第3話 終点

 布団も敷いてあるしもう誰も来ないだろうと、私は明日の予定について話し出した。

 決行する場所は山中のハイキングコース。観光客が途絶える時期で人がまばらなそうなので丁度いい。

 ハイキングコースを登り終えた山頂には、絶壁となっている所があるらしい。そこから落ちたら、まず助からないだろうということだった。

「だから、あなたは突き落とすだけでいいの」

「確かに、それなら道具も何も要りませんし楽そうですね」

 彼が敬語に戻っているのを少し残念に感じた。まあ、誰も来ないからだろうけど。


 私と彼を結び付けたマッチングアプリ『K&S』――Killers and Suicides、殺人者と自殺者。殺したい人と死にたい人が出会うマッチングアプリだ。

 ジュンヤ君は殺したい側、私は死にたい側として登録してあったのだ。


 今の世の中、誰かを殺したい人も、死にたくても自分では上手く死ねるかどうか不安な人もたくさん居る――それらを引き合わすのがこのアプリの目的だった。

 もっとも、死んだ後スマホからこのアプリが見つかれば騒動になる。だから、お互いに望んだ相手と会った時点で削除するというのは重要な規約だった。

「でも、本当にいいんですかね?」

「何が?」

「いえ、僕みたいな者がナツミさんを殺してしまって――」

「そのためにここまで来たんでしょ? さ、もう寝ましょ」

 私はその疑問をかき消すように話を終えて床に就いた。

 彼はまだ何か言いたげだったが、それを見るとテレビと電灯を消して床に就いた。


 深夜、私は目を覚ました。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出して蓋を開ける。窓際に座るとそれを喉の奥に流し込んだ。

 もうすぐだ。もうすぐ全部終わるから――。

「眠れ……ないんですか?」

 横になっていたジュンヤ君の声がした。

「ううん、ちょっと目を覚ましただけ」

「そう……ですか」

 私は思っていた疑問を口にする。

「ジュンヤ君は、どうして私を殺したいと思ったの?」

「それは……その……」

 彼は言おうかどうか迷っているようだった。

「あの、ナツミさんの方こそ、どうしてですか? あなたみたいな綺麗な人が死にたいだなんて、信じられない」

 彼は立ち上がって言った。

「私は……気付いちゃったからかな?」

「気付いた? 何にですか?」

「この先に生きていても、何もないってことに」

 私は話し出した。


 私の家庭はシングルマザーで、物心ついた頃から父親は居なかった。母にはその理由を聞けなかった。

 母は家庭と仕事を苦労して両立させて、私を高校まで行かせてくれた。

 その後、私は就職したが高卒では雇ってくれるところも少なく、最初就職した零細企業はあっさり倒産。2度目、つまり今居るところはあからさまなブラック企業で、パワハラモラハラ当たり前、サービス残業も常時で、おまけに給料は知れている。私のような行く当てのない人間の足元を見るような会社だった。


「それで? 働くのが嫌になったからですか?」

「それは……ちょっと違うかな。なんていうか、私の人生は『空っぽ』だって気付いちゃったからかな?」

「空っぽ? どういうことですか?」

「そうね――」

 私は残っていたビールを一気にあおった。

「母が……死んだの。車にひき逃げされて」

 沈黙。

 彼は静かに私を見ている。待っていてくれているのだろう。

 私は音を立ててビールの缶を握りつぶした。

「警察からその連絡を受けて思ったの。母は今まで苦労してきた分、この先にはきっと良いことがあるって言ってた――でも、何もなかったじゃないかって。母は苦しむだけ苦しんで……死んでいったの」

 私はビールの缶を投げ捨てるように置いた。

「そう思ったら、私も一緒じゃないかって思って――母のように、苦しむだけ苦しんで、その先には何もない――そう思ったの」

「けど――」

「気休めなら言わないで! お願い!」

 再び沈黙。

「だから私は、誰かに殺してもらおうと思ったの。自分じゃ確実に死ねるか不安だったから、これ以上苦しみが深くならないうちに誰かに……」

 私は自分の目に涙が浮かんでくるのを感じた。

 なぜだろう。彼と出会うと決めた時に覚悟を決めたはずなのに。

「理由は、分かりました。僕も……話します」

 今度は彼の番だった。

「僕は中高一貫の進学校に行っていて――」


 彼が言った学校名は、それに疎い私でも分かる程の有名進学校だった。

 彼はそこで、酷いいじめを受けていたのだという。

 名門とは名ばかりで、生徒たちはお互いに成績を競い合うばかりにギスギスしていて、教師たちも常日頃からそれに発破をかけている。

 そんな中で、そのストレスから酷いいじめに発展することも少なくないのだという。

 殴る蹴る、脱がす、水を掛ける、持ち物を壊す盗むは当たり前。学校中に誹謗中傷をされたり、女生徒だと性的暴行もごく普通にあるという。


「そんなこと、先生は止めないの?」

「担任の教師は責任問題になるのを恐れて隠しました。僕は『面倒を起こしてくれるな』と口止めされました……自分が定年になるまで平穏無事に過ごしたいんでしょうね」

「でも、ご両親は?」

「親は僕の成績しか見ません。少し言いましたが、そんなことにかまけているから成績が落ちるのだと言われました」

 私は呆然として彼を見た。こんな良い子が、そんな不遇な扱いを受けているなんて――信じられない!

