本文

 リェーナはエルフの中で恐らく一番に旧人類について理解しているだろう。

 だから、ここが部屋ではない事もリェーナは承知していた。どちらかと言うと「箱」に近い。


『ドアが閉まります、ご注意ください』


 どこからか無機質な女性の声が聞こえると、目の前の通路までの出入り口が両側から出てきた扉に閉められた。


「お、オイッ! こりゃ何だよ!? 閉じ込められたぞ!」

「さっき声がしたわよね!? 誰なのっ?」


 リェーナの後ろで軽装の鎧を着た蜥蜴頭の男と魔女帽を被った有翼人の女が泡を食っている。天井から煌々と光る真白の灯りのお陰で彼らの冷や汗まではっきりと見える。

 リェーナは振り向いて、二人に優しい口調で語りかけた。


「大丈夫です。ここはえっと……旧人類が作った昇降装置でして」


 白く細い指がそっと壁の板に触れた。部屋全体に一瞬振動が走り、有翼人の女が「ヒッ」と小さく声を上げる。


 ウォォォォン、と頭上から獣が低く唸っているような音が響いていた。


「エイ・レベーター、と言うらしいです。エベスさん、ラシャさん」


 蜥蜴男――エベスはギョロギョロと黄色い目を忙しなく動かしている。


「よくわからねぇが……とりあえず大丈夫なんだよな?」

「はい、とりあえず地下の何処かには着くと思います」

「何処かって……微妙にアバウトね」


 魔女帽子のラシャが少し呆れ気味に言った。だが、とりあえず危険がない事がわかり安堵した表情をする。

 やがて、チン、とベルのような音が鳴り、扉がひとりでに開いていく。


「おお……!」


 エベスが感嘆の声を上げ――


「お、おおおおおおおッ!!?」


 次の瞬間に驚愕のものと切り替わった。


 扉の向こう、出入り口を挟んだ通路には樽に腕が生えたような鋼鉄の物体がずらりと並んでいた。


「コノ先ニ進ム場合ハ、レベル3以上のIDヲ提示して下サイ」


 嫌に耳障りな甲高い声で鉄樽は言った。


「な、何……今度は何なの!?」

「IDヲ提示して下サイ」

「アイデーって何だ、おいリェーナ!」

「IDヲ提示して下サイ」

「エベスさん……ラシャさん……」


 ふぅ、と小さくリェーナは息を吐いた。腰のベルトに引っ掛けていた武器にそっと手をかける。


「ごめんなさい、わかりません! 多分ムリなやつです!!」

「侵入者と判断シ、拘束を開始シマス」


 鉄樽が動く前にリェーナが武器を引き出す

 リェーナが構えようとする刹那の間にエベスが隼の如き速さで跳躍し、手斧を一体の鉄樽の頭上にめり込ませた。

 エベスは軽々とした身のこなしで攻撃した鉄樽を台にして通路の壁に張り付く。


「ゲェッ、斧が一撃だけでボロッちまった!」


 刃が大きく欠けた手斧を見てエベスが悲鳴に近い声を上げる。鉄樽は想像以上の硬さだった。

 続いて、リェーナが武器――「銃」を鉄樽に向け、引き金を引く。

 銃身に螺旋を描くように刻まれた呪言が青く輝き、轟音が響いた瞬間、鉄樽の一体に小さい穴が空いた。


「エベスさん、避けて下さい!」


 リェーナが叫ぶと、エベスは壁から飛び移り、離脱する。同時に銃撃を受けた鉄樽が弾け、中から樹木が急激な勢いで伸び、周囲の鉄樽をも薙ぎ払っていった。

 樹木に巻き込まれ、鉄樽は一網打尽となった。

 その様子を見て、ラシャは感嘆の声を漏らす。


「凄いわね……機術使いって」


 長い金髪の少女は否定するように頭を振った。


「ラシャさんのような操魔師の方こそ凄いです。魔力を生み出せないから、こういう道具に頼らざるを得ないだけなので」


