エピローグ
プレイボックスが片づけられた舞台に並ぶと、観客が少しずつ帰る準備をしている。
もう熱狂の渦はしだいに回転を遅くし、音楽や画面に映し出される映像も、穏やかなものに変わっていた。
隣にはアントリオンと閃光が横一列に並ぶ。
アシアー社の社長が紹介され、舞台袖から現れた。
一千万円と書かれた畳一畳ほどの板が運ばれると、卓に手渡され、祝福の拍手が包み込む。
そして、巨大なトロフィーを愛華に、副賞のゲーム設備を小海に手渡した。小海が受け取ったプラスチック製の板には、ゲーミングチェアなどのゲームインフラ一式が載っている。
「ゲーミングチェアを買わなくてよかったな」と卓は小海に耳打ちすると、小海は爽やかに笑った。
アントリオン、閃光にも順位に応じた賞金が手渡されて、授賞式は終わった。
「北々さん」
暗殺者のスーツを着たアイノが、舞台袖で卓を背後から呼び止めた。
「おめでとうございます」アイノは深々と礼をすると、卓も腰を折る。
「とてもいい試合だったと、我ながらに思っているのです。あんなに清々しいほどの負けを感じたのは、これが最初で最後かもしれません」
卓よりも男勝りな発言をするアイノに、感慨深く「いい試合でした」と大げさに返す。
「もしよければ、連絡先を聞いてもいいでしょうか。……プロ同士、食事でもしながらお話しできたらと」
卓は一瞬ためらったが、アイノもプロゲーマーであり先輩にあたる。小海ではないが、これから先の活動において、有益な話も聞けそうだと思った。それに40手前のおっさんに、変な気は起きないだろう。
卓とアイノは個人的な連絡先を交換した。
控室のスーツケースをまとめて、繋鳥に先導され裏口の玄関に入る。
外の地下の駐車場から、アントリオンの椎銀が中に入ってきて鉢合わせになった。
「お疲れさまでした」椎銀はふさふさした髪を浮かせるように、頭を下げる。
「お疲れさまでした。いい試合だったね」と卓はねぎらうと、椎銀は顔を赤らめながらサイン色紙を手渡す。
「すみません。もしよければ、こみなかにサインを……」
お前もかよ、と卓は心の中で突っ込んだ。
***
卓は太平洋から帰ってくる漁船を部屋から眺めながら、ゆっくりとお腹をさすった。
旅館の贅沢蟹三昧コースを食べ終わり、温泉に入った後も、まだ胃を圧迫している。
美沙と小海と一緒に、十年ほど前に家族で宿泊した旅館を訪れていた。
美沙は夜の仕事を辞めて、家事に専念している。卓もパートの仕事を辞めて、プロゲーマーとしての仕事に集中していた。あの大会を機に、北々家の経済難は解決していた。
獲得した賞金一千万円を愛華の家族と北々家で分けて、その賞金で旅行を満喫している。一千万円よりも、卓がプロ活動をしているチーム竜王の広告収入が順調で、月間を通して安定した収入が続いてた。
何よりも『こみなか』のファンが大会以降に倍増して、そのまま竜王のファンになったことが大きく、ファン数がテレビのタレントを超えるほどになっている。それに愛華が高校卒業後に芸能界に入ることになり、アシアー社をバックとしてこれからもファンが増える見込みだ。
小海にも芸能界入りしないか打診があったが、小海自身は思っていた以上に現実的で、『こみなか』が終わった後のことを考えていた。「いまどき、大学出てないと何があるか分からんし」今日の夕食で蟹をつつきながら、親を反面教師に決心したようだ。
たしかに、一千万円もアイノ戦があったからこそ、決戦で勝利をつかみとることができた。めぐり合わせた運のおかげなのだ。
アシアー社のサッカーゲームだけに頼るのではなく、新しい分野も開拓してみるか。再び騒ぎ出したこみ上がる熱情が、満杯の胃を圧迫して唸ると、清夜の港も波立った。
ドアベルが鳴り、卓は部屋の扉を開ける。入口にはバスタオルで髪を巻いた浴衣姿の美沙がいた。
「いい湯だったわぁ」
美沙はテーブルの皿に盛られた蟹を保存用のパックに入れ始めた。
「小海は?」卓が尋ねると、あざ笑うように「小海は、髪が命だから」と美沙が言った。
「ねぇ、手伝ってよ」美沙は蟹の解体に手間取っているようだ。
卓は美沙の横に座ると、浴衣の衿下から見える白い太ももに目がいった。
下肢を撫でると「ちょっと!」と美沙が身をよじらせる。卓は美沙の両手にある蟹を諦めさせて、畳に体を押しやる。閉じようとする股に、自分の膝を入れると美沙から吐息が漏れた。
「小海が帰ってきたらどうするの」
「鍵を持っていないだろ、ベルを鳴らすさ」
小海がベルを鳴らす頃、二人はもう一度、温泉に入りたい気分になった。
【後書き】
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おっさん棋士、プロゲーマーに転生するってさ 下昴しん @kaerizakura
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