第7話



 ◇


 棚の書類は整理整頓が行き届いており、床やキャビネットの上も埃一つ落ちていない。

 清潔な一室で、クロウは席についてウィリアムから届いた報告書に目を通していた。

(……腐敗した教会にメスを入れることができたようで良かった)

 報告書の内容を読みながら、クロウは率直な感想を心中で述べた。



 聖国と教会の間には、お互いに干渉せず、持ちつ持たれつの関係を維持するという盟約が結ばれている。しかし、今回の次期聖女殺害の件を重く見たウィリアムは、その処罰の一切を取り仕切ることにした。

 ドロテアはこれまでサラマンドラに所属する聖騎士を誑かしていた。特にここ数年は顕著で、その美貌で彼らを魅了し、意のままに操っていた。実力がなくても自分の味方になってくれる者にはそれなりの地位を与え、手駒として囲っていたのだ。こうしてサラマンドラはドロテアによる傀儡部隊となってしまっていた。


 次期聖女が現れる度、ドロテアは「聖女の力を脅かし、人々を堕落させる魔女が現れたので対処して欲しい」とサラマンドラの聖騎士たちに殺害を命じていた。彼らはドロテアに魅了され、心酔しているので疑うことなくそれを実行していった。こうして何人もの罪なき乙女の命が犠牲になってしまった。

 これによって、聖騎士部隊は解体及び再編成されることが決定した。彼女に命令されて次期聖女を殺した聖騎士は情状酌量の余地はあるが重刑は免れないと言われている。

 今後、一人一人を調べてから処罰を下す予定だ。


 一方で当事者であるドロテアは何人もの次期聖女を葬ってきた聖国一恐ろしい魔女として、大衆に広められることになった。あまりにも身勝手で残虐な行動から処刑は免れない。

 また、大司教はドロテアの悪事に気づかず、さらには聖物の管理すらまともにできていない無能さが明らかになったことに加え、聖職売買を行っていたことによりその地位を剥奪。

 資産も没収され、破門が命ぜられた。



 もともとクロウが教会内部に潜入した理由は大司教の聖職売買の証拠を掴むためだった。

 聖職売買とは聖職者や聖騎士の地位を金銭で売買するというもの。より高い地位を手に入れたい者は大司教へ献金することで本人に実力がなくとも易々とそれが手に入るという仕組みだ。

 ヘイリーが大司教だった時代までは教会本部の司教は二人しかいなかった。しかし、その人数は今の大司教になってからは、たった数年で六人にまで膨れてあがっている。


 これは聖騎士においても同じことが言える。マイロンはもともと第一部隊サラマンドラの隊長を務めていたが、隊員の一人が大司教へ献金したため第三部隊シルヴァへと飛ばされてしまった。

 地方の教会でも同じ現象が起き始めていて、これまで信者を導いていた司教や司祭が降格させられ、代わりにそれほど実力のない者が地位を得て教会の運営を行っている。


 降格させられた司教や司祭たちはウィリアムへ嘆願書を送り、クロウが調査に当たっていたのだ。そしてひょんなことから聖女ドロテアが次期聖女を殺して地位を固守していることが発覚した。

 まったくもって偶然の産物ではあったが、大司教と同時に検挙することができ、これ以上犠牲者がでなくて済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。




「……それにしてもドロテアが捕まってからもう三ヶ月が経ったのか。教会内部の腐敗は白日の下に晒され、再び正常な教会運営がなされるまでは陛下と宰相が管理・指導を行うようだな」

 クロウは報告書から顔を上げると、後ろにある窓から外を眺める。季節は巡り山間の木々たちは鮮やかに紅葉し始めている。それを眺めながら、クロウは一年以上の潜入にようやく決着がついたと、心の底から安堵した。

 丁度、軽く扉を叩く音がしてマイロンが部屋に入ってきた。


「お待たせしてすみません。隊長……いえ、クロウ様」

「部隊の再編成で忙しいのは知っているから気にするな。あと、前みたいに気さくにクロウと呼んでくれ」

「いやあ、流石に貴族で国王陛下の右腕を気軽に呼び捨てにするなんて畏れ多い」

 マイロンは苦笑いを浮かべるとクロウが座る椅子の向かい側の椅子に腰を下ろす。

 クロウは潜入捜査が終わったことで聖騎士団から抜けることになった。後を引き継いだのはもちろんマイロンで、彼はこれまでと同じように魔物からスピナを守るために尽力してくれている。