「エルフの人って謙虚なのね。ま、悪い気はしないわ」


 ラシャは言いながら通路に出て、足元の樹木をまたぎながら倒れている鉄樽に近づいた。そして、持っていた杖を口元に寄せ、小さく唱える。


「展開、発動」


 杖の前に赤い魔法陣が浮かび上がり、杖が紅く淡く光りだした。

 詠唱なしの術式発動。一流の操魔師の証である。

 ラシャは杖の先を鉄樽に当て、強く押し込んだ。途端に押し当てられた部分が凹みだし、やがて貫かれる。


「私の強化付与術は効くみたいね。エベス、斧全部貸して。強化ったげる」

「おう、頼むわ」


 エベスが斧を床に並べ、ラシャが一つずつ強化魔術を付与していった。


 リェーナは両側に伸びる通路の先を交互に見る。今いる場所は天井に灯りがあるが、どちらの道も奥は暗い。

 腰のポーチから紐がついた発光石を取り出し、腰にくくりつける。


「皆さん、こっちに行きましょう」


 リェーナが通路の片方を指さした。


「アテはあるのか?」

「正直、あまり……旧人類のダンジョンはまだ解明されていない所が多いですから」

「ダンジョンって言い方もどうかと思うけどね。自然発生した魔物の巣窟じゃなくて大昔の人間が作ったものでしょ、ここ」

「ええ、恐らく天変地異と戦禍を逃れる為の施設だったのでしょう。「機術」がかつて数多く産み出されていた場所でもあります」


 リェーナは腰に収めている銃にそっと手を触れる。魔力を持たない彼女にとって命綱であり相棒とも言える存在だった。


「機術ねぇ……」


 ラシャが嘆息しながら言う。


「持てば魔力ナシ訓練ナシで術式が使えるなんて……昔の連中も罪な事をするもんだわ。必死こいて修行してた自分がバカみたい」

「俺も機術を手に入れりゃ操魔術が使えるようになるんかね!?」


 エベスが興奮するようにリェーナに訊いてきた。リェーナは困ったような笑みを浮かべる。


「あはは……結局のところ、術式を扱うわけですから、魔力を操るセンスがないと……」

「ああ、ダメだ無理そ」


 エベスが肩を落として軽く手を振る仕草をした。


「でも……簡単に力が手に入るモノである事は確かです。この先行探索で、何としてもエッジ商会より先に機術を見つけないと……!」


 リェーナは通路の奥を見据える。三人は闇の中に向けて歩き出した。


 途中、三人は鉄樽に何度か遭遇するものの、大抵はエベスの俊敏な動きと強化付与された斧により斬り伏せられた。

 機術は見つけられないものの、マッピングは順調に進んでいた。


 リェーナは以前も何度か、他の旧人類のダンジョンの探索に志願した事があったが、未知ばかりの場所に入るのには未だに勇気が要る。


 部屋の構造や雰囲気から、何となくロビーや住居などの察しがつくものもあったが、やはり意図が解けない場所や物が多い。

 堅固でつなぎ目が全くない壁や床は見たこともない質感の何かで出来ており、それが途方もない計算で成り立っている事だけはわかった。


 やがて、一行は扇状に広がり机が均等に並ぶ部屋にたどり着いた。推測するに、会議場かあるいは裁判所か。


「あれ……」


 リェーナは教壇のような所に何かが置かれているのを見つけた。近づき、それを手に取る。

 何かの腕輪のようだった。色は白く、材質は弾性があって柔らかい。途中で正方形の黒い板あり、発光石の光を反射して輝いていた。

 リェーナは、その黒い板の周辺に呪言を見て、息を呑んだ。


「これ――!」

「どうしたの!?」


 エベスとラシャが駆け寄ってくる。


