エピローグ

 発車を告げるベルが鳴る。「次で良くない?」と言わんばかりに悠長な土屋の手を引いて、乗降口に飛び込んだ。銀色の手すりを掴んだよもぎが、ふうと息を吐き出した。


「次ので良くない?」


 と、土屋が言った。良いわけがない。これを逃せば次は二〇分後だ。現地集合の時間に間に合わない。

 私たちは四人掛けのボックス席に腰を下ろし、空いているひと席に荷物をまとめた。

 よもぎが、窓を指差した。


「窓、開ける?」


「開けようよ。夏だし」


 数センチ開いた窓から、ぶわっと潮風が吹き込んでくる。よもぎの明るい色の髪が、ばさりと膨らんだ。私は、私の地毛のままの髪を撫で付ける。


「水谷、何分くらい乗るの?」


「自分で調べなよ。ええと、四十分くらい」


 車内を、小さな二人組の男の子が駆け抜けていく。友達だろうか。母親らしき女性が、小走りに後を追う。電車が停止し、中学生くらいの男女が乗り込んできた。制服を着た二人は、ぎこちなく手を繋いでいた。


「確かに、夏だね」


 私の隣で、土屋が薄く笑った。

 七月の初旬。私たちを乗せた電車は、近場の観光地へと向かっている。現地集合、現地解散の社会科見学だ。

 この二ヶ月半の間、私たち三人の交際は、それなりに上手くいっていた。これからも上手くいく保証はない。けれど二ヶ月半というのは、それなりの成果といってよいと思う。


「で、どこ行くんだっけ」


「旅のしおり見ろってば」


「実は失くした」


「琥珀ちゃん、うちの見る?」


「さんきゅ」


 よもぎから受け取った青い厚紙を開いて、土屋が「うわぁ」という顔をした。


「お寺と美術館か」


「そんなもんでしょ。私は割と楽しみ」


「水谷は絵心あるからね」


「別に……」


 実は、美術の課題で描いた噴水の絵が、校内展で金賞を取った。もっとも、評価されたのは技術じゃない。工夫のほうだ。

 土屋が、よもぎにしおりを返した。


「この企画展の日本画家、知ってる?」


「知らない」


「知らない」


「だよね。知らない画家の絵とお寺か」


 土屋が、肩をすくめてぼやく。


「お寺なんか行ってどうすんだろ。何も見るとこなくない?」


「えっとね、夏は蓮池が綺麗なんだって。そろそろ開花の時期みたい」


 よもぎの言葉に、私はまだ見ぬ蓮の花を想像した。参道沿いの沼に咲く、無数の白く大きな花弁を。

 校内写生において、私は中庭にある噴水をありのままに描写した。濁り、澱んだ沼を、そのまま描いた。あえて美しい泉にはしなかった。

 土と藻類に汚れた水も、悪くはないと思えたから。

 その代わり、私は一輪の花を描き足した。おそらくは、ある種の祈りを込めて。

 書き足したのは、蓮の花だ。

 底の見えない泥沼にも、美しい花が咲くことはある。


「咲いてるといいね」


 と、私は言った。

 二人がそれぞれに笑って、頷いた。


 (完)



※※※※※※※※

【謝辞】

三人の恋路にここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

一旦幕としますが、番外編とかどうしようかな…と思ってます。

本作はカクコン参加作ですので、もし宜しければ、星とかブクマとかして頂けると嬉しいです。

どうぞよしなに。

重ねて、最終話までありがとうございました。



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世界で一番嫌いな君に口づけを 深水紅茶(リプトン) @liptonsousaku

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