「ところで今日は何の用件で来られたんですか?」

 尋ねられたクロウは膝の上に置いていた大きな包みをテーブルの上に置いた。

「リズがシルヴァのためにクッキーを大量に作ってくれたから届けに来た」

 包みの中から大瓶を取り出せば、中には葉っぱや花の形をしたクッキーがたくさん詰まっている。きつね色のシンプルな焼き菓子だが、マイロンは破顔して感激した。

「わあ、ありがとうございます。めっちゃくちゃありがたいです。リズちゃんの作るお菓子は薬を飲むより効き目が良いし早い。何より苦い薬と違って味も美味しいからみんな重宝しています!」

 リズは相変わらずソルマーニ教会で美味しいご飯を作っている。



 ベリーレモネードの一件で自分の作るご飯に治癒や浄化といった癒やしの力が宿ることを知ってからは定期的にシルヴァで働く聖騎士たちや町の住人たちのためにお菓子を作っているのだ。

 毒にも傷にも効く万能菓子として、聖騎士たちは魔物討伐へ向かう際は必ず携帯している。

 マイロンは大事そうに大瓶を抱えると、思い出したように次の話題に移った。

「そう言えば、今日はアスランも一緒ですか? 最近やっと分かったんですけど、彼は俺が強面のムキムキマッチョだったから怖がって近づけなかったようなんですよ。ちょっとずつですけど距離は縮まっているので今日もスキンシップをして仲良くなっておきたいです」

 鼻の下を伸ばすように微笑むマイロンはリズ同様、無類のもふもふな動物好きだ。


 アスランが成長して人間の言葉を話せるようになったため、マイロンはどうして自分が懐かれていないのか知ることができた。その結果、マイロンは自分を怖く見せないようにアスランと接する時はフリルのついたエプロンを着けて接している。

 だが、クロウはその努力が逆効果で、アスランが内心怯えていることを知っている。


 クロウは微苦笑を浮かべると口を開いた。

「……悪いがそれはまた今度にしてくれ。俺はそろそろソルマーニ教会へ戻らなくては」

「えっ? もう行っちゃうんですか? まだ隊長業務について聞きたいことが山ほどあって……」

「俺は陛下から新しい任務を命ぜられているから、そっちもちゃんとこなさなくてはいけない」

 クロウはフッと笑みを浮かべると、椅子から立ち上がって部屋を後にする。


 マイロンの嘆く声が廊下に響いて来たが、クロウは気にせず颯爽と外に向かって歩いて行く。

 ウィリアムから命じられた次の任務――それは聖女であるリズの護衛だ。

 これまで聖女の護衛はサラマンドラが勤めてきたがリズはもともと教会本部で暮らしていて、聖杯が壊れた際はサラマンドラの聖騎士によって捕らえられた。

 彼らに対して良い感情を抱くのは難しいし、リズの安全を聖国側が把握して確保するためにはクロウが護衛になった方が手っ取り早かったのだ。

(王都に帰れないのに、まったく後悔の念がない。正直、リズの側にいたかったから願ったり叶ったりかもしれない)

 建物を出ると、丁度通信具であるピアスが振動する。クロウは留め具に触れた。



「やあ、クロウ。報告書は全部読んだかい?」

「はい、すべて拝読させて頂きました」

「そうか。こちらは恙なく改革に取り組んでいるから何も心配することはないよ。ところで、書き忘れたことがあってそれを伝えるために連絡したんだけど」

「一体何でしょうか?」

 わざわざ連絡を入れてくれるくらいなので、何か重要なことかもしれない。

 クロウは身構えているとウィリアムが楽しげな声で言った。

「実は、聖女であるリズは――」


 クロウはウィリアムの話に静かに耳を傾ける。

 しかし、話の全容が分かった途端、クロウは目を見張ると口をぱくぱくさせて絶句した。

「――というわけで、あとはよろしく頼んだよ」

「えっ、いや陛下それはどういうことですか!? って、通信を一方的に切らないでください!!」

 クロウの顔はみるみるうちに赤くなっていく。


 ドロテアの姪であるリズは元々十七歳で、ドロテアのために美味しいご飯を作っていたということをウィリアムから告げられる。それを聞いてクロウの脳裏に真っ先に浮かんだのは教会本部で出会ったリズそっくりの少女。


(そんな、まさか……リズは教会本部で俺に洋梨のタルトをくれたあの子なのか!?)

 となると、リズはクロウよりも二つ年下の少女になる。

(出会った頃から、リズを小さな女の子として接していた。抱っこしたり、口に付いたご飯を食べたり……これは普通にセクハラ案件じゃないか?)


 クロウは顔を手で覆うと暫くの間、自身の行いを深く反省した。


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