鎮守の魔女にはなれなくても

水登 みの

ドロシーとシーハン、そしてチェンシー

 私が住まう町には鎮守の魔女というのがいる。

 鎮守の魔女とは、特定の地域を守護するために神の代わりにその土地に祭られる魔女の事である。

 一度、鎮守の魔女になってしまえば、その役割を引き継ぐ次の魔女が現れるまで、その地から離れられなくなり、老いる事も死ぬ事もなく、何百年でも何千年でも土地を守り続ける事になる。

 鎮守の魔女になるためには、高い魔力と己の命をその地に捧げる覚悟が必要とされる。


 私の両親は借金を残して死んだ。

 その時の私は、魔法を使うと身体に負担がかかる病気にかかっていた。

 それでも、両親の借金を返すために病気の事を隠して働いた。

 学校にも行けず、病気を治すために病院にも通えないような状況で、私は金を稼ぐために身体をボロボロにしながら魔法を使った。

 魔法の使いすぎで、視力は低下していき、皮膚の感覚はほとんどなくなり、怪我をしても気づかない事が多くなった。

 私は、そんな生活に嫌気がさして、死ぬ事ばかり考えるようになった。

 このまま完全に失明する前に、死のう。私が自殺のための準備を始めた頃、当時の鎮守の魔女だったシーハンに出会った。


 シーハンは、私が死のうとしている事を知っても、決して無理やり私を止めようとはしなかった。

 シーハンは、心の底からどうでも良さそうな様子で、私に「好きにしたまえ」と言った。

 でも、シーハンは私の病気を治し、両親が残した借金も全部肩代わりして払ってくれた。

 視力を失いつつあった私の目も、何も感じられなくなった私の皮膚の感覚も、少しずつ元の健康だった頃の身体に戻っていった。

 シーハンは、私が死のうとしていても止めようともしないくせに、私から死ぬ理由を奪っていった。

 死ぬ理由はなくなった。でも、生きたい理由も見つけられなかった私はシーハンのために生きようと思った。


 病気が完治した私は、リハビリとしてシーハンの身の回りの世話をしたいと、シーハンに頼んだ。

 その時も、シーハンは、心底どうでも良さそうに「好きにしたまえ」と、私に言ってくれた。

 シーハンは心からこの町を愛していた。

 ある日、私はシーハンに聞いた。

「シーハンは、少しくらいこの町から出たいとか思わないわけ」

「思わないね。ただ……」

「ただ? 何さ?」

「好きな人がいたんだよ。でも、その人は遠くへと行ってしまった。追いかけられなかったよ。その時には、私はもう鎮守の魔女だったからね」

 その時にシーハンが浮かべた表情は、今でもよく覚えている。

 笑っているみたいに口元を歪めて、眩しそうに目を細めていた。

 そんなシーハンの様子に、私は、自分が子供の頃に店先に並んでいた玩具を親にねだったが買ってもらえなかった事を思い出した。


 私にとっては、この町がどうなろうと、正直どうでも良い。

 でも、去ってしまった想い人の話をした時のシーハンの表情が忘れられない。

 それに、シーハンが守ろうとした物を、私は守りたかった。

 そうして、私はシーハンから鎮守の魔女としての役割を引き継ぐ事にした。


 自宅の温室の片隅にベンチとスタンド式の灰皿を置いただけの簡易的な喫煙所でタバコを吸うのが、私の日課だ。

 古いベンチは私が座ると、ギイと小さな音を立てる。

 新しいタバコの箱を開けて、その中からタバコを一本取り出す。

 指先に魔力を込めて人差し指と親指をこすり合わせると、小さな青い炎が生まれた。

 それをライター代わりにして、タバコに火を着ける。

 一人の女が温室に入ってくるのが、流れるタバコの煙の向こうに見える。

 その女は、長身で細身な女の体型に合わせたシンプルな青いワンピースを着ていた。

 肩までの長さに切り揃えられた髪は、濡れた烏の羽のように黒くて艷が有る。

「やあ、チェンシー」

 私が女の名前を呼ぶと、私が吸っていたタバコを取り上げられた。

「ドロシーさん、吸いすぎ」

 私から取り上げたタバコを口に咥えると、チェンシーは私に冷ややかな目線を向けてくる。

 チェンシーの瞳は、透明感の有る黄褐色の虹彩に、真っ黒な瞳孔で、虫入りの琥珀を連想させる。

 丸っこい吊り目なのもあって、猫みたいな目だと思う。

「御身体に障りますよ」

「チェンシーだって吸ってんじゃん、今。それに、タバコ程度で私の寿命は縮まないって」

 だって、私は鎮守の魔女なんだから。

 次の鎮守の魔女が現れるまで、死にも老いもしない。

「死なないからって、身体を壊さないというわけじゃないでしょう」

