第3話 初音めく
「今日はなりたい『めく』の話をしよう」
「ぼくは『めく』なんかになりたくないけど」
「なんだと!」
ベルの今日のコーヒーはスタンダードなスターバックスラテだ。
「ていうか『めく』ってなんだい?」
「いやわかってなかったのかよ、何も説明しなくても分かり合える俺たちなのかと思ってどきどきしたじゃないか」
「期待させてごめんね」
ベルはMacBookをくるりと回転させて峯田に画面を見せた。
動乱の意想メフィストフェレスめく 玄月
「これだよ、この『めく』。かっこよくないか」
「そうなの?」
ンモー、とベルはうなった。
「ようするに、『春めく』とか『秋めいてきた』とか言うだろ。その『めく』だよ」
「なるほど、えーとつまり『春みたいな』みたいな、完全に春ではないけど、空気とか雰囲気とかがそれっぽくなってきた、みたいな感じだね」
「みたいな、が多い」
「きみは文字の妖怪であって言葉の妖怪じゃないだろ、揚げ足を取らないでよ」
「文字と言葉は、お互いがないと存在しえない、水と魚みたいな関係なんだ。つまり言葉とはほぼ俺と言ってもいい。て言うか文字禍って、自分で言うのも何だけど文字じゃなくて言葉の話だよな。敦(あつし)め……」
ベルが誰だかわからない相手に悪態をつく。
「でも、たまごが先かにわとりが先か、っていう問題があるけど、文字と言葉に関しては絶対に言葉が先だから、言葉のほうが上位なんじゃない?」
「う、うるさい! その議論は置いておいて、俺たちもかっこいい『めく』を探そう」
「おや、とうとうスタバから出る気になったのかい」
「いや、探そうというのは比喩で、実際は『考えよう』というのが近い」
峯田はなぜ自分がいつの間にか巻き込まれてしまったのかわからなかったが、トレーニングの時間まで暇だから彼に付き合うのも悪くないかな、と考えた。
「『めく』というのは名詞のうしろにくっついてその様子を補足する、いわゆる接尾語というやつだ」
「ふむ。つまり、かっこいい名詞を探せば、自動的にかっこいい『めく』になるのでは?」
「お前が考えるかっこいい名詞ってなんだ?」
「轟(とどろき)」
「めちゃくちゃ中二っぽいやつがきたな……」
二人は同時に『轟めく』と呟いた。
「あんまりかっこよくないな……」
「そもそも、轟ってどういう意味?」
「知らなくて言ってたのかよ……。轟って、ようするに『轟く』の名詞系だから、大きい音とか、大きい音が鳴り響く、とかそういう感じじゃないか。……なるほど、轟の場合、すでに様子を表しているから、『めく』がつきにくいのかな。あと単純にゴロが悪い」
ベルがMacBookに何やら文字を打ち込んだ。
「ふと思ったんだけど、『ときめく』とか『きらめく』の『めく』もその『めく』なの?」
「ときめくときらめくは、すでにその四文字で一つの単語になっているから、べつに俺としては美味しくないけど、もともとは『時』と『綺羅』についた『めく』だったんだろうな」
「『綺羅』って?」
「えーっと、綺麗で豪奢な衣装」
「へえ。そう思うと、『綺羅めく』の意味がちゃんと理解できる気がしていいね」
峯田がパッと笑顔になった。
「『時』はそのまま『流行』みたいな意味だな。売り出し中のタレントに『今をときめく』みたいに言うだろ」
「おお〜」
峯田の食いつきが良い。
「じゃあ、ぼくのスタイリストさんはしじみさんっていう人なんだけど、ぼくは『しじみめくペペロンチーノ』なのかな」
「なぜかスパゲッティが想起されるな……。というか、その場合はもうしじみめくじゃなくてお前はしじみそのものなのだと思うが」
「ぼくはペペロンチーノであり、しじみパスタでは決してないんだけどなあ……」
「ていうかおまえいっちょまえにスタイリストなんてつけてるのか。ていうかどこをスタイルするんだ。ほぼ裸なのに」
「マスク」
「そっち(体じゃなくて顔)か〜」
峯田のプロレスラーとしての顔をベルはまだ直に見たことはない。
「俺としては、画家の名前なんかがいいと思うんだ。例えば『ゴッホめく月夜』といえば、ゴッホの『星月夜』を思わせる雰囲気ある月夜が思い浮かぶだろ」
「わからないでもない。けど、ゴッホみたいな月夜なんてそうそうないんじゃないかな」
「そこをいかに現実感があり、けれども幻想的でもあり、かつ誰でも『ああ、あんな感じね』とわかるものを持ってこれるかが重要なんだ。これによりいかに俺の栄養になるかが変わるんだよ」
「ぼくにとっては別に重要じゃないけど」
「いいから! 俺のためだと思っていろいろ言ってくれ! 美しい文字の並びが俺の栄養になるんだ!」
「ぼく、そんなに絵画のことを知ってるわけじゃないんだけど……。でも、『モナリザめくほほえみ』とかはいいんじゃないの」
「ふむわかりやすさでアリだな。でもすでに『モナリザの微笑み』っていう言葉があるし、いまいち『めく』の必要性を感じないな。じゃあ次」
「『ダリめく時計』」
「それはもうそういうデザインの時計だな」
「『マグリットめく鳥』」
「Twitterなんだよな」
「『ルソーめく浮き足』」
「ルソーの悪口はやめてやれよ」
「『フェルメールめく牛乳』」
「食レポが下手だよ」
「『笛を吹く少年めく少年』」
「悪くないな。少年めく少年というダブりがなければ……」
「『ゲルニカめく死体』」
「自分が死んだ時そんな描写されたくないな」
「『ミュシャめく女性』」
「めちゃくちゃいい褒め言葉だと思うけど『ミュシャめく』がバリ言いにくいな」
「あ! 『ミケランジェロめくペペロンチーノ峯田』」
「うぬぼれもいいところだな?」
「ベル、ぼくの裸見たことないだろ」
峯田が反論する。
「お前なんてせいぜいこれだろ」
ベルがMacBookで画像検索して画面を見せた。
「うははは! これ、ぼくだ! これ、誰のなんていう絵?」
峯田が画像を見て大笑いしている。
「ラファエロの『キリストの埋葬』」
死んだキリストが幾人かの手によって運ばれている場面を描いた絵である。
「キリストのうなだれている様子が、KOされたぼくにそっくり! わはは。この人にこんなに親近感を覚える日が来るとはね」
峯田が『撲殺の峯田ラファエロめくリング』と一句詠んで満足している。
「これは『エロ』の部分がさりげなく性的アピールにもなっているんだ」
「なっているんだ、じゃないだろ……」
ベルがその字面を咀嚼しながら「でも絶妙に栄養がある……」と唸っている。
「いやー、楽しかった」
結局峯田一人が満足して、彼はトレーニングの時間だからといってスターバックス天使突抜町店をあとにした。
ベルとしては、たくさんのものを食べたけれど、有名絵画から言葉を取ったわりには栄養のないジャンクフードを食べたような気分だ。
「いやー、今日はなれないことをして疲れたな。絵画なんてあんまり詳しくないから疲れちゃったよ」
家に帰って蚊鳴屋にその話をすると、彼はそういえば今日こんな本を仕入れたよ、と言って一冊の本を見せてきた。
『めくるめく西洋絵画の世界』。
「めくはもういいよ!」
スターバックス天使突抜町店の 地 縛 霊 壬生キヨム @kiyomumibu
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