浮気と裏切りに制裁を
鶴森はり
浮気と裏切りに制裁を
「ごめんなさい、ゆるしてくれる? ね?」
「しかたないなぁ」
昼休憩。ディスク仕事から開放された三人は、ようやく食事にありつけた。
オフィスの一階に洒落たカフェがあり、同期である三人はそこで昼食をとるのがルーティンになっている。
目の前で手を合わせて謝る宵子に夕美は苦笑して、財布から百円玉を取り出す。トレーの上に転がせば宵子は泣きそうな顔から一変、花が咲いたように笑った。
「ありがとう夕美。助かったわ」
「気にしないで」
白い手が夕美の手を握り感謝を伝える。潤んだ大きな瞳にピンク色がのったぽってりとした唇、愛らしさに溢れた宵子は同性から見ても魅力的だ。
誰もが見とれるなかで、隣でもうひとりの友人が快活な笑い声をあげた。宵子とは違い、日に焼けた元気そうな女である。
「宵子、夕美に甘えすぎだって。これで何回目よ!」
お金が足りない――という理由から宵子が夕美から借りた金額、回数など覚えていない。三十回こえたあたりで数えるのをやめてしまった。
どうせお金だって戻ってこないのだから、と夕美は諦めている。
「ごめんね?」
小首をかしげて、上目遣いでの謝罪に手を振って気にしないでと伝えた。三人は頼んだ食事が乗ったトレーを持って空いたテーブル席を探す。
すると近場の男が慌てて立ち上がった。
「ここどうぞ!」
「いいの?」
「はいっ! 宵子さん、あのよければ今から一緒に」
「ありがとう、今度またお礼するわね」
「あ、……はい」
急いで食べ終えた社員の男が、しょぼくれた様子ですごすごと立ち去る。宵子はもうその寂しげな背中を見ていなかった。
社員で混んでいるが宵子が近づけば席は譲られる。
社長の娘で、遠慮なく立場という権力を振りかざす彼女が一声あげれば面白いぐらいに、みんなが彼女がしたことを全て肯定して許すのだ。
「ねぇねぇ宵子ー、今の人とどういう関係なのよ! もしかして恋人?」
「違うわ。私には心に決めた人がいるの。知ってるでしょう?」
「ひゃー、アツアツだねぇ」
「アツアツって……恥ずかしいわ」
容姿が整っており、社長の娘ということでモテる宵子。
夕美ともうひとりの元気が取り柄の実咲はオマケ程度の扱いだ。付き人、いや金魚のフン程度にしか周りは思っていないだろう。
恋愛マンガ大好きで他人の恋愛を覗きたい実咲はどうか知らないが、夕美としては、この見世物状態は居心地が悪い。
何度も経験すれば慣れるかと期待していたが、二年も経った今でも無理だった。
「せっかく二人が付き合うように手伝ったのに、なぁんにも教えてくれないんだもんなー」
「ふふ、だって……」
ちらりと夕美に意味ありげな目線をよこす宵子に、実咲もニヤリと嫌な笑みをむけた。揶揄する気満々な二人に夕美は黙ってサンドイッチを食べた。
シャキシャキレタスとトマトの酸味、チーズのコク。美味しいはずなのに。
「夕美……アンタはどうしちゃったのよ?」
「何が?」
「とぼけちゃって! そのアクセサリーよ」
「あぁこれ」
首元で白い輝きに、耳元で揺れるピンク色。細く品のあるそれらは一目で高級品であると見破られる。夕美はそれをなぞり、肩をすくめた。
目敏いな、さすが。感心する。
「なになに、買ったわけないよね。うち安月給だし。それってさ」
「うん、もらったの」
「うっそまじ! えー、いいなぁ」
「そう?」
「だって、それどう考えても安くないでしょ」
華奢で繊細ながらもふんだんに宝石があしらわれたアクセサリー。値段など聞いてもいない。
――俺の隣に立つのだから。
いやな主張で渡され、着せ替え人形のように着飾られる。彼が納得できる女として仕立てられた。夕美の感情など入る隙間はない。
「そうなのね。でも夕美はそういうの……なんというか得意じゃないわよね」
紅茶のカップを両手で持つ宵子が目を細めた。口の端が吊り上げて、品定めするような視線をよこす。瞳に宿る色は明らかだ。
夕美はぱくりとサンドイッチを食べ終えて、コーヒーを飲み干した。
