青い釦

曇空 鈍縒

第1話

 俺は今日も、薄暗い部屋に座っている。


 目の前には、モニターやらスイッチやらが並んでいる。黒いモニターには、白い線が絡み合った、何かの軌道の様な幾何学的な画像が映し出されていた。


 専門知識のない俺には、それが何なのかなど分かりようもない。ただ、何か弾道を計算するためのものではないかと推測している。


 誰も、それが何なのかは教えてはくれないだろうし、俺も、それが何なのかについては全く興味が無い。


 薄暗い部屋でぼんやりと光るモニターが、キーボードやマウス、それに部屋中に並んだ、訳が分からない古びた機械を照らしている。


 照らされている物の中には、きっと俺の青白い顔も含まれているのだろうが、俺には、俺が外からどう見えているかは分からない。


 この部屋に、顔を映せるものは、何一つとしてなかった。


 この部屋で何もせず、座り心地の良いけど眠れるほどではない椅子に座って待機して、もし指示があったら、すぐさま目の前にある青いボタンを押す。


 これが、今の俺の仕事だ。拍子抜けするほど簡単だ。その青いボタンが何万人もの命と連動してることを無視すればの話だが。


 核危機が極度に大きくなった現在。非核保有国はすべてされてしまい、世界は三つの帝国が三竦みとなって固まっている。


 自国を含むすべての領土を焼き尽くせるだけの核を保有し、それで互いをけん制しているおかげで、何とか地獄の全面戦争は食い止められていた。


 核戦争に備え、技術の教育に金も時間もかかる歩兵や戦車兵、砲兵、パイロットなどの部隊は、即座に安全な核シェルターに移れる場所に展開するようになった。


 核兵器が落ちてしまえば、一万の精鋭すら無意味だ。


 だが、核戦争後の世界にも、わずかに残るかもしれない国家機能を維持するためには、軍事力は必要だ。


 工場、インフラ施設、住宅地。ありとあらゆるものが地下に移動し、今、太陽の光を浴びれる場所にあるのは、集合住宅と高級住宅街と、一部の軍事施設だけだ。


 そうして、国の損害を最小に抑える工夫を積み重ねた結果、核の発射ボタンを押すだけの仕事は、金のない民間人貧乏人に押し付けられた。俺もその一人だ。


 核を発射する仕事場は、核兵器の納められたミサイルサイロのすぐ近くにある。


 そして、ICBM大陸間弾道ミサイルは、水中にいるSLBM潜水艦発射弾道ミサイルや、離陸すると捕捉も撃墜も難しい戦略爆撃機とは違い、衛星写真などを使えば場所が特定しやすく、攻撃も容易だ。


 そのため、いざ核戦争となれば真っ先に攻撃される。一応、核シェルター内での勤務だが、直撃すれば、シェルターなどあっけなく潰れる。いやな仕事だ。


 時給2000円。夜間3000円。それが俺の給料だ。


 軍拡に伴う好景気に乗ることができず、職にあぶれて、自宅を警備しているような生活を続けていた俺は、とうとう家族から勘当された。


 もちろん、正当な罰だと思っている。


 俺の家は、中流階級凡人たちに属していたため、地下街に住んでいた。地上の高級住宅街に住める金は無いが、核戦争となれば死しかない集合住宅に住むほど貧しくはない。


 だが、勘当された俺は、地上の集合住宅に移り住むことになった。毎日を、アルバイトで食いつなぐ日々。


 いざ核戦争となっても、集合住宅内にある地下シェルターへの入り口は少ない。できることと言えば、ただカップラーメンを食って目をつぶっているぐらいだ。


 そんなある日、俺は買い物をするために、外出した。


 当然、俺もカップラーメンだけで生きているわけではない。値段の高騰した土の野菜は食えないが、水耕栽培の技術が発達したおかげで、庶民でも生の野菜は食える。


 無機質なスーパーで、適当に飯を買っての帰り道。


 通りかかった交番の壁に、乱暴に張り付けられたポスターを見つけ、俺は、すぐさま、ポスターの下に書かれた電話番号に電話をかけた。


 採用は迅速だった。嘘発見器を使った面接。前科の有無の確認。金や女のトラブルが無いかの確認。


 俺には、金や女がらみの問題を起こせるほどの財産すらなかったし、犯罪をするほどの度胸もなかったし、嘘をつけるほど器用でもなかった。


 核戦争となれば真っ先に攻撃される大陸間弾道ミサイルが収められたミサイルサイロで働きたい人間など、いくら給料が高くても少ない。


 それに、青い釦を押すだけで核ミサイルが発射され、それが何百万人も殺す仕事など、倫理感の高い高等な人間には、給料を差し引いても地獄でしかない。


 だが、どちらにしろ誰かがやらないといけない仕事だし、発射の指示を出すのは俺ではなく国家の最高指導者なので、別にかまう必要はない。


 俺は、大きく伸びをして、青い釦を見つめる。


 机に埋め込まれた拳ほどの大きなボタンは、精巧ともいえる滑らかなドーム型で、一切のむらなく青いインクが塗られていた。


 やや明るい青は、薄闇の中でもよく見える。


 時間の感覚が消えていく中、周囲のキーボードもモニターも頑丈なコンクリートの壁や床も徐々に消え、濃い青だけが、まるで空間にできた染みのように、くっきりと浮かび上がっていく。


 奇妙な感覚だ。その青は徐々に広がって、部屋全体を満たした。


 この世のどんな青よりも青く。


 今日も世界は平和だ。

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青い釦 曇空 鈍縒 @sora2021

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