第50話 シャルルの事情 ㉗
「じゃあ――シャルル、デヴィッド…道中気を付けて帰ってね」
「忙しい中、わざわざまた来てくれてありがとう、シャルル君…よろしく頼むね」
「はい。どうぞお任せください」
姉さまとジュシュア様が仲睦まじく立っている姿に、内心「くそ…」と舌打ちをしながらもぼくはにこやかに返事をした。
デヴィッドは既に馬車に乗っているが、気分が悪すぎて油汗をかきながらまともに返事が出来ず、ぐったりと椅子に座っているのだ。
僕はこんなに二日酔いに苦しむデヴィッドは見た事が無い。
(よくもまあジョシュア様もデヴィッドにこれだけ飲ませたものだ)
これぞ『指揮官』姉さまの執念を感じると云うものである。
翌日の朝食後、青い顔をしながら戻って来たデヴィッドを拾うと、僕はヘイストン家の馬車に乗り、苔で覆われた城から王都のあるヘイストン家へと出発をした。
ジャドー=エロイーズ=ルディの特製ランチボックスを受け取る際、僕を見た彼の顔が一瞬引き攣った様な気がしたが――まあ、それは気のせいだろう。
出発するヘイストンの馬車の扉を閉める時の事だ。
「――あ!…いけない、忘れていたわ」
と言って大きなお腹を揺らし、姉さまが馬車の出入り口に近づいた。
そして僕へと小さな紙でできた箱と、ピンクのリボンで結んだシルクのハンカチを渡した。
「…ええと、シャルル…客間のお詫びだから…使ってくれる?」
指には例のごとく沢山の絆創膏が張ってある。
彼女が縫っていたのは赤子の肌着だけでは無かったのである。
(本当に姉さまときたら…)
僕はそのまますっと姉さまの近くに顔を寄せて
「…僕との約束、ちゃんと覚えているかい?良く考慮するんだよ?」
とうっすら微笑ながら小声で姉さまに念を押した。
姉さまは一瞬ビクっと身体をさせて僕を見上げると、少し頬を赤く染め目線を逸らせて小さく頷いた。
(…可愛い。姉さま)
このまま彼女をヘイストン家へと連れて帰ってしまいたい位である。
++++++
手を振り続ける姉さま達の姿が馬車の後ろへと消えて、完全に樹々に隠れ見えなくなる。
デヴィッドは嗚咽を堪え、口元を自分のハンカチで押さえながら僕へと尋ねた。
「…シャルル様。アリシア様とのお約束とは何の事ですか?」
「何だ、デヴィッド…聞こえていたのかい?」
「シャルル様、宜しいですか?…言っておきますが、今ここに鏡が無いのが残念なくらいニヤついて…いえ、とても悪いお顔をしていますよ」
デヴィッドは僕の顔をまじまじと見つめて、人聞きの悪い事を言った。
「そう?ふふ…僕とした事が、本当に欲しい物を手に入れるのに…今まで変に遠慮していた事に気付いたのさ」
「今のシャルル様が…遠慮ですか?」
「そう…僕は勝負に必ず勝ち――欲しい物も絶対に手に入れる。
それがどんな汚い手段を使っても、だ」
僕はデヴィッドへとそう言うと、姉さまの渡してくれたシルクのハンカチのピンク色のリボンをはらりと解いた。
そして僕は、そのままそのリボンを左手の薬指にクルッと巻きつけてから、簡単には外れない様に縛った。
それからおもむろに姉さまがくれたシルクのハンカチを広げた。
そこには
『a piece of me Charles』――『シャルルへ 貴方はわたしの半身』
と刺繍してあった。
ああ――姉さま、愛している。
そのハンカチにそっとキスを落とした僕の胸は、これから訪れるかもしれない勝利の期待で胸が高鳴っている。
しかし、それも束の間――デヴィッドが
「…?これは一体…何でしょうか?アリシア様は一体何を…」
姉さまが渡した紙で出来た箱の中で、何かカサカサと動く音が聞こえる。
「…うっ…揺れると…気持ちが悪い…」
と言いつつも、デヴィッドはその箱を手に取り、小さな紙の蓋を開けた。
その隙間からなんと、小さな緑色の
「!?」
(姉さま…
そしてそいつはいきなり――恐怖で身体が固まったままの僕を目掛けて、思い切りジャンプした。
次の瞬間、山道で揺れるヘイストン家の馬車の中は、阿鼻叫喚になったのであった。
++++++
ところで、僕が姉さまと交わした約束が一体何だったのか予想できるかい?
僕の名前はシャルル=ヘイストン。
もちろん由緒正しいヘイストン侯爵の長男だ。
ぼくはどうしても姉さまが欲しかった。
同時に
ここまで言えば…分かる方も多いと思う。
欲しい物を手に入れる為なら、僕はどんな手でも使う。
僕がヘイストン家から多額の融資をする際に出した交換条件は、言わばゲームだ。
乗るか反るかの選択肢に姉さまがどんな答えを出すか、僕には分からない。
選択するのは彼女の自由だ。
乗れば僕の勝ち。
断れば姉さまの勝ち。
しかし真の彼女はアリシア=ヘイストンだ。
『やる』と決めたリンドン領の事業は、きっとやり遂げるだろう…今までと同じ様に。
僕はただ、ここで待てば良いだけだ。
ヘイストン家を訪れた彼女が、僕の部屋をノックする――その日を。
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