第51話 後日談『秘密の花園』

「早く――こっち、こっち来いよ!」


ヘイストン侯爵家の広い庭に、珍しく甲高い子供達の声が響いている。


僕は、庭に設置されたお茶会用に使っているテーブルセットの椅子に座り、メイドがワゴンに乗せて持ってきた紅茶を飲みながら、ため息をついた。


昨日、今日と姉さまとジョシュア様はリンドン領から子供を連れて、王都観光と共にヘイストン家へ遊びに来たのだ。


姉さまがリンドン領のジョシュア=Ⅾ=ローアン王子様へと嫁いでから、もう――8年が経つ。


日々が過ぎるのは、本当に早いものだ。


嫁いでからの姉さまは、夫婦円満で喜ばしい事に、5人の子宝にも恵まれた様だ。

上の3人は男子で、下の2人は一卵性の双子の女の子らしい。


僕も今日が姉さまの子供達と初の顔合わせとなるのだが…。


話のつまらない叔父よりも、見たことがない程都会の王都や、ヘイストン家の美しく整えられた庭の方が気になるらしく、子供達は僕への挨拶もそこそこに、庭へと皆で遊びに出て行ってしまった。


「ダメよー!せめて靴を脱いで頂戴!こらっ、もうジェイク、アルフィー!」

姉さまの大きな声が聞こえる。


 +++++



あれから僕はリンドン領の帳簿の確認と現状報告をする為に、王宮にいる王太子殿下の元へ訪れる傍ら、姉さま激押しのリンドン領産のワインやバターやチーズなどを、王太子殿下に紹介をした。


報告と世間話を交えながら、殿下へとワインとチーズを手土産としてプレゼントしたのである。


実弟の領地での物とは云え、特に質が良く香り高いワインは、殿下さえからも『これは素晴らしく美味い!』と至極お褒めを頂いた。


それをそのまま社交界や、ヘイストン家のパーティでエピソードを交えながら紹介すると、新しい物好きの貴族等は直ぐにそれに飛びついた。


そうしてヘイストン家でまず注文を聞き、ある程度募ったところで、リンドン領へと注文させてもらう。


それを王都での中で、手数料を含め販売する――というルートを確立した僕は、リンドン領の物を王都で売る販売ルートの促進に一役買った、といっても過言では無い。


 +++++


何故そこまでリンドン領へと手を貸すのかって?


それは僕にしっかりと下心があったからに他ならない(笑)


 +++++


ワイン樽が歪んだり、ワインの瓶が割れてしまう様な険しい山道で起こるトラブルを避けるためと、純粋に王都へと様々な物を出荷する量を増やすために、姉さまは、船舶を使ってリンドン領から王都まで物品を運ぶ事業の決断をした。


女だてらと言うと姉さまからも怒られてしまうが、よくその決断をしたと思う。


その際に出る莫大な借金を背負いながらも、姉さまはその大きな事業を、確実に軌道に乗せた。


そして姉さまは借金を返しながらも、次なる事業の拡大計画に手を伸ばしのだ。


『山の一部から温泉が出た』という事を機に、海に面した隣の領土と繋がる街道沿いを、いわゆる『観光道路に変えて行こう』という計画を立てたのだ。


(これは王都での事業の成功で、姉さまの手腕を見込んだ隣の領土の侯爵との共同事業になるのだが)


まだまだ改善の余地はあるらしいが、船での往来から馬車に乗って、リンドン領に到着するまでに、幾つかの宿場町的な物を作り、そこでもリンドン産の物品を取り扱う様にしていくらしい。


そしてリンドン領の苔城は、そのままの趣のままで、改修工事が着々と行われているらしい。


姉さま曰くゆくゆくは、季節の野菜やトリュフやジビエ料理が食べられ、温泉と狩猟を楽しむ事が出来る城として生まれ変われるように、現在計画進行中とのこと。


限定客で予約するとなれば、希少価値の高いものを好む貴族らが挙って注目する可能性も高い。


(虫や蛙が嫌いだし、血を見るのも狩猟も苦手な僕は遠慮したいが)

 