 チェンシーはため息をつくように煙を吐くと、私の隣に座った。

「ドロシーさんは、どうして鎮守の魔女になったんですか」

「気になるわけ?」

「そりゃあ……」チェンシーは言いかけていた言葉を止めた。

 私がチェンシーを見ると、チェンシーは私から目を反らす。

「いえ、話したくなければ結構です」

「別に、私の恩人が鎮守の魔女だったから、それを継いだだけだよ」

「でも、鎮守の魔女を引き継げたという事は、ドロシーさんもこの町が好きだったんですよね」

 やっぱり、そう思われてるよな。

 この町の鎮守の魔女なんて役割につけるんだから、普通だったら、そうじゃないとおかしいと思うよな。

 でも、私はそうじゃないんだ。

「正直に言うとさ、そうでもないかな」

 私がそう答えると、チェンシーは軽くうつむいた。

「やっぱり、ドロシーさんは聞いた通りの人だ」

 聞き取れないくらいの小さな声だった。

「何か言った?」

「いえ、何も」

 チェンシーは灰皿に押し付けるようにタバコの火を消した。

「そんなのおかしいです。だって、鎮守の魔女になるために必要なのは」

「高い魔力と、己の命を全てその土地に捧げる覚悟……でしょ。できちゃったんだよなあ、その覚悟が」

 私が軽い口調で言えば、あからさまに苛立っている様子でチェンシーが舌打ちした。

「どうせドロシーさんの事ですから、死ぬのも鎮守の魔女になるのも同じくらいに考えてたんでしょう」

「さあ、どうだったっけ。まあ、一度は捨てようとした命だったわけだし」

 私がそう言うと、チェンシーは、嫌いな物を我慢して食べる時の子供みたいに表情を歪ませた。

「ドロシーさん、私の話も聞いてくれませんか」

「珍しいじゃん。チェンシーから自分の事を話そうとするなんてさ」

 私が笑い混じりに言うと、チェンシーがぽつりと呟いた。

「私の母さんも、鎮守の魔女だったんです。私を引き取る前に、鎮守の魔女だった事があったみたいで」

「孤児だったの」

「はい、生まれてすぐに本当の親を亡くして、母さんとダーリヤが引き取ってくれました」

 今まで、チェンシーが自分の生い立ちについて話そうとした事はなかった。

 私から聞いた事もなかった。

「ところで、ダーリヤって誰さ」

「母さんの奥さんです」

 今最も有名な魔女と言われているアーレア・リェイスティンが発表した“白い結び"の影響で、魔女が女同士で結婚するのは珍しい事じゃなくなっていた。

 チェンシーも、そういう今時の魔女にはよくある感じの夫婦もとい婦婦の元で育ったのだろう。

「ちなみに、私の母さんの名前はシーハンっていうんです」

 シーハン。とても耳馴染みのある名前だ。

 昔、その名前をよく呼んだ。

「ちょっと待ってえ!? チェンシーを育てたお母さんって」

「気づきましたか?この町の先代の鎮守の魔女ですよ」

 チェンシーがおかしそうにくすくすと笑う。


 確か、今から一年前ぐらいの事だったはず。

 チェンシーは、ある日とつぜん私の元にやって来て、身の回りの世話をさせて欲しいと頼み込んできた。

 私は、最初はそれを断っていた。

 それでも、チェンシーは毎日のように来た。


 私がチェンシーを初めて家に上げたのは、ある冬の日の事だった。

 しんしんと雪が降り積もる中、チェンシーはやってきた。

 その時のチェンシーは黒い上着を着ていて、真っ黒な髪や上着のあちこちに白い雪が付いていた。

 外の空気と雪の冷たさで頬や耳を赤く染めたチェンシーを見て、そのまま帰すのが気の毒になった私は、雪が止むまでの間という条件で家に入れてやった。

 その時にチェンシーが見せた笑顔は、雪の中に咲いた花のように思えた。

 私は、普段は使わないポットと客用の食器を出して、チェンシーに温かい紅茶を振る舞った。

 お茶を淹れたのが久しぶりだったせいか、水の温度と蒸らし時間をミスして、渋い紅茶になってしまった。

 そして、二人でお茶をした。

 その夜、私はチェンシーを一晩泊めてやった。

 翌朝には、雪はすっかり止んでいた。

 チェンシーは、帰るための支度を整えている時に「やっぱり、ドロシーさんは聞いた通りの人だった」と呟いた。

 その時は、それがどこで聞いた評判だったのか、私は大して気にもしなかったが。

 そして、チェンシーは私に礼を言って、去って行った。


 それがきっかけで、私はチェンシーを家に上げるようになった。

 チェンシーは私の家に来る度に毎回違う土産を用意していた。

 自分が淹れた方が美味しいからと言って、いつもチェンシーがお茶を淹れてくれた。

