデリナ・ユーセビアスが通う王立学園に関するものだとお聞きしたから。


 ゲオルク殿下は招いたわたくしに軽く謝辞を述べてから、おもむろに切り出されました。


「突然このような場を設けました事、さぞ驚かれたことと思います。単刀直入に申し上げます。実は俺は、兄上が婚約者である貴女あなたを差し置き、近辺におかしな女性を近づけている事態に深く憂慮している次第です」


 はぁ……。

 やはり、この話題でしたか。


 わたくしは内心、嘆息いたします。


 周囲からもさんざん聞かされてまいりましたし、わたくし自身、何度もの当たりにしています。

 王太子ヴィラント殿下が学園内で男爵家のご令嬢に近接を許し、身近に置かれて何かと優先されてますこと。


 婚約者であるわたくしが放置されているのは誰の目にも明らかで、父、ユーセビアス公爵からも「どうなっているのか」と日々問い詰められているのが、いまのわたくしの悩みの種。


 そんなわたくしに視線を定められたまま、ゲオルク殿下が言葉を重ねられます。


「アデリナ嬢は、幼少の頃から兄上とご婚約されています。貴女の長年の王太子妃教育も存じ上げておりますし、将来は"義姉上あねうえ"とお呼びさせていただく方と信じて疑っておりません。ですが現状いまのままでは……」


 いまのままでは?

 言い淀まれた続きが気になり、2つ年下の殿下のお顔をうかがいます。


 わたくしとヴィラント殿下が同い年で18歳。ゲオルク殿下は今年で16歳。


 ふいに目が合い、殿下の真剣なまなざしにわたくしはドキリとしました。

 ヴィラント殿下によく似た濃藍色の瞳には精悍さが隠れ見え、最近大人びてこられたとの噂通りに。

 少年から青年へ、そんな成長の力強さを感じます。


 いつの間にこんなに大きくなられたのか。

 両殿下とわたくしと、三人で遊んだ日々は、つい昨日のことのように思えますのに。


「アデリナ嬢は、兄上のことをどう思っていらっしゃいますか?」


(!!)


 これは、どういう意図のご質問なのでしょう?

 不躾にこんなことをお尋ねになるなんて。


 それでもわたくしは、お答えしました。


「もちろん、お慕いしておりますわ。穏やかで、思慮深くいらして。ずっと尊敬してきた方です。生涯、誠心誠意、お仕えしたいと思っています」 


 これは、間違いなく本心。

 わたくしが知る殿下は常に公平で冷静。判断力に優れ、周りの意見にもよく耳をお貸しくださるお方。


 でも……、そうね?

 最近噂の男爵家ご息女、マルテ嬢とのご関係については、わたくしが何度、適度な距離をお保ちくださるよう申し上げても聞き入れてはくださらないけれど。


(……いつも公私をきちんと分けられていたヴィラント殿下らしくもなく、人前であんなにマルテ嬢だけを優遇されるなんて)

 

 そして逆にわたくしを遠ざけらておられるように感じるのは、気のせいではないはず。


 わたくしの胸が、ズキンと痛みます。

 

(わたくしはヴィラント殿下のお気に障るようなことをしてしまったのかしら)


 沈む気持ちに、笑顔を忘れてしまいそう。



「……アデリナ嬢、貴女あなたを見込んでお話ししたいことがあります」


 ゲオルク殿下が少し声を落とされました。


「ここだけの話ですが、今回の兄上とマルテ嬢との件。父上は、後継者として兄上の資質をご覧になるために静観しておられます」


 ハッと顔をあげたわたくしに、殿下はそのままお続けになりました。


「つまり、兄上の行動如何いかんでは、兄上が第一王位継承者からはずされる可能性もある、ということです」


(…………。そういうこと、ね)


 わたくしは今回の会談の理由を察し、心寂しく感じました。


(つまりゲオルク殿下は、王太子の座を狙っていらっしゃるんだわ。ヴィラント殿下のことをあんなに"兄上、兄上"と追いかけてらしたゲオルク殿下が)


 幼馴染としてわたくしが見るおふたりは、とても仲の良いご兄弟でした。

 特にゲオルク殿下は、ヴィラント殿下のことが大好きで、いつもついてまわられていた。


(歳月や権力の無情さを感じる)