「術式構築の為の呪言が刻まれています。恐らく、機術――」

「マジかよ。こんなもので操魔術が使えるってのか?」


 エベスが信じられないといった様子で頭を抱えた。


「やったじゃない! 大手柄よ!」


 ラシャが歓喜してエベスに後ろから抱きつく。


「おう、これで目標達成だ……」


 はしゃぐ二人を見て、リェーナも自然と笑みが溢れる。仲間となにかを成し遂げた喜びはどれだけ経験しても褪せる事はない。


 リェーナはもう一度手に取った機術に目を落とす。

 こんな状況だが、冒険者としての好奇心が抑えきれず、つい用途について考えを巡らせてしまう。

 機術はもともと旧人類が使っていた道具に術式を付与して操魔術を繰り出す仕組みだ。これも、機術になる前は本来の道具としての機能があったのだろう。


 リェーナは深みに嵌っていく思考を散らすように頭を振った。今は自分の世界に入っている時ではない。探索を再開しようと二人に向き直る。


「さぁ、この調子で頑張りま」


 そして、自分の眼前に迫る斧の刃を見た。


「ッッ!!!」


 咄嗟に反応できたのは奇跡としか言いようがない。銃を抜き、向かってくる刃をバレルで受け流す。金属がぶつかり、擦れる甲高い音がした。

 リェーナは攻撃の主――エベスから距離を取る。脳が混乱し、視界が歪んでいるような気がした。


「おお……硬てぇなぁ。強化付与した斧でも効かねぇとは」


 振るった斧をコンコンと指でつつきながら、エベスはさっきと変わらない調子で言った。


「なっ……っ……なんで……」


 リェーナが辛うじて出た言葉はそれだけだった。


「そりゃ……まぁ、持ってくる機術は最低二つって言われてたし」


 エベスの後ろでラシャが肩をすくめながら薄ら笑いを浮かべた。


「ふた、つ」


 機術は、一旦持ち主を定めれば、主以外の人間が持っても使う事は出来ない。

 ただし、持ち主が死ねばそれは白紙に戻る。


 リェーナの全身が総毛立った。


 震える手を抑えながら銃を構えた。


「だ、誰の命令ですか!?」

「そりゃ一人しかいないでしょ」

「まさか……エッジ商会……」

「その頭領、クローズさんってワケだ」


 少しでも気を抜けば身体が崩れ落ちそうだった。リェーナが考えうる限りで最悪の状況だ。自分は、まんまと敵の手先と肩を並べていたというのか。


「こ、来ないで下さい! 攻撃しますよ!?」

「あのねぇ……こういう場合はァ――」


 ラシャが魔女帽のつばを持ち、小さく唱え、


「攻撃しますよ、じゃアなくて、しとかなきゃなんないのよ!!」


 強化付与された魔女帽を放り投げた。

 回転しながら迫るそれは、銃を弾き飛ばし、リェーナの頬を掠めて斜め後方の壁に刺さった。手元から離れた銃は教壇を超え、数メートル離れた所に落ちる。


「うっ……ああっ」

「あんたの言う通りね、リェーナ。機術使いなんて、機術を持ってなきゃ無能も同然よ」


 ラシャが蔑む。機術使いは魔力精製も術式も機術に頼る故、手元から機術が離れれば何も出来ない。


 リェーナは完全な死に体だった。

 殺意が籠もった瞳がじりじりとにじり寄ってくる。


「カアッ!!」


 エベスが咆哮し、飛びかかって来るのと、リェーナが右足を軸に半回転したのは同時だった。


「くっ!!」


 リェーナは後ろ、壁に刺さった魔女帽に向かって左足を踏み込んで駆けた。両手で帽子を引き抜き、素早く振り向いてそれを掲げる。強化付与が残っている帽子は斧の一撃を防いでくれた。