 ++++++


僕はと言えば――。


先の陛下がご年齢もあって退位されると、王太子殿下が正式に国王へと戴冠され、その際現国王(王太子殿下)の側近のひとりとして、目出度く引き立てて頂けた。


現在では侯爵家の中でも、金融だけで無く、政治の中核にまで食い込める立ち位置にまでなっている。


もちろん背景にあの元・生徒会長の口添えもあった様だ。


僕は早速口の堅い美しい青年を彼に紹介させてもらった。

生徒会長はいたくその美青年を気に入ってくれた様で、紹介した僕としても、大変喜ばしい限りである。


国王陛下は、2、3年前までは僕にやたらご自分の娘を紹介させたがったが、僕の結婚の意思が強固に無い事と、いつの間にかだが、薄々と僕の性癖をご理解されたらしい。


ここ1年程はあまり言ってこなくなり、僕としては一安心である。


(陛下の娘と結婚した後に、自分がゲイとバレた方が地獄なのである)


 ++++++


「父上――!見てよ!この庭、すっげーデカい蛙がいるよ!」

「ほんとだ!おとうたま!こっち、きて、きて!」


ジョシュア様の子供達は流石にあのリンドンの山で慣れているというか、田舎育ちと云うか、大きな蛙も虫も全然平気らしい。


僕にとっては恐ろしいガマガエルが…なんと人気者になっていて(オエッ)、女の子達も臆する事なく混じり、きゃあきゃあとはしゃぎながら、池の周りで走って遊んでいる。


「オリヴィア!…イヴリン、それではすっかりドレスが汚れてしまうよ?」

ヘイストン家の池の周りで、ジョシュア様と子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。


(昔の姉さまみたいだな)

僕はぼうっとしながらその声を聞いていた。


「…オリヴィアはね。ジョシュア様の亡きお母様の名前よ」


何時の間にか姉さまが池の周りから戻ってきて、僕の隣に立っていた。


「ふふ…イヴリンは僕等の母上の名前だね」

「ええ、そう。でも双子の娘達は、ジョシュア様のお母様にそっくりみたい。

肖像画を見るとびっくりする位似ているわ」


姉さまは池の方を見て笑って言った。

それから僕の方を見て小首を傾げた。


「…シャルル、最近はどう?」

「どうって?父上が居なくてもヘイストン家は安泰だよ」


「…それは、そうね…」

姉さまは小さく呟いて、テーブルに乗せていた僕の手に、そっとその小さな手を重ねた。


昔と変わらない姉さまの姿に僕はほっとしながらも、彼女の左手の薬指に光る金の指輪を見るのは、やはりまだ切ない。


2年前に父上は心臓の病で他界してしまった。


もともとその前から少しずつ体調を崩す事が多くはなっていたが、まさかこんなに早く逝かれるとは、僕も姉さまも思っていなかった。


ヘイストン家の業務の全てや資産は、少しずつ僕の管理下に置く様にしていた父上は、最後ヘイストン家の跡継ぎだけを気にして亡くなったのだ。


「…約束だよ、姉さま。僕より先には逝かないでね」

「シャルル…」


僕は姉さまの手の上に、そっと自分の手の平を重ねた。

「僕を…独りにしないで」


父上が亡くなってしまった時に思ったのだ。


友人やデヴィッドがいるとは言え、『ヘイストン侯爵家』は今や僕一人になってしまった。


今すぐという訳でもないだろうが、『僕よりも姉さまが先に旅立つかもしれない』と考えただけで、とても怖くなる。


「…分かっているわ」

そう言うと姉さまは片手を上げて、自分の髪を纏めていた絹のピンクのリボンを外した。


そして彼女はそのまま僕の額に小さくキスを落とすと、


「…安心して、シャルル。『アリシア=ヘイストンはずっと貴方といる』」


姉さまは長いストロベリーブロンドが揺れる小さな顔に、いつもの曖昧な微笑みを浮かべた。


 +++++


「母上――!ねえ、こっちに来て見て!?」

「ジェイクとイヴリンがでっかい蛙を捕まえたんだよ!見て、母上――!」


姉さまの子供達が捕まえた蛙を見せようと、しきりの姉さまを呼ぶ声が聞こえる。


「…姉さま」

「もう行くわ、シャルル…あ、そうだわ」


姉さまはそこで初めて気が付いた様に、僕へと言った。

「多分もう一人…男の子が庭のどこかにいると思うから、捜してくれないかしら」


「――え?僕がかい?」

「ええ、そうよ。ずっと姿が見えないから…迷子になったかもしれないわ。ヘイストンの庭は広いから」

「迷子って…そんな訳ないだろう」


(何てことだ)