 ゲオルク殿下は、学問にも武芸にも意欲的な御方。

 何事も真摯に学ばれ、お若いながらも政務に携わって、その手腕を発揮されながら、才覚を伸ばし続けていらっしゃる。

 寄せられる期待も多く、将来を嘱望されている。


 有能なゲオルク殿下が何らかの野心を抱いたとしても、おかしなことではない。


 王位に就くためには、有力な貴族の後押しも重要。

 わたくしが王太子殿下の婚約者に選ばれたのは、我が公爵家が貴族のまとめ役であったから。

 次期王妃の実家として、ユーセビアス公爵家が最適だったから。

 年が近いのは、単なる幸運。


 であれば、王位獲得のため、ゲオルク殿下が次に望むのは──。


「アデリナ嬢、俺の味方になってください」


 予想通りの殿下のお言葉に、わたくしはそっと目を伏せ、手元のティーカップを見つめました。

 紅茶に映った自分の姿が、お茶にあわせてユラリと揺れます。


 でも。

 だけども。


 わたくしは、ヴィラント殿下が好きなのです。


 ほがらかで、誠実で、お優しくて。然るべき場では毅然とした態度を貫かれる、そんなヴィラント殿下が大好きなのです。

 急にわたくしに素っ気なくなられたとしても、わたくしから殿下を裏切る気持ちはありません。

 

 ゲオルク殿下のお力にはなれない。


(ここはきっぱりとお断り申し上げるべきね)


 ゲオルク殿下のご提案と、わたくしが決意を込めて口を開いたのは同時でした。


「ゲオルク殿下のお申し出をむことは出来……

俺たち・・・で兄上に"好き"という気持ちを、もっとアピールしましょう」

 ……ませ──え?」


 えっ? ゲオルク殿下、いま何とおっしゃったの?

 好きをアピール? え??


 聞こえた言葉に当惑し、意味を反芻しているわたくしに、ゲオルク殿下が更に驚くべきご発言をされました。


「兄上はマルテ嬢を理由に、卒業パーティーで貴女あなたとの婚約破棄を発表されるおつもりです」


「え!? 婚約破棄?」


 淑女にあるまじき大きな声を上げてしまい、思わず口元を隠しましたものの。


(わたくしとヴィラント殿下の関係は、そこまでこじれてはいなかったはず)


 思いがけない単語に、わたくしは完全に戸惑ってしまいました。

 被せるように、ゲオルク殿下が言を足されます。


「そして、その結果起こった混乱で、廃太子どころか王籍剥奪までせきう想定をされています。つまり兄上は自ら城を出るよう、いま動かれているのです」


「なっ……」


「なので、俺はそれを阻止し、兄上をお引き留めしたい」


(ま……待って。いろいろと理解が追いつきませんわ)


 思っていた方向と、何か違うような?


 呆然と固まるわたくしに、ゲオルク殿下は言い募ります。


「兄上はアデリナ嬢や俺に甘いですから、全力ですがれば、ほだされて思い直してくださるかもしれません」


 いつの間にか握りこぶしまで作って、ゲオルク殿下が熱弁中ですが。


 わたくしは口のに出すのもはばられることを、確認せずにはいられませんでした。


「殿下……あの……。今回のお話、ゲオルク殿下ご自身が王太子になられたい、ということではなかったのですか?」


「俺が? とんでもない! 俺は幼い頃、兄上に救われて以来、兄上に尽くすと心に誓ったのです。これまで研鑽を積んできたのも、ひとえに兄上のお力になるため。なのに兄上に出奔されてしまっては、俺の努力は無意味です」


「無意味、ということはないはずですが……。その、ゲオルク殿下? ヴィラント殿下が婚約破棄を宣言されて、王家を出ようとされている、というのは、確証のあるお話なのでしょうか? ヴィラント殿下はなぜそんなことを?」

 

 あまりに突拍子のない事柄です。うかつに妄信するわけにはまいりません。


 わたくしの疑問に、ゲオルク殿下は頷かれました。


「たった一度だけのことですが、俺が5歳の頃、兄上がお話し下さったことがあります。この世界には"悪役令嬢"がいて、兄上は18の時に"ざまぁ"されて城を出ることになるのだと。兄上は"それが原作だから"とおっしゃっていました」


 ゲオルク殿下が5歳の時と言えば、ヴィラント殿下は7歳です。


(そんな頃に、そんな会話を?)


 信じられない思いに包まれながら、わたくしはゲオルク殿下のお話に聞き入ります。


「どういう意味かわからぬまま、"兄上がいなくなるなんて嫌だ"と大泣きしたので覚えていたのです。そして今回、理解しました。兄上はきっと、この未来を予言をされていたのだと思います」


 つまり、悪の令嬢が"マルテ嬢"で、"ざまぁ"とは"魅了"。

 "原作"は、"さだめ"や"運命"を意味するのではないかと。


「兄上は以前より王位を避けようとしているフシがありました。敢えてマルテ嬢の"魅了"に乗っかり、"原作"とやらにそって、城を出てしまおうと目論まれている。俺はそう感じています」


