第8話 手を繋いで歩こう
「おはよう。月城さん。」
「おはよう。ごめんね。朝の六時に待ち合わせなんてして。」
「いいよ。僕も話したかったし。星宮さんには内緒でいいの?」
「うん。有坂君に伝えたいことあったから、一緒に駅まで行こ。」
少しでも一緒にいたくてゆっくりと歩く僕に月城さんは合わせてくれる。
でも、何を話したらいいかわからない僕は静かに俯くしかできない。
「有坂君は昨日の映画面白かった?」
「え、いや。僕にはよくわからなかったな。」
「私も同じ。」
「でも昨日は面白かったって言ってたよね?」
「うん。意味は分からなかったけど私の人生みたいで面白かったよ。あんな風になれたらいいのにって思えた。」
「どういうこと?」
「私は中学受験に失敗して公立の中学に入学したの。その時から両親は私に愛想をつかしたみたいに距離を置くようになっちゃった。両親の期待に応えるために一生懸命やってもダメだった。だから逃げ出すように一人暮らしを始めた。私はあの時死んだの。」
「そんなことないよ!今だって月城さんは友達も多いし、成績だっていいじゃないか!」
「私もそう思ってるわ。死んだと思ったら実は生きてた。映画と一緒。」
「だったら。」
転校なんてやめてよ。そう言いたいのに、目じりに涙を溜めた月城さんを見て言葉が出なくなった。
「お父さんの知り合いがやってる私立高校で欠員が出てね。内緒なんだけど特別に編入試験を受けさせてくれるんだ。もし合格出来たら、きっとお父さんもお母さんも私を認めてくれる。私は生き返れる。奇跡が起きたんだよ!やっと私は生き返れるんだ!」
「それでいいの?」
「いいよ。私は映画みたいに生き返る。映画みたいに祈るだけじゃ届かない。私は私の力で生き返る。だから美鈴のことは任せたわ。いつまでも甘やかされてちゃダメよ。」
「うん。」
それっきり僕たちに会話はなかった。
駅に着いてお別れの予定だったが僕は最後までついて行くことにした。
朝早いこともあり混雑していない車両にぽつんと二人で座る。
窓際の席に座った月城さんはもう言い残すことがないのか窓の外ばかり眺めている。
でも、窓に反射した月城さんの頬が涙に濡れているのが僕には見えてしまった。
「月城さん。」
「どうしたの?」
「僕は月城さんに転校してほしくないよ。」
「ありがと。でも行かなきゃ。お父さんとお母さんに認められる最後のチャンスだもの。」
「本当にいいの?」
「そうよ。お父さんとお母さんのもとに帰るの。」
「嘘つき。本当は戻りたくないんでしょ。」
「有坂君にはわからないよ。」
「本当に親のもとに帰ることが月城さんにとっての幸せなの?」
「有坂君は親に捨てられたからそんなことが言えるの!戻る場所のない有坂君だから!私はお父さんとお母さんを。」
それっきり月城さんは黙ってしまう。
僕はあの時みたいに後悔したくない。思っていることを全力で伝えた。
あとは月城さんの言葉を待つだけだ。
どんな優しさも、思いも、一方通行だと相手を不幸にしてしまうから。
これは月城さんが教えてくれたことだ。
結局目的の駅に着くまで月城さんはなにも話さなかった。
ただ、窓の外を眺めてぼろぼろと泣いていただけだ。
「有坂君。」
「うん。」
「着いちゃったね。」
「うん。」
月城さんの手を取ると彼女は驚いた顔をしたが握り返してくれた。
そのまま会話もなく二人でひたすらに道を歩く。
「私、男の子と手を繋いだの初めて。」
「ごめんね。勝手に手を取って。」
「謝らないで。嬉しかったんだから。まだ一緒にいられるんだって。」
