スターバックス天使突抜町店の 地 縛 霊
壬生キヨム
第2話 『蝌蚪』
峯田がベルに会いに行くと、彼はちょうど追加のコーヒーを頼みに席を立つところだった。
「あ、それ、試飲でもらったやつ。飲んでいいぞ」
すれ違いざま、そう言われたので見てみると、テーブルの上にプラスチックのカップが置いてあった。
「うん、ありがとう」
礼を言ったは良いが、無色透明で、ただの水のようにしか見えないが、よく見たら底に黒くて丸いものがたくさん沈んでいる。
峯田はピンときた。
「これが音に聞く、タピオカかあ。最近流行ってるっていう話だよね。とうとうスターバックスでも販売をすることになったのかな」
しかし、峯田の知識によるとタピオカとはミルクティとか、オレンジティーとか、ドリンクの中に入れるもので、水に入れるものではなかった気がする。
試飲だからかな、と思いながら峯田はカップの中身を飲み干した。やはり、液体はふつうの水のようだった。そのまま喉に流し込んでしまったけれど、もしかして、タピオカって、あのつぶつぶの食感を味わうものだったかもしれない。峯田は後付で知識を思い出したが、飲み干してしまったものはどうしようもない。
しばらくしてベルが片手にアイスコーヒーを持って戻ってきた。
座席に座り、机の上を見て、あれ、と言う。
「試飲のタピオカ、ありがとう」
「タピオカ?」
ベルが怪訝な顔をするので、峯田もおや、と思う。
そのベルの表情が、すぐに曇った。
「おまえ、まさか……」
ベルの視線は、先程峯田が飲み干したプラスチックのカップに注がれている。
「あ、あれ。もしかしてタピオカ……じゃない?」
「おまえ、まさか! ……飲んだのか、これ」
プラスチックのカップを持ち上げる。
「うん」
ベルが絶句した。
「……ごめん」
「い、いや……謝らなくてもいいけど、……なんとも無いのか?」
「え、なんともって、どうして?」
「お前が飲んだの、蝌蚪だぞ」
「かと? かとって何だい?」
「えーっと……おたまじゃくし」
峯田が目をぱちくりとさせた。
「おたまじゃくし?? 泳いでるようには見えなかったけど……」
「正確には本物のおたまじゃくしではなく、蝌蚪文字と言われる文字に妖力が宿ったものだ。蝌蚪文字で書かれた古い書に、妖怪が取りついたようだから何とかしてくれと言われたから、とりあえず妖怪をここに移したんだけど……」
「ぼく、それを飲んじゃったのか〜」
よく見れば、テーブルには他に試飲用の小さめの紙コップが置いてあり、少量のコーヒーが入っていた。ベルが飲んでいいと言ったのはこちらだったのだ。
「どうしよう」
峯田は何も危機感を感じさせない声で言う。
「いや、俺も、そのへんの川に捨てるつもりだったから、別にいいけど……腹の中で暴れたりしないのかな」
「どうしてベルのところに持ってきたの?」
「そりゃあ、俺が文字の妖怪の総元締めみたいなものだからな。なんとかしてくれると思ったんじゃないのか。とりあえず預かっておいただけだけど」
ベルがiPhoneで『蝌蚪文字』を検索して画像を見せてくれた。文字を構成する一本一本の線が、まさにおたまじゃくしのように、頭の部分が丸く、そこからひょろりとしっぽが出ているように書かれていて、それが集まって一つの文字になっている。
「おたまじゃくしだ」
「おたまじゃくし風に書いた文字だ」
「なんでおたまじゃくし風に書く必要があったの?」
文字によっては、全く文字というよりはおたまじゃくしの集合体にしか見えない。
「さあ……デザイン性を追求したんじゃないかな」
「元々持ってきたものには蝌蚪文字でなんて書いてあったの?」
「読んでないからわからない」
峯田はその後、自分のコーヒーを飲みながら、仕事をしているベルの横に座ってしばらくくつろいだあと、トレーニングの時間だからと言って去っていった。
トレーニングしているときは何も気づかなかったが、帰宅途中、なんだか胃のあたりがむずむずしはじめた。痛いとか、苦しい感覚はないが、妖怪を飲み込んでしまったのだからそれ相応の現象が現れてもおかしくない。
浮葉には言っておいたほうがいいかもしれない、と思って歩いていたら自宅(居候先の古本屋)に着いてしまった。仕事を終えた店主で峯田の友人である蚊鳴屋が缶ビール片手に、山のように唐揚げを揚げている。ときどきビールを飲みながら、できたての唐揚げをつまんでいる。
「今日からあげ? やったあ」
キッチンをひょいと覗くと、もうすぐ出来るからご飯をよそって用意してくれと言われた。
炊飯器を開けて茶碗に山のように白米を乗せているときに、ふと口を空けると、そこからふわりと何かが出てきた。
「うわ」
思わず声を出した峯田を見て、蚊鳴屋も「うわ」と言った。
「何だそれ」
「たぶん、おたまじゃくしの妖怪」
黒い丸に、ひょろりとしっぽがついているそれは、数匹固まって何かふわふわと揺れたあと、ゆっくりと霧散した。
「なんでおたまじゃくし口から出せるようになったんだよ」
「……呑んだから……」
「あっはは、すごいな」
ビールを飲んで上機嫌の蚊鳴屋が機嫌よく笑ったので、峯田も調子に乗って口を空けると、文字がぽぽぽ、と飛び出した。
「空也上人みたいだな」
「あはは」
蚊鳴屋にウケたのが嬉しくて、ひとしきり文字を出せるだけ出して、そのあと唐揚げを二人で腹いっぱい食べたあと、峯田はそのまま機嫌よく眠った。
次の日、機嫌よく起きたはいいが、本当にこの状態は大丈夫なのか心配になった。念のためこの状態を見せようと、再びスターバックス天使突抜町店へ向かった。ベルは昨日と同じ席でMacBookを睨んでいる。
「おはよ」
「おう。……昨日、大丈夫だったのか?」
「それがね」
峯田はぱかっと口を開けた。
昨日と同じように、おたまじゃくしの文字がぽぽぽ、と出てくる。
「うわ。なんだよ」
「こういうことになりました」
「いや、こういうって……?」
峯田は昨日の夜からこうなったことを説明した。
「でも、別に痛くもかゆくもないんだよ。ちょっと胃に違和感があったけど、それももう感じなくなったし」
痛くないからと言って、健康であるとは限らない。今後一生文字が出続けても困るだろうし。
「きみ、文字の妖怪なんだろ。これ、なんて書いてあるか読めないの?」
「読めない……ことは、ない」
峯田が、じゃあ読んでみてよ、何かわかるかもしれないし。と言ってまたぽぽぽ、と文字を出した。
「……『助けて』『暗い』『怖い』『ここから出して』」
「……」
「……」
「……」
峯田が顔を曇らせて、
「そ、そんな悲しい訴えだったなんて、ぼく、知らなくて……」
見違えたようにうろたえた。
「ぼくはなんとも無いけど、文字のほうがそんな辛い思いをしてたなんて……。これ、おもしろいから麦にも見せてあげようと思って、ここに呼んじゃったよ……」
峯田はしょんぼりとうつむいた。
浜麦が待ち合わせ場所のスターバックス天使突抜町店に着くと、いつものテーブルで峯田とベルがどんよりとした空気でうつむいている。
「ど、どうしたんですか、二人とも……」
昨日の峯田の「おもしろいもの見せてあげるよ!」というLINEのテンションとは大違いだ。
峯田がかくかくしかじか、と事情を説明して、口を空けると、説明の通りおたまじゃくし、の集まったような文字が峯田の口から出てきた。
ふよふよと空中を漂うそれを手のひらに載せようとしたら、触れた瞬間にシャボン玉のように霧散してしまった。
「峯田さんのお腹は大丈夫なんですか?」
「うん、特に痛くもかゆくもないよ」
それなら……とひとまず浜麦は胸を撫で下ろす。
「でも、何か申し訳ないからお腹から出してあげたいな」
「そのうち消化されて出ていくのでは?」
「それもなんだか……それでいいのかな、って……。吐けるかどうかわからないけど、頑張って吐いてみようかな」
「どちらにせよきれいな状態じゃないな」
「そう言わないでよ」
峯田は困った顔をする。
「……峯田、あの人とよく会うんだっけか」
「あの人?」
「あの魔力値の高い美人」
「妖怪がそう言うと大体わかっちゃうよ、浮葉のことだろ? 美しい人と魔力値が高い人はそれぞれいるかもしれないけど、両方を兼ね備えているのは最近は浮葉だけだって妖怪たちの間でもっぱらの評判だからね」
「この文字、持ってきたのその浮葉さんなんだが」
「え……それはまずいな、ぼくがこんな状態になってるのを知られたら、浮葉、責任を感じてへこんじゃうよ」
「浮葉さんの責任は何もないと思いますが……」
「そうかもしれないけど、浮葉ってそういう方だからさ。じゃあ頑張って吐いてみようかな」
「手伝いましょうか」
「できるの?」
「まあ、やってみないとですけど。要するに物理的に出せばいいんですよね。吐き出せるということは、多分まだ胃にいますよね」
浜麦はこぶしをぐっと握った。
「物理」
「それ痛いやつ?」
「峯田さん次第かと。でも、いつもやってますし」
「おい、ここではじめる気じゃないだろうな」
「さすがに……人の目もあるので。どこか二人になれる場所がいいかと」
「じゃいつものとこ行こうか」
峯田はコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
浜麦も黙って立ち上がると、二人は連れ立ってスターバックス天使突抜町店を後にした。
「二人っきりになれる場所で……物理的に触れ合い……」
残されたベルは地縛霊でありスターバックス天使突抜町店から出られないため、それに参加することは出来なかった。
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