 そしてゲオルク殿下が探った情報によると。


 もし平民として生きることになっても、ヴィラント殿下は偽名で商団を隠し持っておられるそうです。

 彼が十分に生きていけるだけの備えをしていることに気付いたのは最近。

 けれど、それこそヴィラント殿下が未来さきを見越し、何年もかけて準備していた証左だろうと、ゲオルク殿下はおっしゃいました。そのうえで。


 兄に去られたくない。

 必死に頼めば、未来ゲンサクを捻じ曲げて残ってくれるかもしれない。

 "魅了・・"を覆すほどの・・・・・・"好き・・"をぶつければ・・・・・・、あるいは。


 そのために自分だけでなく、同じく兄のことが好きな貴女あなたの力を貸して欲しい。



 そうお願いされました。


 なんということでしょう。

 ゲオルク殿下のお話は、わたくしの予想をはるかに超えたものでした。


 そして、ゲオルク殿下は以前同様、兄大好きっ子でした。

 ちょっと、重くて心配になるくらいに。


 あっ、いえ、微笑ましく喜ばしいことと思いますが。


「かの男爵令嬢は奔放で自由だと聞きます。おそらく何度も、愛の言葉を兄上に捧げていることでしょう。俺たちは自分を抑えすぎだと思うのです。もちろん王族や貴族として場を見る必要はありますが、私的空間プライベートがないわけではない。兄上には、もっと素直な気持ちをお伝えすべきです」


「──ヴィラント殿下は、平民となってマルテ嬢と生きたいと思っておられるのでは……?」


 心にかかる懸念を震える思いでつぶやくと、ゲオルク殿下によって即座に否定されました。


「まさか。彼女が兄上の地位と財力だけが目当てなのは、兄上だってご存じです。相手が何を求めているか見抜けないで、王族は務まりません。兄上が平民になりでもしたら、互いにすぐ離れるでしょう。それに彼女は、兄上の好みではありません」


 ゲオルク殿下はいたずらっ子のような表情をのぞかせ、年相応にニコリと微笑まれました。


「兄上のお好みは、白銀の髪に、陽葉のような明るいみどりの瞳。アデリナ嬢、貴女あなたです」


(────!!)


「なのに貴女あなたを残して俺に任せようとするんだから、本当に意味がわかりません。"アデリナ嬢に対し、無責任なことをしてしまう。後を頼む"。酔った席で、そう声を絞り出されてもね」


 困ったように首をふって、ゲオルク殿下はおっしゃいました。


「俺に協力してくださいますね? 義姉上・・・


(うっ。駄目NOと言わせない使いどころですわ)


「……先ほどおっしゃられていた、"大好きアピール"のことですか?」


「言葉にしないと伝わらないことはたくさんあります。それは単純で明快で当然のことなのに、不思議と忘れがちになるのが日常です。身近にいて、気心が知れた相手ほど、その傾向にあります。俺、もうずっと兄上に"大好き"だとお伝えしてなかったんですよ」


 すっかり16歳の仕草に戻られたゲオルク殿下が、反省するように肩をすくめられました。



(そう……。わたくしだってこの気持ちを、お伝えしたことはなかったわ)



 大好きだと申し上げたら、ヴィラント殿下はどんなお顔をされるかしら。

 政略結婚とはいえ、わたくしがずっと殿下だけを想っていることをお伝えしたら。



 渡る風が緑葉を揺らし、眺める庭園が一層眩しくて、わたくしは目を細めました。

 ゲオルク殿下に招かれたお茶会は、後味の良い香りを残して幕を閉じ、わたくしは殿下と手を結ぶお約束をしました。



 ◇



 かくして、その後。


『大好きだから、そばにいて作戦』(ゲオルク殿下命名)のもと、わたくしとゲオルク殿下の好き好き攻撃が開始されました。

 標的ターゲットはもちろんヴィラント殿下です。


 殿下にお会いするたびに、わたくしたちはいかに殿下のことが大好きか、競うようにお伝えしました。

 淑女として恥じらうところはあったものの、気持ちのままに素直な"好き"を囁くのは心地良く。

 驚かれながらもやわらぐヴィラント殿下を感じるのが、とても嬉しく。 


 そうして。


 やがてヴィラント殿下は桃色髪のマルテ嬢をかまわなくなり、卒業パーティーが滞りなく終了した後も、殿下はわたくしたちのそばにいてくださいました。


 結婚指輪をはめた手を互いに絡めて。

 王と王妃として並び立ち、国を守る今日こんにちも。

 きっと明日も、明後日も。


 ヴィラント陛下・・のとなりで、わたくしは"好き"を伝え続けるのでした。




 追記。

 王弟ゲオルク様との"協定"は依然続いておりますが、義弟君おとうとぎみには他にも"好き"を届けるお相手が出来たようです。

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わたくしの婚約は破棄される予定だそうです。計画を知ったので、婚約相手の弟ぎみと手を結ぶことにしました。 みこと。 @miraca

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