「これからは直接会えなくなるね。」
「そんなことないわ。県外だけど飛行機とか使えば。」
「そうだね。すぐに会いに行くよ。」
「うん。待ってる。」
強く手を握るとさらに強く握り返してくれる。
それが嬉しくて何度も同じことを繰り返していると大きなマンションの前に着いた。
「ここ。」
「一軒家じゃなかったんだ。大きいね。」
「ここまで送ってくれてありがとう。」
「うん。」
月城さんは僕の手を離してはくれない。
むしろ先ほどよりもずっと強く握ってくれている。
「二人で逃げない?どこか遠いところに。」
「いいよ。」
「馬鹿ね。冗談よ。」
「うん。」
それからずっと僕たちはマンションの前にいる。
ときどき出てくる人たちが不思議そうに僕らを見ているが気にならない。
ただ月城さんが本心を話してくれることをずっと待つ。
「私、転校したくない。でも、お父さんとお母さんにも愛されたい。どうしたらいいの?」
「伝えるしかないよ。自分の気持ちを。」
「やだ。怖い。また嫌われるのが怖いよ。」
「わかるよ。僕も怖かったから。」
「ごめんなさい。さっき電車ですっごく嫌なこと言った。」
「いいよ。ちっとも苦しくないもん。これは僕のワガママなんだけどさ、月城さんに転校してほしくないよ。」
「私も。ずっと美鈴と、有坂君と一緒にいたい。」
「これもワガママなんだけどさ、僕に任せてくれないかな。僕が代わりに気持ちを伝えるから。」
頷き合って僕たちはマンションに入る。
セキュリティは万全であり、月城さんが母親にカギを開けてもらっている。
ぐんぐんと昇っていくエレベーターの中で僕は覚悟を決める。
家族の問題に首を突っ込めるほどの権利は僕にはないと思う。
だからワガママだ。ただ僕が月城さんと一緒にいたいだけだ。
「ここで待ってて。」
月城さんは玄関の前で頷く。
僕は大きく息を吐きだすと玄関をノックする。
ガチャリと扉の開く音がした。
「誰だ君は?」
月城さんの帰りを待っていたのか、そこにいた彼女の両親が不思議そうに僕を見つめている。
「有坂優一と言います。今日は月城さんの付き添いできました。」
「あら、葵のお友達?めずらしいわね。あの子が男の子を連れてくるなんて。それで葵はどこにいるの?」
「今外にいてもらっています。」
「どうしたんだ。葵ー。早く入って来なさい。」
「月城さんのお父さんとお母さんにお願いがあります!」
僕の剣幕に穏やかだった二人が真剣な表情になる。
「どうしたんだい?急にそんな大きな声を出して。」
「月城さんを転校させないでください!」
「寂しいのはわかるわ。でも葵には必要なことなの。」
「そうだ。もっといい学校に通うことは葵のためでもある。」
「そんなこと葵さんは望んでいません。」
「何を言ってるんだ。転校はそもそも葵が決めたことだよ。転校したいと葵が言ったんだ。」
「それは転校したいんじゃなくて、二人に認めてもらいたかったからです。」
「なにを言ってるんだ君は?」
「だから!あなたたちが月城さんを邪険に扱うから、あんなに追い詰められているんですよ!何度も泣いて、苦しんで!親だったらそのぐらいわかってあげられないんですか!転校なんて本当に望んでいたらあんなに震えるわけないじゃないですか!」
「ちょっと待ってくれ!なんの話をしているんだ?」
「中学校に落ちたからって冷たくすることないじゃないですか!そんなの親じゃない。家族じゃない。家族だったら!なんでもっとわかってあげられないですか!あんたちなんか!」
親じゃない!
