第2話 迷夢
私は海が見えてきたことに喜びを感じたが、徐々に落胆へと変わった。
海沿いの街の建物はどれも海岸ぎりぎりまで建てられており、期待したような広い砂浜は望めそうになかったからだ。
その上、少し沖には漁船のような物がいくつか見えた。これでは、落ち着いてできないのではないかと思った。
私は海岸脇の道路に車を停めた。
「少し見てみない?」
「道具はどうしますか?」
「ちょっと見るだけだから、置いていってもいいわ」
ジュンヤ君は少し気の抜けたような顔をした。
――そう、ほんの少し見るだけ。でも、ひょっとしたら……。
そんな淡い期待もすぐに裏切られた。
海岸は無人の砂浜ではあったが、ゴミやら流木が散乱しており、とても綺麗とは言い難かった。おまけに無遠慮に置かれたテトラポッドが雰囲気を台無しにしている。
「やっぱり他の場所にしましょうか?」
彼は私の心中を察してくれたようだった。本当によく気の利く子だ。
「そうね……これじゃあ、ムードも何もないわ」
でも、どこへ? ――私は自分の無計画を呪った。
「海が駄目なら、山の方に行ってみます?」
「山ね……そういえば、少し離れた所に紅葉が綺麗だって紹介されていた山があったわ。もっとも、もう紅葉は終わっているだろうけど」
「観光客が少ない方が、都合はいいですけどね」
「確かに言う通りだわ」
私たちは車に乗ると、再び走り出した。
僕はナツミさんが不機嫌そうに車を飛ばすのでちょっと心配になった。
事故でも起こしたら、いやスピード違反の取り締まりにでも捕まったらナツミさんと僕の希望が果たせなくなってしまうかもしれない。
それだけはなんとか避けようと、僕は場を和ませる方法を考える。
「あの……ラジオか音楽でもかけましょうか?」
「音楽はCDも何も持ってないけど……」
「僕のスマホに何曲か入れてあります。適当にかけましょうか?」
「ええ、そうね。お願い」
彼女はこちらを向かずにそう言った。
僕はスマホの音楽プレイヤーアプリから、できるだけ穏やかな曲を選ぶとループで再生するようにした。
「これ? 何の曲?」
「好きなゲームのBGMです。CDからスマホに取り込んだんです。曲名は――」
僕は説明を続けた。
気のせいか、さっきよりも運転が緩やかになったように思えた。
――良かった。これで大丈夫だ。
しかし、次の一言に僕は答えに詰まった。
「学校の友達とかと、こんな音楽の話をしてるの?」
まずいことを聞いちゃったかなあ……。
私の目は前方を向いていたが、意識は助手席のジュンヤ君の方を見ていた。
沈黙。さっきの一言の答えがない。
気まずい雰囲気が車内を覆う。
「あ! 別に答えたくなかったら、答えなくていいの!」
私はそう言って誤魔化そうとした。大人の私がここはなんとかしないと――。
「いいんです。答えられない僕が悪いんですから」
「でも――」
「これから向かう所って、どんな所ですか?」
必死に場の雰囲気を変えようとしているのが分かる。
私は子どもの彼に気を遣わせているのを少し情けなく思った。
「これから行く所は――」
私は説明を始める。
それでも、止まる訳にはいかない。私たちはもう――。
結局、その辺りに着いたのは夕方ごろだった。
その山には整備されたハイキングコースがあったが、日が沈んでから行くのは気が引けた。
「今日は、この辺りの旅館にでも泊まって明日の朝にしましょう?」
「はい、そうですね。せっかく景色の良い所を選んでも、見えないと意味ないですから」
彼の言う通りだ。
私はその辺りでも高級そうな旅館の駐車場に入った。
「随分と高そうな所ですけど――」
「いいのいいの! お金は全部私が出すから、気にしない!」
そして、こう付け加える。
「人前では、私たちは姉弟って設定を忘れないでね!」
「は……うん、分かったよ、姉さん」
彼は笑顔でそう言った。いい返事だ。
車を停めて旅館にチェックインしようとすると、ちょうど観光のシーズンの合間らしく、部屋は空いているとのことだった。
私は宿帳に決めておいてあった偽名を書いた。
「突然来たのに空いていて良かったね、姉さん」
「うん、そうね……純也」
フロントは少し疑わし気に見ていたが、それ以上は何も言わなかった。
姉弟という設定のため、2人1部屋にした。
――良いのかな? ……こんな高そうな所に泊まって。
僕は内心ドキドキしていた。
ナツミさんはお金のことは気にしなくていいと言ってくれたが、これからすることを考えると少し気が引けた。
「ええ、紅葉は終わってしまいましたが、ハイキングコースがあって――」
「確かに、落ちたら危ない所もありますが、普通に歩いていれば――」
「今はちょうどお客さんの少ない時期で、人もまばらで――」
彼女は部屋に説明に来た仲居さんにいろいろと聞いているようだった。
おそらくは明日の準備だろうと思えた。
その後、部屋で豪勢な懐石料理を食べた。
実を言うと、僕はそれ程お腹はすいていなかったが、残すのが勿体なくて全部食べた。彼女は少しだけ残した。
「温泉があるらしいから、入ってきましょう!」
「そうだね、姉さん」
こうしていると、本当の姉弟みたいだ。
僕たちは部屋に備え付けの浴衣を持って温泉へと向かった。
温泉は白っぽく濁っていて少し温めのお湯だった。
男湯に入っているのは僕を含めて数人――この程度で経営ができるのかと心配になりそうな数だった。
「ああ、姉さん。待たせてゴメン」
浴衣姿になって出ると、先に出ていた彼女が同じように待っていた。
「ふふ……純也はゆっくり浸かってきたのね」
彼女は落ち着いた様子でそう言った。既に姉弟という設定にも馴染んできたようだった。
鍵は彼女が持っていたから、先に部屋に戻っても良かったのだが待っていてくれたのだ。
「うん、良いお湯だったからね」
僕は敬語を使わないように注意して言った。
「じゃ……戻りましょう」
2人で並んで歩く。
部屋に戻ると、2人分の布団が敷かれていた。
テレビを点けて、ぼんやりとそれを眺める。
「明日の予定だけど――」
彼女はそう切り出した。
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