第6話



(ここからジャンプして滝壺に落ちても無事でいられるかどうか分かりません……)

 断罪された崖の上よりも低い高さだがそれでも命を失う危険性がある。あの時はアクアとヴェントが助けてくれたが、鎖がついている今、妖精たちは助けてくれない。

 飛び降りるかどうか躊躇していると、後ろから声が響いた。


「漸く鬼ごっこをやめる気になった? 子供の足じゃそう遠くまで走れないわよ。私が本気を出せばすぐに捕まえられるけど、走っていた方向が行き止まりって分かっていたから付き合ってあげたの」

 ドロテアは斧の柄で手を叩きながら口角を吊り上げる。

 リズは彼女に向き直ると眉尻を下げた。


「叔母様、これ以上罪を重ねないでください。あなたはもう聖女ではありません。れっきとした魔女です。身も心も汚れてしまっています。そんな人に妖精が力を貸すとは思えません」

「いきなり何? 逃げ場がなくなって命乞いをしているの? それとも私を怒らせたいのどっちなの? だめよ、リズベット。あなたが死んでくれないと私が聖女じゃいられないわ」

「いいえ、どちらでもありません。叔母様こそ目を背けるのをやめてください。あなたはもう聖女としての力がほとんどないんでしょう?」

 リズは走りながら頭の隅で考えていた。



 自分の周りにはいつもアクアやヴェント、イグニスがいる。他の妖精も困っていたら無条件で力を貸してくれる。都会も田舎も関係なく、彼らは愛し子のためならどんな場所にだって現れる。

 だが、ドロテアはどうだっただろう。彼女はいつも金平糖を窓の外へ撒いていた。


 それを妖精に手渡ししているところも彼らと話しているところもリズはこれまで一度も見たことがなかった。当時は妖精の姿を見る力はなかったが、ドロテアがもし妖精と話していたならその姿を目撃してもおかしくはなかったはずだ。彼女とは同じ邸で一緒に暮らしていたから。

 そうなるとドロテアはリズを引き取った時点で既に、愛し子としての力はなかったのだと予測が立つ。


 図星を言い当てられてドロテアの顔つきがさらに険しくなった。

「現実を受け入れましょう。私を殺したところで次の聖女がいつかはまた現れます。その度に同じ過ちを繰り返すのですか?」

「なんて小癪なのかしら。やっぱり、あんたなんて引き取らなければ良かったわ!!」

 柳眉を逆立てるドロテアは斧を両手で握り締めて構えると、こちらに向かって走ってくる。

 リズはここで死ぬつもりはもちろんない。斧で殺されるよりも滝壺に落ちる方に命を掛ける。

 するとどこからともなく抑揚のある音が微かに聞こえてきた。その音を聞いたリズは弾かれたようにドロテアに背を向けると躊躇することなく、崖から飛び降りた。


 やはり高いところから落ちるのはいつだって怖い。心臓はドッドッと大きく跳ねているし、お腹は縮み上がって身体は強ばる。

(だけど、さっきの抑揚のある音は……)

 リズはその望みに掛けて崖から飛び降りた。あの音が正しければきっと――。

 すると、水面に叩きつけられるすんでの所で誰かの腕に抱き留められる。

「リズ、無事か?」

 視界に映り込むのは、クロウだった。



 リズはアスランの背に乗ったクロウによって救い出された。安心と恐怖でない交ぜになっているリズはクロウに縋りつく。クロウもまた、リズを安心させるように力強く抱き締めてくれた。

「さっきの音はやっぱりクロウさんの指笛だったのですね」

「ああ。上空でリズが聖女に追い詰められていたところを発見した。叫ぶよりも指笛で合図した方が分かりやすいと思って」

 声を張り上げるよりも指笛の方が山間では響くし、ドロテアにも警戒されない。結果としてクロウの判断は功を奏した形となった。


 二人を乗せたアスランが上昇すると崖の上では丁度、ドロテアがマイロンによって取り押さえられているところだった。

 ドロテアは抵抗しているが男の、ましてやシルヴァ副隊長の腕力に敵うはずもなく、易々と捕縛される。

 崖の上に降り立ったアスランから下りたクロウは、リズを抱き上げたまま地面に下りる。続いてマイロンから手錠の鍵を受け取るとリズの腕から鎖を外してくれた。

 鎖は加護石と一緒に布に丸めて懐にしまう。すると、先程まで一人も現れなかった妖精たちが木陰からわらわらと飛んできた。


『リズ、無事で良かったの!』

『一時はどうなることかと冷や冷やしたよー』

『無事で何より』

 アクアは大泣きしながらリズの頬に擦り寄り、ヴェントとイグニスが両肩にちょこんと留まる。

「みなさん、ご心配をお掛けしました」

 リズは一人一人に声を掛けて妖精たちを宥めていく。

 クロウはその様子を見届けると、ドロテアへと顔を向けて厳しい表情を浮かべた。


「聖女、いや魔女・ドロテア。おまえがこれまでにやってきた数々の悪行は既にこちらによって把握されている。教会だけでなく、聖国の反逆者として話はたっぷりと聞かせてもらうからな」

 ドロテアは髪を振り乱しながら、歯を食いしばってクロウを睨めつける。

「私は間違ったことなんてしていないわ。これからも、アスティカル聖国の聖女で居続ける」

「妖精から力を借りることもできない聖女が聖女として君臨していいわけがない。もう、妖精たちはリズを聖女として認めている。いい加減諦めろ」

 クロウが窘めるものの、ドロテアは一歩も引く様子はない。


「私にはまだ聖力が残ってる。妖精たちだって、私に力を貸してくれるわよ」

 その主張に妖精たちが渋面になる。

『ドロテアにはまだ聖女の力が残っているから僕たちは手出しできない。僕たちのリズをひどい目に遭わせたのに仕返しできないなんて悔しい』

 怒りによって何人かの妖精たちは顔を真っ赤にさせているが、ドロテアはまだ愛し子なので彼らには手出しができない。


 すると、クロウの後ろにいたアスランがドロテアへ近づくとおもむろに口を開いた。

『――可哀想な愛し子。妖精女王の命により、あなたからすべての聖力を奪う』

 初めてアスランが言葉を発したのを目の当たりにして、ドロテア以外の全員が驚いた。



 アスランが鼻をドロテアの唇につけると、額にある青い核がキラリと光る。ドロテアの口からは青白い球体が飛び出し、それはアスランの核の中へと入り、消えていった。

 やがて、ドロテアは目を見開いて身体を震わせる。

「い、いやあああっ! わ、私の残りの聖力がっ! 嫌よおおっ! 私の居場所を取らないで!!」

 ドロテアは自身から聖力が失われた感覚を覚えたようで絶叫する。


 聖女であり続けるためにも聖力は必要だ。

 しかしそれが奪われてしまったとなると、もう何もできない。

 絶叫するドロテアはマイロンに担がれて要塞へと運ばれていった。


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