人を殺せばいいのかな?

異端者

第1話 約束

 私は待ち合わせ場所の公園に向かって車を走らせていた。

 私のハンドルネームはナツミ。28歳女性。ジュンヤ君にはその情報と顔写真を送信してある。

 空はどんよりと暗く、今にも雨が降り出しそうだ。よく冷えた12月の雨。

 でもまあ……こんな気分にはお似合いとも言えなくもない。

 そこでふと気付く。

 待ち合わせ場所で、ジュンヤ君が雨具を持っていなかったら大変だ。急いだ方が良い。


「あなたが、ジュンヤ君ね?」

 リュックを背負って空を見上げながら立ち尽くしていると、背後から声が掛かった。


 僕が振り向くと、案の定ナツミさんが居た。小奇麗なお姉さん――そんな印象だった。


 ジュンヤ。僕のハンドルネーム。14歳男性。顔写真は送ってあった。もちろん、相手の顔写真も確認済みだ。

「あの、ナツミさん……ですよね?」

 それでも、僕は確認せずにはいられなかった。もし万が一間違っていたら大変だ。

 幸い昼前のこの公園には人が居ない。目撃者は今のところ少ないに越したことはない。

「ええ、そうよ……さあ、行きましょう」

 女性はゆっくりとうなずいた。僕は彼女に促されるまま、オレンジのパステル調をした軽自動車の助手席に乗り込んだ。リュックは空いている後部座席に置いた。

「ナツミさんは、どこがいいですか?」

 運転席に着いた彼女に聞く。

「そうね……とりあえず、景色がいい場所がいいかな?」

 ナツミさんはシートベルトを締めながら言った。僕もそうしたのを確認すると車は発進した。

 そこでふと思い出した。

「あの……規約。アプリを消さないと――」

「ああ、そうだったわね」

 彼女は僕にスマホを渡した。

「運転中の操作は危ないから、消しておいて。パスワードは――」

「いいんですか?」

「いいわ。どうせもう気にする必要なんて無いんだから」

 彼女は少しだけこちらを見て笑った。

 僕は自分のスマホを取り出してアプリを消した後、彼女のスマホにも取り掛かった。

 消すのは『K&S』――彼女と僕が知り合った匿名制のマッチングアプリだ。このアプリにはいくつか規約がある。


・このアプリを使っていることを部外者に口外してはならない

・会うまでは絶対に匿名で

・会ったら即、アプリを消去してそれに繋がる痕跡も消すこと、等


 それらを守らなければならない。

「はい、消えましたよ」

 僕は彼女にスマホを返した。

 これで、僕と彼女の接点はこうして会っていることだけになった。

「もうすぐお昼だけど、ジュンヤ君はもう食べた?」

 彼女はこちらを見ずに言った。

「いえ、まだです」

「じゃあ、どこかのお店に寄っていきましょ……どこがいい?」

「そうですね、ハンバーガーとか――」

「そんなファーストフードじゃなくて、ちゃんとしたお店にしましょ。お金は全部、私が出すから……あなたは何も心配しなくていいの」

「でも――」

「何も遠慮することないわ。だってもう私には要らなくなるもの」

 確かに、彼女の言う通りだろう。

 とはいえ、実際に会うのは初めての「お姉さん」におごってもらうのは少し気が引けた。


 結局、私は和食専門のファミリーレストランに車を停めた。

 もう少し高級店でも良かった気がするが、ジュンヤ君がそう言うのだから仕方がない。

 彼は誰かに目撃されることを心配しているようだったが、見たとしても即通報されるようなことはないだろうと言うと少し落ち着いたようだった。


 小柄で誠実そうな少年――それがジュンヤ君の印象だった。


 そんな彼が、こんな「役割」を願うなんて世の中分からないものだ。

 もっとも、私はそれに異議を唱える気は無い。お互いの同意の上でマッチングしたのだから何も問題はない……はずだ。

 テーブル席に着くと、私は味噌煮込みうどんを、彼はかつ丼定食を注文した。

 平日の真昼間に、こうして一緒に居る私たちはどう見えるのだろうかと思った。年の離れた姉弟か、それとも援助交際で男の子を買ったオバサン?

「そうですね……誰かに聞かれた時のために、偽名と一緒にここで決めておきましょうか?」

 私がその疑問を口にすると、彼はそう返した。

 頭の回転は悪くないようだ。少なくとも、同僚の男性社員よりは判断が早い。

「お母さんと息子……では、ちょっと無理かな?」

「そうですね、ナツミさんは若すぎます。叔母と甥か年の離れた姉弟ぐらいが妥当だと思います」

「そうね、年の離れた姉弟でいいかな……あんまり似てないけどね」

「そんなの、親の再婚相手の連れ子だと言えば通ります」

 私は彼の機転の利くことに感心した。

 同時に、少しだけ罪悪感を感じた。これからすることは、彼の将来を奪うだろう。

 料理が運ばれてくると、しばらくは2人ともそれを食べるのに夢中になった。

「あの、名前はどうします?」

 私があらかた食べ終えた頃に彼が言った。彼の方が先に食べ終えていたので、おそらくは待っていてくれたのだろう。

「ハンドルネームに苗字だけ付ければ、それでバレないんじゃない?」

「確かに普通の名前ですしね……田中とか山本とか?」

「う~ん、それだと普通過ぎて逆に怪しまれない?」

「確かに嘘っぽいかもしれませんね」

 私は持っていたペンで、テーブルの端にあった紙ナプキンに「夏美」と「純也」と書いた。

「立花とかはどう?」

 紙ナプキンに「立花」と書いた。それを彼がのぞき込む。

「立花……そこそこ居そうな苗字で良さそうですね」

「じゃあ、それにしましょ……あ、それと姉弟なら人前では敬語はやめてね」

「分かり……分かったよ、姉さん」

 こうして私たち2人の関係と名前は決まった。

 私たちは年の離れた姉弟、立花夏美と立花純也として「その時」まで過ごすのだ。


 ナツミさんが会計を済ませてくれると、店を出てまた車に乗り込んだ。

 立花純也、か。

 僕はナツミさんと姉弟になったのだとぼんやりと思った――もちろん、仮の関係でしかないが。

 だが実際、ナツミさんのようなお姉さんが居たらどれ程楽だっただろうか。少なくとも、成績しか関心のない両親よりは楽になっただろう。

 もっとも、今更そんなことを考えたところで気休めにもならない。もう後戻りできないところまで来てしまった。


 他人は狂っているというだろうが、これが僕の助かる唯一の道だ。


 車の外を景色が流れていく。どんよりとした空の下、寂れた街の風景が過ぎ去っていく。

「どこへ向かっているんですか?」

「一言で言うと『海』かな。綺麗な海岸とか、最高のシチュエーションじゃない?」

「確かに良く映えそうですね」

 僕は流れていく風景をまた見続ける。

 街を抜けると、ぽつぽつと集落があるだけの山の中だ。

 この辺りは過疎化が激しく、出て行く人が後を絶たないという。それでも残っているのは、昔からこの土地にしがみついている年寄りばかりだと聞いたことがあった。

 なんにせよ、それだけの執着を持てる居場所があることを羨ましいと思った。

 少なくとも、僕にはない。あるのは空虚で、ただひたすら苦痛だけが満ちている世界だけだ。そこに憎しみはあっても執着はない。

「冬の海に行って、『どう』しますか?」

「方法はあなたに任せるわ。道具は持ってきてるんでしょ」

 僕は後部座席に置いたリュックを見た。

 確かに、考えつく限りの準備はしてきた。もっとも、彼女がどんな方法をお望みかは分からない。

「本当に、いいんですか? 辛いかもしれませんよ」

「ええ……いいわ。どうせそんなに時間は掛からないでしょ」

 僕は方法を一通り頭の中でシミュレートする。

 彼女の言う通り、スムーズに行きそうだ。……どれも悪くはない。

 車は山中を抜け、海沿いの街へと入った。水平線がちらほら見えた。

「もうすぐ着きそうですね」

「そうね――」

 彼女はなんでもないことのように言って続けた。

「――綺麗な海岸があるといいんだけどね」

 彼女の顔が少し曇ったのが分かった。どうにもお気に召さないらしい。

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