 いつからか、私は、うちに通って来るチェンシーに対して、シーハンの身の回りの世話をしていた頃の自分を重ねるようになっていた。


 二ヶ月前に、チェンシーがこの町の公共魔法書庫の司書の仕事に就いたのをきっかけに、私はチェンシーを自分の家に住まわせる事にした。


「私は母さんからチェンシーさんの話を聞いて、ずっとあなたに憧れていたんです」

「そうだったんだ。びっくり」

 チェンシーが告げた言葉に対して、私の反応はあまりにも間抜けだ。

 自分でも、もっと他に言う事があるだろうと思う。

「シーハンは元気してる?」

「それが、一年前に亡くなって」

 シーハンはもう死んでいる。

 その事に対して、私はあまりショックを受けなかった。

 実際、私がシーハンから鎮守の魔女を引き継いでから、鎮守の魔女じゃなくなったシーハンが老いて死んでいてもおかしくないくらいの時間が流れていた事は、自分でもわかっている。

 むしろ、一般的な魔女の寿命を考えると、シーハンは大往生だったのだろう。

 でも、もうシーハンに会えないのかと思うと、胸の内に大きな隙間が空いたような心地だった。

 きっと、この隙間は二度と埋まらないのだろう。

「元々は、母さんの遺言で、この町に母さんとダーリヤのお墓を建てるために、この町に来たんです。でも、どうしてもドロシーさんに会いたくて」

「シーハンの子供だって言ってくれたら、最初から家に上げてたのに」

「子供って言っても、養子ですけどね。なんとなく言いづらくて」

「いやいや、言ってよ。そういう大切な事はさ」

 チェンシーは気まずそうに眉を下げて笑った。

「私は、ドロシーさんや母さんみたいに鎮守の魔女にはなれないと思います」

「そうだろうね」

「だけど、家族にはなれるから」

 チェンシーはそう言って、私の方に身体を向けて私の手を握ってきた。

「ドロシーさん、私と結婚しませんか」

 チェンシーの言葉に、思わず私は「はえ」という気の抜けた声を出してしまう。

 私の手を握るチェンシーの手が、急に熱く感じる。

「チェンシー、それ本気なわけ?」

「はい。本気です」

「ずっと、私のそばに居るって事?」

「そういう意味のつもりで言ったんですが」

 私は、シーハンが言っていた事を思い出す。

 シーハンには想いを寄せる相手がいたが、その人は遠くへと行ってしまい、鎮守の魔女だったシーハンは追いかけられなかった。

 そして、私が鎮守の魔女を引き継ぐと、シーハンはこの町から出て行ってしまった。

 鎮守の魔女になった私は、シーハンを追いかけられなかった。

「私は、この町から出られないんだよ」

「わかっています。母さんとドロシーさんが守ろうとした町に、私も骨を埋めたい」

 真っ直ぐに私を見つめるチェンシーの視線が、とても熱い。

 次の鎮守の魔女が現れるまでの間は、白い結びも、魔女婦婦の生活も、そもそも誰かとの恋愛や結婚そのものが、全て私には縁遠い世界の話だと思っていた。

「少し考える時間をちょうだい」

「いきなりでしたものね。一応、今は待ちますよ」

 チェンシーは私の耳元に唇を寄せて囁く。

「でも、私、あまり長くは待てませんからね」

 私の耳元にかかるチェンシーの息が、いやに熱い。

 何だか、チェンシーから伝わってくる熱が移って、私の身体まで熱くなっていくみたい。

「今度、シーハンのお墓参りに私も連れて行ってよ」

 私がそう言うと、チェンシーが私の耳元から顔を離す。

「お墓、この町に有るんでしょ。その時にプロポーズの返事してあげるから」

「約束ですよ」

 チェンシーが柔らかく微笑んだ。



「ちょっと! これ、大切な所で終わってるじゃないの!」

 ドロシーから送られてきた手記を読み終えたホムンクルスのクレアは、思わず声を荒らげた。

「ここからが良い所なんでしょ! もう!」

 駄々っ子のごとく喚き散らしながら手足をばたつかせるクレアは、白い髪と肌に赤い瞳という容姿と小さな身体も相まって、人形が動いて喋っているようだ。

「こうなったら、わたくしがこの二人の所に行って直接確かめるしかないみたいね」

 そうと決まれば、善は急げと言わんばかりにクレアは出掛けるための身支度を整えた。

 クレアは、これから巡り会う二人に思いを馳せて、胸を躍らせる。

「アーレア様、フェーリ様、わたくしちょっと行って参ります」

 クレアは自分の創造主ははおや達にあいさつをして、慌ただしく出ていった。

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