「あたしもそんなのくれる恋人がほしーい!」
のんきな実咲の望みが落ちたとき、ふと夕美の後ろに誰かの気配がする。正体を知っている夕美は立ち上がり、振り返った。
「ずいぶんと、はやいね?」
「きみに早く会いたくてね」
わたあめのような甘さと軽さがある響き。後ろで待ち構えていたのは、夕美の婚約者だった。
昼休みに、すこしでも話したいと提案したが、律儀にも会社まで迎えに来たらしい。
「ちょ、ちょちょっと。夕美、このイケメン誰よ!」
「彼はお見合いで知り合った、孝雄さん」
「えっじゃあネックレスくれたお金持ち?」
間違ってはいないが、品のない発言だ。実咲に空気を読むなどは不可能だが、もうすこしどうにかならないものか。
夕美が素直に頷くのを躊躇っていると、宵子がすっと立ち上がり、自慢の黒髪をさらりと流して行儀よくお辞儀をした。
美しい動作は、彼女の育ちの良さがあらわれていて、清純な空気を漂わせている。
「はじめまして。夕美の親友の宵子です」
花のような微笑みは、とろける甘い蜜のように芳香を放っていて虫を誘惑する。上品でありながら、艶めかしさと隙をのぞかせているのが巧妙だ。彼女は男の扱いを心得ている。
あぁ、彼女らしいな。
夕美は宵子と婚約者の孝雄の間に生まれた、奇妙で肌にねっとりと絡みつく熱を感じ取る。
見つめ合う二人の様子を察したらしい実咲は、瞳をキラキラとさせた。期待に満ち溢れたそれは少女漫画を読み、恋を楽しむ若い少女そのものだ。夢見がちで、禁断やらそういった恋愛を傍から見るのが好きらしい。
「……ねぇ、孝雄さん。そろそろいい?」
わざわざふたりきりの時間が欲しいと提案した夕美は、ぼうっと立ち尽くす高尾へ声をかける。
「え、もう行ってしまうの……?」
とたんに宵子が悲しげな表情を浮かべた。まるで好きな人を取られたかのような。
「あの。わたし」
宵子の蚊の鳴くような声は、騒がしいカフェにのまれてかき消えた。
名残惜しげに、戸惑いがちに。宵子の手が孝雄へと伸ばされる。しかし服を掴む前に、きゅっと己自身の手を握り合わせて引き止める。祈るように両手を合わせて胸に抱える姿は、どこまでも健気で儚げだ。
孝雄はそれを一瞥してから眉を寄せた。苦しげな、たえるように。
私が邪魔しているみたい。
夕美は心の声を、決して表に出さず。
未だ見つめ合う悲劇のヒロインとヒーロー然とする彼女たちを置いて、さっさっとカフェを出た。
「――ねぇ、実咲。わたし、どうしたらいいの」
夕美には言えない相談がある。そう宵子に呼び出されたとき。実咲は不謹慎だが期待に胸をドキドキさせていた。
仕事が終わり。夕美を避けるように、二人揃って、こそこそと退社して個室がある居酒屋に飛び込んだ。
甘いカクテルを頼んで人心地ついたころ、宵子は不安を隠しきれず、重い口を開いた。
結果。まさか、と予想した未来は現実となった。
実咲はぎゅうっと胸元を掴む。緩みそうな顔を引き締めなければ。
宵子はこんなにも思い悩んでいるのだから、親友である自分がしっかりして、助けよう。実咲は己に言い聞かせて、息を吐きつつ興奮を押し殺した声で、密やかに問いかけた。
「ひとめぼれ?」
「えぇ。ひとめみて、あぁこの人だって。わたしが探し続けてきたのは、待っていたのは孝雄さんだったんだって気づいたの」
ほんのり頬を赤らめて、熱っぽい吐息をこぼす。瞳はとろんと潤んでいて。孝雄に恋い焦がれているのは一目瞭然だった。
しかし孝雄は。
「夕美の、婚約者なのよね……駄目だってわかってるの。でもね、どうしても」
苦しげに言葉を飲み込む。決定的な発言はだめだと諌めている姿に、実咲はときめきを感じずにはいられない。
禁断の恋――なんて素敵な響きなのだろうか。
「宵子、あたしの目から見ても絶対孝雄さんも宵子が気になってたよ!」
「えっ……?」
目を丸くする宵子に頷く。
夕美がカフェから出ていったあと、孝雄は宵子しか目に入っていなかった。正直、夕美など眼中にない。