そう言おうとした時体に衝撃が走った。
「もうやめてよ。パパとママのこと悪く言わないで。ぐす。もういいから。」
どうやら月城さんが抱き着いてきたらしい。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしている月城さんを見て頭がスーッと冴えてくる。
やばい熱くなりすぎてた。
月城さんの両親は困った顔で僕らを見つめている。
「葵。こっちにおいで。少しお話ししましょう。」
「葵の気持ちを聞かせてくれないか。君も一緒にいてあげて欲しい。」
そうして僕と月城さんはリビングに通された。
「ごめんなさーーーーい!!!」
僕は土下座していた。
「やめてくれ有坂君。君のおかげで僕たちは正しい選択が出来たんだ。」
「そうよ。あなたのおかげだから顔を上げて。」
「本当になんてお詫びすればいいか。」
「もう!早く顔を上げなさい!有坂君がそんなんじゃ話もできないでしょ。」
「・・・はい。」
月城さんに怒られて顔を上げるとテーブルに座る。
隣ではまだ涙が枯れていない月城さんが僕の手を握ってくれる。
「本当にすまない。僕らはいい学校に行かせ、いい成績を取らせることが葵のためにできることだと思い込んでいた。中学に落ちた葵を決して邪険に扱ったわけじゃない。ただ、あまりに落ち込んでいる娘にどう接していいかわからなかったんだ。それが冷たく接しているように感じられたのかもしれない。本当にすまない。」
「葵は家にいるときはいつも苦しそうな顔をしていたから、旦那となんとかしなくちゃいけないと話していたの。女の子の一人暮らしも心配だったし。葵ったら全然連絡してこないものだからこんなに可愛い彼氏がいるなんて初めて知ったわ。」
「だから彼氏じゃないって!友達。たまたまアパートが隣で、それだけ。」
「そんなことないだろう。こんなに葵のことを思ってくれる男の子はいないぞ。いつか彼氏を連れてきた時はどうしようかいつも考えていたが有坂君なら安心だ。」
「だからー。ほら、有坂君からも言ってよ!」
「あはは。」
僕は三人から見つめられ曖昧な笑顔を浮かべる。
結局、転校の話はなくなった。
葵ちゃんも両親から嫌われていたなんてことはなく、お互いに言葉足らずだけだったみたいだ。
打ち解けあった後は聞いていた話が嘘だったように楽しそうに笑い合っている。
どんな優しさも、思いも、一方通行だと相手を不幸にしてしまう。
わかっていてもなかなか実行するのは難しい。
こうして月城さんと両親の不和は僕という異分子がぶつかってきたことでなくなったみたいだ。
「有坂君は葵のことどう思っているの?」
「えっと。優しい友達、ですかね。」
「あらあら。まだまだね葵。ちゃんとアタックしなくちゃ取られちゃうわよ。」
「だーかーらー!」
笑顔いっぱいの葵ちゃんは最後まで手を放してくれることはなかった。
「もう帰っちゃうの?」
「うん。せっかくの家族水入らずだからね。」
「気にしなくていいのに。」
「気にするよ。家族は大切にしないと。あと、これからはちゃんと気持ちを伝えないとね。」
「なんか有坂君生意気になったわね。でも有坂君のおかげ。ありがとう。」
「あはは。それと昨日の映画の話なんだけどさ。」
「あの恋愛映画のこと?」
「うん。あれって全然月城さんとは違うよ。だって月城さん死んでないもん。」
「そりゃ本当に死んでるわけじゃないけど。」
「言い方を変えるとね、転校の話が出るまでずっと楽しそうにしてた。手のひらが温かかったし。だから死なせたくなかった。あはは、何言ってるんだろう。わかんなくなっちゃった。じゃあね。また明日。」
「有坂君。あのね。私。有坂君のそういうところ。」
「ん?どうしたの?」
「ううん。また明日!」
月城さんに手を振って駅に向かう。
その途中星宮さんからどこにいるの!とメールが来ていたため僕は急いで返信をした。
『月城さんの転校がなくなったよ。また明日から三人一緒だね。』
引っ越し先のお隣さんはクラスメイトのクール美少女だった。~学校では孤高の美少女が家では母性たっぷりで僕を甘やかしたがる~ 赤いキツネとネコ @bluerabbit221
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