「けれど、それがどうして私を殺すことに繋がるの?」

 そうだ。それが疑問だった。

「こんな事件を知ってますか――」

 彼が語りだしたのは、ある少年犯罪者の起こした事件だった。

 何の恨みもない児童を2人殺害し、当時はメディアでも大きく取り上げられた事件だった。

「僕は、その事件を見た時に専門家が犯人の少年を『守れ』と主張していたのを思い出しました」

 そうだった。確かにそう言った専門家が居た。これで加害者ばかりを守ろうとするこの国の仕組みを疑問視する声が上がったが、それでも確実に守ろうとする動きはあったのだ。

「僕はそれを思い出して考えました。必死で歯を食いしばって死にたくて殺したくて我慢している人間よりも、人を殺した人間の方が守られているじゃないか。

 それなら、僕も誰かを殺せば守ってくれるんじゃないか、って」

「そんな、極端な――」

「じゃあ、誰が見てくれるんです?

 必死で耐えている、相手を殺したくても我慢している人間には救いを与えず、無差別に殺した少年犯罪者には守れと言う――そんな世界で、誰が僕を助けてくれるんですか?」

 私は答えられなかった。

 彼は泣いていた。電灯が消えた薄暗がりでもそれはハッキリと分かった。

「だから、僕も人を殺すことにしました。生きたいと思っている人を殺すのは気が引けるから、死にたいと思っている人を――」

 彼は嗚咽の声を隠そうともしていなかった。


 他人にとっては些細な問題でも、私たちにとっては重すぎる問題だ。


 私は無意識に彼を抱きしめていた。

「そう、辛かったのね」

「ナツミさん!」

 彼は私を布団の上に押し倒した。

「あ、あの……僕は――」

「いいよ。来て――」

 その後はただ本能の赴くままだった。

 彼は私の唇を塞いで、胸元をまさぐった。

 私はその手を浴衣の襟の中に導いた。


 翌朝、私は少し早く目覚めた。

 初めてではなかったものの、久方ぶりの「行為」に気分が高ぶっていたせいかもしれなかった。

 はだけて裸同然になった下着と浴衣を直すと、部屋に備え付けのシャワーに向かった。

 片付けに来た旅館の人は姉弟だというのが嘘だと気付くかもしれない。だが、もうそんなこと心配しなくてもいいだろう。

 シャワーから出てくると、ジュンヤ君が布団の上に正座して待っていた。

「あの……すいませんでした! 昨日は本当はあんなことする気はなくて――」

「気にしなくていいの。私もそうしたかったんだから」

 そうだった。押し倒したのは彼だったが、未経験の彼をその後リードしたのは私だった。

 私は彼の頬に軽くキスをした。

「シャワー、浴びてきたら?」

「は、はいっ! そうします!」

 彼は少しぎこちない動きでシャワーに向かった。

 着替えて朝食を終えると、旅館をチェックアウトしてハイキングコースへと向かった。


 案の定、朝のハイキングコースは閑散としていた。

 落葉した木々の間から朝日が降り注ぎ、道を明るく照らしている。

 その光景は清々しく、今からそれを汚すのだと思うと少しだけ罪悪感があった。

 途中、1人だけ降りてくる人とすれ違ったが、それ以外には誰とも会わなかった。

 私は彼と一緒に歩き、山頂に立った。

 山頂はまさに絶景で、重なり合う山々と盆地にある街が一望できた。

 その山頂の淵に断崖絶壁となっている場所があった。

 私はそこに立つと言った。

「さあ、落として」


 僕はとうとうその時が来たのだと悟った。

 今、目の前でナツミさんは両手を広げて僕に向かって微笑んでいる。

 昨晩のことを思い出して、そのまま抱きしめてしまいたいような衝動に駆られた。

「ためらっているの?」

「い、いえ……なんだか、とうとう来ちゃったんだなって」

「ええ、そうね。だからこそ成し遂げないと――」

 僕は彼女が全てを言い終える前に手を伸ばした。

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人を殺せばいいのかな? 異端者 @itansya

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