求めるように何度も口を開いては、閉じていた。やがて簡素な紙切れを、宵子の細く小さな手に握らせると「すまない。不誠実と思われるかもしれないが、このチャンスを逃したくない」と立ち去った。
わかりやすいにもほどがある態度だ。
「そう、なのかしら」
「そうだよぉ! 紙にはなんて?」
「……れ、連絡先よ」
恥じらいつつ折りたたまれた紙を取り出す。宝物のように両手で丁寧に広げると、綺麗な字があらわれた。
連絡先だけで簡素な内容だが、それのほうが本気なのだと、うかがえる。
「もう連絡したの?」
「えぇ、何かご用だったのかしらと思って」
鈍感な子。まるで昨日読んだ漫画の主人公みたい。ヒーローの好意に一切気が付かないで、振り回す。実咲のだいすきなヒロイン。
「そしたら、そしたらね」
「うん、うん」
「あ、あいたいって。ふたりで。でっでもお互い婚約者がいるのに、悪いことなんじゃないかって。……わたし、どうしたら」
「宵子は会いたくないの?」
「会いたいわ!」
言い切った宵子は、はっと口を押さえて警戒するように辺りを見渡す。当然個室なので、二人以外は存在しない。すぐにホッと胸を撫で下ろした。
実咲のなかに充実感、幸福、興奮があふれる。
日常が一変する、作り変えられていく感覚にぞくぞくした。まるで物語に飛び込んだよう。
「二人が同時に運命だって思ったってことでしょ……素敵」
「そうなのかしら」
「そーじゃなきゃ孝雄さんだって婚約者がいるのに連絡しないって!」
「うんめい……」
「二人は結ばれるために出会ったのね、すこし遅かっただけよ」
すこし遅かったおかげで、運命は刺激をそえてやってきた。実咲は何度も感じ入るように頷く。きらめく言葉の数々を噛み締めて、ふと。
「あっでも……宵子、いいの? 彼は」
彼――宵子の婚約者だ。彼とは大恋愛の末、宵子の親に認めてもらうまで辿り着き、ようやく結婚を許してもらった。
そのときも手伝ったのを思い出す。ふたりきりになれるよう手配して、忘年会やらも隣に座らせて、酔った宵子を送るように仕向けた。
あのときの二人、とても幸せそうだった。交際も周知の事実で、みんなに祝福されていたのだ。
そこまで行くのに苦労したのを知っている実咲は、一抹の不安に駆られる。
宵子は首を横に振って、悲しげに眉を下げた。
「みんなお祝いしてくれたから、言い出しづらかったんだけれど……あの人、変わってしまったの」
「どんなふうに?」
「わたしに興味がなくなったみたいに、そばにいてくれないし、返事も素っ気なくて。笑ってもくれないの、記念日も忘れちゃったみたいで」
「なにそれ、ひっどい!」
「きっと運命じゃなかったのね、わたしたち。だって孝雄さんを初めてみたときと、全然違ったもの。孝雄さんは」
宵子は紙を抱きしめて、俯く。さらりと耳からこぼれた黒髪で顔は見えないが、のぞく肌は朱色に染まっている。
健気さがヒロインの風格で、応援したくなる。
その姿を眺めつつ、実咲はムカムカとした気分を露骨にあらわす。
せっかく運命だと思ったのに、だから手助けしたのに。なんてひどいやつなのか。いやこうして、本当の相手と出会ったときのスパイス的存在になったのだから、無駄ではないのだろうけれど。
「ねぇ実咲、わたしって最低ね。だって親友の、夕美の恋人をまた奪うのだから」「っそんなの仕方ないよ……! 恋するのはどうしようもないし、ただ相手がいるだけでしょ? 出会うのが遅かっただけ。ここから頑張ればいいんだから」
「……そうかしら」
「そうだよ!」
がたんと立ち上がれば、宵子が見上げる。迷いに揺らいだ瞳が一度瞬きすれば強い光が灯った。決意と覚悟に染まる、ヒロインの瞳だ。
燃え上がる恋に溺れていくあのヒロイン。
「そう、よね。諦められないんだもの、仕方ないわよね。……もし、私、彼との付き合いを反対されたら」
どこまでも二人で逃げる、それぐらい好きなんだもの。
とろけるような言葉だった。
夢にも見たシチュエーションだった。実咲は宝石のように輝く宵子に、喜びに満ち溢れた声で応える。
