「断る」


 殺し屋はきっぱりと、そう言った。


「自殺志願ってか。んなもん、一人で勝手にやってくれ」


 募っていた怒りが酷く馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 たかだか、こんなことのために、俺は監禁されているのかと、むしろ頭が妙に冷えていくのを殺し屋は感じていた。


「あら、標的がこんなに協力的な依頼もそうそうないと思うけど」

「依頼主が標的なんざ、今日の今日まで見たことねぇよ。そして俺は初めてのことに挑戦はしない主義でな」

「向上心のない人……」

「そんなもんあったら殺し屋になんざなってねぇよ」

 

 もはや、少女の言葉も子供のおねだりにしか聞こえない、無論、そんなものを殺し屋が聞いてやる義理もないが。


「それもそうね。まあ最初からあなたにそんなのは期待してない。そんなものよりも、もっと分かりやすいメリットを用意してあげる」

「お前みたいなガキに何が用意できるって? 肩たたき券でもくれんのか? そりゃ上等だな。これから死ぬ奴からもらった肩たたき券なんざ

プレミアが付くぜ。ギャハハハハハ!!!!」


 少女を完全に舐め腐り、殺し屋は下品に大口を開けて笑い声をあげる。

 げらげら笑っている殺し屋を無視して少女は一言。


「十億」

「――あ?」


 殺し屋の笑い声が止まり、一瞬の静寂が訪れる。


「……十億円。私を殺してくれたら十億円あげるって言ったの」


 少しして再び、殺し屋が笑い声を上げる。

 やや過呼吸気味に腹の奥から笑い倒す。腕が自由なら床を叩いていただろう。


「ぷっ、ギャハハハハハ!!!! ちょ……まって、たかが殺しで十億ってお前」


 そこまで言うと、一瞬で殺し屋から笑みが完全に消える。

 

「――俺を舐めてんのか」


 それは、まるで別人のように無表情だった。


「冗談か何かだと思っているの?」

 

 少女の声にわずかながらに動揺が見え隠れする。だが、それを悟られまいと自分が腰かけていたトランクを開ける。

 自分が本気であることを証明するために。


「手付金、一千万がある」


 トランクの中にぎっしりと、新品の一万円札が敷き詰められていた。

 殺し屋にそれが本物かおもちゃか、判別する手段はないが、どちらにせよここまで用意周到だと、むしろ呆れを通り越して感心さえしていた。


「ちゃんと私を殺してくれたら。しかる場所で残りの額を渡せるよう手配は出来てる」


 殺し屋は肺の空気を全部出してしまうのではないかと思えるほど、長く深いため息を吐く。


「きな臭ぇなぁ、自殺のために随分と手が込んでやがる」

「信じる信じないはあなた次第」


 トランクを閉じ、罰当たりなことに一千万を尻に敷く。

 元々の格好に戻ったとはいえ、最初からそんなことをしていたとは、『豪胆』というより他ない。


「まあ、どちらにせよ。断り続けるなら貴方はここから出られない」

「あぁ?」


 殺し屋の冷めた頭に、少女は続けざまに情報を押し込む。


「貴方がこの部屋から脱出する手段は一つ――私が死ぬこと」


 殺し屋は眉一つ動かさない。

 少女もそんなことも意に介さない。と言わんばかりに続けていく。


「差し詰めこの部屋は、『殺さないと出られない部屋』私にとっては『殺されないと出られない部屋』だけどね」

「頭に蛆でも?」

「私財を投げ打ってこんな大仰な自殺を企画するような奴が……まともなわけないでしょ」

「まったくもってその通り」


 もはや正気であると思えない少女の言動から殺し屋は半ば諦めていた。


「それでどうするの?」

 

 再度、少女は問う。


「私を殺してくれるの? 殺してくれないの?」


「…………お前は今、自分は殺されないと出られないって言ったか?」

「そうね、貴方がどうしても私のような可憐で儚いか弱い少女を手にかけるのが忍びない、と思っていたとしても」

「不気味で豪胆の間違いだろ」

「思っていたとしても! 貴方は絶対にこの部屋からは出られない。私の餓死を待ってたら貴方も共倒れよ。ここまで言えば、貴方にとってどういった行動が最善の選択かは……わかるでしょう」


 もう何度、呆れればいいのか、腕の自由があればもう少し頭を抱えるなり、天を仰ぎ顔を抑えたり、バリエーションに富んだ呆れ方をできるが、今の殺し屋には溜息を吐くしかない。


「結局脅しじゃねぇかよ」

「脅しじゃない……お願いよ」

 

 改めて、殺し屋は少女を見る。

 仮面からわずかに垣間見えるその瞳は、どこまでもまっすぐで、どこまでも遠くを見つめているようだった。見つめていると逆に呑まれそうになる。


「……一つ聞くが俺の荷物は?」


 殺し屋は視線を外し、話題を変える。


「そんなことを聞いて何になるの」

「俺の荷物の中に煙草がある。考えをまとめてる間に一本くらいいいだろ?」


 これは紛れもなく殺し屋の本心だ。ニコチンが切れてきて、イライラがぶり返し始めている。


「私、煙草は嫌いなの」

「これから死にたいって言ってるやつが何言ってやがる。それとも、なんだ、とっくに処分したってか?」

「処分はしてないわ。ここじゃないどこかに置いてる。私を殺してくれたとき、返す手筈は整えているわ。お願いを叶えてくれた恩人の手荷物を処分したなんて、そんな恩知らずなことはないでしょう?」