僕はこの由緒あるヘイストン侯爵家の当主なのに、とうとう客人の迷子を捜す役目まで仰せつかってしまうのか。


トーマス執事に言って…」

「わたしはシャルルに捜して欲しいのよ」


『この口調の姉さまには何を云っても無駄だ』と分かっている僕は、ため息をついた。


「…はいはい、分かったよ。名前は?」

「セオよ。セオドア――テッドって呼べば出てくると思うわ」


僕はその名前を聞いて少し驚いた。


「それって…父上の名前じゃないか」

「そうよ。テッドはとてもシャイで怖がりなの…だからシャルル、必ず彼を捜して見つけて頂戴」


「…分かったよ。では見た目の特徴を…、あ、ちょっと…姉さま?」


顔を上げた僕が見たのは、もう既に池の方へと小走りをして走っていく姉さまの後ろ姿だけだった。


 +++++


「セオドア…テディ?…テッド?…何処だい?」


僕は声を張り上げながら、ヘイストンの庭を探し回った。


僕も花の咲き乱れるヘイストン家の美しい庭は、好きだ。

しかしそれは飽くまで観賞用であって、庭自体にそれ程思い入れがある訳ではない。


良く手入れがされている庭とは云え、(池のある方ほどではないが)時に大きなバッタが飛んできたりするから、要注意ではある。


「セオ…?テッド?…テディ?」


そこで小さな男の子の声がした。


「止めてよ。テディって言い方…ぬいぐるみみたいで好きじゃないから」


僕は声のした方向を見下ろした。

庭の植え込みの隙間に、その小さい少年は、身を隠す様に膝を抱えて座っていた。


「君が…セオドアかい?」

「…母上に頼まれて捜しにきたの?嫌だよ、僕…あそこは嫌い」


少年は下を向いたまま、癖のある淡い金髪の髪を揺らしてイヤイヤをした。

「ずっと前から、虫もカエルも大嫌いって言っているのに…」


僕は少年の前に、ゆっくりと屈んで膝をついた。


「…そうかい。蛙が苦手なの?」

「うん…皆は平気みたいだけど、僕は昔から…」


「顔を上げて――良く顔を見せて、セオドア?」

僕は激しい胸の高鳴りを意識しながら、彼の顎に手を伸ばした。


そしてそれと同時に

『駄目だ…期待は裏切られるかもしれない』

と必死で気持ちを落ち着けようとした。


おずおずと顔を上げたセオドア=D=ローアンは、クリアで綺麗なグレーの瞳をしていた。


(ああ…姉さまの瞳だ)


そしてその顔立ちは、僕の――


(いや…母上と云うよりも、むしろ…)


僕は大きくため息を付いてから、少年と目を合わせたまま小さく呟いた。


「…そうかい。だよ。とてもね」


 +++++


僕はにっこりとセオドアへ笑った。


そしてそのまま自分の左手を伸ばし、小さな少年の手としっかりと繋いだ。


「…では庭ではなく、ヘイストン家の自慢の書庫へと案内しようか?」

「え!?…いいの?僕、お城の本は全部読み尽くしちゃったんだ」

「いいよ、好きなだけ読んでお行き。王宮の図書室のように沢山あるよ」


「いいなあ、それってすっごく羨ましい…!

リンドンみたいに虫が外をブンブン飛んでいないし、邸宅は整って綺麗だし。

僕…いっそ、ここの家の子になりたいよ」


セオは僕の手をぎゅっと握ってから、屈託なく笑った。

僕はセオドアの手をぎゅっと握り返した。


「ふふ、いいよ…僕は何時でも大歓迎だ」

「本当!?…ねえ、母上は許してくれるかな?」


僕は彼を見下ろしながら、曖昧に微笑んだ。

握った僕の左指のピンクのリボンの端が――さっきの姉さまの髪の様に揺れる。


「…多分ね。許してくれればヘイストンここは全て――君の物だ」

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13番目の苔王子に嫁いだら、めっちゃ幸せになりました 花月 @Kagetsu77

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