「あァ!?」


 エベスが怒りと驚愕が混ざった叫び声を上げる。

 リェーナは帽子を放って斧をいなし、その隙をついて逃げ出した。入ってきた出入り口とは反対にある扉へと走る。扉は目の前まで来ると、ひとりでに開いた。


 通路に出ると、リェーナは腰につけた発光石を外してポーチに仕舞う。暗闇に目が慣れたので、灯りが無くても多少は無事だった。


「観念しなって~死に方ぐらいは選ばせてあげるからさぁ~~」


 後方からラシャの声が反響して聞こえてきた。気の抜けた調子が逆に恐ろしかった。


 昇降機を目指したいが、引き返せば確実にかち合う。

 今はただ逃げるしかなかった。

 分かれ道がない通路をただひた走る。やがて、また扉が見えてきた。

 扉が開き、中に入る。


「あっ……」


 行き止まりだった。

 薄闇で見落としていないか、目を凝らして部屋の壁を見渡すが、何もない。


「あーあ、こりゃ残念ね」


 リェーナのすぐ後ろから、聞こえてはならない声が聞こた。思わずビクッと肩が震える。

 ゆっくり振り向く。ラシャとエベスが部屋に入っていてきた。


「ちょっと上手くやったみてぇだが、運が尽きたな」

「う、ああ……」


 リェーナが絶望の声を漏らし、後ずさる。武器も逃げ道もない状況に、もはや打つ手は無かった。

 突然、視界が揺れた。足がなにかに引っかかって身体がバランスを崩し、リェーナは尻もちをついた。

 だが、おかしな感覚だった。思い切り転けたのに痛みがない。


「……なによ、それ」


 ラシャが訝しむように言う。その視線はリェーナの足元に向いていた。

 リェーナも目線をそちらにやる。


「ひっ!?」


 思わず、悲鳴が上がる。


 人骨だった。


 人骨が横たわっていた。どうやら、これに躓いたらしかった。

 だが、それは人骨と言うにはいささか奇妙であった。

 骨格は全て鉄のような質感と光沢があり、全体的に人のそれより角張っていて明らかに自然物ではない。彫刻家に鉄を削って人骨の模型を作れ、とオーダーして作られせたかのように見える。

 もっと目を凝らすと、人骨の下にはそれを包み込むように粘液が広がっていた。弾力があって、スライムに近い質感だった。痛みが無かったのはこれが緩衝材になってくれたからのようだ。


 今まで見たものとは全く違う存在に、流石のラシャとエベスも警戒していた。


「あれ、何だ? わかるか?」

「飾り物にしちゃ悪趣味って事ぐらいはね」

「悪趣味な奴には売れるぜ」

「ちょっと、持って帰るつもりなの?」


 ラシャの言葉に「ああ」とエベスは首肯した。


「……こんな薄気味悪い場所に長いこと潜ってよぉー」


 エベスが再び獲物へと目を向ける。リェーナは視線に身体が貫かれるような錯覚を覚えた。


「トロくて頭に花畑が咲いてそうなエルフ様にイライラしながらお守りしたんだからよぉ」


 エベスがゆらりとした歩みで足を進め、斧を大きく上段に構えた。


「殺ったご褒美ぐらいあってもいいよなァァ!!?」


 風を切り、無慈悲な一撃が振り下ろされる。


「あ、あああああっ!!」


 リェーナは悲鳴を上げ、迫る死の予感に目を瞑る。


 その時だった。


「さっきから――」


「なっ!」


 エベスが素っ頓狂な声を上げた。

 低く、洞窟の奥底から響いてくるような声。

 リェーナは思わず目を開き、その光景を見る。

 顔を強張らせながら身を反らしているエベスの片足を掴む手。


 いや、骨があった。


「うるさいなぁ……ネズミの方がまだ節度がある」


 人骨のような何か。それが首を起こし、蜥蜴男の方を見ていた。

 今度はぐるり頭を動かし、反対の方へ向き直る。

 闇をたたえていた眼窩には青い光が灯っており、真っ直ぐにリェーナを捉えていた。


「千客万来だな。こっちの耳長お嬢さんはともかく、蜥蜴君は紅茶にコオロギでもつけてもてなせばいいか?」

「う、ウソでしょ……!?」


 固まるエベスの後ろでラシャが狼狽していた。

 無論、それはリェーナも同じ、いやそれ以上だった。

 裏切り、命の危険、死の覚悟。そして喋る鉄の骨。多すぎる情報に脳が処理能力の限界を超えて破裂しそうだった。


「お前たち、外から来たのか? そういえば少し前に振動を感知したが、このシェルター、掘り返されたようだな」


 異形が発する声が、まるで寝起きから覚めていくように、青年の男のそれになった。

 骨の頭がぐるりと三者を見渡す。


「……貧相な装備……明らかに文明が後退している。こりゃ外は期待できそうにないな」

「おいっ! なにゴチャゴチャと喋ってやがる!」


 エベスが掴まれていた手を足を乱暴に振って取り払い、吠えた。


「てめぇは何モンだ。え? 機術ってやつか? 答えろ!」

「機術? ああ、機工魔術特殊兵装の事か。違う違う、俺はアンドロイド」

「アン……なんですって?」

「人間様の命令に従う為に作られた人形だ。だが残念な事に命令がないのでずっと暇なんだ。映画を見ることしかやる事がなかったが、200年ぐらい前に再生装置がぶっ壊れた。それからずっとスリープ状態に入ってたんだけど」


