第二章 ワイン好きのネクロマンサー

2-1

 ロイは執務室のテーブルに地図を広げて、頭をガリガリいていた。ただでさえ寝グセがひどいのに、茶色の髪がボサボサになっている。


 広げているのは、ラナール領内の地図だった。


 領主になったのだから領内の地理を知るべきだと館内の資料を漁っているのだが、いい感じの資料がちっとも見つからない。かなり広範囲の、周辺国家とラナールの位置関係を示す地図は見つかったが、それだと縦に細長い楕円だえん形に、『ラナール』と書いてあるだけで情報があまりにも少ない。ラナール地域に特化した地図が欲しいのだが、唯一、見つけたのは、羊皮紙ようひしで薄黄色にせた年代物の巻物だけだった。



《全体的な地形》


 南――国境。


 北、東、西――他はぐるっと山に囲まれている。



《地域ごとの特色》


 南――めっちゃ豊か。牧草地帯に、川があって、森があって、湖があって、国境に近いから交易の拠点になっている。ラナールの主要な町は全て南側にあって、領主館もここに建っている。


 東――軍事国家ラーゲンザイルと山を挟んでにらめっこ。でも、山が険しいから、わざわざ、あっちからこっちにまで山を越えてくる筋肉バカは少ない。山裾やますそに沿って、温泉地になっている。


 西――何もない。ラナールがそもそも田舎なのに、さらに田舎。鉱山跡とか、あったかもしれない。あんまり興味ない。


 北――何かありそう。遺跡とか、そういうの。荒地ばっかで行く気がしない。遠いし、つまんないし。何か怖いし。



「いい加減すぎる」


 ロイは独り言のように、つぶやいた。


「いい加減すぎる」

 

 もう一回、言った。


「もっとこう、絵とかないのか? 丸を書いて、森、とか、この辺は山っぽいとか、子供の落書きにしか見えん」


「所有者がコロコロ変わっているんですよ」


 セリアスがイスを前後にらしながら言う。『ラナール年表、その二』というタイトルの資料を読んでいる。


「紛争地域のド真ん中、ですからね。争いが絶えず、統治者が時代ごとに違うんですよ。だから資料を残す前に争いに巻き込まれて、この世を去ったりするわけです」


「……何だって?」


「ですから、時代によって統治者が――」


「違う、その前だ。紛争地域のド真ん中、とか何とか」


「東がラーゲンザイル、南がバレンシア、北はザルツブルグで、西がロマネスクですから、四カ国に囲まれています。周りから狙われ続けて、それでも独立を勝ち取ったのです。今後も独立を維持できるかは、誰かさんの努力にかかっているわけです」


「……いつかお前を詐欺さぎ罪と、労働強要の罪で訴えてやるからな」


 ロイはテーブルの巻物地図を、クルクルと丸めた。それをセリアスに投げて寄越した。


「前にも報告しましたが、北側からの税収がゼロなのを覚えていますか?」


 セリアスがまた地図を広げて、手にぶら下げた地図の北側を、トントンと指で叩いた。


「知ってる。北側からは俺が領主だと認知されていないようだ。個人で財産を管理しているのかな……インフラを整備できないし、ラナール全体の未来を考えれば放置はできん」


「最近、ちょっとその辺のことを調べましてね。どうも別の誰かに税を納めている、のだとか」


「……つまりは、もう一人、別の領主がいる?」


 ロイは顔を曇らせた。北と南で支配が分かれていては、将来的に内紛になる恐れがある。とはいえ、北の支配者とやらを納得させるための、争いになっては本末転倒だ。


「吸収合併がっぺいするべきか」


「相手が納得してくれるのなら。向こうが主権だと言うかもしれませんが」


「領主様」


 ベアトリスが、紅茶を運んできた。


「紅茶とケーキです。それで、私でよければつぶしてまいります」


「ダメだって。お前は脳筋すぎる。同じ地域内だ、平和に交渉すべきだろう。セリアス、代わりに行ってくれるか?」


「運動が苦手なので。私だと歩くことになりますし、こういうのは領主自ら、顔を出した方が相手も信用します」


「……あ~あ、俺にはサポートがいるようで、実質的なサポートが皆無だ。これではちっともサボれ――まあ、いいか。じゃあ、二人とも留守は任せたぞ」


 ロイはベアトリスとすれ違いざまに、「熱っ!」と言いながら紅茶をサッと飲んで、執務室を出て行く。


「脳筋……私は……脳筋……」


 脳筋を引きずるベアトリスだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 北へ行くにつれて、土地がせていく。


 レンガや漆喰しっくいの家は木造家屋へと変わり、それもまばらになると、石畳の道も土に変わって、茶色と緑の混ざった牧草地ばかりになる。森がなくなり、川もなくなり、地面がヒビ割れて、青い空の下には寒々しい台地だけが広がっていた。


 灰色の墓石が、地面から突き出すように顔を出している。


 そういうのに混ざって、たまに巨大な建造物が――石柱の神殿だったり、そびえ立つ岸壁に開けられた洞窟どうくつだったり、はたまた、謎めいた灰色の球体が転がっていたりする。ここは数百年前から時間が停まっている。人類の叡智えいち痕跡こんせきとも評すべき遺物いぶつだった。


