エピローグ

第1話



 リズはソルマーニ教会の厨房でタルト生地をせっせとめん棒で伸ばしていた。

 自分が聖女だと分かってから三ヶ月経ったがそれまでと生活は変わっていない。これまでどおり、聖学を勉強して雑務をこなし、美味しいご飯をみんなに振る舞っている。

 少し違う点は、自分の作ったお菓子を万能薬代わりにスピナの住人やシルヴァの隊員に配ることくらいだ。



 ドロテアに殺され掛けた一件以来、彼女とは一度だけ面会したことがある。

 聖力をすべて奪われてしまったドロテアは精神を病んでしまい、まともに話をすることができなくなっていた。

 美しかった黒髪は艶をなくし、雪のように白く滑らかだった肌は荒れて皺が入り、一気に老け込んでしまっていた。リズが話し掛けても、彼女は濁った瞳で見つめてくるだけでまったく反応がなかった。


 彼女にとって、聖女の地位は自分の存在と同義となるくらい価値があったのだろう。しかし、聖女となったリズからすればこの地位が執着するものではないように思えて仕方がない。

(叔母様とわかり合えることはないですけど、肩書きや地位によって築かれた自分の価値よりも、自分自身で見出し培った価値の方がよっぽど大切で素晴らしいことだと思います)

 肩書きや地位による価値は周りの評価に左右されてしまうため、その都度一喜一憂してしまう。しかし、自分自身で見いだした価値は自分のものさしだけで判断することができる。

 努力して高めていくことができる。


 ドロテアにはその素質もあったのに、彼女は自らイバラの道を進んで破滅してしまった。

(叔母様は今もなお、王城の牢屋に収監されているのでしょうか)

 リズは小さく息を吐くと遠くを見るような目つきで天井を見つめる。


 本当なら聖国側へドロテアを引き渡す際、リズも次期聖女として王都の教会本部へ帰る予定だった。

 正直なところ、嫌な記憶が残る教会本部へは帰りたくないし、いつも可愛がってくれているヘイリーたちのもとを離れるのは寂しくて心が張り裂けそうだった。とはいえ、儀式や典礼などを執り行う際に聖女がいないとあっては教会にとっては体裁が悪い。

 腹を括らなくてはいけないと思っていた矢先、ヘイリーが教会本部へは帰らなくていいと言ってくれた。



 何でも、国王のウィリアムと親交があるらしく、教会本部へ帰ることを渋っているリズを見かねてソルマーニ教会に留まれるよう進言してくれたのだ。

 彼は事もなげに対応してくれたが、つまりは国王へ直談判したことになる。

 それは大変ありがたいことだが、同時にヘイリーの素性が改めて気になってしまった。メライアが昔は凄かったと言っていたので、本当に凄い人なのかもしれない。


(お陰で教会本部へは帰らなくて良くなりましたので、司教様には本当に感謝しています)

 いずれ教会本部で暮らす時が来るだろうが、それは国王陛下指導の下で行われる改革が終わり、運営が軌道に乗ってからだとヘイリーが言っていた。それまでの間、何かの行事ごとある際はアスランがスピナから王都まで連れて行ってくれるので、リズは存分にこの教会での暮らしを楽しめる。

 みんなといられることになったのでリズは自然と頬が緩む。



 リズはめん棒で伸ばした生地を丸い型に収めて不要な部分はナイフでカットした。

「型にはめたタルト生地をピケして……」

 フォークで生地に穴を開けていると裏勝手口の扉が開き、アスランが元気よく中に入ってくる。


『リズー! ただいまー!!』

「お帰りなさい、アスラン!」

 リズは作業の手を止めてアスランに駆け寄ると、彼に抱きついた。ここ数日、クロウとアスランは要塞で仕事をしていたので数日ぶりの顔合わせだ。

 相変わらずふわふわな毛並みからはお日様の良い匂いがする。


『リズはいつも甘い匂いがするね』

「えへへ。それならアスランの毛並みはいつもお日様の匂いがします。そして相変わらず最高です。私はアスランが大好きです!」

『へへー。僕もリズが大好き。優しいし、ご飯も美味しいもん』

「ふふ。そんなに褒められると照れてしまいます」

 アスランと戯れていると、暫く経ってからか浮かない顔したクロウが厨房に入ってくる。


「あっ、お兄さん、お帰りなさい。どうしたのですか? お顔が真っ赤ですよ?」

 尋ねるとクロウは声に反応して、大股で歩いてくるとリズの肩を掴んだ。

「リズ、さっき知ったんだが、君の本当の年齢は十七なのか?」

 尋ねられたリズは目を見開いて息を呑んだ。それから視線を逸らすと小さく頷く。

(嗚呼、遂にクロウさんにも真実を打ち明ける時が来たようです……)