 アンドロイドと名乗る何かはすっと立ち上がり、肩の埃を払う動作をした。


「まぁ……とりあえず、俺は寝ていたいって事。早く出ていってくれ」


 身勝手な要望に、ラシャが怒りを顕わにした。


「ふざけてるわね……! 人間に従うなんて言っといて、一丁前に私達に命令するつもり!?」

「そりゃあ、そうだ。お前たちは人間じゃない。だから従う必要はない。ネズミと一緒」

「なっ……!……!!」


 蜥蜴の口がぱくぱくと開いた。眉間に皺が寄り、目が血走っている。

 リェーナは思わず口を挟んだ。


「あ、あの! 流石に人間じゃないというのは……いくら何でも」

「ん? ああ、いやそういう侮蔑的表現ではなく、単に俺の人類の定義から外れているだけで」

「骨は骨らしく喋らず倒れとけやオラァ!!」


 斧戦士の怒りに任せた横薙ぎをアンドロイドはひらりと避けた。

 しかし、上腕部を少し掠めたようで、切り傷が出来ていた。

 エベスは鋭い牙が生え揃った口の端が釣り上げ、笑みを浮かべた。


「てめぇも強化付与は効くみてーだな!」

「エベス! 油断しないで!」

「骨ごときに何が出来るってんだ!」


 エベスが踏み込む。しかし、それより先にアンドロイドは反撃に転じていた。鋭い手先を突き出し、敵の首元を狙う。


 不意をついた攻撃は成功するかと思われた。


「えっ」「んっ?」


 リェーナとアンドロイドが同時に声を上げる。

 突然、アンドロイドの前からエベスの姿がかき消えたからだ。

 数瞬の後、アンドロイドは状況を察知し、上を向いた。

 蜥蜴男は天井に張り付いていた。

 踏み込んだ足を跳躍に使い、上方に飛んでいたのだ。

 そして、斧を振りかぶり、今まさに頭上から攻撃せんとしていた。


「見てやるぜ! テメェの頭に何が詰まってるかなァ!!」

「飛べ」


 突如として、アンドロイドの足元が蠢いた。

 それは、先ほどリェーナを受け止めた、スライム状の物体だった。アンドロイドの言葉に呼応するように塊となって、主の肩口から真上に射出された。

 スライムはエベスの腹に直撃し、そのままの勢いで天井に張り付いた。


「がッ……アァッ!!」


 天井とスライムに圧迫され、身動きが取れなくなったエベスが苦痛の声を漏らす。

 鉄の骨はそれを意に介さず、語りかけた。


「気に障ったのなら謝るよ。しかし、いきなり――」

「あっ!」


 リェーナが思わず叫声を出す。

 咄嗟にアンドロイドは危機を察知して頭をかばうように右腕を上げた。

 次の瞬間、その右腕に縦に高速回転した魔女帽が食い込む。


 魔女帽が女の悲鳴のように甲高い音を上げて徐々にアンドロイドの腕を削っていく。

 その様を見て、ラシャは鼻を鳴らして笑った。


「終わったわね……スライムで私を攻撃しようとしても無駄よ」


 ラシャの言う通りだった。

 アンドロイドが操るスライムは頭上のエベスを封じる為に使われている。痛みに歪むエベスの目からは、しかし未だ闘志は消えていない。もし、アンドロイドがスライムをラシャに向かわせれば、解放されたエベスはすぐさま確殺の一撃を与えに来るだろう。