「ここじゃないどこか……」

 

 殺し屋は、小さく呟く。


「まあ、しばらく禁煙してちょうだい。ほんの少しの辛抱よ」


 そして少女はこれでもかと、殺し屋に逃げ場がないと見せつけたことで、さも勝ち誇ったように声をわずかに弾ませながら語る。


「ま、どうせ、貴方は自分の手荷物が近くにあるなら。スマホか何かを使って救援でも求めようとしたのだろうけれど……私はそんな迂闊はしない」


「要するに、観念しろってか?」

「そう、捉えてくれて構わない」


 殺し屋は目を閉じ、そのまま暫く悩む素振りをし、暫くして、もう何回吐いたかわからないため息を吐きながら口を開く。


「……はぁ、わかった。お前の依頼を受けてやる」


 考え抜いた最善策、それが降伏だった。


「ようやく、状況を理解してくれたようでなによりよ。もう少し、呑み込みが早ければ、もっと手短に終わったのに」

「協力してやるって言ってんだから憎まれ口を叩くな、いいから、とっととこの手錠を外してくれ」


 少女はやれやれといった具合で殺し屋の手錠を外しながら、耳元で伝える。


「やり方は問わないわ。好きなようにお願い」


 ようやく腕が自由になって、肩を回したり、伸びをしたり、出来なかった頭を抱える、天を仰ぎながら顔を手で抑えるなどのポーズを取っている。


「まあ、そう急かすなよ。後ろ手に腕括られて肩が痛ぇ」


 「観念した」はずの男、そのはずなのに、どこか殺し屋の声には余裕がある。


「せっかくビジネスホテルみてぇな場所で、めったにお目にかかれない柔らかそうなベッドもあるんだからよぉ。一晩くらいゆっくりさせてくれよ」


 殺し屋はそのまま実際にベッドに横たわり、マットの硬さを確かめ満足そうにしている。


「何をそんな悠長なことを――」

 

イラつきを感じさせる少女の声を、殺し屋は遮る。


「別にお前は期限を設けてなかったよな。いつどんな風に殺すか、それは俺の気分次第だ」

「それは……」


 それはそうだ、だが設けていないのは、結局のところ行動を起こさなければ、共倒れを意味するから。そう、そのはずなのだ。

 なのに、殺し屋は二ヤついている。

 それはさながら、先ほど勝ち誇っていた少女のように。


「お前が、いかにも何でも知ってますって風だったからよ、てっきり知ってるもんだって思って何も言わなかったんだが」


 立ち上がり、少女の肩に手を置く。


「詰めが甘かったな」


 それは、精一杯頑張った子供が、子供なりの成果を誇っているときに、対して大人が向けるような、穏やかでどこか、侮っている声音だった。 


「俺を雇ってる組との契約でよぉ……俺から24時間連絡がなければ、逃亡したってことになって、組の連中が俺を血眼になって探し始める」

「なっ……何を」

「ここがどこだか知らねぇが、スマホを始末しないでいてくれて助かったぜ」


 それは大げさで、芝居がかっている。

 身体が自由になったからか、それとも、ただの意趣返しか。


「いや、始末されていても関係ねぇや。スマホの最後の痕跡からアタリをつけてくるだろうさ、そりゃ、大量の人を使って探すだろうなぁ。そうなったら、ここを奴らが見つけるのもそう……時間の問題ってことにならねぇか?」

「……」

「ここまで言えば、まるで全部自分の手のひらの上みてぇに思って、調子こいてたクソガキにも分かんだろ?」

「けどそれじゃあ、アンタは組の連中に殺されるわよ」


 声が震えている。


「ヤクザが話の通じねぇ猿と思ってんのか? 弁明の余地くらいあるさ

。それに、信頼だのなんだのに興味はねぇが、それなりに仲良くしてんだ、事情くらい汲んでくれる」


 ようやく、パワーバランスの均衡が訪れる。


「……アンタは何もしなくても、ここから出られる余地がある」

「俺は危ない橋を渡らない」

「嘘つき……」


 だんだんと、声に色が付いてくる。


「殺し屋なんて屑に何を期待してんだ? それに、まだ別に嘘って決まったわけじゃあねぇ……一週間後くらいに気が変わってお前を殺してやるかもなぁ」


 その表情は、どれほど憎たらしく、どれほど腹が立つものだろうか。


「クソ野郎が……!」


 それは少女の声色が物語っている。


「――ようやく、そのきれいなお面が剥がれたなぁ」

「……はっ!」


 少女はもう、油断しない。

 余裕ぶっていた少女はもういない。


「別にいいわ! そいつらがここを見つける前に――」


 なりふりなど構うものか。その声は激しい怒りと切実な願いに彩られる。


「私はアンタに殺されればいい!」

「俺はてめぇを殺さなければいい」


 二人は真正面からにらみ合う。

 片や執念を燃やし、片や時間を費やし、それぞれの思惑が交錯する。


「精々、そうやって高を括ってるがいいわ! アンタは私を殺さなかったことを後悔する!」

「ギャハハハハハ! 楽しみにしてるぜ……それじゃあ」


 小馬鹿にした表情は再び無表情になる。


「我慢比べと行こうか」


 少女、勝利条件…殺されること。

 殺し屋、勝利条件…殺さないこと。


 人知れない密室で、殺し屋と死にたがりの少女、二人の勝負の火蓋が

――切って落とされた。

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【短編】殺せない殺し屋と死にたがりの少女【元声劇台本小説調整版】 文月イツキ @0513toma

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