第8話 フロアボス
昨日の騒々しさが嘘のようだ。でも、どこかその騒がしさが懐かしい。
アニタはフォルテに礼を言って故郷に帰っていった。
フォルテと同じベッドで寝ていた件については、母親に黙っていてくれると信じているピートだった。
今日のダンジョン攻略は、フォルテが待ち望んでいたダンジョン地下20階のフロアボスへの挑戦だ。
リザードマンの巣窟である地下20階層の最奥には、フロアボス・リザードキングが待ち構えている。リザードマン(トカゲ男)は群れを作って生活をする。そのとき、群れの中で一番強いリザードマンが王となり、独裁的に集団を統治する。群れの中で貢物や食料を独占するリザードマンの王は、一般のトカゲ男の2~3倍に肉体を肥大化させ、強力なモンスターとなる。
ソロハンター時代のフォルテが唯一突破できなかったのがリザードキングだ。そのレベルは32。
ピートはレベル21。フォルテはレベル27になっていた。ピートの魔術でフォルテを強化することを前提に考えれば、ふたりでも勝つことは難しくないはずだ。
地下20階層にはあまりに人の気配がない。石畳の床が苔むしている事からもそれが伝わってくる。そんな通路を、壁に設置されたマジックランタンから揺れる光が冒険者を勇気づけるように照らしている。
ピートは心の中で気持ちを奮い立たせた。フロアボスが強敵だからといって弱気になるのは駄目だ。バッファーとしてフォルテを援護するのがピートの役割なのだ。それでは2人でパーティを組んだ意味がない。緊張を解きほぐすように、少年は先を歩くフォルテに向かって駆けだした。
一方、フォルテは剣を構えてリザードマンとの遭遇に目を光らせていた。リザードマンがよく通る道を記憶し、遭遇を避けながら歩いていく。フロアボスとの戦いの前にできるだけ体力の消耗を避けるためだ。地下20階層に対するフォルテの意気込みが感じられる。
やがて、ダンジョンを中程まで進むと、突き当りの壁に大きな扉が現われた。
「リザードキングがいる部屋よ。ピート、援護をお願いするわね。」
フォルテの赤い目は少年を信頼していると無言で訴えてくるのだった。ピートはそれに応えるべく彼女の後に続いた。大きな扉が開くと、そこは大広間だった。
扉の向こう側では、先客の冒険者パーティがフロアボスと戦っていた。だが、すでに彼らの戦線は崩壊していた。前衛の剣士とガードは怪我をして倒れており、後衛の魔術師と僧侶にリザードキングが迫っている。絶体絶命のピンチだ。
両手に大剣を持ったリザードマンの王は、トカゲ男の3倍近い巨体を軽快に動かして間合いを詰める。まるで狩りを楽しんでいるかのようだ。深緑のローブに身を包んだ魔術師の女性は、腰を抜かしながらも震えるステッキに魔力を込めようとしている。その横には純白の神官服の女性が、青ざめた表情で魔術師にすがりついている。ふたりの表情はもはや泣きだしそうだった。
「フォルテさん!このままじゃ彼女たちが危ない。助けよう!」
しかし、フォルテは消極的だった。いつもの人見知りが出てしまったのか、体を小刻みに震わしている。
「わたし…、他の人と一緒に戦うのは無理…。地上に帰りたい…。」
「…でも、僕たちが助けないとみんな敵にやられちゃうよ! 死んじゃうかもしれない。そんな思いは嫌なんだ。フォルテさん、お願い…力を貸して?」
「無理なの…。体が動かない…。」
フォルテは歯をガチガチと鳴らしていた。彼女は他人と接触することを極度に怖がる。それは彼女の生き方から生じた心の傷かもしれないし、簡単に割り込んではいけないことだ。
だけどピートにとって、フォルテは自分を救ってくれた、自分に価値をくれた人だ。
ピートはついこの前まで冒険者パーティのお荷物だった。皆の荷物運びをしながら、悪口を言われてもヘラヘラしながら自分をごまかしていた。
『でも、僕でも誰かのためになれる能力があったんだ。フォルテさんは僕の力を認めてくれて、仲間に誘ってくれた。それがとても…、とても嬉しかったんだ。』
ピートにとってフォルテはヒーローだった。そんなフォルテに後ろを向いていて欲しくない。他人を守れるような立派な冒険者でいて欲しい。そう思ったら少年は我を忘れて飛び出していた。いきなりピートはリザードキングに向けて大声で叫んだ。
「おーい! リザードキングーー!! お前の相手はこっちだぞーー!!」
リザードキングがこちらをじっと振り返った。巣を荒らされたリザードキングは怒りの形相で目をギョロリと動かした。
ピートは自分の短慮な行動を後悔した。リザードキングと目が合ったとたんに恐怖が沸き上がる。足が震えているのがわかる。
『怖い…。だけどここで逃げ帰ったら勇者になる夢も消えてしまう。自分の力で戦うこともできないけど、それだけは譲れないんだ!』
すると、後ろから聞きなれた足音が近づいてきた。フォルテが困ったように語り掛ける。
「もう…、何をやってるのよ! 危ないわ。」
剣を構えた美麗な剣士がピートの前に立ちはだかった。フォルテは少し怒っていたけど、剣を握る手に弱気な感情は残っていなかった。彼女ははにかんで言った。
「…ありがとうピート。私は薄情な冒険者になるところだった。」
「…うん! 一緒に戦おう、フォルテさん。」
ピートは強化魔術の詠唱を始める。
「祝福の精霊よ。かのものに戦いの恩恵をあたえんこと。フォルテさん、僕を信じてくれたあなたが大好きです!!」
攻撃力・防御力・敏捷性4倍の強化魔術(バフ)がフォルテを包んでいく。
「ありがとう…、受け取ったわ!ピート。」
フォルテは大広間を俊足で駆け抜けた。剣を構えたまま走り寄り、リザードキングと対峙する。
リザードマンの王は巨大な大剣二本を、空気を裂くように振りおろしてくる。
しかし、フォルテは電光石火のようにリザードキングの懐に潜り込む。刹那の剣閃が舞ったかと思うと、その丸太のような片腕を斬り落とした。とてつもない威力にリザードキングは一歩後ずさり、咆哮を上げる。
「グォォオオオオオオ————!!」
片腕となったリザードキングの姿に、広間の隅でうずくまっていた魔術師と僧侶は目を見張った。
「あの子たち…、なんて強さなの…?」
「こんなことしてる場合じゃない…! 私たちもあの女の子を助けなきゃ…!!」
フォルテの戦いが絶望を受け入れかけていた冒険者を鼓舞したのだ。そして思いもしなかった共闘が幕を開けた。
強化魔術師に大事な恋の呪文 形而上 @keijijho
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