 しかし、このまま魔女帽を放置すれば、やがて右腕を斬り破り、面を割る。


 最悪の二択だった。


 リェーナの思考が再び絶望に染まる。その一方で、アンドロイドには焦りの色が一切感じられなかった。骨ゆえに表情こそ読めなかったが、ゲームの盤面を俯瞰しているような佇まいだった。

 アンドロイドは火花を散らしながらじりじり食い込む魔女帽を興味深そうに眺め、何食わぬ様子で言う。


「こりゃ凄いな。そして酷い。親に人の痛みがわかる子になれと教わらなかったのか?」

「痛覚無さそうな化物に言われてもねぇ!」

「再教育だなこりゃ」


 アンドロイドがおもむろに空いた左腕を上げ、前に突き出した。


 行為の意図がわからず、ラシャが眉をひそめる。


「何を……」


 向けられた左手の指先にあるものを見て、有翼の操魔師はハッと息を呑んだ。

 スライムだった。左手に僅かなスライムを残し、纏わせていたのだ。


「伸びろ」


 鉄骨が呟くと、指先から糸のようにスライムが伸び、瞬く間にラシャの身体に付着した。

 ピンと張り詰められたそれを見て、ラシャの顔が急激に青ざめる。


「えっ……まさか」

「戻れ」

「ちょ、待っ!!」


 限界まで引っ張ったゴムを手放したかの如く、スライムの糸は左手に向かってラシャの体を連れ、急激な速度で戻っていく。

 ラシャは次に起こる事態を想像した。


「しまっ、解じ」


 強化付与魔術の解除を唱えようとしたが、一瞬遅く――


「ょあっ」


 ラシャは自らが放った帽子に頭から突っ込んだ。


「あっ、がががばばばばァァ!!!」


 鉄を割くほどの強化を付与され、回転している帽子のつばは、柔らかい人間の頭をいとも簡単に弾けさせた。

 叩きつけたトマトのように、頭の中身が辺りに飛び散る。

 正視に耐え難い光景に、リェーナは思わず目を背けた。

 やがて真白の翼は赤く染まり、魔女帽は回転を止め、強化付与の証たる淡い赤の輝きは消えた。

 頭が綺麗に割れた人間が地面に沈み、水を含んだ雑巾を床に落としたような音を立てた。


「来世では良い子になれよ」


 アンドロイドが友人に声をかけるような気軽さで言った。

 そして、残りの敵――頭上のエベスに顔を向ける。

 エベスの表情にもはや先ほどの熱は一切無かった。ラシャの血が付いた顔は畏怖に染まり、ガチガチと歯を鳴らしている。


「人の話はちゃんと聞くべきだったな」


 戦う意思は消えたと判断したのか、アンドロイドはエベスを拘束していたスライムの縛めを解き、同時に床に降りた。


「あっああっあっあっ」


 エベスは腰を抜かし、へたり込んだ。足は産まれたての子鹿のように震えている。


「ああああっ!! うわあああぁぁぁ!!」


 次の瞬間、赤子のように泣き出した戦士は、足をもつれさせ、何度も転びながら逃げていった。

 鉄の骸骨はその様を見届けると、身体中にべっとりと付着した血を確かめ、小さく唸った。


「洗うべきか……しかしまた寝るしな……」


 カチリ、と何かを押し込んだような音が響いた。

 アンドロイドが音の方角に目を向けると、長い耳の少女が銃を構えてこちらに向けていた。先ほどリェーナの手元から離れた銃だが、ラシャがリェーナを追う前に拾って持ってきていたらしい。ラシャの懐から落ちていたそれを取り戻していた。

 震える声を抑えながら、リェーナは噛みしめるように言葉を発する。


「あっ、あな、たはっ! いっ、たい……!!」


 結果的に目先の危機を脱したものの、不明な存在、それも人を何の感慨もなく容易く殺すものを前にして、リェーナは恐慌状態に陥っていた。


「う~ん、またか……」


 やはりアンドロイドには何の動揺もない。

 眼孔の青い光点が細かく動いている。リェーナの対応の為に観察に入っているのだろう。


「ん…………?」


 光点がピタリと止まった。


「ん……んん……?」


 目の光がどんどんと大きくなり、光度を増していく。


 そして、


「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 何をされても薄い反応しか返さなかったアンドロイドが、部屋中の空気を揺さぶるほどの大声を上げた!!