見守るなんてもったいない。純愛を貫き通そうとする二人を応援するのが、実咲の役目だ。
「また、手を貸してくれる?」
「当然よ、親友だもん」
「夕美、今度は許してくれないかも」
「許してくれるよ、だってお見合いで知り合ったって言ってたから恋じゃないもの。それに」
運命なんだから。
お守りのような言葉を、実咲と宵子は声を揃えた。どちらともなく笑って、これからのことを話し合った。
「――そんなの、無責任ね。どうなるか想像もできなかった?」
燃え上がる恋は、やがて火の海と変化して周りを焼き尽くした。
氷のような瞳で見下ろす親友である夕美に、地べたに座り込んだ実咲はきっと睨みつけて叫ぶ。どうして。
「どうしてこんなことするのッ!」
あれから。
あれから全てが順調だったように思う。
実咲は夕美と二人だけの予定を作り、そのすきに孝雄と宵子は逢瀬を重ねていた。
メールや電話で教えられる進展。今日はショッピング、夜景の見えるレストランでディナー、ホテル、最終的には孝雄の家でお泊まり。
うまくいっていた。やはり運命だったらしく彼女たちは息をつく暇もなくお互いにのめり込んでいき、すぐさま恋人になっていた。毎日のように愛を確かめあい、乗り越えなければならない障害についても語り合っている。
理想のカップルだ。きっと二人でならば婚約者などの問題を解決できると確信した。それほどにもお似合いだった。
なのに。なのに、なのに!
「それはこっちのセリフじゃない?」
億劫そうな夕美を引きずり込んだ給湯室。
狭い空間で、夕美は気だるげに背中を窓に預けている。対する実咲は、朝方に起きた事件の恐怖から、立ち上がる元気もない。
協力を約束して二ヶ月すぎた朝。
いつもどおりに出勤した実咲を待ち構えていたのは、いつもどおりとは異なる空気であった。
とてつもなく重く、嫌な視線があちこちから突き刺さる。
おはようございます、と声がけしようが遠巻きに見られてひそひそと感じ悪い。
何事かと怪しんでいたところに、飛び込んできたのは。
「こんなのバラまいてどういうつもりなの!」
投げ捨てた何枚もの写真。
夕美は、ぶつかることなく、ひらひらと舞って地面に落ちたのを一瞥してから一枚だけつまみあげた。じっと眺めてから、鼻で笑い飛ばすと汚いもののように払い落とす。
するりと実咲のもとに戻ってきたそれ。そこには。
「清純で有名な社長令嬢の、爛れた夜の密会ね。それ、書き込んだのは私じゃないけど。誰のセンスなのかな、ゴシップ記事みたいで陳腐だけど結構好き」
「夕美! あんたなんてことを!」
ベッドのシーツから露出した肩からうかがえる、おそらく裸の宵子と孝雄のツーショットだ。幸せそうに腕枕されてカメラ目線で笑う宵子の下に、赤文字で爛れた密会だと下品に記載されている。
この写真は実咲も一度、宵子から見せられた。現状どれくらい仲良くなったのか知りたいとねだったら送ってくれたものである。
「私がしたのって、数名……いつも給湯室で噂話に花を咲かせているお姉さんたちに何か面白いことないかって言われたの。それで話の種として、私の婚約者と夕美の熱愛を提供したのよ。嘘つきと思われても嫌だから証拠として、写真も提示したの」
「この写真どうやって……」
「あのね。パスコードはもっと難しくしたほうがいいわよ。あなたの好きな少女漫画のヒロイン、私も好きだしね」
「な、にそれ」
「あと人の趣味に口を出すのも失礼かもだけど、他人のそんな情事を醸し出す写真保存しとくとか、どういう趣味?」
実咲の携帯電話に設定したパスコードはヒロインの誕生日。つまりは。
「アンタ、私のスマホ勝手に触ったの? 最低よ!」
「あは。そう? お褒めの言葉をどうもありがとう」
皮肉めいた礼と、蔑む鋭い瞳。冷笑が歪んでいて実咲を思わず息を呑む。
びくりと肩を揺らして怯えるが、夕美が引き下がる気配は一切ない。
「私が話したのはそれ一回だけなんだけど。おひれがついて広がっちゃったみたい」
「そんな……ッアンタが宵子の恋も立場も奪ったも同然なのよ!」