 リズはゆっくり息を吐いてから口を開いた。


「ずっと、騙していてごめんなさい。司教様たちにも先日お話したのですけど、本当は十七歳なんです。妖精女王様が叔母様から私を救うために、身体を小さくしてくださいました。妖精さんたちの話によると私は元の身体には戻れません。戻るには時に従って成長するのみです」

 リズが本当のことを打ち明けるとクロウが額に手を当てて俯く。


 騙す形になっていたことに関して、リズはずっと後ろめたい気持ちがあった。ヘイリーたちに事情を説明して謝罪すると彼らは驚きつつも最後は納得して受け入れてくれた。

 実年齢が分かったのに、三人ともこれまでどおりリズを小さい女の子として可愛がってくれている。

 しかし、目の前にいるクロウの反応からは何を思っているのかまったく感情が読み取れない。やはり幻滅されてしまったのだろうか。

 痺れを切らしたリズが顔を覗き込むと、クロウの顔が赤く染まっている。

「おにい、さん?」


 目が合うと、クロウはふうっと溜め息を吐いてからまだ真っ赤になっている顔を上げた。

「……俺の方こそすまないことをしたと思っている。俺が取った行動の中で、嫌な気持ちになったことがあるなら、気が済むまでそこにあるめん棒で殴ってくれても構わない」

「ふえ? ちょっ、ちょっと待ってください」

 頻りにめん棒を握らせようとしてくるクロウにリズはギョッとして首を横に振る。


「私、クロウさんからセクハラを受けたなんて一度も思ったことないです! 寧ろ、いつも私を心配して守ってくれようとする姿を見る度、凜々しくて素敵だなって思っていました……」

 リズは何だか気恥ずかしくなって手をもじもじさせながら俯く。


(どうしましょう。本当のことを言っただけなのに心臓がとってもドキドキします)

 どうして心臓がこんなにドキドキしているのか分からない。それに今は顔がとても熱いので、クロウと同じくらい自分の顔も真っ赤になっている気がする。

 視線を下に向けていると、クロウが顔を覗き込むようにしゃがんできた。


「覚えていないのかもしれないけど、教会本部で一度だけリズと会ったことがある。道に迷い、空腹で途方に暮れているところで君が道案内をしてくれた上に、洋梨のタルトを分けてくれたんだ」

「道案内……洋梨のタルト……あっ、あの時の人って!」

 言われて初めて、リズはあの時の聖騎士がクロウだと気づいた。


 当時、リズは大司教専属の菓子職人が見つかるまでお菓子を作るように言いつけられていた。

 毎日おやつの時間になると大司教がいる司教室へお菓子を届けに行っていた。しかし、大司教は相当舌が肥えていたので何を作っても美味しくない、味付けが単調だと苦言を呈されていた。

 あの時も実は、大司教に砂糖が入りすぎていてしつこい味だから、別のお菓子を用意するように言われて落ち込んでいた。

 洋梨のタルトは処分するつもりだったが、お腹を空かしているクロウを見かねてプレゼントした。

 にもかかわらず、クロウは純粋に美味しいと喜んでくれた。


 お陰でリズはもっと美味しいご飯を作ろうと思った。

 彼がリズを立ち直らせてくれたと言っても過言ではない。ずっとリズは自分を元気づけてくれた聖騎士に憧れていた。いつかお礼をしたいと思っていた。

 だが、ほんの数分の出来事だったので顔を思い出そうにもぼんやりとしか思い出せなかった。

 まさかそれがクロウだとは。リズは彼がクロウだと知って嬉しくなった。


「あのう、クロウさん。これからも私のご飯を食べてくれますか? その、聖女の護衛としてではなくて、えっと……」

 クロウがウィリアムから命じられてリズの護衛に就任したことは知っている。きっと頼めば一緒にご飯を食べてくれるだろうが、リズは護衛のクロウとではなく、ただのクロウと一緒にご飯が食べたい。

 リズ自身、どうしてこんなお願いをしているのか分からない。

 ヘイリーたちと一緒にご飯を食べることも好きだが、クロウと一緒にいる時はなんだかもっと嬉しくてご飯が格段と美味しくなるのだ。

 躊躇いがちに尋ねると、クロウがリズの頬を指でつつきながら笑顔を見せる。


「もちろんだ。護衛じゃなくても、リズが望むなら俺はこれからもずっと側にいる。だからリズは美味しいご飯で癒やしてくれ。……だめか?」

「っ……! いいえ、だめじゃありません!! 寧ろ嬉しいです」

 リズは幸福感に包まれて満ち足りた気持ちになる。


(これからもずっと側にいてくれるだなんて……私、とっても幸せです)

 そこでリズは、あっと声を発してクロウにっこりと微笑み掛ける。




「クロウさん、早速なんですけど一緒にお菓子を食べてください。丁度今作っているのはとびっきり愛情を込めた美味しい洋梨のタルトなんですよ」


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捨てられたひよっこ聖女の癒やしごはん~辺境の地で新しい家族と幸せライフを楽しみます!~ 小蔦あおい @aoi_kzt

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