あとがき

 きっかけは、忘年会の帰り道でした。

 前作『咆哮する邪神』 のオリジナル版を書いた年だから、2016年の暮れごろでしょうか。忘年会も終わり、皆で連れだって店を出て、丁度、ビルとビルの狭間にある空き地――横幅は2メートルちょっとしかないわりに奥行きが十数メートルと深い、俗にいう〝ウナギの寝床〟――に差しかかった時でした。その〝ウナギの寝床〟から突如、先を歩く女の子めがけて無数の触手が伸びてからみつき、一瞬のうちに引きこんでいく、そんな映像ヴィジョンが脳裏に浮かんだのです。恐るおそる〝ウナギの寝床〟を覗きこんでみると、攫われた女の子や触手の主の姿はすでに無く、ただただ雑草の生い茂る空き地があるのみ……そんな、《日常の亀裂》、《日常のなかの非日常》のようなイメージがあまりにも強烈で、この場面を小説に書きたい! と思ったのが本作執筆の動機だったのです(でも実際に書きあげたのは2023年でしたがw)。   

 が、お話の展開の都合上、〝ウナギの寝床〟から居酒屋の天井になってしまったのが少し心残りで、いつかまた別稿で、このシークエンスは改めて書きたいなぁ……などと思っています。


 〝活け造り〟の場面は筒井康隆をやりたかったんですね。『毟りあい』とか『問題外科』の頃の(そのものズバリ『亭主調理法』なんてのもありましたね)。同じ日本SF第一世代の平井和正がどこかで筒井康隆を評して「狂気に片足だけ突っこんだ感じ」(大意)とか書いていた記憶があるのですが、それを目論んでみたのです。こんなの書いてこの作者、頭おかしいんじゃね? って思われるよーなw

 更にいえば、主人公がちょっと〝おかしく〟なるところ、これは村上龍ですね。『愛と幻想のファシズム』で組合委員長が向精神剤を盛られて発狂していく場面。『コインロッカーベイビーズ』にも似たように人が発狂してくさまをモノローグで延々とつづっていくところがあるのですが、これをやってみたかったのです。

 上手くいったかどうかはわかりませんが、さて、どうでしょうか。


 紹介文にも書きましたが、本作は2023年・第一回『幻想と怪奇』ショートショート・コンテストの第一次選考通過作でもあります(加筆修正有りですが大筋での変更は無し)。二次で落とされたのですが、どこがダメだったのか、分析しながら読むのも一興かもしれません(爆)。うーん、ドンドコ。






 ――CHARLES MANSON『THE LOVE AND TERROR CULT』を聴きながら 




 

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幻視する癖 緒方えいと @eightogata

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