歯切りをすれば夕美の顔から表情が抜け落ちる。
感情が消えて、肌が切り裂かれるような凍てつく空気が部屋を支配した。呼吸すらできなくなるほど、重く痛みが伴って実咲を責める。
「さきに、私から大切なものを奪ったのは、だぁれ?」
「っ、あ」
「奪って踏みにじった。だからね、わざとなのよ」
「わざっ、と?」
「わざと高いネックレスとかつけて、孝雄を見せつけた。他人の幸せが欲しくなっちゃう宵子なら飛びつくと思ったけど……ここまでうまくいくなんて、さすがに予想してなかった」
「やめてよ! 宵子は高級品とか、他人の幸せとか関係なく運命の相手を見つけたから」
「あのさ。略奪愛とか、禁断の恋とか、運命とかさ。夢見るのは勝手だけど、巻き込まないでほしいの。あと別に孝雄と宵子が運命とか興味ないし。結果が全て。宵子は婚約者がいるのに、知り合いの婚約者に手を出した。その事実が大事なの」
孝雄は単なる餌だしね。
付け加えられた言葉に、頭がついてこない。目が回り、呼吸が乱れていく。
宵子の問題もだが、実咲はもう一つ広まってしまった噂が自身を蝕んでいることを、気がついていた。
「……私の恋人、いえ今は宵子の婚約者になってしまった秋浩については許す気はないの」
秋浩。
夕美の元恋人で、宵子が恋をして婚約までこぎつけた相手だ。
射殺さんばかりの目がおそろしく、実咲はついに視線を下に向けた。ひゅうひゅうと喉が鳴る。
「秋浩は必死に拒絶してたのに。社長が娘のためにって強引に婚姻へと勧めた。彼の悪評を流すとか、同じ会社で働く彼の父親をリストラさせようとか。そんなあくどい手を使って。それがね、わたし、許せないのよ」
「あ、あたしは何もしてない!」
「うそつくな」
したでしょ。いっぱい。少女漫画みたいって馬鹿みたいにはしゃいで、私と秋浩を引き離して、宵子の恋人だって周りに言いふらしたじゃない。
冷たい声に、彼と結ばれるまでに手を貸した日々を思い出した。
「同罪よね。だから、貴方の噂も話してあげたの――婚約者を奪う手助けしちゃう最低女だって」
「あ、ぁ、あ」
「大丈夫、宵子とは違ってあなたは噂。気にしないふりすれば会社に入られ続けるわ。私みたいに恋人をとられたのをおくびにも出さないで、笑ってればいいの」
「そ、んなの」
「でも覚えていて。みんなが忘れて、誰もがあなたを受け入れても。わたしだけは、一生」
――ゆるしてあげない。
お父さん、ひどいわ。私と孝雄は思い合っているの。運命なの。いえ孝雄は、昨日から連絡がとれなくて。ちがうわ。逃げたんじゃないの。迎えに来てくれるわ。そんな、お父さん考え直して、孝雄と結婚できなかったら誰と……。
みっともないな。
社長室から漏れ出た声に、入る気力を失った夕美は踵を返して来た道を戻る。
呼び出されたが、すぐとは言われなかった。錯乱した宵子と鉢合わせないよう、時間はずらすべきだろう。長い廊下をさっさと歩いた。
宵子がどうなるかは目に見えている。世間体が第一の社長は、仕事をやめさせるだろう。
どうでもいいが、しばらく自分も好奇の視線に晒される身なので、やっかいな種はいないほうが楽かもな。実咲も退職するみたいだしとつらつらと考える。
何人かすれ違うと哀れみを向けられるが、夕美にとって気に留める価値もない。こうなるのは覚悟の上だ。
「――……」
その、何人のうち。
一人、同じく無遠慮に観察される男が、前から歩いてくる。愛しくてたまらない、大切な人が。
一瞬、目が合う。
しかし話しかけることもなく、また廊下の先へと目線を戻した。
すれ違う数秒にも満たないとき、小指が触れる。
久しぶりのぬくもりは感じ入る暇もなかったというのに、残り続けて全身に行き渡り、どんな不安からも守ってくれている気がした。
そっと口元に指を持ってきて、自然とこぼれた笑みを隠した。
浮気と裏切りに制裁を 鶴森はり @sakuramori_mako
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