「それェ~~~~ッ!! マジで、リボルバー!!!?」


 ビシッとリェーナの構える銃を指差し、興奮気味に訊いてきた。


「えっ、えええ、えっ?」

「あんたも蜥蜴男も映画に出てきそうな感じだったけどさ、まさか、実物を見れるなんて思わなかった……!!」


 呆気にとられるリェーナをよそに、アンドロイドは軽率に近づいてきて間近で銃を舐め回すように眺めた。

 先ほどとは打って変わり、童子と変わらぬはしゃぎぷりを見せる人骨を見て、リェーナの頭が段々と落ち着いてきた。


 そうだ、別に彼は最初から何も敵意を持って接してきていたわけではない。

 徹頭徹尾、自己防衛の為に動いていただけである。あの二人は勝手に攻撃して返り討ちにあっただけの事だ。

 何より、結果的にとはいえ、自分を助けてくれている。

 リェーナは意を決して、アンドロイドに話しかけた。


「そ、その……好きなんですか、これ」

「ああ、西部劇が好みだからな。めちゃくちゃ」

「セイブゲキ……」

「映画だよ。まぁ多分知らないだろう。あんたの出で立ちからして外の世界に映像技術があるのかすら怪しい」


 アンドロイドは一通り銃を観賞した後、満足げに頷く。


「ああ、最後に良い物が見れて良かった」

「あっ――」


 そして、踵を返して部屋の端まで歩いていった。

 アンドロイドはスライムを布団のように手で敷き詰め、寝転んだ。


「じゃあな。気をつけて帰れよ、お嬢さん」


 そう声をかけると、眼孔の光が薄れていく。休眠に入ろうとしているのがわかった。


「あ、あのっ!」


 反射的にリェーナは叫んでいた。いま、この機会を逃せば、二度と彼が目覚める事はない。そんな気がした。


「知ってます、エイガ!」

「えっ」


 ガバッとアンドロイドが起き上がった。


「旅の……途中で、旧人類のダンジョンを探索した時に……み、見ましたッ!」


 リェーナは映画など微塵も知らない。完全に口から出任せだった。だが、そうでも言わなければ機会をみすみす見逃してしまう。


「マ……マジで……?」


 あんぐりと口を開けて、信じられないと言いたげにアンドロイドが呟く。リェーナの中で先ほどまでの無機質な印象が取り払われていく。

 リェーナがこのダンジョンに潜った目的は、エッジ商会より早く機術を手に入れ、街と、そして親友を救う手立てを探す為だった。

 彼は機術ではないようだがしかし、機術以上に重要な意味合いがあるようにリェーナは思えた。この暗澹たる状況を覆せる、圧倒的な存在。


「ウソじゃないよな!?」

「ウソじゃないです!」


 嘘だった。話を合わせる為に、相手の言うエイガとは何かを推測しなければいけない。


(セイブゲキ……セイブ、劇。見るもの……演劇の一種? でも、そんな設備はおろか役者だって一人もいないはず……)


 やはり、さっぱりわからない。

 リェーナはこれ以上突っ込んだ事を訊かれる前に、本題に切り出した。


「あのっ! もし……もし、貴方が私に協力していただけるなら……エイガ、見れるようにお手伝いいたします!」

「いいよ」

「即答ですか!? 内容まだ話してませんけど!」

「どうせやる事もないからな。折角チャンスがあるんだ……あんたの頼み、聞くよ」


 アンドロイドは、スッと手を差し出した。


「契約成立って事で」


 リェーナは恐る恐る自分も手を出し、握手した。ひんやりと冷たく、硬い感触が手を覆った。

 そして契約相手は右腕を大きく突き上げて、元気よく言った。


「じゃあ行くかぁ、外に!」


(どうしよううぅ~~…………! エイガって……エイガって何…………!)


 リェーナは早速、自分の見切り発車的な判断を呪いたくなってきた。

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③機骨と魔術 暁太郎 @gyotaro

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