【短編】忘れ形見よ、もう一曲

カエデ渚

忘れ形見よ、もう一曲

 忘れ形見よ、もう一曲


 彼女を初めて見た時は、脳天が痺れる程に衝撃的だった。美人という訳でも、可愛らしいという訳でもない。

 それは流石に失礼かもしれないけど、その日ステージに立っていた中では、突出して見た目が良い訳ではなかった。

 だけど、ギターネックを滑るようになぞる指の動きや、こめかみから流れていく汗の筋、自分だけの世界を自分だけのものにしない表現力。

 何もかもに、僕は翻弄された。


 僕にとってライブハウスは、バーと同じだった。仲間と酒を飲むだけの場所。多少激しいBGMですら、酒の酔いをほんの少し促進するだけの、アテに過ぎない。

 勿論当時の僕はそんなことを思ってはいなかったけど、音楽に詳しいフリをして売れてないバンドの演奏を間に足を運ぶ自分に酔っていたことは間違いがなく。

 あのベースの入りはどうだったとか、ドラムが走ってたとか。バンドを組んだことすらない僕の知ったかぶって話す言葉の事全てが虚飾であるというのに、何もない自分を覆い隠せるだけの大きさを持った天鵞絨だと勘違いしていた。


 或いはその時初めて、僕は純粋に音楽を好きになったのかもしれない。

 技術じゃない、歌詞でもない、メロディでもない。言葉に出来ない要素が、彼女を中心に構築されていく。

 吐き出した息が、君の作り上げた世界の中に吸い込まれていくようで、あどけない子供のように僕は腕を伸ばした。




 ◇


 僕に子育ては向いていないらしい。

 向き不向きで考えるべきではないと知ってはいるけど、それにしたって何をどうしたらよいのかすら分からない。

 これも娘の為だ、そんな言い訳をしながら仕事に打ち込んできた。本当は娘と二人の時間が怖かっただけなのかもしれない。

 幸い、僕の父と母は孫を可愛がってくれるし、面倒も見てくれている。

 だから世の中に星の数ほど存在するであろう、片親の家庭の中では恵まれている方だろう。


「昨晩帰ったら、娘が金髪にしてたんだよ。そりゃ、家に帰れてない僕が悪いんだけどさ。訊いたら染めたのは一週間前だってさ。ほんと、僕は君がいないと、何も出来ない人間なんだなって毎日思い知らされるよ」


 遺影の中の君は、いつまでまだってもあの日のままの笑顔を僕に向ける。

 こうして仏壇の前で君に話し掛けることが、僕の日課だけど、多分君はそれを呆れるのだろう。

 汚い涙で君の写真を汚しては、その涙を拭くの繰り返し。何度こんなことを繰り返せば良いのだろう。

 情けない男だと罵って欲しい、頼り甲斐のない父親だと呪って欲しい。

 そうやって責めてくれないと、僕はどうしていいのかすら分からない。


 トタトタ、と階段を上る音がする。

 僕はハッとして時計を見る。十二時を過ぎていた。

 娘はいつの間にか不良になってしまったようで、平然と日付が変わる時間に帰宅しても、悪びれもしなかった。

 ここは親としてキツく言っておくべきなのだろう。

 仏壇の前から立ち上がって、娘の前に立ち塞がる。娘は僕を睨むように一瞥してから、横を通り抜けて自分の部屋へ向かう。

 年々、娘は君に似て来ている。

 あの目で睨まれると、僕はどうしていいのか分からなくなってしまう。

「……なんにも、言わないんだね」

 娘は吐き捨てるように言うと、荒っぽく自室のドアを閉めた。

「…………」

 やっぱり僕には子育ては向いていないようだ。


 ◇


 僕は君を忘れられなくて、年甲斐も無く、君と出会った場所に来てしまった。

 まだ残っていたこともそうだけど、あの時の店長はまだ現役なのも君はきっと驚くだろうな。

 あの頃と違って頭は禿げ上がってるけど。

 時代は違えど、やっぱりここは空気が違う。息苦しい程に熱気に溢れていて、目を背けたくなる程に若さが唸るように空間を支配している。

 もう僕のようなおじさんが来るような場所じゃないんだな、と思わされてしまう。

「何年振りだ?老けたなぁアンタも」

 カウンターでトニックを貰うと、例のその店長が僕に気づいて懐かしむように近づいてきた。

「昔が懐かしくなってね。なんとなく足が向いたんだよ」

「ん?娘の演奏を聴きに来たんじゃないのか?」

 店長の言葉に、僕は何を思ったのだろうか。

「ほら、ちょうど始まるぞ」

 背を向けていたステージから、激しいギターソロが響く。バンドの紹介すらない、挑戦的な音の奔流が背骨を震わせた。

 振り返る。そこには、君じゃなくて、彼女がいた。


 彼女を初めて見た時は、脳天が痺れる程に衝撃的だった。美人という訳でも、可愛らしいという訳でもない。

 それは流石に失礼かもしれないけど、その日ステージに立っていた中では、突出して見た目が良い訳ではなかった。

 だけど、ギターネックを滑るようになぞる指の動きや、こめかみから流れていく汗の筋、自分だけの世界を自分だけのものにしない表現力。

 何もかもに、僕は翻弄された。


「やっと私を見てくれたね、バカ親父」


 君の作り上げた世界はまだ、終わってなんかいなかった。

 彼女の作る世界と混ざり合って、溶け合って。

 君が生まれてくれて、本当に良かった。そんなことに今まで気付かなかった僕は、成る程、確かにバカ親父だな。

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