エピローグ 終/集

 丑満はヘッドホンを外し、深く深く息をつく。込み上げるものを抑えようと眉間を捏ねれば、築田がちくりと釘を刺した。

「もう、丑満先生! 盗み聞きしてる暇あるのになんであの子たちのこと止めてくれなかったんですか⁉︎ 学校中大騒ぎになってますよ!」

「おー、大袈裟大袈裟。煮干し食います?」

「カルシウムで制御できる感情にも限度がありますって!」

 私まで怒られるのに、と頭を抱えて彼女はぶつぶつ呪詛を唱え出す。適当に宥めると再び鬼の形相と化し更なる抗議をぶつけてきた。そこまで言わなくてもいいでしょうよと思いはしたものの、丑満礼司は賢明な判断ができるナイスガイ。ここは口を噤んでおこう。

 するとこちらが受身に回ったことで手応えを無くしたのか、築田は急に怒りのボルテージを下げ、ぽつりと静かに呟いた。

「……だって、あの子たちもうとっくに五十ポイント超えてたじゃないですか」

 言いたいことは理解できる。その事実を告げて反面教師部の計画を制止していたら、勝手に新たな鍵を設置されたり学校をペンキまみれにされたりして各方面に支障をきたすことも無かった。客観的に見れば築田が放っているのは、正論すぎる程の正論だ。

 けれど、

「……見たかったんですよ、俺は」

 手癖で人差し指と中指を口へ近づけてようやく、何も咥えていないことを思い出す。誤魔化すための曖昧な笑いを、築田は黙って眺めていた。

 新任の彼女には、おそらく実感が無いのだろうけど。

「ここの生徒がたまに不気味に思えて仕方ない。常にカメラを気にして、一切口答えもせずに、ただ優等点のことだけを考えて学校生活を送る姿が」

 優等生たちは何も悪くない。模範的に過ごせと言われ、その指示に従い環境に順応しているだけ。しかしそれが丑満にとって酷く虚しく感じられる時がある。

「この前、うちの委員長を街で見かけたんです。そしたら普通に歩いてた彼女の目の前で、リーマンが派手に書類をぶちまけて。彼女、どうしたと思います?」

「え? 拾ってあげた……んじゃないですか?」

 突然話を振られた築田は、戸惑いつつも予想通りの回答をした。その答えは至極当たり前だ。彼女を知る者なら百人中百人がそう答えると確信を持てるくらいに。いつでも笑顔で誰に対しても優しく、非の打ちどころが無いクラスの委員長。

 だがそれはあくまで、この高校での話。

「彼女、スマホを取り出して横を通り過ぎて行きましたよ。見て見ぬフリしたんです、あのザ・優等生がね。カメラが無くなった途端、普段の優しさなんか一切なくなって、別人のように無関心ときた」

 築田は言葉を失っていた。

 一つの場所で見せている姿が本性だとは限らない。まして場所とやらが、生徒を監視下に置くこの高校であれば尚更。人の目や評価の有無で言動に差が出るのはよくあることだ。けれどもその差が激しくなればなる程、何が本当で何が嘘かすら、わからなくなってしまう。

「だから見たかった。本物の感情ってやつを」

 より良い人間を世に送り出すための監視システム。そんな手段に縛られた場所の中でまだ偽りのない生き方をしている奴がいるのなら、そいつらに賭けてみたかった。仮に、残業時間が倍になったとしても、だ。

 無論、当初はここまで肩入れするつもりも無く。だというのにいつの間にか目で追って、目で追うだけに留まらなくなって。何が自分をそうさせるのかは不確かだったけれど、今さっきの反面教師部の面々を見ていてなんとなくその輪郭を掴んだ。たぶん教師として、我儘な中年男性として、青春というものに失望したくなかったのだと思う。

「しかしまあ、それくらいは許してくださいよ。折角教師やってるんですから、高校生らしい高校生を近くで見守りたくもなるもんでしょ」

「……邪な意味じゃないですよね?」

「まさか。俺は生まれてこの方年上派です」

 築田の怒りはある程度収まったらしい。頭の中には彼らのやり取りが残した余韻。まったく。期待はしていたが、期待以上のものを見せてくれたものだ。今度何かしら労いでもしてやろうか、と考え、丑満は左隣のデスクにへらりと笑みを投げかける。

「あ、築田先生も見ます? 最高ですよ」

「何言ってるんですかもうすぐホームルーム! というかその前に臨時清掃!」


 ◆


「あー、疲れた……」

「ボクでさえ疲れてんだからよくやったんじゃないの、お疲れ」

「ですが思ったより叱られなくてよかったですね」

「叱られなかったっていうか、呆れて言葉が出ないって感じだったけどね〜」

 昼休みが始まった途端に四人は丑満と築田に呼び出され、一応説教を喰らった。一応というのは千歳の言う通り、築田がげっそりした顔で少し小言を言う程度だったからだ。なお後処理は放課後まで続き、午後六時の今に至る。

 だが四人は、形だけの説教なんかより遥かに重要な問題に再び直面していた。

「それにしても……今回のような形式ではなく、他に点を稼ぐ方法を考えた方がいいかもしれません」

「三年頭までに三百ポイントだっけ? マジで急にハードル上がりすぎでしょ」

 四月頭に課せられたのは五十ポイント到達。目標達成が告げられたかと思えば、次の目標が丑満の口から飛び出たのだった。すなわち、退学の危機は完全に消え去ったわけではない。

「とりあえずゲームしてから考えない〜? アイデア浮かぶかもしれないよ〜、反転裁判持ってきたからやろ〜!」

「……ゲーム三昧で満足して帰る未来が見える、部長権限で却下。あとこれ以上私物増やすなって言っただろ」

「え〜? 烏丸のケチ〜、人でなし〜」

「なんとでも言え、簡単にでもいいから話し合うぞ」

「は〜い。じゃあ部長、それっぽい感じでよろしく〜」

 渋々といった千歳の一言で「それっぽい感じって何だよ」と抵抗する間も無く三人の視線が集まる。唐突な無茶振りに思わず苦笑するが、こんなのは今に始まったことでもなかった。

 慣れていかないとな。これから、何度も繰り返すことになるんだし。

「えー……今これより、部長の烏丸が『反面教師部』定例会議の開始を宣言する」

「異議あり〜!」

「一旦ゲームから離れろ!」




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反面教師部と水色の春 近衛憂 @U_konoe

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