 そういうせた土地にあっても、時折、砂漠のオアシスのように湖と緑が現れて、小さな町が築かれていた。町の住民は石を切り、粉を引き、家畜の背にわらを乗せて、二つほど前の時代で生活レベルが止まっていた。いくら牧歌ぼっか的とはいえ、これでは少々、勿体もったいない。土地は有り余っているのだから、南と北を上手く繋げば発展の余地が十分にあるのではないか。


「領主様? ああ、南の……」


 ロイは町の人に話し掛けた。やはり、南の領主、という認識らしい。


「税金たってねぇ、こっちの生活に反映されるわけでもないし」

「コッチ側の領主? そんなん、いねぇよ」

「ううん、領主じゃなくって、守り神みたいなものだから。町で集金したのを渡して、それで平和を維持してくれるのですって」


 ロイは、集金を担当している若い娘に詳しく話を聞いた。


霊陵れいりょうの丘の手前に大きな屋敷があるの。そこの郵便受けにね、お金を入れておくと御利益ごりやくがあるの。何の御利益かって――さあ、私、そこまでは知らないから」


「鬼が住んでいるってぇ、話じゃなかったか?」


 別の男が言う。


「鬼が暴れるから、金を渡せば悪さをしないっていう」

「いやぁ、蛇女だよ、蛇。見ただけで石にしちまうってよ」

「そうだった? なんか鼻輪を付けた大きい牛とかじゃない?」

「ヒヒだよ、ヒヒ。でっかいヒヒだってば」

「ウサギさんが、住んでいるの。とっても、寂しがり屋さんなの」

「翼が生えて、飛ぶらしい」

「オナラで飛ぶって、聞いたけど」

「火を吐くらしいよ」

「ゲロも吐くらしいぜ」

「いっつも怒ってる」

「でも、ゲラゲラ笑うんだよね」

「尻尾が九本」

「目は七つ」

「口は三つ」

「そんでもって、巨乳」


 町の人に、北に住んでいる化け物とやらの似顔絵を描いてもらった。全部を合わせたら、わけの分からない生物が誕生した。


「会いたくねぇなぁ……」


 ロイは心の底から、嫌気がした。こんな奴と、まともに交渉できる自信がない。これはベアトリスに殴ってもらった方が早そうだ。


「まあ、とりあえず話をしてきますよ」


「お達者で」

「ご無事で」

「死なないで」


 物騒なエールが背中に送られる。いつも若い娘が金を渡しに行っているのだから安全だとは思うが、万が一、こんな奴と遭遇そうぐうしたら、


 反射的に斬ってしまうかもしれない。


 いいや、人? を見た目で判断してはいけないと自重するロイだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 灰色の館を、霧が覆っている。

  

 幽霊でも住んでいるかのような黒いレンガの洋館は、アーチ窓が並んで、そこにも真っ黒なカーテンが下がっている。鉄格子の前には赤い郵便受けがあって、門を錠前が閉じていたが、呼び鈴がない。ここは失敬して指でバキッと錠前を壊すと、ひんやりと冷気の漂う中庭を抜けて、玄関に下がっている鐘を、カーンと鳴らした。


 ――バサバサバサ。


 蝙蝠こうもりが屋根から飛び立った。


 同時に、館からドタドタと足音がする。


 しばらく待ったが、応答がない。もう一度、鈴を鳴らしたが、反応がない。


「ラナールの領主だが、話がしたい。平和的に、話をしよう」


 ドンドンと叩いても、返事がない。仕方がないので、木造の扉を殴って穴を開けて、腕を突っ込んで中から鍵を開けた。


 ――領主様も、脳筋です。


 脳内でベアトリスに文句を言われた。


 玄関ホールは、薄暗かった。赤いカーペットに、銀色のシャンデリア。電灯の代わりに蝋燭ろうそくの台に火が点いている。ロイが一歩、前に踏み出すと、不気味なメロディが唐突に流れてきた。


「……帰れ」


 奥に人がいるらしい。館の主だろうか、見上げると、玄関ホールを貫く大階段の上に背の高い男が立っている。


「ワシは気が短い。帰らねば、お前を喰ってやろうぞ」


「……」


 顔がよく見えない。それに言葉のわりには、殺気も覇気も感じない。ロイはさらに一歩、近付いた。


「……何をしている? さっさと帰れ。それともワシと一戦、交える気か」


「そのつもりはないが、まずは話し合おう。お互いの未来について、重要なことだ」


「未来とかいいから、とにかく帰れ。いいから早く、帰れ。ていうか、帰って」


 やけに帰れ、帰れと急かしてくる。これは妙だと思い、ロイは一気に階段を駆け上がって、大男の胸をコツンと突いた。


 ぐらッと、男が倒れる。


 ただのハリボテだった。


 斜めに倒れたハリボテの後ろに座っていたのは――


「……え? うええぇぇ!? あえええ!?」


 正体がバレて取り乱している、黒いゴスロリ服を着た真っ白な髪の、ツインテールの少女だった。

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リタイア英雄 ~地方領主からのリスタート 狭間夕 @John_Connor

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