5.拝啓、それでも大好きな友へ
三曲ほど通してやってみて、僕はどうしようもなく楽しくて、楽しいねえと口に出した。
「超楽しいです!」
カエデくんが返事をしてくれた。あれだけ歌って呼吸ひとつ乱れていないのは若さ以上に彼の体力が並外れているのだろう。僕が二十代の頃だって三曲演奏しながら歌えば肩で息をしていただろうから。
反対にヨシマはすでにへとへとらしく、持参したペットボトルのジュースを一気にからにして深く息を吐いた。
「休憩しよっかー」
「ヨシマ大丈夫? 俺のコーラも飲んでいいよ」
「ありがとう……ごめんね……」
「いえいえ」
「僕の紅茶もお飲みよ」
「す、すみません、ふたりに気を使わせてしまって……」
「いいんだよー」
「あの……肇さん」
「んー?」
新田さんって、と切り出されて少し驚く。
「庵寿がなに?」
「ご自身も、その、弦楽器やられる方なんですか?」
「え?」
一瞬口ごもり、まあ隠すことでもないか、と力を抜く。
恥ではないのだ。あの日々は。ムーンサイド・ヒルは。
「昔ギター弾いてたよ。上手かったよ。悔しいけど」
「あ、ギターなんですね。でも昔……なのかな。今も弾いてると思うんですけど」
「そんなわけないはずだけど、なんで?」
「新田さん、右手の親指、変形してたから……スラップでやる人なのかなって……」
「……」
君は。新田庵寿は、スラップ奏法でギターを弾く人だった。ピックはすぐどっかやっちゃうから、とかなんとか言って。じゃあ普通に指弾きすればと言ってもやりにくいと文句を垂れて親指を叩きつけてギターを弾いていた。
君はまだギターを弾くのか?
どうなんだこのやろうと胸ぐらを掴んで問い詰めたい気分になった。
「……ふふ」
笑いが込み上げてきて、同時に少し泣きそうになる。
君もまだあの頃に取り残されていたのかと気づいて、やり切れない気分と清々しい気分が同時にあふれる。
「むかーし、ムーンサイド・ヒルってインディーズバンドやってたの。僕達」
「へー! 庵寿さんそこでギター弾いてたんです?」
「そうだよ。それで、カエデくんとおんなじベースボーカルのクラゲってやつが居て、そいつがまあ変なやつでさ。もう死んじゃったけど、なんで死んじゃったのかもよく分かんない変わり者で」
暗い話じゃないよ、とわざとおどけた態度で言う。
「なんかマイルールの多い面倒くさい人間だったけど、でもすごく優しい詞を書く人だったなあ。歌はまあ、正直技術だけなら人並みだった。けど声がね、ほんと良い声してたの」
「へえ……会いたかったなあ……」
「音源とか残ってないんですか? 俺もその、クラゲさん? の声聞きたいです」
「どうだろ。実家探せばまだ残ってるかも──」
そこまで話したところで、カップのアイスクリームが飛んできた。それが投げ渡されたものであることを一瞬の間のあと理解して、食べ物投げるなよう、と君に文句を言う。
「おら差し入れだ。ありがたく飲み食いしろ」
「アイスだー! やったー! 庵寿さんありがとうございます! ヨシマと肇さんどれがいい? 俺選んでいい?」
君は飛び跳ねて喜ぶカエデくんにアイスが何種類か入ったコンビニの袋を渡し、僕を見て少し笑った。
「ムーンサイド・ヒルの音源をお探しかね、肇」
「べっつにー? 庵寿にはもう関係のない話ですけどー?」
「まあな。俺も音源なんぞ持ってねえし。けどまあ、ほら、クラゲの命日ちけえし」
ヨシマあ、と君はわざわざドスの効いた声でヨシマを呼ぶ。ヨシマは案の定びくりと肩を震わせて、はい、と怯えた声を出した。
「これ。すげえ自分勝手な頼みだけど、リフとか歌詞とか使えそうなら使ってくれねえかな」
手渡したのは古ぼけて黄ばんだ大学ノート。表紙に貼り付けてある可愛くない犬のステッカーに見覚えがあった。
「クラゲのノートじゃん! なんで持ってんのさ!」
「俺んちで飲んだとき、あいつ忘れてったんだ。ほらあの、なんかよく分かんねえ月の話して寝た日」
「それずっと持ってたの……?」
「なんかな。持ってたわずっと」
そう言って君は笑った。オッサンになったのに相変わらずの君の笑顔だった。
「お前にもらった仮音源、我ながら律儀に聴いた」
「ど、どうだった?」
「肇ほんっと音楽の趣味ガチガチに変わってねえのな。聴くジャンルはそりゃあ幅広くもなったろうが、やりたがるのはムーンサイド・ヒルの頃のまんま」
「うるさいなあ。自分だって最推しバンド二十年変わってないくせに」
「そうだよ。だからお前に、あるいはこの子らにクラゲの歌詞や曲を預けても良いと思った」
「……っ」
「泣くなよいい年こいて」
「年々涙脆くなってるのー僕はー!」
君の肩を軽く殴って、僕は涙を拭った。
「肇さん、これすごい、すごいです。感情を上手く言語化してて、でもくどくないし、あとこのリフ! ちょっと弾いてみるんで聴いてください」
「すごーい! あ、こっちベースのタブ譜かな。俺も弾いてみよー! あ、でも先にアイス……」
棒付きのアイスのパッケージを剥いてかじり、知覚過敏など知らぬと言いたげにむしゃむしゃ食べているカエデくんを眺める。ヨシマもいただきますと君に頭を下げて、カップのアイスの蓋を開けた。
「お前も食えよ」
「……うん。ありがとね、いろいろ」
「おう」
「あのさ、あとギター弾いてんなら言ってよね」
「弾いてねえ」
「嘘は良くない。僕の目は誤魔化せてもヨシマは誤魔化せなかったねえ」
「あ?」
「ヨシマが見抜いた」
「ヨシマこのやろう!」
「え、な、なんですか? すみません何か粗相を……?」
「カエデくんとヨシマも言ってやって! もっかい音楽やれよオッサンって!」
「庵寿さんうちツインギターでもいいですよ! ね、ヨシマ!」
「え? あ、はい! もちろん!」
やーめーろ、と笑いながら群がる僕達を小突いて、君はひとつ息をついた。
「バンドはもうやらない。俺のベースボーカルはひとりだけだから」
「え! 俺ちょっとやきもち妬いちゃうな……! クラゲさんもすごい人でしょうけど、カエデくんもよろしくですよ!」
「大口叩きよるわ。せーぜー頑張れよ」
二度と戻らない日々に思いを馳せる。
それから、二度と戻らないのは今も一緒なのだと気づく。
取り残された僕と、相変わらずの君と、それからもう居ないあの子と、今ここではしゃいでいるこの子達。
拝啓、それでも大好きな友へ。
僕はこの先もたぶん楽しいです。
君もそうだと、嬉しいです。
痛みも愛すには、まだちょっとぬくい。 九良川文蔵 @bunzou
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