五、
影の消えた座敷を眺め、縦框に凭れて一息つく。翳した保存瓶の向こうに、座卓の上で微笑む夫を見た。少年は、あそこで私を選んだくらいだ。多分、全て知っているのだろう。
死から逆算しての二年なら、腫瘍を削り取って食べたところで幸せにはなれない。そこにあるのはどうせ、最期まで一緒にいて共に焼け死んだ、あの子の記憶ばかりだからだ。
焼けたあの家は、私が亡き両親から受け継いだものだった。古い木造だったから全焼したが、近所には燃え移らずに済んだ。でもそのまま住み続けていられるほど、寛容な土地でもなかった。夫が禁断の愛を貫き心中した相手は、十八歳の教え子だった。
牧師の義父は私に詫びながらも「犯罪者の遺体」を受け取らず、あの子の両親も遺書の願いを拒否して突っぱねた。だから私が葬式を出し、あちこちに頭を下げ、家を更地にして、骨を砕いて彼の地へ撒いて終わった、はずだった。
本当に何も、少しも変わっていない。
保存瓶と金槌を手に風呂場へ向かい、予定より小さくなった瓶を叩き割る。中から小さな瘤つきの眼を取り出して、新聞紙に包む。私の愛した鳶色は気配もない、白く濁った、煮魚みたいな眼だった。私にはもう、見せたくないのかもしれない。
庭へ下り、枯れ葉を被せて火をつける。思い出して金木犀を一枝、もぎ取ってくべた。
アルコールのおかげかすぐに火は燃え上がり、最後の痕跡を消していく。約束なんて、何もしなければ良かった。
「あなたは、私に後始末ばかりさせるのね」
呟くと、滲んだ視界に火が揺らぐ。できるだけ小さくなるように膝を抱え、奪われていった全てのために泣いた。
(終)
ざくろをもぐ 魚崎 依知子 @uosakiichiko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます